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しんと静まり返った坑道を、奥へ奥へと進んでいく。いつかのような賑やかな声は聞こえない。足音はひとつだけ。暗く湿った坑道の中、足元に転がる小石を蹴飛ばして、小石が水に落ちる音がやけに響いた。右手に持った松明の灯りがぼんやりと辺りを照らしている。打ち捨てられた道具、中途半端に投げ出されたトロッコ、転がる靴、人がいた気配。設備は生きている。坑道が栄えていたのはもう随分昔のことだ。昔と言うには少しばかり近い過去。僕がそこを訪れるのは二度目、いいや、三度目だった。
いいものを見せてあげる。微笑んだ彼女に連れられて、まだ人がいた頃のここに訪れたことがある。鉱石を掘っているのはノイシュタットの人間だった。オベロン社の社員の指示に従って、体を泥塗れにしながらもどこか楽しそうに働いている。彼女を見かけた鉱夫は、弾んだ声で彼女の名前を呼んだ。彼女はそれに手を振り返す。
働き口が無い人を呼んだのだ、と彼女は言った。オベロン社は人手が足りない。そしてノイシュタットには働きたい人がいる。私たちにとっても彼らにとっても悪い話ではないでしょう。彼女の言葉に、当時の僕は何と答えたのだったか。記憶を引きずり出す。そうだ、丁度この辺り。この辺りで、足元に転がった小石を先程のように蹴飛ばして、僕は笑って、偽善だな、と言った。彼女は僕の言葉に自嘲するように顔を歪めて、それでも、何もしないよりは善でしょう、そう答えた。
彼女はきっと優しい人だった。誰よりもノイシュタットという街を愛して、誰よりもこの世界の行く末を憂いていた。あの時の僕にはわからなかった。彼女が何故劇薬を選んだのか。いいや、わからなかったのではない。知ろうとしなかった。僕にとっての世界はちっぽけなもので、彼女が見ている世界と僕の見ている世界は、確実に違っていたから。
坑道を奥へ。緩んだ壁を剣の柄で突けば、呆気ないほど簡単に崩れ落ちた。奥の方から涼やかな風が吹き、坑道の中の湿った空気を掻き回していく。地面に転がる小箱を持って、あの時、彼らは何を話していただろうか。あの時と同じようにそこに在る小箱の蓋を開けて、僕はその中の鉱石に触れる。つやつやと光沢を放つその石を、兵器だと言ったのは確かに僕だった。
風が吹く。光に導かれるように歩を進める。岩の間から差し込む光。それに照らされてひっそりと咲き誇る花々。清廉に流れ落ちる水。ざあ、ともう一度風が吹いて、花弁がひとひら、僕の前に舞い落ちた。
ねえ、リオンくん。どうしてこうなっちゃったのかしら。いつか彼女が漏らした弱音だった。私はこんなこと望んでいなかった。望んでいなかったはずだった。でも、もうわからないの。私はどうしたらみんなを幸せにできたのかしら。どうしたら私は幸せだと感じることができたのかしら。前に進まなければよかったのか、諦めればよかったのか。世界は変わらないと言い聞かせて、黙っていれば、或いは。みんなが幸せになれる道が、あったのかしらね。その時の彼女の表情を、僕はもう、思い出すことはできない。知り合って随分と長い時間が経っていた。それでも僕は彼女をわかろうとはしなかったし、彼女もまた、僕に理解されることを求めてはこなかった。
一歩、二歩。さわさわと揺れる花を踏まないように、ゆっくりと歩く。奥に何があるか知っている。僕は、彼女が何を望んでいたのか知っていながら、知らないふりをすることを選んだ。大切なものを守りたい。きっと僕と彼女の願いは同じだったはずなのに。
なあ、イレーヌ。石碑に触れて、僕は笑う。お前はどういう死に方をしたのだろうか。戦いに敗れてそのまま、とは考えにくい。あいつらがそんなことを許すはずがないからだ。となれば、お前が選ぶ道はひとつしかないだろう。自ら死を選ぶ。僕と同じくして。石碑に刻まれた言葉は、あの時、男が読み上げたものと一言一句変わらない。彼女の願いは変わらない。ずっと変わらず、ここにある。
イレーヌ、知っているか。僕は石碑に刻まれた彼女の想いをなぞりながら、彼女に問い掛ける。十八年前に理解されなかったお前の願いを、想いを。受け取って、掬い取って、その想いは嘘じゃなかったのだと、だからここは宝物みたいに綺麗なのだと、そう言った人間が居たことを。知っているか。彼女はくすりと笑って、知るわけないじゃない、と言った。だって私はもう死んでいるのよ。
僕とお前は言葉を交わしはしたが、想いを交わすことは終ぞ無かったな。あの時、話していれば。あの時、お前の目を見ていれば。あの時、彼らから伸ばされた手を取っていれば。あの時、踏み止まっていれば。あの時、本当の想いを、欠片くらい互いに手渡していれば。何かひとつくらい運命は変わって、僕に起きたような奇跡が、お前にも訪れたのだろうか。記憶の中の彼女は笑って、考えたって仕方のないことよ、と僕を諭した。石碑に刻まれた言葉が何度目の未来でも変わらないように、僕と彼女の運命もまた、変わることはないのだろう。
また来る、と僕は石碑に向かって告げる。もう来なくていいわ。彼女の笑う声がする。私が生きられなかった未来を、どうか幸せに生きてね。そんな言葉が聞こえた気がした。僕に、僕だけに都合のいい、幻聴だったに違いない。




紺青に叫ぶ




20200713

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