花園に住まう君

お友達

 机の上に取り出したスマホには、新着メッセージを告げるポップアップがデジタル時計の下に浮かんでいた。開かずとも送り主が誰であるか想像がついてしまい、知らぬ間に頬が緩んでいた。おはようからおやすみまで毎日連絡を取り合うようになってしばらく経つが、今もそのやりとりは途切れる気配がない。
 指先を画面に滑らせると、予想通り宮くんからのメッセージが来ておりトークルームをタップする。彼の双子の片割れである治くんがポッキーを食べている写真とともに、『これめっちゃ美味い! 名前ちゃんもう食べた?』と彼の口調がそのまま再生できそうな文面が明るい絵文字とともに並んでいる。新発売のお菓子は先日クラスの子がお昼休みにシェアしてくれたものだ。名前も美味しいと思って、自分でも一箱買ってしまった。『美味しいよね。私も買ったよ』文面を打ち終わったものの、彼のメッセージに比べて素っ気ないような気がして指が止まる。絵文字とか入れた方がいいような気がするけど、女の子同士では何気なくやり取りするハートマークを送るのはちょっとやり過ぎではないだろうか。じゃあ顔文字か、とずらりと並ぶ絵柄を前に指が画面の上を彷徨う。

「うーん、どうしよう」

 考え始めるとどれでもいいはずなのにどれも合わないような気がして来て、思わず声が漏れてしまった。

「名前から返事があればなんでも喜ぶやろ、あの男なら」

 隣の席で机の上に置いた腕の中に顔を埋めて寝ていると思っていた小百合が、むくりと体を動かし目元だけこちらに覗かせる。

「いやいや。そんなんじゃないって」
「いやいやいや、そんなんやろ」
「宮くん、お友達になりたい、って言ったもん」
「それはあいつがヘタレなだけ。わざわざ連絡先聞きに来るんやし、気があるに決まってるやろ」

 そう、なのだろうか。名前はこの問いをあの日から何度も繰り返している。

 宮くんに手を取られて応援席を抜け出した後、できるだけなんでもないように元の席に戻ったもの興味津々の友人たちから質問攻めにあってしまった。といってもこちらも突然だったので、答えられないものがほとんどだったが。試合の最中だったこともあり、なんとかその場を収めたものの人の口に戸は立てられず。名字名前は稲荷崎の宮侑と付き合っているのだの、昔馴染みだの、元カノだの、事実とはかけ離れた噂が校内に飛び交っている。
 周りよりも名前自身が一番驚いている。一方的に知っているはずの、憧れの人が向こうからやって来たのだ。ボールを操る大きな手に見合う大きな体を屈めて視線を合わせて話してくれた宮くんは、友達になりたいのだと言う。それがそのままの意味だけではないことは、流石に恋愛経験の乏しい名前でも分かった。けれど名前にとって宮侑と言う人間は、自分とは違う世界の人だと思っていた。そんな人が自分に興味を持っていると言うことが、今もどこか信じられないでいる。

「気になるって言うのは、まだ好きってことではないでしょ」
「まだ、ねぇ」
「きっと、このやり取りもある日突然終わるんだと思う。私、別に面白くもないし……宮くんにはきっともっと特別な女の子がお似合いだよ」

 彼は自分とは違う、才能のある人だ。きっとこれから先もずっと輝き続ける。そんなすごい人に見合うものなど何も無い。名前にあるのは県内で少し有名な芦谷女学院の生徒であるという、三年間限定の肩書きの他に何があるのだろう。

「特別なぁ。じゃあ名前は特別じゃないん? 一年の頃から生徒会に誘われて先輩にも可愛がられ、後輩にも優しい言うて懐かれる、その人たらしの才能は誰でも持ってるもん?」
 
 小百合の指摘にスマホを触っていた手を止めて、彼女に向き直る。ゆっくりと猫が伸びをするように体を起こして欠伸を噛み締める小百合は、試すようにこちらを見る。

「それは才能じゃない。性格とか、そういうものだし先輩たちも後輩もいい人ばかりだから」
「ふーん。じゃあ性格でもいいけど、私は宮と名前が付き合っても高嶺の花をよう手に入れたなぁ、としか思わないし、釣り合わないなんて思わんけど」

 高嶺の花ではないと思う、と反論しようとしたところで小百合はこの話は終わりと言うように立ち上がる。

「次、移動教室やろ。名前行こ」
「あ、そっか」

  机の中から教科書とノートを取り出していると、出しっ放しになっていたスマホの画面が光った。小百合も気づいたようで、ディスプレイを見て小さく呟く。

「また宮か」
「だね、なんだろ」
 
 ポコン、とまた写真を送って来てくれた宮くんは、『外見て!』と簡潔に書いていた。教室の窓から外を見ると遠くの空に大きな虹が掛かっている。宮くんが送ってくれた稲荷崎の校庭から見える景色とは角度も大きさも違うけれど、同じように美しく世界を彩っている。
「綺麗……」
「ほんまやな……まぁ、楽しいみたいやから良かったやん。とりあえずあいつの言うオトモダチになったったらええんちゃう?」
 
 友人の目から見ても名前は楽しそうらしい。確かにいきなり始まったこの関係に最初は動揺していたが、宮くんとメッセージをやり取りするうちにそんな思いはいつの間にか消えていた。お互いの話をして、好きなものや嫌いなものを知っていく過程がこんなにも楽しいと思えるのは、相手が宮くんだからだろう。
 しかし、男の子のお友達はほとんどいないので、初めてのこのやり取りがこの先どうなっていくのかよく分からない。彼の日常は想像以上にバレーボール中心に回っていた。放課後も週末も時間があればバレーに費やされる時間の隙間にこうして連絡をくれているのだと思うと、それはとても真剣に向き合ってくれているように感じる。それと同時に、きっと彼の世界はこれからもずっとこうなのだろうと思わされた。普通の人が休んだり遊んだりする時間は、彼にはバレーボールの時間なのだろう。だからこそバレーボールをする彼はあんなにも輝いているのだ。名前がその世界に入れてもらえていることは奇跡のようなものだ。

 次の授業に向かう前に、打ち込んだまま未送信になっていたスマホを手に取る。結局メッセージには絵文字を足さずに、窓から見える景色を写真に撮って宮くんへと送る。トークルームに並んだ同じ虹を写した画像を見ていると、彼も自分も同じ世界にいて、同じものを見ることが出来るのだということがすとんと胸に落ちてきた。
 

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