目を開くと、そこにあったモノは――――、
鍋いっぱいの、茶色い物体とそして大量の……フルーツ?
「これってひょっとして……チョコレートフォンデュかな?」
驚き顔の私に、アイネは嬉しそうに笑いながら言ってくる。
「そうよ!明日が何の日か知ってる?アラン」
明日?明日は詩の朗読会以外に、何かあったろうか?
アイネの誕生日でもないし、結婚記念日でもないし……何かの記念日なのだろうが、思い出せない!
これはまずい。忘れたりなんかした日には……妻に泣かれてしまう!
「忘れちゃうなんて最低!アランなんて大嫌い!!」
などと言われたら……私は、生きてはいけないよ……アイネ……。
冷や汗を出して固まった私に、アイネは不思議そうな顔をしてくる。
ああ、本当にまずいぞ、これは……。
「明日は、2月14日だから………」
だから、何なんだろう。本当に思い出せない…!!
焦りだす私に、彼女は苦笑を一つ。
「アランったらどーでもいいのね…。バレンタイン、でしょ?」
……なんだ。バレンタインか。
「バレンタインか……良かった……」
「?どういう意味?」
「!いや、なんともない……」
危ない、危ない。
私は話題を逸らすことにした。
「バレンタインだから…チョコレートフォンデュを食べるのかい?」
よく、解らないのだが。
不思議顔の私に、アイネは、ぽんっと手を打ってくる。
『外国は風習が違うのよね……忘れてたかも!』
「?日本語は、よく解らないよ、アイネ…」
「あっ…ごめんなさい、アラン。日本ではバレンタインデーは好きな人に、チョコを贈って告白する日なのよ?イギリスとはちょっと風習が違うのよね、忘れていたわ…」
そんな素敵な風習があるんだ。日本は良い国だな。
「そうなのか……それで、これを?」
鍋の中で甘い香りをさせて、蕩けているチョコレートを見つつ、私は言った。
「そう!アランの誕生日も近いし……お祝いしたかったの!少し早いけれど…お誕生日、おめでとう!これ、たいしたものじゃないけれど…受け取って?」
はにかみながら、アイネは私に包みを差し出してくる。
私は心底驚いてしまった。自分の誕生日もすっかり忘れていたから。
この年になると、誕生日を祝うということはしないからね。だが、愛する人に祝われるのは、とても良い気持ちだ……。
「ありがとう、アイネ。今、開けても?」
「勿論!」
がさごそと包みを開けると、そこにあったのはシンプルなブレスレット。アイネは頬をピンク色に染めて、私を見つめてくる。
なんて可愛らしいんだ……。
「高価なプレゼントは買えなかったけど……それ、私のお金で買ったの…」
ブレスレットをつけながら、彼女の話を聞いていた私は耳を疑った。
“君のお金で買った?”
「貯金で?」
「……ううん、バイトして―――」
「いつ?!」
「昨日まで、働いてて―――」
なんだって?!
どうしてそんな大事なことを隠していたんだろう。もしも怪しい場所だったらどうするつもりだったんだ?
バイトするなんて……生活に困らないくらいのお金を稼いでいるはずなのに!
「どうしてそんな危険なことをするんだ!私になんの相談もなく……」
俯くアイネ。
気持ちは嬉しい。嬉しいけど……君が危険な目に遭うのは、私は絶対に嫌だ!!
アイネがぽつりと言ってきた。
「だって、私が一番愛してるんだもの!!」
え?意味がわからないのだが…。戸惑う私に、たたみかけるように言ってきたその台詞に、私は驚きを隠せなかった。
「アランのファンよりも、いっぱい、いーっぱい愛してるんだもの!あんな写真とか…リップつきの手紙とか……高価な宝石とか……土地の権利書とか……そんな物、私は贈れないけど、でも、世界で一番愛してる!
だから、アランの稼いだお金じゃなくって、私が働いたお金で、アランにプレゼントを買いたかったの…。
そうじゃないと、私―――」
そんな顔をしないで欲しい。愛しい君の辛そうな顔は、見ている私だって辛いんだ。
私はとっさに、アイネの言葉を止めさせた。
「うンッ………ぁ……んっ」
アイネをしっかりと抱きしめ、貪るようにキスを繰り返す。
そんな言葉、聞きたくない……。
長い、長いキスの後、私は囁いた。
「知らず知らずのうちに、すれ違ってしまったね……。不安な思いをさせていたのだったら、謝るよ…ごめん…。
だけど、世界で一番愛しているのは、妻であるアイネ、君だけだ。
私のファンは、演じたキャラクターに惚れているだけなんだ……本当の私を、好きでいてくれているとは思えない。
だって、あの人達は知らないだろう?私がこんなにも…」
そう言ってもう一度キスをする。
「あ…んっ…」
「甘いモノに目がなくって…」
さらにキスを繰り返す。
「……は……んっ…」
「嫉妬深くって…」
「ぁ……んんっ…」
「妻に捨てられるかも、なんて思ってビクビクしてるなんてね……」
「…はぁっ……捨てられるって……どういうこと……?」
私は苦笑すると言うことにした。
正直になった方がいいだろう。だって、愛しているんだ……君だけを……。
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