3rd

鳥兜

 荒廃した大地の上に座り込むと一気に力が抜けてしまった。ずるずると倒れ込むように四肢を投げ出すと、荒い呼吸音だけが辺りに響く。夜風にさらされていても背中に触れる土はほのかに暖かかった。通信機を装着した右腕を顔の前に翳すも、ブラックアウトしたモニターは何の反応もなかった。カルデアの制服は至る所に汚れがついており、今回の任務がうまくいっていないことを証明しているようだった。レイシフトしてすぐにエネミーに遭遇してしまい、状況報告をすることもできないまま、もう数時間が経過している。湧いて出るように現れるエネミーに対処していると言うよりは、どんどん追い詰められているように感じる。

「まだ、魔力持ちますか?」

 少し離れた場所で辺りを警戒している様子の古代の王へ声を掛ける。常であれば眩いばかりの黄金の甲冑を身に纏ったギルガメッシュも、今は上半身を夜風に晒していた。月明かりをぼんやりと反射する首元の装飾品や耳飾りの輝きさえも、これまでの戦闘の名残りで鈍って見える。華美を愛するプライドの高いこの男にとっては許し難い屈辱であろう、と申し訳ない気持ちになる。マスターである私にもっと力があれば、英雄王と呼ばれる彼の力を遺憾無く発揮できたはずだ。

「人の心配をしている場合か?」
「……あなたが倒れたら、もう私には術がありませんから」
「世迷いごとを。この程度で追い込まれたと錯覚するな」

 ひとまず近くには何もいないのであろう、遠くを見つめていた彼から緊張の糸が緩んだ。ゆっくりとこちらにやって来ると、地面に伏せたままの私を見下ろす。血のように赤い紅玉の瞳には冷え冷えとした光が宿っている。ギルガメッシュのこの目が苦手だ。蛇の如く鋭い眼に睨まれると、己の至らなさを責められているようでつい視線を逸らしてしまいたくなる。マスターとサーヴァント、そんな呼称が私とギルガメッシュには全く似合わないことを私が一番感じている。もうずっと前から。

 アーチャークラスの中でも最高峰の攻撃能力を有するギルガメッシュが契約に応じ、召喚出来るとはきっと誰も思っていなかったはずだ。

『我を呼ぶとは、運を使い果たしたな雑種』

 金糸の髪をかき上げて不敵な笑みを浮かべるギルガメッシュの姿に大喜びするダヴィンチにつられて、ただただ良かったと最初は思っていた。けれどレイシフトするにつれて彼の圧倒的な力と、千里眼を持つほどの鋭い頭脳に数多の偉大な英雄たちに感じている尊敬の念以上の感情が生まれてしまった。それは天変地異のような災害に対する畏怖の念に近かいものだった。友好的とはいえない態度も相まって、いつしかギルガメッシュのことを避けるようになっていた。生き残っただけの、不出来な自分をマスターとして認めてくれているなどと間違っても思えなかったのだ。

「こんなにぼろぼろで、マスター失格ですよね。ごめんなさい」
「……泣き言は戻ってからにせよ」
「戻れるのかな……」

 手の甲に浮かぶ令呪に視線を移して、軋む体に力を入れて上半身を起こす。ぱたぱたと頬に当たる髪を耳にかけると、その腕をぐいっと上へと引っ張られる。よろめきながら立ち上がるも、ギルガメッシュは腕を離してくれず不安定な姿勢で彼を見上げる。

「何するんですか……」

 抗議の声を黙り込ませるほどの厳しい視線に身体が固まってしまう。

「つまらん。貴様いつまでそうしているつもりだ」

 つまるとか、つまらないとかの話じゃないと思ったが口ごたえする勇気などあるはずもなく、口を噤む。そんな私の反応を鼻で笑ったギルガメッシュが腕を掴む力を強くする。きしりと骨が軋んだような音がして、咄嗟に腕を振り解こうとするもぴくりともしない。この世の財を集めたという彼の宝具を使うまでもなく、いつでも彼はその腕力だけで私の細腕など簡単に折ることができるのだと思い知らされる。

「貴様に期待などそもそもしておらんわ。凡人であることなど最初から知っている」

 分かっていたとはいえ、真っ向から期待していないと言われたことに落胆や怒りや羞恥がない混ぜになって胸の中に押し寄せる。かぁっと熱を持った顔を見られたくなくて、俯こうとするもそれを咎めるようにさらに腕を引き上げられた。

「最後まで聞け。凡人であるとは言え、英雄王たるこの我が本当に気に入らぬ人間如きに、そう何度も慈悲をくれてやると思っているのか? 恐怖に震え、幼児のように泣いていようが召集がかかればこうしてどことも分からぬ地へと赴くゆえ、こうしてこの玉体が泥に塗れようとも付き合っておるのだ。少しは我のマスターらしく顔をあげよ」

 貶されているのか誉められているのか。よく通るギルガメッシュの声はそのまま私の体に入ってくるような心地がした。マイルームで泣いていることも知られているとは予想外だったが、確かに彼の性格上『我慢』などは絶対にしないだろう。気に入らぬマスターであれば令呪を使わなければ戦闘にも参加しないくらいの傲慢を通すだろうと、容易に想像がつく。
 いつの間にか、掴まれていた腕は離されていた。大地を踏む足に少し力を入れて顔を上げると、青白い月を背負ったギルガメッシュが珍しく笑った気がした。逆光の中でぼんやりと見えたその笑みは、やはり玉座に君臨する王らしく凛々しくも美しいものだった。

「チッ……またか。数ばかり多いというのも、下等種の特徴よな」

 暗闇の奥に目を向けたギルガメッシュが私を庇うように前に出る。その背中に勇気を出して手を伸ばす。初めて自分から触れた彼の肌は滑らかで温かく、鍛えられた筋肉の隆起が私の柔肌を押し返すようだ。驚いたように目を開いたギルガメッシュが半身を振り返った。

「いけますか……?」

 紅玉の瞳は先ほどと同じように冷たい色をしているけれど、不思議とそれが恐くはなかった。にやりと口角を上げたギルガメッシュの大きな手が私の首に掛かる。とくとくと脈を打つ血管の上を這うようにして動く男らしい硬い指先に、こくりと唾を飲み込む。

「誰に向かって言っている。我が付いていながら雑種如きに貴様の首をやるとでも?」

 ぐっと体を屈めたギルガメッシュの顔がこちらに近づく。鼻先が触れ合うほどの距離で美しい紅の瞳に囚われる。

「貴様が死ぬのは我が死を与える時だ。せいぜい励めよ、なまえ」

 頸動脈を撫でるようにして離れていったギルガメッシュの指の感覚が首輪のように残っている。私はどうやら本当に恐ろしい英霊と契約しているらしい。けれど彼が殺してくれるという言葉にどこか安心してしまった。世界を救うなどいう大義に押し潰される前に、きっとあの黄金の刃が私の柔い身体を貫くのだ。それは人類最後のマスターという重責を誰にも代わってもらえない私には一番必要なものかもしれない。

「そら、来るぞ」
「はい――」

 状況は何一つ好転していない。夜明けは遠く、魔力はもう半分も残っていないだろう。それでも震える足で立ち続ける私を、貴方がマスターだと言ってくれるのだから前を向いていよう、そう思えた。

花言葉 あなたは私に死を与えた
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