07
ルーティの依頼を受ける話
小さな箱の扉を開ける。葉書と封筒が数枚放り込まれているそれは、仕事で使っている私書箱だ。
世界中を飛び回っているのならば一箇所くらい確実に連絡が取れる場所を作っておくべきだ。そう言って、ハイデルベルグの郵便局に私書箱をひとつ用意したのはウッドロウだった。職権乱用じゃないのか。思わず苦言を呈せば、友人へのプレゼントだよ、とウッドロウは何でもないように笑う。僕はこの私書箱を、僕が何でも屋を始めてすぐの頃に散々いいように使った罪滅ぼしなのではないかと疑っている。
そうやって半ば無理矢理に作らされた私書箱だが、存外役には立っていた。定期的にハイデルベルグへ立ち寄って中を確認し、急ぎの依頼があればすぐにそちらへと向かえるようになった。先々の依頼も予約という形で受けることができる。初めはこんなもの使うものかと思っていたが、なかなかどうして、使い始めると便利なものだった。
私書箱の中から一枚一枚手紙を取り出して中を確認する。
キャラバンの護衛。害獣の駆除。洞窟の調査。剣の稽古をつけてほしいという依頼。急を要する依頼があればすぐに依頼主の元へ向かおうと思っていたが、珍しく今回はそのような依頼はないようだった。
かさかさと手紙を捲り、お礼をしたいからぜひまた村に立ち寄ってほしい、と書かれた葉書にふと笑う。確かここは、嵐の被害に遭った村の建物の修理を手伝ったんだったか。振る舞われた料理も悪くなかった。
そんなことを思い出しながら最後の一枚の葉書を裏返す。見慣れた字に不遜な内容。
『急ぎの依頼有り。至急クレスタのデュナミス孤児院へ参られたし。』
やけに仰々しく書かれたその文言に、僕は呆れてしまった。毎回毎回飽きないものだ。差出人は書いていない。けれど、もう何度も同じ文字で書かれた手紙を受け取っているのだ。差出人が誰かくらい書かれていなくてもわかるようになってしまった。
手帳を開く。びっしりと仕事の予定が書かれたそれに、ぽっかりと空いた場所がひとつ。
月の半ば。決まって第三の週の初め。それは、この不遜な手紙が届く時期とぴたりと一致しているのだった。
「あ、おかえりジューダス! 今回はちゃんと帰って来られたんだね」
飛空艇に乗ってクレスタへと向かい、街人に捕まりながらもなんとか振り切って孤児院へ。掃き掃除をしていたカイルにそう迎えられた僕は何とも言い難い気持ちになる。黙り込んだ僕にカイルが首を傾げた。
「どうしたの、ジューダス。オレ、何か変なこと言った?」
「……いや、」
歯切れの悪い僕にカイルは尚も首を捻る。やがて、僕が何も言わないと悟ったのだろう。変なジューダス。そう言いながら、カイルは掃き掃除の続きを始めた。気づかれないようにそっと息を吐いて。
「よお! おかえり、リオン!」
後ろから飛んできた大きな声にびくりと肩を跳ねさせてしまった。
「もう少し静かに声を掛けられないのか!」
「え、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど……」
八つ当たり気味に怒鳴ると、僕に声を掛けた張本人、スタンがぽりぽりと頬を掻く。ばくばくと跳ねた心臓が落ち着かない。まったく、この親子ときたら本当に。
「おかえりなさい、ジューダス! 早かったのね!」
「……っ!」
「ふふ、ジューダスったら。いい加減に慣れたっていいでしょう?」
「……そう簡単に慣れるものか」
「あら、わたしはもう慣れたわよ?」
得意気にそう言って笑うのはリアラだった。彼女は僕がここへ来る度に何とも言い難い気持ちになる理由に勘付いている。苦々しい気分で彼女をじっとりと睨み付ければ、彼女は僕の背中を押しながら孤児院の中へと入っていった。抵抗する暇もない。
