艦これ///

 執務室にお茶を運んできた鳳翔が怪訝そうに足を止めた。目線の先には白い軍服を纏う揚羽がいる。ここが提督の執務室なので、それ自体はなんらおかしいことではない。揚羽が執務を放棄して遊んだりしているわけでもない。最もこの揚羽という男は、非常に厳格な人物であり、影では厳しすぎるだの愛想がないだの仕事馬鹿だのと鎮守府の面々からの評価は最悪なほどなので、執務を投げ出してまで遊ぶということは考えられないのだが。
 しかし、そんな男の手元はぴたりと動きを止めている。傍らに積み上げられた書類も、彼女が席を外してからあまり減ってはいないようだ。
 ちなみに、積み上げられている書類にはいつも彼が処理しなくていいものも混じっている。大概がめんどくさがった一部の艦娘が雑に書いた書類の直しだったりする。普通ならば突き返されてもおかしくはないのだが、揚羽たちはそれに文句を言うことはない。意外かもしれないが、それは最前線で命を賭して戦っている彼女たちへの彼なりの…労いのようなものだった。些か遠回りすぎると、そのことを知っている鳳翔たちは思うわけだが、変えるつもりは毛頭ないようだ。

 閑話休題。艦娘たちと彼の関係についてはひとまずおいておこう。そうしているうちにも時間は過ぎる。しかし、相変わらず書類が減る様子はない。
 揚羽の視界に入る範囲へと湯呑を置きながら、鳳翔は邪魔にならないようにその顔を覗き込んだ。大きくカーテンが開かれている窓からは日差しが入り込んでおり、光は揚羽の顔に重く影を落としていた。
 その眉間にはくっきりと皺が刻まれている。書類を見ているようで、どこも見ていないのは一目瞭然だ。秘書を務める鳳翔でさえも、揚羽がぼんやりとしている様子を見ることは珍しく、その表情が真剣というにはあまりに恐ろしげな形相であり、戸惑いがちに声をかけた。

「提督? ……思いつめた顔をしていらっしゃるようですが……大丈夫ですか?」
「! …………あ、あぁ、鳳翔君か。」

 いつの間にかやってきていたことにも気がついていなかった様子で、かけられた声に大げさに肩を揺らす。はっと顔をあげた揚羽は鳳翔と目があった。肩の力が抜けたのか、表情を隠すのがうまいのか。揚羽の顔に先ほどの鬼気迫る様子は微塵も残っていなかった。対する鳳翔はといえば、不安げに眉尻を下げたままだったが。

「お茶、淹れてきましたよ。疲れてらっしゃるようですし、少しお休みになられては……?」
「あぁ……そうだな。そのようだ。」

 持っていたペンを机に置き、開かれていた書類を一度片す。風で飛ばないようにと書類の山に重しを置き直し、揚羽は力の入っていた眉間に手を当てて、深く息を吐いた。ほぐすように指先を動かしたあと、鳳翔が淹れてきたお茶へと手を伸ばし口をつける。
 ふわりと柔らかな茶の匂いが香る。そういえば、金剛と鳳翔がそれぞれ経費で新しい茶葉を買っていたな。これが紅茶でないのは明らかだから、目の前にいる彼女が買ってきたものだろう。相変わらず淹れるのはうまいし、タイミングもベスト。秘書官として完璧だな。……などと揚羽は心の中で賞賛しつつ鳳翔へと目を向ける。

「鳳翔君?」
「え、あっ、はい。すみません……すこし考え事を。」
「いや、それは構わないよ。君こそ、働き詰めで疲れてるんじゃないのか。」
「あら……珍しいですね、提督がそんな言葉を。」
「おいおい、私は君たちの中でどれだけ厳しい人間なんだ。」
「ふふ、冗談ですよ。提督はちょっと口下手なだけですもんね。」
「……そんなつもりもないんだがなぁ。」

 こうして揚羽と軽口が言えるのものはそう多くない。鳳翔が言うとおり、揚羽は口下手というか、言葉が少ない。じっくりと話してみればそれなりに考えての言葉であるとわかる者もいるのだが……やはり多くはないのだ。
 すこし話すうちに、眉根を寄せて考え事をしていたらしい鳳翔の顔もほころんでくる。それを見て、揚羽はちょいと手招いた。軽く首をかしげながらも大きな執務机をぐるりと周り、すぐ横まで近寄ってきた彼女の手を軽く引いた。

「立っていては疲れるだろう?」
「だ、だからってなにも……!」
「ああ、私も年かな。若い子にちょっかいをかけて。」
「提督はまだまだお若いですよ。」
「そうかい?」
「……は、はい。」

 揚羽は鳳翔を膝の上に座らせたまま、どこか上機嫌だ。ほかの誰かが見ればこれはいったい誰だこれはセクハラだと喧しく怒られそうな光景だが、少し頬を染めている鳳翔は多少居心地悪そうにしつつも大人しくしていた。
 ちらりと揚羽を見やっては、いつもより近い距離に、やはり気恥ずかしそうにしている。かといって、沈黙が続くのも落ち着かなく、鳳翔から声をかけるしかないのだ。

「あ、あの、提督?」
「なんだい。」
「え、っと……その……ですね……。」
「嫌かい?」
「嫌というか……恥ずかしいというか……。」
「まぁまぁ、たまにはいいじゃないか、気にするな。」
「うぅ……はい。」

 少しだけ全身の力を抜いた鳳翔が、うっかり転ばないように手を回しながら、揚羽はちらりと顔を見た。照れくさそうに口元が弧を描いているが、そこに先ほどまでのように思いつめた様子はない。それを確認して、揚羽は人知れず胸をなでおろした。

「何を考えていたんだい。」
「私ですか?」
「あぁ。君の方こそ、珍しかったじゃないか。」
「そうかもしれませんね……。提督のことを少し。」
「私?」

 何気なく気になった話題を口にして、返ってきた答えに目を丸くする。素直に驚いている表情が珍しいのと、囁かな仕返しが成功したことに鳳翔はつい、くすくすと笑ってしまった。それに少し罰が悪そうにしている揚羽だったが、笑ってくれている方がいいかと、結局彼も口元を緩めるのだった。


mae  tugi
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