花園に住まう君

告げる想い

 好意というのものは自分ではどうする事もできない。自分が誰をいつ好きになるかも分からないし、その好きになった人が誰を好きになるかもまた分からない。そしてお互いが想いあっていたとしても、それがいつまで続くものなのかもまた、誰にも分からないことだ。
 名前と出会う前の侑なら、さっき告白してきた可愛い一年の女子にOKしていただろう。顔も好きなタイプだったし、胸も大きかったし、とぼんやりと思い返しながら教室へと戻る。好きな人がいるから、と断ると泣きながら頭を下げて走っていってしまった彼女に少しも胸が痛まないなんてことはなく、もやもやとした罪悪感のようなものが胃のあたりに澱んでいた。好きな人に振られる彼女の気持ちをきちんと理解できるくらいには、侑は名前のことが好きになっていた。

「女泣かせやなぁ、侑」

 教室に戻ると訳知り顔の女子たちが机の周りにやって来た。2年の教室からは侑が呼び出された部室棟が見えることを失念していた。露骨に嫌な顔をして見せてもそこはクラスメイトだ、侑が本気で嫌がっているかどうかくらいは分かるようだ。

「覗くなやお前ら。プライバシー!」
「学校にプライバシーなんかないやろ。元カノとバレー部の部室でチューしてたら次の日には北先輩にまでバレたん忘れた?」
「やめろその話! 北さんのゴミ見るみたいな目を思い出したない!」
 
 古傷を抉ってくる同級生はにやにやと楽しそうである。侑だって標的が自分でなければ弄っているのだから、やり返されても仕方がない。

「てか侑、最近彼女作らんの?」
「あ?」
「今まで別れたらそんなスパン空けんと、とりあえず好き言うてくるかわええ子らと付き合っとったやん」
「そうそう。なんとかチャンに好き言われた!俺も好きかも!?とか告白される度にテンション上げて騒いでたなぁ」
 
 人の口から聞く己はなかなかにひどい人間のようで、反射的に否定したくなったが多い当たる節もあり口を開いたものの何も言えなかった。

「もしかして本命できたとか?」

 本命、という言葉で名前のことを思い浮かべる。彼女に対しては遊びとか、なんとなく、とかそういった軽い気持ちは一切ない。自分とは住む世界が違う、そう思うほど清廉な彼女に抱く感情はこれまで誰にも感じたことのないものだった。

「……まぁ、好きな子できた」

 途端にきゃーっと女子特有の黄色い声がそこかしこで上がる。どこから出してるんだろうか、とあまりの声量に耳を塞ぐ。

「マジで!? よかったなぁ、このままクズ男へ一直線かと思っとったわ」
「おい、どういう意味や?」
「何組の子? そもそも同級生?」
「うちの子ちゃう。他校や」

 どこで知り合ったのだの、写真はないのか、と根掘り葉掘り聞いてくる女子の相手に逃げたくなってきた。

「でも全然進展してへんでー」
「そうそう。おてて繋いだだけで真っ赤になっちゃう侑くんだよ」

 急に割り込んできたよく知る低い男の声に、後ろを振り返ると治と角名が人の悪い笑みを浮かべていた。二人の返答によってまたも燃料を投下してしまったようで、きゃぁきゃぁと話し続けるクラスメイトから逃げるように席を立つ。もちろん隣のクラスからやってきた二人の腕も掴んでまとめて廊下に引っ張り出す。

「何しに来たんや!」
「揶揄いに」
「ハァァ!?」

 しれっとした顔で答える片割れの顔に腹が立つ。胸ぐらを掴もうとしたところで喧嘩になりそうな気配を察知したのか、角名が二人の間に割り込むようにして距離を取らせる。

「冗談だよ、侑。今日からテスト前で部活できないし、放課後どっかで治と課題やるけど一緒にどうかなって」

 角名の言う通りテスト3日前から全部活動が停止となる。仕方がないことではあるが、バレーボールから離れることになるため毎回早く終わればいいと思っていたが今回は少し違う。

