貴方のための銀の牙

息を止めて、

「何をしている」

冬の冷気とともに夜の帳が辺りを包む真夜中、ベランダの窓を開けてカーテンの向こう側で座り込んだ透を見つけて声をかける。びくりと肩を震わせて俊敏な動作で振り向いた透はギルガメッシュの姿を目に留めて、ほっと一つ安心したように白い息を吐いた。

「王様、今日は来ないかと…」
「鍵を寄越したのは貴様だろう」

ギルガメッシュを見上げる透はブランケットを羽織り、眠たそうに目を瞬いた。相変わらずきっちりと閉まらない蛇口のように魔力を零している彼女の様子に眉を顰める。この暗さでは表情の変化までは見えないのか、透は口角を上げてもう一度視線をベランダから夜空へと向ける。

「冬のこのきんとした冷たさが嫌いじゃないんです。静かで厳しくてしっかり生きなくちゃって思うんです」
「貴様の結界が無ければこの静寂はあり得ぬ。この時代は昼夜問わず騒がしい」
「確かにそうかも。この世界の夜を空から撮った写真があるんですけど、どこもかしこもきらきら光っているんですよね。眠らない街で私たちは生きてるんだなぁって」
「それもこれも人の数が増えすぎたせいであろう…度し難い世の中よ」
「それだけ平和って事です。安心して生活できるという事でしょう」
「何度も死にかけている貴様が言う台詞か?」

ギルガメッシュは鼻で笑うと、透の首元をブランケットごと引っ張った。後ろに倒れそうになるのを何とか体を捻って耐えた透に、早く閉めろ寒い、と言うとさっさと寝室に行ってしまった。すごすごと大きな窓を閉めて鍵を掛けた透が、すっかり寝床となったソファに寝転ぼうとすると寝室から呼ぶ声がする。何か持って来いとか言われるのだろうかと、王様に明け渡した自分のベッドを見に行く。そこはもうすっかり王様仕様に作り替えられており、真紅の布地に金銀の刺繍の施された寝具に豹柄の敷布と豪華絢爛である。彼の趣味は何とも言い難いところがあると透は思うのだが、その上に身を横たえたギルガメッシュにはぴったり似合っている。

「王様?」

ベッドの側まで行くとパジャマごと右腕を掴まれて引き寄せられる。なすがまま倒れ込むように肌触りのいい寝具に突っ込んだ透を後ろから捕食者の腕が包み込んだ。真後ろに感じる男の気配に透は体を硬くする。首元やお腹に触れる腕が男性であると意識させて、いつもは全く敵わない英霊だからと気にならない事が気になってしまいとくとくと心音を速めていく。

「寒い、我の寝床を温めよ」
「わ、わたし体温低いからあまり役に立たないと思います!」
「そうだったな、では貴様の体温を上げてやろう」

ごろりと寝床に転がされた透の真上に秀麗な美貌の王が見える。早鐘を打つ心臓は逃げろと言っているのに赤い双眼に見下ろされると、また体がうまく動かなかった。小動物を甚振る肉食獣のように、意地の悪い顔をして透の反応を楽しんでいるギルガメッシュの下から抜け出そうと、透は身を捩るがそんな些細な抵抗は彼の前では無意味だ。

「魔力は肌を寄せてもよく通るぞ、分かるか?」

透のパジャマの裾から侵入した男の硬い手が這うよう様に柔らかい下腹を撫でる。その感触に息を止めて目を見開いた透は、ギルガメッシュの手がそれ以上入らないように両手で掴む。ぼわりとぬるま湯に浸かったような感覚と共に今まで以上に魔力が流れ出す。

「やめて、やめてください」
「貴様の願いを聞いてやる理由など我にはないわ。それよりもこんなまどろっこしい事をせずとも、体内に直接入れてしまえばもっとよく魔力を供給できる。いつもの様にその小さな口でもいいが、こちらを使ってやろうか」

掌で下腹部をぎゅうと押された透は小さく悲鳴を上げる。やめてと呪文の様に何度も呟くと、じわりと涙が滲みそれがまた男の苛虐心を煽っていく。愉悦と征服感に喉の奥で笑う王の姿は、透にとって初めて見る男の顔だった。達観した様に冷めた眼をしている常時の王と同じ人だとは思えず、透は酷く混乱する。

「泣かれると唆るものよ、分かってやっているのか」
「王様、こわい、こわいです、…お願い」

ひっくとしゃくり上げながら懇願する透にギルガメッシュは手を止めると、つまらなさそうに寝具に体を横たえた。

「怪我を負って死にかけようが、目の前で人が死のうが、泣き言ひとつ言わぬくせに、少し触れただけで恐いだと?」

どうかしておるわ、と舌打ちをするギルガメッシュから開放されたことでようやく透は泣き止み、横目で不機嫌そうな男の顔を覗き見る。

「はじめから最後までするつもりなどないわ、戯れに乳臭い貴様を揶揄ったまでのこと」

絶対に嘘だと透は思ったが、口には出さずにベッドから抜け出そうと背を向ける。しかしすぐにがしりとまたも後ろから伸ばされた腕に捕まってしまう。無言で抜け出そうと抵抗するも、びくともせずに余計に体が密着していきまた何かされるのではと恐くなる。

「貴様の体温も上がったことだ、本来の寝床を温める任を怠るな…もう何もせぬわ」
「…こわかったです、とても」

それきっり黙り込んだギルガメッシュに透は少しづつ落ち着きを取り戻していき、泣いて熱くなった瞼を閉じる。
出会ってから碌なことがないのに、食事を食べてくれることが嬉しかったり、いないと寒々しく感じたり、適当に抱こうとされたことが裏切られた様で悲しかったり。どうして王様にこんなことばかり思うのだろうか、透は重たくなってきた頭でぼんやりと考える。非日常の日常が愛おしく思いはじめてしまったのは、決して良い方向ではないのだろう。
後ろで眠っていないだろうが身動きもしない王は、やはり最初の印象通り見た目は美しくとも獣の様に獰猛で振り回されてばかりだ。この今の状況も獅子の寝床に放り込まれた様で、透は矮小な自分などいつでも食べてしまえるのだと思い知らされる。

「王様は、何が欲しいんですか」

小さな呟きは聞こえなかっただろうかと思われたが、透の頭を先ほど散々泣かした手が撫でていく。恐る恐る首を後ろに回すと徐に顔を近づけられて唇にキスされる。大人しく受け入れていると長い舌が魔力をこぽりと取っていく。今までで一番たくさんの魔力を渡してしまった透はくたり力が抜ける。魔力供給という形ではあったけれど、透にはその口づけが王がまるで自分のつけた傷を舐めていく獣の様に思えた。

閉じた瞼では見えないけれど、きっとまた寂しそうな虚な眼をしているのだろうとなんとなく透は思う。
宝石の様な赤い瞳を暗く光らせてて王は何を望んでいるのだろうか。