リクエスト企画

いちばんにあいされたい

 先週は金鍔だった。その前に来られた時は氷菓を真似た砂糖菓子、金平糖やどら焼きをくれたこともあったっけ。名前はお茶の準備をしながら頭の中に甘い菓子を思い出し、頬が自然に上がってしまう。手土産を片手にやってくる青年は、真っ黒な服を纏いながらもいつも明るい笑顔を見せてくれる。大きな、遠くまでよく通る溌剌とした声が今日もそろそろ聞こえる頃だろう。

「ごめんください」

 聞き間違えることなどない、この凛とした声。
名前は茶葉を選んでいた手を止め、着物が寄れていないか、髪が乱れていないかと水屋のガラスに映る自身の姿を確認してから玄関に向かう。

「鬼狩り様、いらっしゃいませ」

藍染に白抜きで大きな藤の文様が入った暖簾を片手で上げ、長身の男が逆光の中で笑う気配がする。秋の稲穂が夕日に染まったような鮮やかな髪を揺らして彼は折り目正しく頭を下げた。

「今日も世話になる」
「はい、いつでもお迎えできるよう既に支度は整っております」

上り口で膝をつく名前の前には今日も包みが一つ差し出された。両手で受け取ると、彼は大福餅だと教えてくれた。ずっしりとした重みに、きっと餡子がたくさん詰まった美味しいものだろうと思われて、期待に胸を膨らませる。

 外履きを脱いだ彼を離れの客室まで案内しながら、たわいのない季節の話を口にする。「藤の家」として鬼狩り様をお助けするように、そう何度も言っていた祖父が伏せりがちになり、その意志を継いだのはこの春のことだ。何をすればいいのかと聞けば、いつでも休めるように客間を整えることと、食事の準備だと言われた。
 
そこにお茶の用意が加わったのは、彼がこの家を尋ねてくるようになってからのことだ。

「お茶は、またお庭の見える縁側で召し上がりますか?」
「そうしよう」

 古い家と同じ年月を経た、なかなか趣のある苔生した庭はこの辺りでは少し有名なものだった。祖父のそのまた祖父の趣味だったと伝え聞くが、真偽の程は不明である。
頂いた包みを開けると、中には白くふっくらとした大福が九つも木の箱に詰め込まれていた。豆大福なのだろう、所々黒く光る塩っけのある豆が甘い餡子とよく合うだろう。美味しそう、と呟きながら、祖父の為に一つ避けて他はそのままお持ちしようとお皿に移し替える。煎茶の茶葉を急須に入れて、来客用の茶器とお菓子を盆に載せて彼の元へと向かう。


 離れからは庭を通って来られる中庭に面した縁側の、なるべく日当たりの良い場所にお茶のお盆を置いて火鉢に薬罐を掛ける。もうすぐ来るだろうかと、首を長くして庭の木立を見ていると湯が湧くふつふつとした音が立ち始めた。火鉢から下ろして冷めるまで少し待つ。お菓子に目を落としてからもう一度、外を見ればばちりと大きな猫目と目が合う。髪と同じ金色の瞳が線になって消える。笑われてしまった。名前はお菓子に心を奪われていたことが恥ずかしくなり、居住まいを正すとお盆を挟んだ隣を片手で指し示す。

「どうぞ、こちらに」
「ありがとう、君は本当に菓子が好きだな」

茶器に湯気の立つお湯を注ぎ、隣に座った鬼狩りの青年を見上げる。照れることもなくこちらを見返す視線に、結局いつも視線を逸らせてしまうのは名前の方だった。
お茶を入れるまでの流れをじっと見つめる彼の視線で、手が焦げてしまうのではないかと思う。煎茶の良い香りが漂ってきた頃に、もう一度顔を上げて隣を伺うと彼は同じ姿勢のまままた目が合うのだった。

「お茶、どうぞ」
「良い香りだ」

無骨な、大きな指先が薄い茶器を持ち上げる様子を見守り、ふっと彼がうまい、と呟いたことに安心する。自分でもぬるめのお湯で煎れたお茶は甘さと苦さが良い塩梅で出ていると思う。薄緑の透き通るお茶で喉を湿らせると、頂いた大福を一つ手に取る。

「いただきます」

想像していた通り、柔らかく弾力のある皮の中には餡子がぎゅうぎゅうと詰まっていた。外側の塩味のお豆と中身の甘い餡子がたまらない。お行儀がよくないとは思いながら、二口目は大きくかじり、口にの中が幸せだと思わず目尻が下がるのだった。

「はぁ……美味しいです」
「それは良かった。泊まらせてもらう礼だ」

そう言って彼も大福を一つ手に取ると、同じように大きめに一口齧る。うまい、とまた口にするとにこりと笑う男の顔を見ながら、名前も微笑み返しながら逡巡する。


 他にも何人かの鬼狩り様がこの家を訪ねてくるが、こんなふうに二人だけで話す人は彼だけだ。
毎度、土産だ、宿泊代だ、たまたま貰ったのだ、と理由を付けて渡されるお菓子が自然と二人で過ごす時間を作っていることは分かっているのだろうか。
自惚れても良いのだろうか。
それとも、これも男の人には普通のことなのだろうか。
名前は真意を図かねて、結局言葉にできずに目線を手元の大福に落とす。

その時、一羽の鴉が空中からばさりと大きな羽を翻し彼の足元に舞い降りてきた。

「キョジュロー!テガミ!」
「任務か?む、これは甘露寺からか…」

人語を操る鴉に臆することなく、その足元に括り付けられた手紙を開くと一瞬張り詰めた彼の纏う空気が柔らかなものに戻る。

「あとで返事を書こう、お前も今は休んで良い」

彼の言葉を理解したように庭の松の木に飛んで行った鴉を不思議に思いながら見送り、隣の彼に視線を戻す。

「きょじゅろーさま、なのですね」
「あぁ、あんずの杏、ことぶきの寿、で杏寿郎だ」

あんず、なんて可愛らしい漢字が彼の名前を形作っているのだと、名前は少し以外に思いながら教えてもらった名を大事に大事に心の中にしまう。呼ぶことを許された訳ではないのだ、と浮つく心音を落ち着けるように小さく息を吐く。

「君の名前も教えてくれないか」

ばっと勢いよく横を見ると、初めて見る少し照れた表情を浮かべた彼と視線が合う。途端に顔が熱くなり、心音が速まって息の仕方を忘れてしまった。

「名前。名字名前です」

震えるような小さな声で紡いだ自身の名を、目の前の男の唇が繰り返す。その動きを見ていると、まるでこの名がまじないの呪文のように思われた。


 二人して空っぽの茶器を手に、赤くなった顔で庭を見る。
隣の彼も自分と同じように、この名を心の奥にそっとしまっているのだとしたら、それ以上に嬉しいことなどこの世にありはしないだろう。
そうであればいいのに、と名前は強く願うのだった。