08

夜な夜な声が聞こえる海岸を調査する話




「本当なんですよ何でも屋さん!」

「あそこの海岸、出るんです!」


 海沿いの小さな町に呼ばれ、到着早々に依頼主に喫茶店へと案内される。頼んだ紅茶で一息。頼んでもいないケーキが目の前に出されて顔を上げると、どことなく青ざめた依頼人たちがテーブルから身を乗り出してそんなことを言った。思わず紅茶を飲む手を止めてしまう。


「おい、まさか僕への依頼というのは……

「「海岸の幽霊を退治してください!」」

「オカルト方面は専門外だ」


 専門家に頼むんだな、と一蹴。依頼人である若い男たちが揃ってそんなあと泣き崩れ、喫茶店に居た人々からちらちらとした視線を向けられた。大層居心地が悪い。
 オカルト全般をまったく信じていない僕としては何がそんなに恐ろしいのだかさっぱりわからない。大体、目に見えない何かよりも一度死んで二度も生き返った目の前の男の方がよっぽど恐ろしいだろう。そんなことを知る由もない依頼人たちに言っても仕方のないことだが、言えるものならそう言ってやりたいくらいだった。
 さめざめと泣き続ける男たち。喫茶店の中の人々からの視線も痛い。中には依頼人たちと同じように海岸の幽霊なるものに怯えている人間もいるのだろう。縋るような視線がひとつ、ふたつ。素知らぬふりして紅茶を啜ることもできたのだが、如何せん今この場に僕の味方は誰一人としていない。


「もう何人も海岸でお化けの声を聞いたって言うんですよ……

「ぶつぶつと恨み言みたいなことを言ってるらしくて、みんな怖がってあの海岸に近づかないんです……

「夏になったら恒例の花火大会もあるんですよ? いつも近隣の町の人たちもやって来て盛り上がる一大行事なのに、このままじゃ誰も来てくれなくなっちゃいます……

「俺たち、誰かに恨まれるようなことは何もしてないってのに……

……くそっ! 行けばいいんだろう行けばっ!」


 このまま放っておけば延々と愚痴を聞かされそうで、僕は堪らず声を上げた。途端にぴたりと止む男たちの愚痴。僕を見た彼らの顔はぱあと晴れ渡っている。心なしか喫茶店の人々から向けられる視線も明るいものになった気がする。溜め息。


「ありがとうございます! さすがは評判高い何でも屋さん!」

「ジューダスさんならきっと解決してくれるって、俺たち信じてますから!」


 調子がいい奴らだ。男たちの軽薄なノリに、今頃はクレスタでのうのうと暮らしているだろう金髪と銀髪の二人組を思い出した。こういう人間にも随分と慣れたものだが、一昔前の自分であれば相棒を使って叩き斬っていたことだろう。運が良かったな、と内心で吐き捨てる。
 海岸の幽霊なるものは夜にしか現れないらしい。なんだその都合のいい存在は。思わず口に出して言えば、男たちがきょとんと目を丸くして、お化けは夜に出るものだって相場が決まってるじゃないですか、と答える。まさかそれだけの理由で昼間は調査していないなどと言わないだろうな。続けて問う。その問いにも首を傾げた男たちは、昼間にお化けが出るわけないじゃないですか! と豪快に笑ってみせた。頭痛がする。
 この馬鹿馬鹿しい依頼をさっさと終えて次の依頼に行こうと決めた僕は紅茶を一気に呷った。次いで出されたケーキをフォークで半分に切って口の中へ。残りの半分を更に半分に切って、計三口で平らげる。そのまま立ち上がった僕にぽかんとした二人組は、僕が今から例の海岸へ行こうとしていることに気づいたのだろう、酷く慌てた様子で僕の両腕に飛び付いてきた。


