黄昏の景色を眺めるマリア。その後ろ姿は儚げて、まるであの夕日が君を照らさなくなれば消えてしまいそうなほど。
マリア、何をそんなに悲しむ?
君のその、悲しみを取り除いてあげられるのなら、私はどんなことでもするのに。
マリア……私の愛する人―――。
「綺麗だろう?ここから見る夕日は、格別なんだ」
私の声で、初めて気が付いたのだろう。自分以外の者が部屋にいることを。ビクリ、と反応したマリアが私を見た。
マリアは、たとえやつれていても美しかった。悲しげな瞳が気になる。マリアは何も返事をせず、俯いた。
目尻に涙の後。泣いていたのだろう。嘆きの海に沈んだ者を、助ける手立てなど私にはない。
ああ、だが………。
誰にも愛されないと思っているこの、不幸な愛し子に、お前は愛されてるのだと教えなくてはならない。
誰でもない、この私が。この想いが何なのか、はっきりと結論が出たわけではない。非難されるような、非道徳的な想いかもしれない。
だが……言わなければならないような気がした。マリア、それでお前を、この世界に繋ぎ止めていられるのなら。
「泣いていたのだね……。マリア、何をそんなに悲しむ?」
「解っているでしょう?私は、取り返しのつかないことをしてしまいました……」
悲しそうに言い、涙を流すマリア。ああ、泣かせたいんじゃない。君を、愛したいんだ。
私は指先で、マリアの涙を拭う。すると、青かったマリアの頬が、薔薇色に染まるのがわかった。なんて綺麗なんだ…。
「泣かないで…。間違うことは誰にでもある。それに……マリア、君によかれと思って私がしたことは、間違っていた。淋しい思いをさせたね……すまない。謝って、許されることではないが……」
「大佐……」
私はマリアを抱き寄せた。これが正しいことかどうかは、誰にも解らないことだ。エマ……私に力を……!
私は囁いた。マリアの心臓の音が、早鐘のように打っているのを感じる。私の心臓だって、同じくらいの早さで打っているだろう。
「マリア……よく聞きなさい」
「は…はい……」
「私は……マリア、君を愛している。穢れたなんてとんでもない。君は、君だろう?可愛いマリア……愛しているんだ……だから…そんな顔をしないでくれ…」
「!う、嘘…です」
喘ぐようなマリアの声に、私の心は痛んだ。信じてもらえないほど、マリアの心は傷ついてしまったのか。
「こんな時に嘘なんて付くはずはない。私のような年寄りに告白されるとは…君も驚くだろうが、本当の気持ちだ。
愛されない人なんていない。マリア、私は、君を愛している…」
「……私、夢を見てるんだわ。黄昏時が見せた夢なのね、きっと……」
………やはり、信じてもらえないのだろうか。私が内心がっくりきていたら、突然マリアが私をぎゅっと抱きしめてきた。
「マリア……?」
「これが夢なら…素直にならせて…。私、貴方が好き。ずうっと前から、小さな頃から、貴方だけを愛しています。貴方が、私の母のことを今でも想っていたとしても…それでも私は、貴方を諦めることが出来ないの。
いつまでも、永遠に貴方だけを愛しています……大佐……」
私の心臓は止まるかと思った。
君が……私を好き、だと言ってくれたのか?
小さな頃から愛していたと、言ってくれたのか?
そんなこと……あるはずがない。
「う、嘘…だろう?」
思わず出てしまった私の言葉に、マリアはムッとした顔をしてきた。
「私の愛を疑うのですか?大佐………」
「あ……いや、突然のことで―――」
何故かペースが完全に乱されてしまった。拒絶されるだろうと思っていたのだ、私は。それでも、君のことを愛する者がいるのだということを、知ってほしかったのだ。
そのはずだったのだが…こ、これではまるで、恋人同士の睦事のようではないか。
ど、どうすれば――?
固まった私を不満そうに見つめたマリアは、さらに私へ畳みかけきた。そんなところなど、エマに似なくても良いのに…。
「私が物心付くころ、大佐…貴方は私におっしゃいましたよ?“私を花嫁にする”、って」
「あれは君が泣き止まないから仕方なく――」
「指輪の交換もしましたわ」
「オモチャの指輪だろう――」
「誓いのキスだってしました!」
「そうだったかな―――」
………そういえばそんなことをしたような気がする。駄々をこねるマリアに困り果て、しかし愛しくてたまらず、つい、真似事を――。
マリアは生き生きとしていた。なんて綺麗なんだろう。それでこそ、私の愛した君だ。
マリアは囁いてくる。甘い言葉で。
「大佐……諦めて下さい。私、貴方から離れませんわよ?だって子供の頃から貴方の虜なんですもの……」
なんて可愛らしいんだろう。愛しさが突き上げ、私は肩を震わせて笑ってしまった。マリアが訝しげな顔をしてくる。
ああ、こんな事になるなんて。なんて、人生は意外性に満ちているのだろう。
随分、遠回りをしてしまった。私の青い鳥は、随分近くにあったのだな。近すぎて、気が付けないくらいに。
「マリア……熱烈な告白ありがとう。ということは私達は晴れて両想いということになるね?」
「そうですね…?」
「ということは……こんなことをしても良いということだろうね……」
私はそう囁くと、マリアの顔を上向かせ、キスをした。勿論、子供の頃にしてあげたキスではない。大人のキスを、ね……。
「ンッ………は……ぁ……っ…」
マリアの目が見開かれるのがわかった。
「夢じゃないって気が付いたかな?マリア……」
「あ…あの……その………ッ」
私はニヤリと笑うとマリアを抱き上げた。
「それでは行こうか」
「行くって…何処へ?」
顔を真っ赤にさせて恥らうマリアは酷く魅力的だった。私はもう一度キスをすると甘く囁いた。
「恋人同士が行うことは勿論、一つだけだろう?マリア。私達は遥か昔に、式を挙げてしまっているから、合法ということになるね」
「た、大佐さっきと言ってる事が違う―――」
「クリストファーだ…マリア……私の名前は、クリストファー…。これからは、そう呼んでくれるね?」
「……クリストファー……ほんとにほんとなの?」
「まだ疑うのかい?仕方ないな……レディにも解りやすく、私が教えて差し上げよう。“愛”というものがなんなのか、を……」
私はそう言うと、足で扉を蹴って、寝室へと向かったのだった。
マリア、君を愛している。私達の関係が正しいことがどうかが解るのは、きっと私達が死ぬ時だ。
その時まで、私はマリア、君を愛すると誓おう。そう、永遠にね――――。
(H23,08,30)
(H24,1,7移転)
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