人を愛することは素晴らしいことだって、神父様は言った。
本当に?私が誰を好きか…愛してしまったのか、そのことを知っても、神父様、あなたはまだ、私にそう言えますか―――?
美しい風景は、私を癒してはくれない。
素晴らしい調度品も、素敵な洋服も…。
そして、生まれたばかりの赤ん坊も……。
私は恵まれているのだろう。本当なら孤児になるところだったのを、大佐に引き取られ、養い親まで探してくれた。私は何不自由なく、育てられたのだから。
養い親は、とても良い人達だった。一緒に育ったセーラだって、いい子だったのだから。私はいじめなんて体験することなく、大人になっていった。
そのはずなのに。
淋しくてたまらない。何をしていても、心に空いた穴は、埋めることはできなかった。
大佐は憶えていないと思っていると思うのだけど、私はあの日が忘れられない。大佐に別れを告げられた日を。
「マリア、今日からはここで、お世話になるんだよ?ここは、私と一緒に暮らす以上の生活を約束してくれるだろう。
両親と、そして兄弟がいるんだ。いつも仕事ばかりで留守にしがちな私と一緒にいるよりも、ずっと……幸せに暮らせるだろう」
そう、私の目を見て話してくれた。
あなたのその優しい微笑み。
きらきらと輝くその瞳は、少し、淋しそうで。
ふわりとカールした髪が、風に揺れる。
違うの…。私は、あなたの側にいたい。両親なんて揃っていなくたっていい。兄弟なんていらないの。
貴方がいれば……。
幼すぎてわからなかったけど、今考えるとそうだったんだと思う。私は、あの時からおそらく、貴方が好きだった。
幼い私は精一杯両手を伸ばして、あなたに抱き着いた。離れたくなくて。
あなたは私を優しく抱きしめてくれた。そうして囁いてくれた。
「マリア……これでお別れではないよ。私も時々、君に逢いに行こう…」
「やくそく…して……」
「ああ…可愛いマリア、約束しよう」
あなたはそう言ったのに、私に逢いに来てくれることは少なかった。私は最初、仕事が忙しいのだろうと思っていた。
それだけではないと気が付いたのは、ある日の夜、皆が寝静まった後、両親が話していたのを聞いてしまったから。
「大佐も可哀相に。あれでは…まるで呪いと変わらない…」
「本当に……どうしてあんなに良い人がこんな目に…」
「今年のクリスマスは、来てくださらないだろうな」
「ええ。マリアがあんなにも…ますますエマに似てしまったら……」
「大佐はまだ、エマのことを愛しているのだろう……辛いだろうな。母親と瓜二つの容姿で生まれるとは……マリアも、そして大佐にとっても不幸なことだ…」
「あなた…そのことは―――」
「解っている。お前も…」
「はい、解っています。ああ、マリアに何て言えば良いのです?今年のクリスマスも大佐が来てくれないことを…。あの子を傷つけないように伝えるなんて無理です…」
「…………」
大佐は、母さんを愛していたの?
私は母さんにそっくりなの?
だから私を見ると、悲しそうに笑うの……?
私が大佐に対して想っているこの気持ちは、いけないことなの―――?
そんな事実、知りたくなかった。
しかも私はその時初めて、自分の気持ちに気が付いた。私は、ブランドン大佐のことが好きなのだと。
世界は色を失った。
だって、どんなに想っても、想い続けても、彼が私を好きになってくれることは絶対にないことだと気が付いたから。
どうして神様は、私にこんなに辛い目にばかり遭わすの?生まれたばかりで母を失い、おまけに初めて愛した人は、私の母のことを好きだった人――。
しかも、今でも愛している。
大佐が独身なのは、今も母だけを愛しているからだって、メイドが噂しているのを聞いてしまった。
私は母が憎かった。一度も話したことのない、顔も見たことがない母だけど、その母に激しく嫉妬してしまう。
大佐はきっと、母と笑いあい、幸せだったことがあるのね。
だからきっと、私を見るたびに、悲しそうな笑顔を見せるのね。
私を見るたびに思い知るんでしょう。母に二度と逢えないことを。
私は、自分が憎らしくなった。私なんて……私なんて……存在そのものが憎らしい。私なんていない方がいいんだ…。
そんな風に無気力に暮らしていた頃に出逢ったのが“彼”だった。彼は楽しくて生き生きとしていて、私は彼に夢中になった。
いいえ、逃げたのね。私の愛した人は、絶対に私を優しく抱き寄せてくれることがないから、変わりを求めたんだわ。
沢山のプレゼントと、愛の言葉は心地よかったの。
もしもこの言葉が、大佐から言われた言葉だったら…。
もしもこの贈り物が、大佐が下さった物だったら…。
甘い囁きが、大佐から言われたとしたら…。
そんな想像に酔い、現実から逃避した結果に待っていたのが………。
…………。
私は愚かな娘。母がしたことと同じことを繰り返すなんて。本当は、私の初めては貴方に捧げたかったのに。
こんなに穢れてしまったら、大佐、貴方に声だってかけてもらえないかもしれない。侮蔑され、蔑まれるに決まってる。
自分の愚かな過ちを悔い、涙を流す私。
私はただ……大佐、あなたに愛されたかっただけ。
泣きはらした目を大佐に見られ、私は消えてしまいたいと思った。
あなたのその瞳は悲しみに満ちていた。私はなんという罪深いことをしてしまったのだろう。
大佐…あなたにも、そして生まれてきた赤ん坊にも―――。
(H23,06,29)
(H24,1,7移転)
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