「ジューダスさん! どこ行くんですか!」

「海岸の調査だ」

「お化けは夜にしか出ないんですって!」

「お前たちが気づいていないだけで昼間にも出ているかもしれないだろうが」

「そうやって適当に見回って帰ろうと思ってるでしょ!?」

……

「俺たち本当に怖がってるんですよおっ!」


 再びさめざめと泣き始めた男たち。喫茶店の人々からの視線が痛い。報酬も弾みますから、と弱々しい声で続ける男たちは、声とは裏腹に僕の腕を全力で掴んで放さない。気づけば喫茶店の入口には立ちはだかるようにして店主が立っていた。両腕に依頼人。入口には店主。ぐるりと囲うようにして僕へと懇願の眼差しを送ってくる人々。逃げ場がない。
 はあああああ。長い長い溜め息をつく。何でも引き受けるという謳い文句は考え直した方がいいかもしれないな、と頭の隅で考えた。


…………わかった。夜に海岸だな?」


 夜まで待機するための宿代も報酬に上乗せしてもらうがいいんだな。尋ねると、男たちはぶんぶんと、転げ落ちるのではないかと思うほどに首を縦に振った。町で一番いい宿に部屋を取ってあります! 自信満々にそう告げる依頼人に、最初から夜になるまで逃がすつもりがなかったのだということを悟って深い深い溜め息をついてしまった。そのうち身体中から酸素が無くなってしまいそうだった。


……ちっ」


 そして本当に町で一番大きな宿の、一番豪華な部屋に通されてから数時間。すっかり暗くなった海岸を、僕はひとりで歩いている。
 依頼人を始めとした町人総出で見送られ、期待に満ちた視線を痛く感じながら町を出た僕は噂の海岸へとやってきた。そこで一時間ほど辺りを調査しただろうか。何の変哲もないただの海岸。漂着物は比較的多く、太い木の枝からアイグレッテの有名菓子店のパッケージ、誰が海へ放ったのか錆びた剣や鎧なども転がっている。海流の関係で色んなものが流れ着くんですよ。いつもは町人みんなで片付けてるんです。いつかジューダスさんにも大掃除の手伝いを依頼しますね。依頼人がそんなことを言ったのは数時間前のことだったか。絶対に受けるものかとその場で心に決めた。顔に出ていなければいい。
 薄暗い宵闇の中で大小様々な漂着物を見れば確かに異形に見えなくもない。雰囲気だけで言えば不気味ではある。風や波の音、漂着物が鳴らす音が人の声に聞こえて、何やら幽霊らしきものがいるようだと思い込む人間が後を絶たないのだろう。種明かししてしまえば何とも味気ない。
 調査結果としては充分か、と踵を返した。ざざん、ざざんと打ち寄せる波の音に混じって、──小さな声がした。


……誰かいるのか?」


 声を上げながら、そんなはずはない、と考える。海岸は狭く、一時間もあれば端から端まで往復することができる。その間、僕は人間の姿を見ることはなかった。調査の邪魔になるから絶対に海岸に近寄るなと町人たちにも言い聞かせてある。つまり、この海岸に人間がいるはずないのだ。
 完全に緩んでいた気を引き締め、集中して気配を探る。人間のもの、魔物のもの、動物のもの。どれ一つとして気配は見つからない。いつでも抜けるように腰の剣に手を掛けた。辺りを警戒し、神経を研ぎ澄ます。


──……たく、……つもこいつも……! ……だっ……っ!


 男の声だった。じわりと胸に広がる何かがあった。


──…………


 次に僕の耳に届いたのは歌声だった。特別上手くもなく、文句を言うほど下手でもない。たまに音を外しながら歌を紡ぐ声。その声に釣られるようにして、僕はふらふらと海岸を歩いた。
 歌は頻繁に途切れ、合間に愚痴のような言葉が挟まった。最近の人間は度胸がない、だの、声を聞いただけで逃げるなんて何事だ、だの、そんなことを訥々と話している。誰かと会話している様子はない。ただの独り言。
 やけに年季の入った様子の独り言だった。


『あーあ。それにしても本当に暇だな。僕に近づいてくる奴らを脅かそうにも僕の声が聞こえる奴なんてほとんどいないし。歌うくらいしかやることがないよ』


 僕は海岸を歩いた。漂着物の山を掘り起こし、浅瀬を歩いて、隣接する森へも入り込む。それでも声の主は見つからない。
 特別上手くもなく、文句を言うほど下手でもない歌声が、今でははっきりと聴こえていた。不思議と心が凪いでくる。きっとそれは、幼い頃から続いた条件反射のようなものだった。


