貴方のための銀の牙

識らないと嘘ぶく

目下の問題である姉たちからの攻撃がぱたりと止み、聖杯戦争の魔術師やサーヴァントに鉢合わせることもなく、透は久しぶりに穏やかな日々を過ごしていた。相変わらずふらふらと家を出入りするギルガメッシュの要望や機嫌に振り回されてはいたものの、小間使い契約を破棄することもできず彼の命に従っていた。

「本当について来ていただかなくても良かったんですが…」
「逆だ、貴様が我について来たのだ」

透はどことなく嫌そうな顔をしながらギルガメッシュの隣でそわそわと辺りを気にしている。真昼間の人の多い場所で魔術師が仕掛けてくることなどあるまい、何をそんなに人目を気にしているのかとギルガメッシュは眉を寄せる。

「何ださっきからきょろきょろと…」
「いや、その王様目立つのでちょっと視線が痛いなと」
「たわけ、我がそこらの雑種に埋もれるはずがなかろう」
「顔が良いのはよく分かってます。なのでサングラスとか掛けてもらえませんか…いや、それもお忍び感があってだめか…」
「訳のわからぬ事を…貴様の話は聞かぬわ。さっさと行くぞ」

ギルガメッシュの半歩後ろを大人しくついてくる透に買い物かごを持たせて目についたものを適当に放り込んでいく。透が酒が買えないと頑なにビール調達のお使いを断るので、仕方なく二人で出かける事になったのだ。駅前の大型商業施設を闊歩する金髪のイケメンと女子高生という二人組に向けられる周囲の好奇の視線に気まずそうに目線を下げる透とは対照的に、ギルガメッシュは周りなど端から気にしていないのでいつも通りの尊大な態度で買い物に興じていた。

「こんなに高いお肉買うんですか!?」
「たまにはちゃんとした肉を出せ」
「いつもちゃんとしたお肉です…」
「はっ、貴様の貧相な舌と一緒にするな」
「お会計はお願いしますよ」
「王の度量を見誤るな、そこまで狭量ではないわ」

宣言通りお会計はギルガメッシュのポケットから出てきた札束の一枚で済まされた。しかし彼が荷物を持ってくれるわけもなく、透は一人でいつもの倍以上の食材の入ったビニール袋を両手に持ち指が千切れそうに痛かった。その重量の殆どが御所望のビール缶なのだが、自分のものを自分で持つだなんて小学生の道徳が古代の王に通じるはずもない。マンションまで必死で荷物を運んでいたので、透はその様子を誰かに見られている事に気づかなかった。元より魔力探知の苦手な透は手ぶらであっても気づかなかっただろう。


ひっそりと息を潜めてい生活していた透が、同年代の魔術師の目に止まったのは一重に連れ立って歩いていたギルガメッシュの姿があったからに他ならない。そんなことを知らない透は学校からの帰りに駅前で鉢合わせた魔術師の二人が、偶然などではなく意図的に自分を待っていた事に驚いた。

「ちょっといいかしら」

長い黒髪を揺らした美少女と困り顔の青年の二人に進行方向に立ちはだかられたことで、透は直感的に逃げだそうと足を引く。その動きを見逃さずに大人しそうな青年に腕を掴まれてしまい、仕方がなくじっと二人を観察する。

「待って!その、聞きたいことがあるんだ」
「…だれ?」
「ごめん、俺は衛宮。衛宮士郎、こっちは遠坂凛。ちょっと君の連れのことで教えてくれないかな」
「連れ…?」

透は自分に連れなどと呼べるものがいるだろうかと頭を捻る。
それよりも「遠坂」は分かる。あの遠坂だろう。「衛宮」は分からないな、と透は腕を握ったままの人の良さそうな困り顔を眺めていると、ぽっと頬を染めて謝罪とともに腕が解放された。

「…心当たりがないのですが」

衛宮士郎に向かって答えている間も、遠坂凛からの鋭い視線が透を上から下まで検分していた。その特異性を彼女の慧眼が見落とすはずもなく、透は居心地が悪そうに肩を竦めた。

「金髪の男のことよ、あれはあなたのお知り合い?」
「あ、おう………彼、ですか。あの人は………居候?」
「居候??」
「少し違うかな、侵略者みたいな…?」
「しん…?ちょっと真面目に答えてる?」