孤児院に住み始めてからというもの、リアラはどんどん逞しくなっているように思えた。誰の影響だか、考えずともわかってしまう自分がいる。
「ルーティさん! ジューダス、帰ってきましたよ!」
リアラが二階に向かって声を張った。はいはーい、と間延びした声が響いて、階段を下りてくる音がする。
反射的に逃げようと身を捻った。しかし、リアラにがっしりと掴まれた腕はそう簡単に外せそうにない。もう、ジューダスったら。くすくす笑うリアラ。僕は何とかして逃げようと、必死に抵抗し続けて。
「あんたも往生際が悪いわねえ」
その一部始終を見ていたのだろうルーティに、けらけらと笑われた。
「帰ってくる割にはそうやって逃げようとするんだから」
「うるさい! 依頼があると言われたから仕方なく来ているだけだ!」
「はいはい、そういうことにしといてあげるわよ」
僕の目の前にやってきたルーティはにんまりとした顔で僕を見下ろした。負けじと睨み返すが、それは彼女の笑みを深めるばかりだと僕はもう知っている。
結局のところ、いくら葉書が届いたからといって、その呼び出しを無視すると後が面倒だと知っているからといって、その都度すごすごと孤児院へ赴いている時点で僕の負けなのである。
「おかえり、リオン」
「……」
「おかえりって言われたらなんて返すんだっけ?」
ぐう、と喉の奥から唸り声を捻り出した。なんですって? ルーティがわざとらしく僕の口元に耳を寄せる。いつの間にかカイルとスタンまでやって来て、僕とルーティのやり取りを眺めている。リアラは未だに僕の腕を掴んでいる。
四面楚歌。どこにも逃げ場はない。助けも求められない。口を開いては閉じて、さっさと言ってしまえば楽になるという気持ちと、それでも襲ってくる羞恥心と葛藤して、葛藤して。結局、いつも勝つのはそのどちらでもなく、諦めの気持ちなのだった。
「……ただいま」
本当に声になっていたかも怪しいくらいに小さな僕の声を聞き届けたルーティが、僕の頭をわしわしと撫でた。随分と満足そうな笑みだった。
「はい、おかえり!」
ただいま、というたったそれだけの言葉でひどく嬉しそうに笑う姉の姿を、満更でもないと思っている自分に呆れて笑いが漏れた。姉の笑顔は満更でもないが、素直に出てくるような言葉でもない。こんな気恥ずかしさにリアラは慣れたというのだから、その順応性の高さが羨ましい限りである。
「で、報酬はいくらだ」
本題に入る。依頼内容はどうせくだらないことだ。さっさと報酬の話を始めるに限る。
依頼があると呼び出す割には依頼内容は些細なものだった。孤児院の掃除をしろ、買い出しに行ってこい、夕飯を作れ、布団を干すから手伝え。そんなことでいちいち呼び出すなと怒鳴り散らしてもどこ吹く風だ。いつしか怒鳴ることをやめ、いかに早くルーティからの依頼をこなすかを考えるようになっていた。
その依頼の数々が、理由を作らなければ『帰る』ことのできない僕への気遣いだということくらい、とっくの昔に知っている。
「あんた、お姉様からふんだくろうっての?」
「僕に依頼をするなら報酬は払ってもらわなければな」
いつもの応酬。とりあえずただ働きを要求してくるあたり、強欲の魔女は健在のようだ。ただし僕も譲らない。要するに、交渉に入る前のお決まりのやり取りということだ。
舌打ちをひとつ。ルーティがぴんと人差し指を立てる。
「次の仕事のときにカイルの労力を提供するわ」
「えっ!? オレ!?」
「カイルはもともと僕の助手だ。却下」
「じゃあスタンも付ける」
「いらん」
「酷くないか!?」
さめざめと泣き真似をするスタンの両脇でカイルとリアラが必死に慰めている。くだらない茶番に付き合う暇などない。