 海岸の端。小高い岩間に、月明かりを浴びて銀色に光る一振りの剣があった。


 歌は続く。歌はこれくらいしか知らないんです。それに下手くそですし。そう言って苦笑した彼に歌をせがんだのはいつの頃だっただろう。歌をせがまなくなったのは。代わりに彼と話をするようになったのは。いつからだっただろう。思い出せないのであれば声の主に尋ねてみればいい。僕より僕のことを知っている、声の主に。


「その下手くそな歌をやめろ」

『下手くそだって!? 失礼な! これでも僕のオリジナルは地上軍一の美声と呼び声高かったんだ、ぞ……?』


 岩間に突き刺さった剣に触れ、一息で引き抜いた。長い間海水に晒され、挙句岩間に挟まっていたというのに、その刀身は僕が知るものから一切衰えてはいなかった。


「そうか。帰ったらハロルドに確認するか」


 剣の柄に埋め込まれたレンズが光る。その光に、僕は笑った。あまりに目に慣れた光だった。


『坊ちゃん?』

「ああ」

『本当に? 本当に坊ちゃんですか?』

「なんだ、この短い間でもう僕のことを忘れてしまったのか?」


 繰り返し、繰り返し僕を呼ぶ声。確かめるように何度も何度も。疑うようなその声に、僕は薄情なソーディアンだ、と笑ってしまった。
 坊ちゃん、と落とされる声。ふるふると震えるそれに応えるように、レンズに、ソーディアン・シャルティエのコアクリスタルに、触れる。
 まるで流れ星のように眩く光ったコアクリスタル。或いは、月の光に照らされた涙だったかもしれなかった。


……ああ、坊ちゃんだ。僕の、エミリオ坊ちゃん……っ!』


 シャルが僕を呼ぶ。懐かしいはずのその声にひどく安心する。還ってきた、と思った。僕の元へ還ってきたのはシャルの方のはずなのに、僕はようやく、この世界に還ってきたのだと、そう思った。


「おかえり、シャル」


 ただいま、と付け加えた言葉は口にはしなかった。今は、シャルの口からその言葉を聞きたかった。


『はいっ! ソーディアン・シャルティエ、ただいまマスターの元へ帰還しました!』


 きっと姿があったなら涙でぐしゃぐしゃになった顔で笑っていただろう彼に、もう一度おかえりと囁いた。荷物の中から柔らかい布を取り出して、コアクリスタルを、そして刀身を丁寧に拭う。あっという間に僕の知る輝きを取り戻した彼を外套に包んだ。どこかで鞘を調達しなければ、と思う。


「シャル。お前、海岸を訪れた人間を暇潰しに脅かしていただろう」

『ぎくっ! ど、どうしてそれを坊ちゃんが……っ』

「お前が悪戯するせいで僕が幽霊退治なんかを依頼されるんだ。幽霊なんているはずないというのに」

『えー、僕は信じてましたけどね、幽霊。節電のために灯りを落とされたラディスロウはそりゃあもうおどろおどろしくて……

「そういう話をしているんじゃない。僕に余計な仕事をさせるなと言っているんだ」


 ソーディアン・シャルティエの居るべき場所は、こんな海岸の岩間でも、僕の外套の中でもない。彼の居るべき場所は太陽の下だ。


『坊ちゃん。坊ちゃんのお話を聞かせてくださいよ。今までどうしていたのか。何をしていたのか。楽しかったこと、嬉しかったこと、何でもいいです。僕と坊ちゃんがこんなに離れるなんて初めてのことでしょう。だから、ね、坊ちゃん。僕に話をしてください』

「ああ、わかったよ。この依頼の報告が終わったらな」


 そして、彼が居るべきは、変わらず僕の隣なのである。




紅茶とケーキと高級宿と、それから




20210324




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