melting chocolate

ブラウニー


「時透くん好きです」

放課後の教室でドラマのように繰り広げられる告白シーンに鉢合わせてしまい、思わず扉を開こうとしていた手を引っ込める。
足音を立てないように慎重に、ガラス部分から見える見慣れた無一郎君の背中が見えなくなるまでそろそろと廊下を後ずさる。
階段の柱の陰に身を隠して一息つくけども、さてどうしたものかと悩む。

「悪いけど、興味ないや」

身も凍るような無一郎君の返答が静かな廊下に響く。
(ひえっ…こんな言い方されたら泣いちゃうよ…)
教室から距離を取っても聞こえてしまう会話に申し訳ない。でも気になるのも事実でじっと身を潜めてしまう。

「そっか…あの、これ、チョコレートだけでも受け取ってほしい」
「いらない」
「お願い。食べなくてもいいから、す、捨ててくれてもいいから」

かさりと紙袋が動く音がしてがらっと教室の扉が開いたので、見つからないかどきどきしながら彼女が柱の脇を走り抜けるまで息を止める。
そっと廊下に戻り、彼女の後ろ姿を見送る。ぱたぱたと廊下の奥に走り去った女の子は、名前でも知っているくらい有名な学年でも指折りの可愛い子だった。
涙を堪えた横顔に、ちくりと胸が痛い。

「なにしての、名前」
「む、無一郎くん」

すぐ真後ろですでに帰り支度をした無一郎君が立っていて、予想外の至近距離に身を捩る。

「早く帰ろうよ」
「う、うん、そうだね」

何やってんの?と無一郎君にコートの袖を引かれ足を動かす。
ちらりと横を歩く彼を盗み見るけれど、罪悪感などまったく感じてなさそうないつも通りのしれっとした顔だ。
がさりと音を立てる紙袋にはよく見れば女の子たちが心を込めて作ったであろうバレンタインのチョコがたくさん無造作に入っていた。
有一郎君と二人して綺麗な顔をしているので中等部の頃から人気があったが、高等部に上がってからは桁違いだ。

「たくさん、貰ったんだね」
「あぁこれ?いらないって言っても置いてくんだよ」
「そっか」

(いらない…か)

ご近所さんの時透家とは家族ぐるみで仲がいいので、中学の頃から無一郎君と有一郎君と用事のない日は一緒に帰っている。
有一郎君は最近彼女ができたので必然的に帰りは無一郎君と二人になった。
前からそうであったが、更に人気者になってしまった彼と帰る権利を持っていることをやっかまれていることは知っている。
時折悪意を隠そうともしない目で見られることもあるけど、みんな無一郎君がすきだからそりゃ無条件に仲良くできているポジションの同性を好きにはなれないと思う。

「…名前は誰かにあげたの?」
「え?私はあげてないよ。お友達と交換したくらいかな」

じぃっと感情が読めない目で無一郎君に見られるとどぎまぎしてしまう。
昇降口でローファーに履き替えて、二人で並んで歩く。ちらちらとグランドから飛んでくる視線が痛い。
(バレンタイン当日っていうのが火に油を注いでいる気がする)

「兄さんにも?」
「有一郎君?あげないよ、それに彼女もいるし」
「なにそれ、いなかったらあげてたの?」

ムッとしたように口元をへの字に曲げて立ち止まる無一郎君につられて足を止める。

「そ、そういうことじゃないよ」
「・・ふうん」

納得いったのかいってないのか分からぬ顔で前を向いて再び歩き出した無一郎君の後を慌てて追いかける。
急に背が伸びた彼らとはもう歩幅が合わない。

「待って、待ってよ無一郎くん」

校門を抜けたところで立ち止まって待っていてくれた彼に追いつくと、じいっと私の後ろを睨むように見ていた。
グランドを振り返っても部活動の人たちしかいないので、彼が何を見てるのか分からない。

「どうしたの?何かいる?」
「牽制だよ」

疑問符を浮かべてキョトンとしていると、行くよ、と手を掴まれる。
(わ、わわ、これは手繋いでると思われる!)
ずんずんと歩く無一郎君に引っ張られる形で小走りについていく。
学校から駅までずっと無言だった無一郎君はホームで電車を待つ間も手を握ったままで、どうしたものかとおろおろと見上げるとぽつりと話し始めた。

「名前は僕にチョコをあげようと、ちっとも思わなかったわけ?」
「え?」
「だから、どうして僕は名前からチョコをもらえないの?」

上からまたじっと見つめられて、言葉の意味を理解するとかっと頬が熱くなる。
どうしてって、それは恥ずかしいのと、いらないと言い切る姿を見てしまったからだ。
昨日の夜に母さんに、にやにやと見られながらラッピングしたチョコブラウニーを、きっと渡せないだろうけど、念のため、万が一渡せるならと持ってきてはいる。

「だって、いらないって」
「そうだよ、好きな子以外のチョコなんていらないよ」

すきなこ、そんな言葉聞いたの初めてだ。
一向に治らない熱に耐えきれずに無一郎君に握られた手から抜け出そうと腕を動かすが一向に離してもらえない。
答えない私に焦れたようにため息を吐くと、ホームの端の方まで再度引っ張られる形で移動する。
何が何だかと思考がうまく回らない私を他所に、無一郎くんは燃えるゴミとかかれたゴミ箱にチョコが詰まった可愛らしい紙袋ごと、ぼすっと突っ込んだ。

「な、なにしてるの!」
「だからいらないって言ったでしょ?向こうだって捨てても良いって言ってたし」
(だからって容赦無い…)

「僕が欲しいのは名前のだけだよ。くれるんでしょう?」

知ってるつもりだったけど、無一郎君はこういう人だった。
すきかきらいか、有りか無しか、0か1か。

「無一郎君、すき」

泣きそうになりながら鞄にしまっていた包み紙を手渡すと、今日初めて無一郎君の顔に笑顔が浮かぶ。
きっと、あのチョコを作った子達も、この顔がすきだったんだろうなと思う。

「はじめから、ちゃんと渡しにきてよ」

(明日から学校怖い…)(どうして?他人なんてどうでもよくない?)(そんなメンタル持ってないよ…)