五百ガルド。安すぎる。夕飯も付けるわ。どうせまたカレーだろう。なによ、毎回おかわりまでするくせに! 出されるから食べてやってるだけだ! じゃあ今日はあんたの分の夕飯抜きよ! ふん、ではこの依頼の話は無かったことにしていいんだな。
睨み合い。ぐぬぬ、と女性らしからぬ唸り声を上げたルーティは、しばらく僕を睨み続けて、やがて諦めたように視線を逸らした。台所の戸棚を漁り、おんぼろな孤児院に見合わない品のいい箱を取り出す。
「……アイグレッテの高級菓子店のマドレーヌよ。これでどう?」
「それ、こないだフィリアが送ってくれたやつじゃ、」
「あんたは黙ってなさい!」
口出ししたスタンを一喝。あくどい笑みで僕を見ているルーティ。
差し出された箱を受け取った。箱の表面には確かにアイグレッテの有名な菓子店の名前が印刷されている。蓋を開ければ、ふわりとバターの香りが溢れてくる。
「仕方がない。これで勘弁してやろう」
「偉そうに言ってんじゃないわよ! あんたがこれ食べたがってたってリサーチ済みなんだからね!」
僕は反射的にカイルを睨んだ。カイルは下手くそな口笛を吹いてそっぽを向く。それで誤魔化せているつもりなら、随分とおめでたい頭をしていることだ。
いつだったかカイルとリアラと仕事のためにアイグレッテを訪れた際に、あまりのいい香りに店の前で足を止めてしまったのだ。そのことがルーティに伝わったに違いない。
金輪際余計なことを言うなと拳骨を落としておく。悲鳴を上げたカイルが床に蹲って、リアラが慌ててカイルの頭にヒールをかけていた。大袈裟な奴らだ。
「……で? 依頼は何だ」
「荷物持ちよ! あんたの飛空艇でアイグレッテまで行くわよ!」
「断る」
アイグレッテまで連れて行くのは百歩譲って構わないが、こいつと共に街を歩くなど絶対にごめんだ。ありとあらゆる店を冷やかして、やたらと高級なものをせびられて、最終的に財布を奪われ、山のような荷物を持たされる未来しか見えない。
アイグレッテは大きな街ゆえに依頼が入ることも多いのだ。我が物顔で街を歩く女に従わされている何でも屋。そんな姿を依頼人に見られでもしたらどうする。絶対に、絶対にごめんだった。
僕の断固拒否の姿勢を汲み取ったのだろうルーティが、にんまりと笑った。強欲の魔女らしい、心底あくどい笑みだった。
「報酬は前払い制なんでしょ?」
僕の手の中にある菓子箱を指で示したルーティ。その視線を追った僕。箱の中からは、相も変わらずバターのいい香りがした。
「ほらほら、ぐずぐずしない! さっさと行くわよ!」
久しぶりの買い物! 今にもステップを踏まんばかりのルーティの背中に、僕は盛大な溜め息を浴びせた。
報酬を受け取ってしまったものは仕方がない。どうせ断ったって聞きやしないだろう。依頼人に見られたら、あれは依頼で仕方なくと誤魔化してしまえばいいだけだ。そうやってどこに向けてだか言い訳を連ねた僕は、少女のようにはしゃぐ姉の後を追う。
「ルーティ、素直にリオンと一緒に買い物に行きたいって言えばいいのになあ」
「ジューダスも、素直に依頼なんてしなくても買い物くらい付き合ってあげるって言えばいいのに」
僕たちの後ろ姿を眺めながら、スタンとカイルがそんなことを言った。リアラがふふ、と笑う。
「素直じゃないのがあのふたりらしいじゃない」
それもそうだな。スタンとカイルが弾けたように笑い声を上げる。
なんだかんだと昔から仲がいい姉弟だからな。スタンが隣に並んだ僕とルーティの姿に目を細めた。カイルとリアラが、ひどく優しく僕たちを見守っている。幸せそうに、見守っている。
そんな三人のやり取りなんて、僕とルーティは当然知る由もなかった。
バター香るマドレーヌ
20210302