melting chocolate

ガトーショコラ


「おい、名前チョコよこせ!」

茶道部の部室である和室のふすまをすぱぁん!と開け放ち、学園の誰よりも美し顔で伊之助はロマンスのかけらもない台詞を吐く。

「伊之助うるさい」

まだ部活までは時間があるので誰も来ないと思ってごろんと畳に寝転がっていたのに、うるさい幼馴染がきた。下から見上げても白い肌に輝くような瞳に長い睫毛とお姫様のようだ。普通下から見たらみんなブスじゃん、なんだその顔面は。

「炭治郎と善逸と勝負してんだよ!名前もチョコ持ってんだろ、早く俺に渡せ!」
「いやよ」
「はぁ!?馬鹿かお前は!」
「そんなくだらい理由であんたにやるチョコなどない!」

青筋を浮かべてはぁっ!?とキレている伊之助が顔の近くにヤンキー座りでしゃがみ込んで来る。踏まれたら痛いのでさっと上半身を起こして、同じ高さになった無駄に綺麗な顔を睨む。

「んだよ、毎年くれるじゃねぇか」
たじろいだようにぶつぶつと拗ねたような言い方をする伊之助を見ていると、幼い頃から知っているせいか仕方がないなぁと思えてきてしまう。目元に込めていた力を抜くと目に見えて伊之助の表情が明るくなる。
でもあげたくないものはあげたくないのだ。

「…私のチョコが欲しいのなら、他の子から受け取っちゃだめ」
「は!?じゃあ1個になるじゃねぇか!!勝負だっつってんだろー!」
「そんな下品な勝負を竈門くんがするわけないし。どうせたくさんもらってる竈門くんが羨ましくて、伊之助が勝手に言い出しただけでしょ」
「ちっげーし!羨ましくないし!」

絶対図星であろう。すくっと立ち上がってあらぬ方を見やる伊之助のわかりやすい反応に鼻を鳴らすと、今度は伊之助がジト目で睨んできた。

「くそっ名前性格悪りぃぞ!そんなんじゃチョコ受け取る男もいないぜ!」

…こういうことを言うから、いくら顔が良くてもモテないんだ。
普通の女の子なら泣くだろうが、こっちは昔からこの口の悪い男と喧嘩しながら育ってきたのだ。慣れたものである。
そしてこんなにどうしようもない男なのに、私は伊之助がすきなのだ。

「ふぅん、じゃあもういい。伊之助にはあげない。竈門くんにチョコあげてくる」

ぷいっと背を向けてリュックを背負って伊之助の横を通り過ぎようとすると、ぎゅうと手首を引かれる。
強くもないけど弱くもない、振りほどこうと思えば逃げられるような力。
前までは力任せだったけど、最近はどんどん伊之助の身長が伸びて如実に体格差が出てきた。いつだったかお母さん同士と四人でご飯を食べていた時に、お前ほっせーんだなぁと伊之助がしみじみ言うので、ママたちに言われるがまま背を比べるともう頭一つ近く差ができていた。その日から伊之助はようやく私が違う性別の生き物であると分かったようである。
そしてその辺りからどうやら私はこの男がすきなのだと知ったのだ。そう、私も結局伊之助と同じで、ようやく最近伊之助が男の子だとその時、分かったのだ。

「俺にくれるんだろ」
「伊之助が、私からしかもらわないって約束するならね」

じぃっとこちらの真意をさぐるように伊之助の青みがかった丸い瞳が私を映す。
その青に私が溶け出してしまいそうになった時にぱっと手を離した伊之助が、無造作に掌を差し出す。

「分かったよ、名前のだけでいい。だからお前も他のやつに渡すんじゃねぇぞ」
「いいよ、約束だからね」

リュックを前に回して昨日焼いたガトーショコラの入った青い紙袋を渡すと、顎を上げて尊大な態度で受け取る伊之助はふんっと鼻を鳴らしながらも耳の縁がうっすら桃色になっている。

「伊之助、すきよ」

自分でも驚くくらいに自然に出てきた言葉に、溢れそうなくらい瞳を開いた伊之助に背を向けて、走って逃げる。
一拍遅れてがたんと扉にぶつかった音が響き、異様に早い伊之助の足音が聞こえる。


(あぁどうしよう、捕まったらどんな顔をすればいいんだろう)(話終わってねぇぞこらぁ!)