翌日、ミナコは無事に退院することが出来た。
迎えに来てくれた友人と一緒に、病院を後にしたミナコは、その足でホテルへと向かった。
友人にお願いして、フロントマネージャーと話をするためである。入院していたとはいえ、ホテルはチェックインしたままだったのだ。
ホテル側としても、部屋を取っておいてくれたので、荷物はそのまま部屋に置いたままだった。
マネージャーに聞きたかったのは、救急車を呼んでくれた方が誰だったかということであった。なにしろミナコには記憶が一切なかった。
謝罪の言葉のあと、友人に翻訳してもらったところによると、年配の紳士だったとのこと。ミナコのことをとても心配してくれ、病院にまで付き添ってくれたらしい。名前については、ホテル側として教えられないとのことだった。
『私、その人にめちゃくちゃ迷惑かけちゃったんじゃ…』
『うーん…そうかもしんないけど、もうどうしようもなくない?そんなこと、今更言っても…。
それよりさ、今日!セミナーのチケット取れたよ!!予定が1日ずれちゃったけど…観にいこっ』
そう、元気のないミナコを心配した友人が、チケットを取っておいてくれたのだ。
『嘘!ごめんね〜…でも、凄く嬉しいッ!!』
『ふふ…もう気にしなさんなって!私もまだ観たことないから行きたかったんだよね〜』
丁度キャンセルがあって良かったね、と言うと、友人はヒラヒラとチケットを見せてくれた。
『ちゃんと…“セミナー”って書いてある……』
『当たり前じゃん』
苦笑する友人そっちのけで、チケットをガン見するミナコ。
『やれやれ…こりゃ、本物だね……』
『?何か言った?』
不思議そうなミナコに、友人は苦笑すると言った。
『な〜んでもない!じゃ、部屋に戻った戻った!愛しのアランさんに逢いに行くんでしょ?最高に美しく装っておいで〜…』
『もぉ〜……』
喫茶店で待ってるね、と言うと、ミナコは友人と別れたのだった。
ほんのりと赤い頬を押さえながら…。
*****
そして、夜。
ミナコが待ちに待っていた舞台、“セミナー”が始まった。
観客数としては、ほどほどに入る建物で、ミナコは驚いてしまう。もっと、大きなステージだと思っていたのだ。だが、実際は観客席と舞台のステージはかなり近いと感じた。
しかも、信じられないことに、ミナコの席は、ちょうど真ん中、正面に位置しており、前から三列目。まるで、演技する俳優さん達の息遣いまで聞こえてきそうなほど、近い距離だった。
『こんなに前の席だとは思わなかったね…でも、良かったじゃん?階段から落ちて……』
『もーそれ言わないで』
『はは…ごめ〜ん』
そんなことを話していると、舞台が始まった。
照明が暗くなり、音楽が流れだす。
しばらくすると俳優達がセットに出てくる。案の定、台詞が早い。
しかも、聞き取りずらい……。
(やっぱり、こんな子供レベルの英語力じゃ、解析不能みたい…。ぜんっぜんわかんない…)
舞台の最初の方から、ミナコは置いて行かれていた。
仕方なく、電子辞書を取り出しながら、聞き取れる単語を一生懸命調べるミナコ。
あまりに集中していたので、観客が突然騒ぎ出し、大喝采が起きるまで、彼女はそれに気が付かなかった。
『ミナコ…ミナコッ!!前!前見なさいッ!!』
友人に突っつかれたミナコは、ステージを見た。
そこには、彼が立っていた。
テレビやPC、雑誌でしか見たことのない、ミナコの長年の想い人――アラン・リックマンが。
前々日にトークイベントで見た時とはまた違う、演技をしている彼が。
アランが台詞を話そうとしているが、拍手にかき消され、全くもって台詞が聞こえない。
するとアランは苦笑すると、観客に向かって一礼した。
とたんに、黄色い声が上がる。黄色い声は、万国共通のようだった。
ミナコは、目をこれでもかと見開く。
この光景が信じられない。
アラン・リックマンが確かにそこに存在し、しゃべり、微笑み、動いている。
まさに今、自分の目の前で、生で演技をしている。
(凄い…本当に、本当にアランさんが演技してる……!!)
アランはセットの中を歩き回りながら、台詞を話していた。
彼の英語はイギリス英語なため、英語初心者のミナコにも、少しは理解できた。
あくまでも、少し、だが…。
長々しい台詞を、淀みなく話すアラン。レポートを持ちながら歩き回るアランは、さながら、先生のようだった。
歩き方一つが様になっている。
(か、かっこいい……)
内容を理解するという目的を忘れ、ただひたすら、アランだけを見つめるミナコ。
すると、アランの視線が観客に向いた。その時――。
アランの目が、見開かれる。
(わ、私を見てる……?!)
まさか、そんなことは有り得ないと否定するミナコ。
立ち止まり、まるで台詞を忘れたかのように立ちすくむ彼。
ミナコは、アランから目を離せない。
そして、アランもまた、ミナコから目を離せずにいた。
観客がざわめき出す………。
すると、魔法が解けたように、アランは苦笑すると台詞を再び話し出した。
まるで先ほどのことが嘘のように、舞台が進んでいく。
ミナコは、高鳴る胸に息苦しさを感じながら、ゆっくりと息を吐いた。
今のは一体―――?
『いまのあれって……?』
さすがに気が付いた友人が、ミナコを見つめてくる。
『ミナコ、あんた……私の知らない間に、彼と知り合ってた…とかってのは』
『無い無い!そんな訳、ないじゃない……』
友人に慌ててそう弁明しながら、ミナコは違和感を感じていた。
(おかしいわ。なんだか、変な感じ――)
(H24,1,10)
prev /
next