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よくドラマや小説とかで人が感情のまま動くシーンがあった。
私はそれに感動した記憶もあるけれど、「現実じゃないだろう」って冷めた目線で見ていた部分もあったんだ。
やっぱり、人間経験してみないとわからないことって多いね。



扉を開けた瞬間、一斉に私のほうに視線が集まったのを感じた気がした。
といってもそこにいたのはほんの数人。多分3人ぐらいだっただろう。唯一確認できたのはシャチさんだった。
遺体も運んだ後だったのか。もっとも鮮烈な紅はなかったようだったけれど、そんなのは関係なくて、その時の私はローさん

の姿しか目に入らなかった。
ローさんも流石に私の行動に驚いたようで。珍しく目を丸くしている。

「…おい、」
「あな、たは…私に、嫌いになって、欲しいんですか…?」

真っ直ぐ目を見て、問うた。
恐怖も脅えも全部全部押し込んで。
船長さんは、何も答えない。沈黙は肯定か否か。いつもは気にするのに今はどうでもいい気がした。
『いま伝えてしまわなければ、一生後悔する』
ここまで、後悔が嫌だと思ったことは初めてかもしれない。平々凡々に生きていた自分がそんな感情を持つ日がくるなんて

思ってもみなかった。
脳裏に浮かぶ身を震わせるほどの残像は、いつの間にか思いのままに投げ捨ていた。

「確かに、怖かった、です。でも…でも!!
それだけが、貴方たちですか!?そうだと、いうんですか!?」

ああ、感情が露見していく。声が荒くなる。
黙って聞いてくれる、そんな補償なんてないのに。今すぐここで五月蝿いと殺されるかもしれないのに。
『彼は、彼らはそんなことしない』
そんな自意識過剰な思いは、いったいいつから存在することが可能となったのだろうか。

けど、そんな感情ができた根源は…貴方達なんです。
だって貴方達が……思った以上に優しいから。
そういうと絶対に否定するあなたたちが、私は『嫌い』じゃなくて『好き』だと思ったんです。

もしかしたら私はローさんに張り合いたいだけなのかもしれない。
『嫌いになれない』
そう、豪語してしまったから。それが覆されたことが悔しくて。
私のちっぽけなプライドから、生まれた言の葉なのかもしれない。
それでもこの感情は嘘ではないと思いたかった。


「今まで笑ってた、楽しそうに話してたあの姿は嘘だというんです、か!?
人、を殺める貴方達だけが本当だというんですか??
どちらかがっ…ゴホ、ゴホッ!」


言葉も息も全てが詰まる。先ほどまで嘔吐していた所為もあるだろう。
声もいつ震えるかわからなくて怖かった。船長さんの姿はもう見れなくて。ただただ言葉を繋げるばかりで。
言った言葉はもう戻らない。ならばせめて全てを伝えてしまいたいと思った。

「っ…どちらか、が…表か裏かなんてある、んですか…!?
表が嘘?裏が本当?そんなの…誰が決めたんですか!?」

自分の声だけが響く、空間。
人の死を受け入れることができる彼らは確かに怖い。
けれどときたま感じる優しさは否定できない。
だから片方嫌って、片方好めと?割り切れと?
そんなこと器用じゃない私ができるはずがない。
だってどっちも…みんなだから。好きだと思えるみんなを嫌いになれない。
今でも変わらないの、その思いだけは。
お願いだからこれだけは、この私の思いだけは、誰も――『私』も否定しないで。


「表も裏もきっとそんなの、ない、です!たとえあったとしても、どっちもひっくるめて貴方たちでしょう!?」


誰かが、どこかで息を呑んだ。


「じゃないと、私は、私は…!」


言葉が、突っかかる。喉の奥から湧き出てくれない。
なのに心の奥底では常に浮かんできていた、思い。
口に出すのが、こんなにも怖ろしいものだったなんて。

それでもレイはギュッと拳を握って、前を向いた。ローを見据えて。
願いが叶ってか。その言葉は震えていなかった。


「とっくに、あなたたちに、殺されていたはずでしょう!?」


ドシリと、重く重く胸に落ちる。
言葉にした瞬間、思った以上の恐怖が身を包んでいった。
口にしたのは今まで内で秘められていた恐怖。
重く、重く。ずっと溜め込んでいた思いは吐き出しても解消されることは無くて。
むしろ音を持った言葉は、口から耳から、脳へ全身へと広がり一層の恐怖を生みだす。
ゾクリとした何かが、背中を伝った気がした。

瞬間、ハッとした。
自分が今、何をしていたのか。誰の前でどんなことを口走っていたのか。
見渡せばクルーの数人が私を驚いたように凝視している。
気がついてた、はずなのに。頭の中で『言ってどうする』と思っていたはずなのに。
『死にたくない』
この世界に来てからずっとそればかり思っていて、一番最優先していたことだったのに。
いま私は、何を。

身を包み始めた恐怖は、一番呼び覚まさなくてはいけない感情を浮上させる。
この瞬間だけは、甦って欲しくなかった、そんな感情を。

「―――、わ、たし」

始めに声が震えて、次に手が震えだす。
そして彼と、目が合う。
自分を見つめるその瞳に狂気も殺気も見当たらない。困惑は奥へと引っ込み、存在するのは沈着な目。
けれど今の私には、明瞭な感情がないその目すらも怖ろしくてたまらなかった。

「わた、しは…、」

私は、わたしは、いま、この場、で。
なにを?

恐懼の奥で、言い様のないざわめきと混乱が奔走し、幾度となく駆け巡る。先程の思いとは矛盾した後悔がのし掛かってきた。
そう、私は、今。

「!!―――っ、す」

咄嗟に出かけたのは「すみません」というありきたりな謝罪の言葉、なのに何故か気が遠くなっていく気がした。
向き合っていたはずの彼は、目の前に居ない。

「謝罪なんてしてみろ、」

バラすぞ。
最後に感じたのは首筋への衝撃と、少し不機嫌そうな声色だった。



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