3rd

マーガレット

 それはちょっとした世間話だった。以前この部屋の主人であった懐かしい人を思い出しながら、レイシフトから戻った後の定期的な診察を受けていたときに、女性スタッフたちが話しかけてくれた。今日の食堂のメニューが和食だってこととか、また誰と誰が喧嘩していた、だとかそんな他愛のない話の中で、なんでも叶うなら元の世界でどうしたいか、というものがあった。こんなに過酷で24時間いつ何が起こるかわからない危険な状況で働いているのだから、大金をもらってゆっくりと南国に行きたい、と言う彼女たちと笑いながら、その未来を想像してみた。
 青い海に、白い砂浜、突如現れる倒すべきエネミーはもういない。私はただただ静かな世界で、どうやって生きていくのだろうか。

「知るわけなかろう」
「もうちょっとちゃんと聞いてよぉ」

 ギルガメッシュ王は忙しなく指先を動かして何か調べ物をしているようだった。シヴァの改良だとか、カルデアの省エネ化だとか、いつも何かしら忙しくしているこの王が倒れていないかの確認も兼ねて、休憩時間はよく彼の元を訪ねていた。邪険にもされないが、特段構ってもくれない、それが私にはちょうど良い距離感だった。とりとめもなく話したいと思ったことをすきに話せる時間は、ちょっとしたセラピーのようだ。もちろんギルガメッシュ王はそんなつもりは全くないだろけれど。

  「前の世界にもどる日が来たらバカンスとか行けるのかな」

 前の世界、それは今この瞬間も消滅の危機に晒されている。私たちが失敗すれば、きっともう二度とあそこには帰れない。あまり考えすぎると、体の末端から凍えていくような恐怖に囚われてしまいそうになるので、暖かな夏の海を思い浮かべる。いつだったか、特異点の海に王様と行ったことがあった。あのハワイのような海は良かった。そうだ、あそこにならまた行きたい。

「雑種の思い浮かべるバカンスなどしれている。好きなだけ肌を焼いて来い」


 返事をしてくれたことが嬉しくて、ギルガメッシュ王の前に回ってその整った顔を見上げる。赤い瞳をちらりとこちらに向けると、長い指で私の胸元をとんとんと叩く。視線を下げると、健診で制服のボタンを外したままになっていた。慌ててボタンを閉めながら、なんだかお父さんみただ、と思う。

「……この世界を救った英雄といえど、貴様の処遇は期待できんぞ」
「あー、うん。みんなが心配してくれてるね。封印指定だとか、なんとか」

 一度、そういう話をダヴィンチからされたことがある。私のやっていることは明るみにはしてはいけないと、彼女は青い瞳を翳らせていた。世界を救えたとして、自分のことをヒーローだと言いふらすつもりはない。誰も知らない方がいいことなのだと思う。私が覚えていられたらそれでいい。

「ここでの事を全てを明かせば貴様がモルモットにされることなど馬鹿でも分かることだ。カルデアを通したとはいえ、これだけの英雄に対して縁を繋いでしまったその身を悪事に使いたい輩など腐るほどいるだろう」

 魔術師の端くれではあるが、自分にそんな価値などないように思う。しかし千里眼をも持つギルガメッシュ王が言うのならば、そう言うこともあるのだろう。そんなとき、助けてくれる人はきっともういない。一緒にレイシフトしてくれた英霊たちは座に帰るのが定めだ。世界を救うために力を貸してくれているのだ。私個人を助けるためではない。それは分かっているけれど、これだけ一緒にいると別れるのが辛い。きっと、いや、絶対に寂しくて泣いてしまう。

「……そのような顔をしよって」

 溜息と共に、長い指からデコピンが飛んできた。おでこに直撃した衝撃に悲鳴を上げて手のひらで抑えると、王様は不機嫌そうな顔でこちらを見る。

「こんな日常がいつまでも続かぬことくらい、分かっているであろう」
「それは、そうだけど。でも、何もなかったように元の世界で生きて行けない。海に行けば、王様と行った特異点を思い出すよ。山に行ったって、街中にいたって、みんなと一緒に戦った記憶が溢れてきちゃうよ」
「何もなかったように生きる必要などあるまい。と言うよりも、同じようにはいかぬだろう。過酷で凄惨な世界を見たからこそ、平和な日々がより美しく見え、慈しむことが出来るのではないか」

 雪に覆われれば、陽の光がいかに有難いものか知った。数多の英霊の惜しみない助力と献身の結果として救われた世界だと、私だけが知っている。それを寂しい、虚しいとだけ、思えるはずがない。きっと愛してしまうだろう。

「落ち着いたようだな。思春期はこれだから困る」

 ギルガメッシュ王が呆れたように笑う。全盛期の英雄王に対して賢王たる彼はその見た目に反して、老成した振る舞いをする。それがきっとこうして心の内を曝け出せてしまう理由の一つなのだろう。

「でも、みんなに……王様に会えないのは寂しいな」

 王様は私の家族でも、友人でもないけれど彼と交わした言葉は、その誰よりも深い。恋人のようにと言うよりは、子供が親に縋るように見つめていると、赤い瞳が珍しく困ったように宙を仰ぐ。

「だから我にはそれが分からぬと、言ったではないか」

 ギルガメッシュ王には神様と人の二つが宿っている。神様は人間と同のようには愛してくれない。恋しいと言う思いを、彼は知ってるけれど分からない。

「じゃあいつ迄も覚えてて。忘れないで。私のこと、何回も思い出して。私もそうするから」

 にこりと笑って背筋を伸ばすと、ちょうどミーティングの呼び出しがかかった。今度は何だろう、また特異点かな、カルデアへの襲撃とかじゃないといいけど、などと考えながら荷物をまとめる。
「王様、今日もありがとうざいました。呼びされちゃったから、行ってきます」

 ドアを開けて後ろを振り返ると、ギルガメッシュは疲れたというように頬杖をついた手で額を覆っていた。反対の手で早く行けと言うように追い払われる。パシュ、と空気音を立てて閉まった扉の向こうで彼が零した言葉を私は知らない。



「人の子の一生と、英霊の時間を一緒にするでないわ、阿呆」

 言われずとも、あの愚かな英雄を忘れることなどできるはずも無いと言うのに、なまえは何も気づいていない。一人残された部屋の中でギルガメッシュは諦めるように大きなため息を吐いた。
花言葉 私を覚えていて
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