colors | ナノ






ごろごろと空が悲鳴を上げている。或いは怒りの声か、それとも楽しげにはしゃいでいる声か。ぴしゃりと空を駆ける稲光。窓の外は雨に覆われている。今日はもう外に出ることはできないだろう。はあ、と溜め息をついて、荷物の中から本を取り出した。本の端が縒れている。雨に打たれた荷物から水が染み出したのだろう。読む分には問題ないが、ごわついた本は少し嵩張る。これだから雨は嫌いなんだ、独り言ちて、ふと以前にも同じ言葉を発したことがあることを思い出した。


一雨来そうだな。曇天を見上げてぼやいたのは男だった。同じように空を見上げた女が、荒れそうだねえ、と同意する。街を出たばかりだった。後方には建物の姿が見える。今から戻れば本降りになる前に建物の中へ避難することはできるだろう。街へ戻りましょうか、少女が街を振り返りながらそう言って、随分離れたところにイクシフォスラー停めたしね、と女が言う。移動の要である飛行艇はその出で立ちからとにかく目立つ。物資の補給で街へと降りるときは街から離れた場所に停めることが常だった。今回停めたのは徒歩でも数時間かかる場所だ。満場一致で街へ戻ることを決めようとした、その時だった。
大丈夫、行けるって!底抜けに明るい少年の声が、何の根拠も無くそう言った。頭上では雷が鳴り始め、どう考えても行けるはずはなかった。稲光が走るのとほとんど同時に雷鳴が聞こえてくる。雨雲は僕たちの真上にいた。
行けるはずねえだろうが、男が怒鳴る。そして少年の首根っこを捕まえようと腕を伸ばす。その手をひらりと掻い潜って、誰が一番にイクシフォスラーに着くか競走だ、と走り出してしまった。女たちは呆れたようにその背中を見つめ、男は空振りした腕をそのまま額にやり、やれやれと肩を竦めた。そうして四対の瞳がこちらを向く。どうする、ジューダス。声も無く問われたそれに、僕は眉間に皺が寄るのを感じながら、追い掛けるしかないだろう、と吐き出した。
少年の背中はもう見えない。僕らが慌てて走り出したその数分後に、ぱらぱらと細かい雨が降ってくる。あーあ、やっぱり。女が誰に言うでもなくそう呟いて、いいから走れって、と隣を走る男が言う。肉体労働は好きじゃないのよね、と息を切らすことなく走る女がそう言って、そう言う割には体力あるわよね、と少女が苦笑する。最初から最後まで楽観的な彼らの後ろを走りながら、本当にこいつらと来たら、と吐きそうになる溜め息をなんとか堪えた。雷鳴が轟く。
雨はやがて本降りになり、あっという間に濡れ鼠になった。初めは嫌そうな顔をしていた彼らも、一度ずぶ濡れになってしまえば最早どうでもよくなったらしい。視界を覆う水だけを拭い、分厚い雨雲で暗くなった街道の傍ら、大きな木の下でやたらと明るい金髪が雨宿りしている姿を見つけた頃には見るも無惨な姿になっていた。カイル!男が少年の名前を呼び、ひいと小さく悲鳴を上げた少年の首根っこを今度こそ掴む。そして拳骨。何が大丈夫だ!この馬鹿!僕らの言いたいことを総括した男に、少年はごめんって、と素直に謝罪した。反省しているのかいないのか、少年は、でも、と笑った。でも、なんか楽しいね、こういうの。
少年の言葉にまずは男と女が顔を見合せた。女が理解できないと言わんばかりに顔を顰め、僕は呆れ果てて言葉に詰まる。ただ一人、少女だけは。くすくすと可笑しそうに笑って、そうね、と言った。そうね、楽しい。わたし、こんなに雨に打たれたのはじめて。雷の下を走るのも、稲光を間近で見るのも、こーんなにずぶ濡れになるのも、全部ぜんぶ、はじめてだわ。少女は笑う。釣られたように少年が笑って、だろ!と得意気に胸を張った。
僕は何だか馬鹿らしくなって、一先ず水気を払おうと仮面を外した。隙間に溜まった水がぽたりと落ちる。次に前髪を掻き上げて、皮袋の荷物を覗き見た。暇潰しに持ち歩いている本の端が縒れている。濡れた本は嵩張るのだ。これだから雨は嫌いなんだ。独り言ちて、顔を上げて。僕に集まる視線にようやっと気がついた。くふふ、含むように笑う少年に、何だ、と訊ねる。男と女が同じように笑って、別に、と答える。女が僕の手から仮面を取り上げて、これ改造してみていい、と聞き捨てならないことを言った。やめろ!声を荒らげる僕に少女が遂に声を上げて笑って、雨なのか何なのかわからない、頬を伝う雫を、そっと拭っていた。


ぴしゃりと再び稲光が空を駆けた。過去に馳せていた意識を戻せば窓に映る僕と目が合って、その口端が緩やかな弧を描いていることに、酷くくすぐったい気持ちになる。懐かしいと言うほど昔の話でもない。いいや、時間軸で言えばきっと未来での出来事になるだろう。僕は確かに旅をしていた。ずぶ濡れになって、大きな木の下で雨が上がるのを待って、結局街に引き返すことになって、出たばかりだと言うのにずぶ濡れになって戻ってきた僕らの姿を見るなり宿屋の主人は大袈裟に笑っていて。暖炉の前で揃ってくしゃみをした彼らの後ろ姿を覚えている。ジューダスもこっちにおいでよ。僕を呼んで手招いて、宿屋の主人の厚意で貸してもらった毛布を頭から被りながら、そんなことになった原因の張本人が誰よりも楽しそうに笑っていて。僕は腹の底から湧き上がる感情のままに笑ってしまったことを、覚えている。
雨に濡れて縒れた本の端に指先で触れながら、これだから雨は嫌いなんだ、と囁いてみる。応えるように響く雷鳴が、駆ける稲光が、そうして視界を烟らせる酷い雨が、それほど悪くはないと思っている自分に気づきながら。




マジョリカブルー・レイニーデイ




20200712

backlist topnext


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -