Aldebaran | ナノ



07






バイトから帰宅したら、母親も、男もいた。
時刻は23時を指そうかというところだった。

そんな時間だから、男の靴があることもなんとなくわかっていたのだと思う。
今は昨日のような恐怖を感じないのは、体がすごく重たくて…きっとそのせい。


男は俺が帰ってきたと知ると面白そうに俺を呼んだ。
リビングから聞きなれない、低い声。


「飲め」
「………」
「俺からのサービス受けれないのか?んな馬鹿な、だよなぁ…ええっ?」

目の前には開けられた缶ビールが差し出されている。
よく冷えているんだろう、缶の周りにはきれいに結露が覆っていて…。
久々に見た母親は、男の一声で冷蔵庫からビールを取り出した。
いつも何も入っていない冷蔵庫は、こいつのためにこうやって冷やされたビールが生まれるのだ。少しくらい俺のためにも都合のいいものを出してくれたっていいじゃないか。

母親が言われるまま出したビールは一瞬だけ男の手に触れ、口を開くと俺の前に置かれた。それから、それを飲め、と。
ちらりと視線を送った母親は一瞬だけ俺と視線を合わせてから、静かに外れた。
似ていて、似てない。都合のいい時だけ、似て、都合の悪い時は似てない親子になるんだ。不思議なもんだ。

差し出されたビールに手をかけて、一口飲み込む。
苦みが口の中に広がる。
その冷たさは心地よかったけど。

「そこは一気だろ。久々に顔合わせたんだぜ?お祝いお祝い」

よくわからないまま、いや、何も考えないまま口に付けた缶を傾けた。
前にも、一度だけ、やらされた。
未成年だと必死に止める母が可哀想になって、必死で飲み込んだ。もちろん一気もできなかった。噴き出しながら何とか飲もうとする俺をこの男は笑って見てた。

「大人んなったなぁ。また噴き出すかと思ったのによ」

母さんはもう止めなかった。

もっと、もっと、良い男が居るだろうに、なんで母さんはまたこいつなんだ。石川さんみたいに、かっこいい人とか居るじゃないか。
もっと歳いったやつでもいいじゃないか。なんでこいつなんだ。なんで、なんで。

ふわふわとした視界はもう寝不足だけじゃなくなった。

口の中の苦みが気持ち悪くて、でも、何もできない。
早く寝たい、と思った。口元を抑える俺を見て、男は静かに笑うと、もう俺に興味は示さなかった。そんな男に隣に座る、寄り添う、母親が―――、気持ち悪い、と、思ってしまって。
俺は静かに自室に戻った。
揺れる視界に任せて、静かに目を閉じてから記憶はない。





翌日もその翌日も些細なヘマをした。
接客態度が悪い、と客にとられ、舌打ちされる。
それを見ていた店長に注意を受け、そしてまた二日後に同じシフトに入った石川さんにも怪訝な顔をされる。
石川さんのその表情は、辛かった。俺の欲しい表情じゃなかった。
困ったように笑う石川さんや、小さい子に対してほほ笑む石川さんの表情が大好きだった。欲しいと思った。石川さんのその表情が欲しかった。
俺に、向けて欲しいんだ。

その日石川さんは俺がどんなミスをしても声をかけてくれなかった。
色々なことが重なったのだろうか、俺のことを注意する気持ちすら持てないくらい、余裕がなかったのかもしれない。




「大丈夫か?」

声をかけてくれなかった石川さんの、帰り際の一声で、俺は簡単に涙がこぼれた。
けど、それを見られるわけにもいかなかったから、すぐに背中を向けて無駄に作業をして見せた。

「おい?」
「…寝不足、で。今日も…失敗ばかりで迷惑かけました…すいません。明日は大丈夫です。ちゃんと寝ますし」

石川さんの溜息が聞こえて、これで石川さんは帰るだろうと思った。
けれど石川さんは溜息のあと、俺の隣に寄り添って、俺の頭に手を乗せるとクシャリとと頭を撫でていく。

「甘やかさないでくださいよぉ。そんなにされたら石川さんの家に寄らせてって、また俺…我儘いっちゃうじゃないですか」

なんとなく感じたのは、俺のこの気持ちが邪魔してるんじゃないかという事。
もしかしたら、この見込みのない気持ちを抑えて石川さんの仲良い友達としてなら家に寄せてほしいという気持ちは簡単に受け入れてもらえるんじゃないのか。
俺が好意を押し付けるばかりに、石川さんは俺と距離を置いているんじゃないか?って…。

「うち来るか」

「え」

声にならない音が漏れた。

「お前マジ辛そうだし。まぁ、明日も明後日もってわけにはいかねぇけど、今日だけでも睡眠とれるならいいんじゃね―の?」

あとは俺の気分だと、そう言って石川さんは笑った。
気まぐれでも、すごくうれしくて。
うまく言葉を返せないまま、石川さんと共に石川さんの家に帰ることになった。





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