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ロー以外の者は呆然とレイが倒れこむ様子を眺めていた。
意図してそうしたのではなく、あまりにも突然のことに頭が追いつかなかったのだ。
ローは意識の失ったレイを抱きとめて、横抱きにする。
そこでようやく自我を取り戻したのは偶然居合わせていたシャチだった。

「って、船長!なにレイに手刀喰らわせてんですか!!」
「うるせェ…」

その声に他の船員も我に返る。やはり全員レイの行動、言動に度肝を抜かれていたようだ。
いくら交流が少ないといっても、レイがどんな人物かはこの船に乗る者なら全員が大方理解していたから。
それゆえに、あまり近づこうとしなかったのだが。
ローはというと、シャチに注意されたのが気に食わないのか若干眉間にしわを寄せている。

「手加減はした。軽くだ、少し気絶するぐらい。」
「当たり前です!アンタが本気でやったらレイは無事じゃないっすよ!
そもそもなんで気絶させるんです!」
「仕方ねェだろ。」
「だからなんで、」

「こうでもしねェと、こいつは発狂しかねなかった。」
「――っ…!」

シャチはグッと息を詰まらせた。
言われて気づく、そうかもしれないと。

「お前ならわかるだろ。こいつがどんな奴かなんて。」
「……、は、い。」

レイがこの船に乗った時から、今まで。一番傍にいたのはシャチとベポだ。
特に当初はローも全くと言っていいほどレイには興味がなかったため、シャチのほうがレイのことを知っている。
だからどれほどレイが海賊という自分達を、その船長であるローに恐怖心を抱いていたかよく知っているのだ。
今回、いつも以上にレイは自分の意思というものを露にした。別にそれに対して自分達はどうこういうつもりも無い。
目の前の船長も特に嫌悪感を抱いたふうではないし、問題は無い。
だが、過剰に恐怖するレイにとってはどうだろう。
その己の『意思』は『反抗』に変換されるのではないか。

「発狂されるのは迷惑だ。」
「…、」
「…いまこいつに必要なのは時間だな。
頭の悪い奴じゃない。落ち着けば自分でなんとかするだろう。」
「そのための、あの言葉ですか。」
「…否定する気はねェな。」

『謝罪なんてしてみろ。バラすぞ。』
彼のあの言葉は、言外に『気にしていない』と伝えたかったのだろう。
確かに、精神が落ち着いた状況でその言葉があればレイは安心するはずだ。
シャチは改めて思う、凄い人だと。
この人について行こうと思った自分は間違っていないと。
そしてチラリと思う。もしかして、船長は多少なりともレイに対して何か思ってくれているのではないか。
何故そのことに希望を見出すのか、そんな自分は謎だが今はどうでもいい。

「シャチ。」
「はい?」
「勘違いはするな、身を滅ぼすだけだ。」
「――。」
「お前のよく知る、『気まぐれ』だ。」

部屋に運んでくる。
呆然とするシャチにそれだけ言い残してローは去る。レイを横抱きにしたまま。
シャチはただ思う、やっぱり凄い人だ、と。
ただ今回は、あまり気がついてほしくなかったかもしれない。この思惟に。

「ハハ、性質悪ィ…」

乾いた笑みは自身の耳にしか届かない。

「…っ…『気まぐれ』、か」

本当に、性質が悪い。
全て気まぐれだというのか。発狂しそうなレイを気遣って気絶させたことも、
わざわざ抱きとめて横抱きにしたことも、
部屋まで運んでやっていることも。

すべて、気分によっては変わる虚実だというのか。

けれど船長なら在り得ると思う。あの人が変わらないことは夢だけだから。
別にそれでも構わないんだ。ハートの海賊団として夢を叶えようとする想いさえ変わってくれなければ。
今回の事も「性質が悪い」という感想を抱いただけで別に嫌悪感も何も沸かない。
おれは船長が、トラファルガー・ローという人が好きだから。もちろん変な意味でなく。
それでもちょっと、ちょっとだけ、悲しいな、なんて。思った、だけ。
そうきっと、それこそ気まぐれに。

他の奴から「人手が足りない」と声をかけられるまで、おれはそんなことを『気まぐれ』に考えていた。



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