「いりません…」
「食べなければ、駄目だよマリア…。身体がもたないだろう」
「……もたなくたって、いいの…」
「何という事を言うんだ。そんな事を言ってはいけない」
「どうしてですか?大佐、無理なさらないで…。私、何て言われているか知ってます。
“穢れた娘”ですよ?私……。貴方も、私と一緒にいたら悪く言われてしまいます。だから…」
「他人が何だというのだ。そんな風に自分を卑下するのは止めなさい」
「だって………」
「………………」
私は頭を悩ませていた。
マリアは最愛の女性。だが、手を出すことは出来ない。
傷ついている彼女を、もっと傷つけることは出来ない。したくない。
何故ならば、愛しているから。深く、君を愛しているから。
エマ、君は今の私を見たら何と言うだろうな。
笑って言ってくれるだろうか。
「馬鹿ね…でも、貴方らしいわ…」
そう言って、抱きしめてくれないか?私を―――。
時々、堪らなくなる時がある。
朝起きて、愛する人のぬくもりを探し、無意識に手が手繰り寄せる。何もないシーツを…。
エマ……君の微笑みと笑い声を聞いて、幸せな気持ちになったその後、目が覚めれば現実が待っている。
もう君は存在しないという現実が。
最近はこれにマリアだ。
彼女の微笑みはめったに見ることはないが、とても哀しげだ。
エマの面影は強いが、やはりすべてが一緒というわけではない。それは、再び一緒に暮らすようになって解ったことだった。
そうやって母親と彼女を比較し、さらに自己嫌悪に陥る。
私は………一体何をしているのだろう………。
マリアには、もう一度生きる意味を見出して欲しいのだ。だが、どうしたら良いのか、方法が解らない。
私の屋敷に引き取ってはみたものの、彼女はふさぎ込むばかり。
数年前に見た、生き生きとした命の輝きは見る影もない。
そこには、人生に絶望した、一人の女性がいるのに……ああ、私の最愛の人なのに、救ってあげることができない。
私は一人、溜息を付いた。まさか、私がこのような目に遭うとは………。
屋敷全体が暗い雰囲気に包まれていた。心なしか執事も元気がない。何とかしなければならないがどうにもならないような気もする。私が内心頭を抱えていたら、救いの手は思わぬ場所からもたらされることとなる。
「お久しゅうございます、ブランドン大佐」
「元気そうで何よりだね、エリノア。エドワードはお元気かな?」
「ええ、元気にしておりますわ」
結婚したエリノアが私の屋敷を訪ねてきたのだ。ひょっとしたら誰かから何かを聞いたのかもしれない。彼女は優しい人だから…。
二人で紅茶を飲みながらとりとめのない話をする。
エリノアは不思議な人だ。彼女と話していると、何故だか落ち着く。異性なのに、そういうことは全く意識することがない。ただ、穏やかな空間が流れるだけだ。
しばらく、世間話をした後、エリノアが静かな声で言ってきた。
「大佐…、何か、お悩みな事でも?」
私は飲んでいた紅茶のカップを置くと彼女を見た。
彼女はすべてを見透かすような目をしていた。
「悩んでいるように見えるだろうか……」
私の問いに、彼女が笑ってきた。
「私、自分のことはよく解らないですけれど、悩んでいる方を見つけるのは得意なんですの」
私は苦笑してしまった。
「君にそんな特技があったとは…知らなかったよ」
「能あるレディーは爪を隠すんですわ、大佐」
「どうやらそのようだ」
ひとしきり笑いあった後、彼女は真面目な顔で言ってきた。
「さぁ、おっしゃって、大佐。私と貴方の仲ではありませんか…」
「君には全く、驚かされることばかりだ……」
彼女の不思議な魅力のなせる業か、それとも私がただ単に耐えられなくなったからなのか……私は言ってしまった。心に秘めてきた想いを。
エマへの、今も変わらぬ愛と、そして……マリアのことを……。
私が全てを話した時、紅茶は既に冷めてしまっていた。
エリノアは私を責めなかった。ただ、淡々と、話を聞いてくれた。
「私はもう、後ろを振り返ることはできない。だがもう、前に進むことも…出来そうもない……」
「大佐……」
「歪んでいるんだ、私のこの想いは…。おそらく、純粋な気持ちではないのだろう。それがますます、彼女を傷つけるような気がして……言えないのだ…」
頭を抱える私に、エリノアは立ち上がると私の隣にやってきた。そうして私を抱きしめてくれる。
「大佐、歪んだ愛なんてありませんわ。貴方の想い……それも愛ですもの…」
「本当にそう思えるのかい?私には……無理だ……」
「私だって、彼がそうやって亡くなって、違う相手との間に子供が生まれていて、男の子だったら…しかも彼の面影があったら……愛してしまうでしょう…貴方は何も悪くなんてない、自然な流れだと思います…」
「……………」
「辛くても、受け入れるしかありませんわ、大佐。そうすればきっと…新しい道が開けます」
「そうだろうか……」
「ええ、きっとそうです。大佐、そんな顔なさらないで…。愛は素晴らしいものですわ」
「愛は素晴らしいものだと知ってはいるが……失った悲しみは計り知れないのだ。もう一度愛したら、二度も、失う辛さに耐えられない。私は、強くはないのだ……」
「大佐………」
「ありがとうエリノア。話を聞いてくれたおかげで、少し、整理がついたようだ。もう少し、向き直ってみよう…自分の気持ちに」
私は彼女を抱きしめ返すと、立ち上がった。
執事に、新しい紅茶を頼みに行くために………。
逃げてはいけないのだ。
マリアを愛している。あの子を幸せにするためにも、私自身が、自分の気持ちにケリを付けなければ。
私は決意した。マリアと話し合う必要がある。明日、話をしようと。
エマ、どうか私に力を貸してほしい………。
(H23,08,06)
(H24,1,7移転)
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