我儘
「やだやだ!!どうして!?やーだー!!」
仕事終わり。
聞こえる声に、思わず耳からスマホを遠ざけた。
「ごめんってば。仕方ないやろ、行かんといけんのよ。」
「やーーだ!!約束したじゃん今夜は僕と一緒って!」
思わずため息をつきそうになって、どうにか堪えた。
この駄々が自分の娘だとか甥っ子とか、子供のおねだりなら可愛いものだが、問題はこれが30手前で身長190超の男のわがままだというところだった。
しかも、大真面目な。
五条悟は、そういう男だ。
それを分かってて付き合ってるのは、私なんだけど。
事の発端は約30分前。
どうしても断れない飲み会が入ってしまってそれを電話で彼に伝えたところ、この調子になってしまった。
それからずっと、電話での押し問答だ。
彼がここまで駄々をこねる理由はただ一つ。
自分の誕生日を祝って欲しいのだ。
教え子もいれば同僚もいるだろうにそれを退けてまで私と居ようとしてくれるのは彼女の特権なんだろう。
嬉しくない訳じゃない。
それでもこうもわがままをおされると、面倒になってくる。
……人間だもの。
「ねえ名前、帰ってきてよ。
僕誕生日だよ?それよりも上司との飲みが重要なの?
私と仕事、どっちが大事なのよ!!」
かちん。
「悟に決まってんでしょ!!
つかジャンル違う2つを比べんでくれる!?
10時半までには帰ります!!」
スマホに叫んでぶつりと電話を切った。
やっちまったと思わんでもないが、あのままでは電話で夜が明けてしまう。
仕方ない、仕方ないと言い聞かせて、私はみんなの元へ小走りで向かった。
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まずい。
これはかなりまずい。
上司に愛想笑いをしつつ腕時計をチラッと見ると、そろそろ11時になろうとしている。
もうこの辺で、と言いたいところだが、同僚が妙に盛り上がってるのでそれも言い出せずにいた。
早く帰りたいんだけどな……
「おいー、お前も飲んでんのかー?」
「車だから飲めないってば……」
グラスに無理やり酒を注ごうとする同僚の手を押し返す。
なんだよ、ノリわりぃなあ。なんて言われながら、私は小さくため息をついた。
全く、ため息なんて何度目だ、今日。
もういい加減。
そう思って口を開いた瞬間。
居酒屋の個室の戸がびしゃんと音を立てて勢いよく開かれた。
全員が勢いよくその方向を見上げる。
「なんだお前は!」と上司の声に私も視線を向けると、
そこには見慣れた高身長が立っていた。
「ふっふっふ、なんだお前はと言われたら、答えてあげるが世の」
「悟!!!???」
がたがたと音を立てながら座敷を立って走りよる。
とりあえず背中を押して座敷から追い出すと、少し離れたところで彼に詰め寄った。
「ちょっと、何してんの!?
そもそも何で場所が、」
「30分遅刻して心配したから、迎えに来ちゃった。」
嫌味ったらしく首を傾げる彼に更に詰め寄る。
「だからって仕事の場にカチコミ入れるアホがどこにおんのよ……!!」
「ここにいたね。
ってか名前、カチコミなんて古風だね。
元ヤン?」
「うっさい!!」
思わず声を上げた私を、その瞬間、今度は彼が壁に押し付けた。
しー。と、人差し指で口を押さえられて、ふっと笑われる。
「美味しいケーキ買って帰ろうよ。
この時間にあるかは分からないけど。」
そのまま彼の唇が、耳元に寄せられる。
指が絡んで、顔が熱い。
すぐそこに、職場のみんないるのに。
「早く、食べちゃいたい。」
ちゅ、と音を立てて耳に熱が触れる。
囁かれた言葉に腰が砕けかけて、はっと我にかえった。
「あ……っ、んた、騙そうとしても無駄だからな……!!」
「あちゃー、ダメだったか。」
べ、と舌を出した彼に、やれやれと首を振る。
もうどうにでもなれ。こうなればさっさと抜けてやろう。
そう思って踵を返すと、彼が私の手を引いた。
「でも、嘘じゃないよ。早く抜けておいで。」
夜の11時を回った頃。
彼との長い誕生日の夜が始まる。