暗夜の焔

第三夜

「雛!今日はお土産があるよ」

雛が部屋の入り口の襖を開けたところで声を掛けると、驚いたように顔を上げて嬉しそうに笑う。きっちりと襖を閉め、瞼を閉じたまま躊躇なく童磨の座る位置の数歩手前までやってくると、ちょこんと正座をした。

「そんな離れたところじゃなくて、こっちにおいでよ」

着物の上から雛の細い腕を引いて、一段高くなった上座に引き上げる。雛が隣に来ると、甘い香りがした。女の子ってどうしてこんなに良い香りがして柔らかくってとっても美味しいんだろうか。

「っあ」

雛の口から珍しく焦りを感じさせる声が出た。体勢を崩しそうななる雛を支えると細身の体が着物の上から感じられた。華奢な骨格に、思いつきで両手で彼女の脇を持って子供にするように持ち上げてみた。

「ひゃっ!」
「わぁ、雛軽いんだねぇ」
「お、おどろきました、童磨さま…っふふ、足が地に付いていないと、なんだか自由になった気がします」

雛は俺に身体の全てを預けても怖がるどころか楽しそうに笑みを浮かべた。くるくると回して一頻り笑い、子供のような顔を見せる雛を床におろしたところで、自分も笑っていたことに気がついた。

「やっぱり心が綺麗な女の子が側にいるのは良いねぇ」
「心が綺麗ですか?」
「そうだよ、雛みたいな優しくって素直な子」

隣に座らせた雛の頭を撫でる。伸ばすようにと言った言いつけを律儀に守った彼女の髪は男の子のような短髪から、ようやく長さが揃ってきたところだ。まだ少し頭を傾ければすぐに骨っぽい頸が顔を出すけれど、きちんと手入れされた髪は艶々としていた。

生きているとこうやって髪や爪も成長する。
鬼にはできないことだから身体の細胞を動かして、たまに伸ばしたりしないといけない。人間のふりをする、というのは色々と面倒だ。でも俺は生きている時も何でもうまくできる方だったから、少し面倒だけど『ふり』も上手に出来てしまう。

「童磨さまのように、人を救う立場にいらっしゃる方にそう言っていただけると嬉しいです」
「雛が喜んでくれて俺も嬉しいよ!」

嬉しい、と口にしながらも「嬉しい」が何なのかよく分からない。雛のように生まれながらに足りぬものがある人間でも分かることなのに、どうして俺は分からないのだろう。そこまで考えて、考えても仕方がないやと考えることやめた。

知っていれば良いのだ。分かってあげるふりが出来るのだから、それでいいのだ。それで哀れな人間を救済してあげているんだから。


「はいこれ一つ目」

雛の白い手を取って、掌に白い鳥の羽を乗せる。男の掌よりも長いその羽は、西洋かぶれの女の子の頭に被る帽子に刺さっていたものだ。雛は両手の指先で羽の毛を撫でてその感触が面白かったのだろうか、また小さく笑う。

「これは羽ですね。鴉ですか?大きな鳥のもののようです」
「さぁ何の鳥かは知らないけど、白いから違うんじゃないかな」
「白いのですか。鴉は黒いのでしょう」
「あ、ごめんね。色は分からないかぁ」

そうだった、雛に色は分からないのだから白も黒も関係ないのだ。やはり彼女は不便が多い。

「いえ、白は雪の色だそうですね。そう教わったせいか白、と聞いて触ると冷たくなった気がします」
「そうだねぇ。白は雪の色、雲の色、あとは俺の髪も白いんだよね」
「そうだったんですか…」

雛は羽の縁を撫でていた指を止めて、掌を上にして俺の方に控えめに差し出した。どう言う意図か分からなくて、首を傾げると雛が形のいい唇が弧を描いて薄く開く。

「少し、髪に触れてもよろしいでしょうか」
「そういうことか、はいどうぞ!特別だよ!」

背にかかる編んだ髪を指先で一束掬って雛の掌に垂らす。己の髪を人間が梳いていることが、不思議だった。髪を梳くと頭を触られたような気がする。急所である首に近い場所を触られうのは嫌いだ。けれど鬼である自身に傷一つつけられないであろう、盲目の女になら気にならなかった。

「童磨さまの髪はひんやりして冷たいです」
「そう?髪ってそういうものじゃないの?」
「白だと聞いてから触ると、雪の冷たさを思い描いてしまうからでしょうか、冷たいと思うのです」
「そっか雛はそうやって触って色を見ているんだもんね。…ねぇじゃあ黒は?黒は雛にはどう見えているの?」

何者にも染まらない闇の色は、雛にはどんなものなんだろう。

「黒は夜の色。そして私の色なのでしょう」
「どうして雛の色なの?」
「私は暗闇にいるのだと言われてきましたから。見えないという状態が黒だと。違いますか?」

俺は黒といえば無惨様のことしか浮かばなかったけれど、そうかこんなににこにこしている雛も黒なのか。

「雛は俺と同じ、白じゃないかなぁ」

聖女のような綺麗な心の君は、白がよく似合うと思うんだ。
でももし本当に絶望して雛の心が真っ黒になってしまったら、白い俺が綺麗に食べてあげるからまた白に戻れるだろう。


「他にもお土産があるから、後で雛の部屋に持っていってもらうね。明日みんなに何があるか教えてもらうといい」

羽は無惨様に呼び出された帰りに偶然街中で拾ったものだが、他のお土産は今日食べてしまった女の子が持っていたものだ。
ビー玉や髪飾り、色のついた紙や小さな貝殻。そんなどこにでもありそうなもの。

人は何かを集めるのがすきだ。気にいるものは皆違うけれど、多かれ少なかれ人は何かを蒐集する。同じものを集めるものもいれば、とりとめもなく集めるものもいる。それでもその集められたものたちは、蒐集家の本質に何かしら近しいものなのだろう。

俺は集めたいものなんてなかった。生きている時から、気にいるものも、置いておきたいものも特になかった。鬼になってからも何もない。あるとするならば人間だ。人を集めているつもりはない、勝手に集まってくるのだ。愚かで可哀想な人間たち。その中でお気に入りの置いておきたい人間ができたのは初めてだった。

俺はいつまで彼女を置いておけるだろうか。