「フッフ、悪いけど俺は名前ちゃんと勉強することになっとる」
「うわ、聞くんじゃなかった」

 角名が眉を寄せて嫌そうな顔をする。治はほぉ、と真意のよく分からない顔で頷いていた。

「ツムがお勉強デートなぁ。似合わんの」
「てかそろそろ告白しないの?」
「お前らちょっとは良かったな、とか言えんの?!」

 言いたい事だけ言って隣のクラスに帰って行って二人のことはさっさと忘れてしまおう。放課後になれば、久しぶりに名前と会えるのだ。真面目な彼女の性格からして、本当に勉強するだけだろうがそれでも構わない。隣に座って電話越しじゃない会話をするだけでも十分に満たされるのだから。

 

「ここの数式、間違ってると思うよ」
「おん……」
「宮くん、聞いてる?」

 広々とした講義室のような図書館の勉強スペースは、侑たちと同じようにテスト前なのであろう学生たちが等間隔を保ってグループや個人でノートに向かってペンを走らせていた。小声で話している音が重なり合う中で、大きなテーブルの上に数学の課題プリントを広げた侑の横で英語の問題集を解いていた名前がシャーペンの止まったままの侑の課題を覗き見る。頬杖をついた侑は数学の課題よりも、いつもと違う名前の横顔にばかり目がいってしまって会話も疎かになっていた。薄いガラスのレンズが嵌ったシルバーの細いフレームを指先でくい、と直す名前の仕草に喉の奥でうめき声が上がってしまう。

「眼鏡、かけんねんな」
「え? う、うん。授業中とかだけだけどね。って宮くん、課題!」
 
 可愛い子は何でも似合ってしまうらしい。きらきらした大きな瞳にガラスの膜が一枚重なっているだけで、知的な雰囲気が増している。こんなに可愛いく怒られながらする課題なら、テスト週間も悪くないとさえ思えた。
  
「おん、数式な、数式」
「ここ、代入した後の計算が合ってないよ」
「そやからこんな変な数字になったんか。ありがとぉ」

 彼女の指摘した箇所から再度計算式を解き直す。黙々と解き進めて回答を書き終え顔を上げると、名前と目が合う。

「うん、正解」

 にこり、と笑ってみせる名前にまた喉を締められたような声が出る。胸が痛いくらいだ。こんな先生がいれば毎日の授業だってもう少し身を入れて聞くことが出来るだろう。

「名前ちゃん、よく出来ました、って言うて」
「よく出来ました……?」
「っ……はぁぁぁ。ほんまありがとうございますっ」

 侑の感謝の言葉に不思議そうに首を傾げながらも、名前は英語の問題集へともう一度意識を戻した。稲荷崎よりも偏差値の高い芦谷女学院の課題は見るからに難しそうで侑にはさっぱりだ。小さな文字で書かれた問題文を追う視線がこちらを向かないのを良いことにまたしばらく名前の横顔に魅入ってしまう。座った状態だといつもよりも身長差が小さくなるので、自然と顔の距離が近くなる。俯いた彼女の頬に耳からこぼれた髪が掛かる。その髪を指先で掬ってもう一度耳へかける指先の白さや、艶のある小さな爪先までもが魅力的で困る。触れたい、という欲がむくむくと大きくなって侑の理性を隅へ追いやろうとする。

 毎日連絡を取るようになってどのくらい経ったのだろう。好きなものも、苦手なものも、家族のことも、たくさん知っている。完璧に見える彼女は何らかのコンプレックスを持っていることも、だんだん分かってきた。弱いところも、ずるいところも、全部見せてくれるようになるまで後どのくらいだろうか。
 侑の好意など最初から名前に筒抜けている。そんな男の誘いに乗ってくれるのだから、彼女だって少しは気があると思っていいはずだ。彼女に理由もなく触れられる権利が欲しい。髪を撫でたり、手を繋いだり、白く柔らかそうな頬に指先を滑らせたい。そういう関係になるために、どうすればいいのかは知っている。治や角名にもまだオトモダチをやっているのか、と呆れられているのも癪だ。けれど名前の無垢をそのまま磨き上げたような黒い瞳に見つめられると、薄っぺらい甘い言葉など吐けなくなる。
 彼女に伝えるべき言葉は、きっと二文字だけだ。

「すき」

 無意識に侑の唇から溢れて空気揺らした言葉に名前がこちらを見上げる。大きな目が溢れそうに見開いていて、その真ん中に映る口を閉じれないままの自分の間抜けな顔が見えた。お互いに顔を赤くしたまま、黙り込む二人を気に留める人は誰もいないようで、ひそひそと囁き合うような騒めきだけが侑と名前の間に漂っていた。
 

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