リクエスト企画

ロスト・オブ・ガール

頭のいい子というのは、各学年に数人はいるものだ。
課題を真面目にやってくる子、予習復習を一人で出来る子、テストの点数がいい子。予備校や塾に通ってる子たちはやはり勉強がよく出来たが、中でも名字名前は特によく出来る、頭のいい生徒だ。
課題はそれなりに、遅れることはない。生徒同士のトラブルとは無縁。教師陣からの評価も高い。そして何より模試では全国上位者リストにこの学園で唯一その名を毎度載せている。所謂ガリ勉タイプということもなく、ほどほどに友人に囲まれた名字を実弥は器用な人間なのだろうと思っていた。
特別贔屓していることはないが、教師にとっては校内のちょっとした有名人であり目に付くということは確かだったが、本当にその程度だった。

今日までは。


本日最後の担当授業である理数科向けの数Vのクラスを終え、教壇に集まってなんだかんだと話しかけてくる生徒たちに早く帰るように促す。
生徒が全員出て行った教室で板書を消し、戸締りをしようと机の間を歩いていると椅子の座面に見慣れたパッケージの紙箱が目に入った。
神聖なる学び舎に相応しくないそれに反応が遅れたのは、実弥の愛用品だったからだろう。一瞬自分のものかと思ったが、ここは生徒の椅子だ。

面倒なものを見つけてしまった。

ビニールに包まれたまま、未開封のそれを手に取りため息を吐きながらスラックスの後ろポケットへ突っ込む。

この席は誰だったかと、教卓に広げたままの座席表で確認する。見間違いかともう一度前から席を数えるが、何度見てもその名前は変わらない。
『名字名前』

優等生の彼女の意外な一面に、どうするべきかと逡巡する。自分しか知らないのなら、ひとまず様子を見るべきか、それとも生徒指導部へ報告するか。
教師としては良くないと分かっていながらも、やるならうまくやってくれと思わずにはいられなかった。



翌週の同じ授業の間、実弥はちらちらとこちらに向けられる視線に気づいていた。そしらぬ顔で授業を続けながら、チャイムと同時に何でもない風に彼女の名を呼ぶ。

「今日はこれで終わりだ。名字、提出物出してないのお前だけだぞ。この後ちょっとの残れよォ」

パタパタと他の生徒が出ていく足音を確認して教室のドアに内側から鍵をかける。席についたままの名字の前の椅子を引いて腰を下ろすと、机の上をじっと見つめていた顔がゆっくりと上がる。

「なんで呼ばれたか分かってんなぁ?」

頬杖をついた実弥の顔をおずおずと見上げた名字は、理知的な黒い目を泳がせる。授業中や問題を解く時に見せるツンとした怜悧な顔では無く、十代らしい子供と大人の間の透明な青い気配がそこにはあった。

「タバコ…すみませんでした」
「あー、なんだ。あんま言いたかねぇけど、こういうのは成人してからにしろよォ。まぁ成人したって体に悪いことに違いはねぇから吸わない方がいいぞ」
「はい。でも、吸ってるわけじゃないんです」
「あ?」
「持ってたかっただけっていうか…」

なんだそれは。
悪ぶりたいってことか?あの名字が?
どちらにせよタバコを未成年が購入することも禁じられているのだ。吸っていようがいまいが、所持していることが注意せざるを得ないのだ。そんなことを言われなくとも名字ならば分かっているだろうに。
実弥がもう一度口を開こうとしたところで先に彼女の唇が動く。

「言い訳してすみません。もう二度と買わないので、先生が処分しておいてくれますか。あと、できれば生徒指導の先生には言わないで欲しい、です」

座ったまま頭を下げる名字に、こちらがまだ体育担当の生徒指導部長には伝えていないとバレていることは癪だったが、実弥とて大ごとにしたくない。
反省してますと分かりやすく眉を下げてしんみりした顔を作る名字に、調子のいいやつだなと思う。頭の出来がいいやつはこの年で処世術にも長けているようだ。

「次は生徒指導だぞ。ったくバレねぇように上手くやってくれよな優等生さん」

実弥が席を立つと、名字もさっと立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。

「ありがとうございます、不死川先生」

はにかむように小さく笑う彼女に帰り支度を急かす。数学科の教室を二人で出て実弥が施錠するのを隣で見ていた名字に何と無く気になったことを聞いてみる。

「どうして俺が他の教師に言ってないって思った」
「…不死川先生のだもの」
「あ?」
「先生の吸ってるタバコ持ってたから。先生、面倒ごと嫌いでしょ?」


悪戯っぽく唇を噛んだ名字は、先生さようなら、と礼儀正しく挨拶してくるりと後ろを向いた。

夕日の差し込む廊下をゆっくりと歩く後ろ姿に、してやられた、と苦いため息を吐く。タバコを席に忘れたところからあいつの計算通りってやつなのだろう。実弥が他に言わないことも、呼び出すことも、面倒が嫌いなことも、そして今後名字名前を特別視してしまうだろうことも。

頭のいい奴はこれだから嫌なんだ、と実弥は没収したタバコを早速吸うことになるのだった。