顎に指を当てたまま首を傾げる透の様子に問いかけた二人も同じように首を傾げるしかない。しかし透はかの王の名も知らなければ、受肉したサーヴァントであることと、聖杯戦争には参加してないけれどなにか企てているのだろうということぐらいしか情報がなかった。とても強く、気高く威厳があり、時に気まぐれで高圧的な、好き勝手に魔力を奪っていく人。そんな説明しかできないのだった。またそれを彼らに勝手に喋ったことが明るみになれば問い質されてお叱りを頂戴しそうな気がするのでそれ以上は口にせず曖昧に濁すと、遠坂凛がはぁと大きくため息を吐いた。

「わかったわ、大して知り合いではないと言うことね。できれば間桐とどういう関係なのか知りたかったのだけど…それよりもあなた魔術師よね。驚いたわ、冬木に私の知らない魔術師がいたなんて」
「え、そうなのか?」
「衛宮くんよりよっぽど優秀よ、彼女」
「…私、魔術協会でも聖堂教会でもいないことになってるんです。だから魔術師である遠坂の方とは…少し…あ、聖杯戦争は参加してないから安心して下さい。お二人のように令呪もありませんから」

遠坂凛の右手に刻まれた赤い文様を見ながら、何もない自身の右手の甲を二人に見せた透は諦めたように座りますか?とすぐそばの公園のベンチを指差した。

「月島透です。あの金髪の人は本当によく知りません。名前も知らないし…。お役に立てなくてすみません」
「月島…月島って魔導書の写本が本業だったんじゃないかしら」
「よくご存知ですね、さすが遠坂の御当主」
素直に褒める透の言葉に遠坂凛は照れ隠しのように眉を寄せて難しい顔をする。
「魔導書って魔術師が作ってたのか?まぁ俺は一冊も持ってないけど…」
「月島の魔術特性から魔導書の複製と管理に専任してきた家なの。もちろんその手法は秘匿されているけれど、魔術研究・教育には不可欠なものだからそれなりに有名よ」
「そんな大したものじゃないよ」

へぇと相槌を打ちながら興味深そうに透を観察する衛宮士郎は、彼女の纏うひっそりとした独特の雰囲気が少し育ての親に似ているような気がした。見た目や性別、年齢も全く違うのに、いつもどこか諦観していた切嗣と似た空気感が透にはあった。それが魔術師なのかもしれない。目が合うと口元に穏やかな笑みを浮かべる透にどきりとした。とにかく透は隣にいる共闘関係を結んだ遠坂凛とはタイプが違う女の子で間違いなさそうだ。

「どうして、二人はあの人を探ってるの?」
「聖杯戦争中だから警戒しているだけよ。まぁとにかく月島さんとあの男が聖杯戦争に関係ないのならそれでいいわ。あなたもあなたで厄介事を抱えているみたいだしね」
「あー、呪われてるって分かりました?解術って苦手なんですよね」
「っもう!衛宮くんも月島さんも魔術師ってものが分かってないわ!この先私があなたに害をなすかもしれないんだから、そうやって弱点を晒さないの!」
「ふふふっ。ありがとうございます、遠坂さん」
「そこはお礼じゃない!」

遠坂凛の剣幕にもけろりと笑う透は時計を見てそろそろ帰らねば危険な時間だと立ち上がる。じゃあ、と二人の前から立ち去ろうとしてふと足を止める。

「あの、二人は聖杯に何を願っているの?」

夕日に目を細めた透の質問に遠坂凛と衛宮士郎は目を合わせる。

「勝負だからよ」
「俺は成り行き…かな」

ぱちりと長い睫毛を瞬いた透は、可笑しそうに笑う。

「教えてくれてありがとう、じゃあ」

控えめに手を振って今度こそ歩き出した透の背中を見送り、二人は笑われたことに少し恥ずかしくなっていた。

「なんか、不思議な子だったな」
「なぁに?可愛い子だったからってまた目移りしてるの、衛宮くん」
「なっ、違う!遠坂はこう、優秀なのが分かりやすいっつーか…あの子が遠坂が認めるほどのすごい魔術師には思えなくってさ」
「衛宮くん生き物の魔力感知からっきしだものね。月島の家は魔術師だけど大して魔術が使えなかったはずなんだけど、あの子は魔力量も相当持ってるしどう見てもばりばりに使えるし、どうなってるのかしら」

もう随分小さくなった透の黒い髪が揺れる様子に、敵じゃなくって良かったわ、と遠坂凛は小さく呟いた。