拾参 子建八斗
一連の流れを、俺は一歩後ろから愕然と見つめていた。
そんなに苦戦するようなレベルじゃないデカいだけの呪霊。
だが、いつ崩れてもおかしくない腐った床と天井が二次災害を巻き起こし兼ねない状況を鑑みると、どうも大胆に動けない。
おまけにひとつ上の階にはまだ実力が未知数な苗字がいる。
あの様子だと呪霊を祓うことにはあまり慣れていないだろう。
そう思っていた。
見事な技の組み立てと大蛇を使っての安定した着地。
しまいにはあの術式だ。
浴びせた血液に流れていた、あの不自然な呪力。
あの独特な力の流れが技に独自のダメージ形態を創り出していた。
しかしあれはまるで、あとから無理やり付けたような……
「……いってぇー……」
考え込んでいるところで、苗字の声にハッとした。
「苗字、大丈夫か!」
「うん、大丈夫!ぜんぜん平気。
伏黒くんこそ大丈夫?」
困ったように笑う苗字の手から、ぼたぼたと血が垂れる。
何が大丈夫だ。平気な訳無いだろ。
「馬鹿言うな。」
ポケットに手を突っ込んでハンカチを取り出す。
無理やりその手を取って結び付けると、「いでで、」と苗字が顔を顰めた。
「俺は何もしてない。」
「そんな事ないよ。ほら、大蛇もすごく頑張ってくれたし。ね?」
苗字に撫でられた大蛇が満足気に目を細める。
「ありがとう。キミ達と伏黒くんのおかげだね。」
またこれだ。
まるで自分の存在は意味を成さなかったみてえに他人ばかりを評価して、自分の事は二の次三の次。
「お前は……」
口を開いたその時だった。
ミシッ、
足元の床が軋んで、それが連鎖して建物自体がガタガタと揺れ始める。
「マズい、崩れるぞ!」
「ちょっ、ええっ!?」
入口からはそう遠くない。
せっかくひと仕事終えたってのに。
クソっ、面倒臭ぇ……!!
「鵺ッ!」
鵺が俺の背中を掴む。
目の前の苗字を抱き寄せて地上階までぐっと上がった。
「走れ!」
「走ってる!!」
鵺が俺たちを降ろしたと同時に苗字の手をぐいっと引っ張って入口の方に投げる。
勢いのまま建物から飛び出した苗字が盛大にずっこけたのを視界に捉えつつ自分もスライディングで滑り出した瞬間。
すぐ後ろで建物がガラガラと崩れ去った。
「……せ、セーフ……」
「気配も無い。完了だな。」
頭から土埃を被ってしまいうんざりしつつ、少し向こうで待機してる伊地知さん達の元へ、俺らはのそのそと歩き出した。
「なんかアンタたち、ハリウッド映画みたいになってたわよ。」
ひとしきり砂を払って車に乗り込んだ俺たちに、釘崎が半笑いで呟く。
助手席からちょうどミラーで見えるその顔にイラつくが、我慢しよう。
「伏黒がこんなになってるの、ちょっとレアかもな。」
「貶してんのか」
「いてててて!貶してねぇって!!」
引っ張った耳を摩る虎杖の隣で、釘崎が苗字の怪我に気が付いた。
「名前、あんた……その手、大丈夫なの?」
「うん。帰ったら治してもらうから大丈夫だよ。」
伏黒くんのハンカチやばいことになってるわ……とひとり焦る苗字に、ルームミラー越しに声をかける。
聞きたいことは、山ほどあるんだ。
「苗字。」
「うん?」
「お前の術式、一体何なんだ?
赤血操術にしては鉈(ナタ)も浴びせ倒しも呪力の流れが不自然だし、ネコダマシの説明がつかない。」
目を逸らしたら自分の事なんてと逃げられる気がして、その目をじっと見つめる。
すると苗字は、「あー……」と渋々と言ったように口を開いた。
「私の術式……爆分(ハゼワケ)は、自らの身体の一部を切り取ることで相手にダメージを与える。
切り取った身体の一部が生命活動に重要であればあるほど強力になるの。
だから髪や爪はせいぜい目眩しだし、極論を言うなら、私が術式を発動させることが出来さえすれば、心臓なんかの大切な臓器なんかはバカデカい爆弾になる。」
つまり、自分を削ってやっと初めて相手に攻撃できる術式……ってことか。
……苗字らしいな。
「苗字、相撲好きなん?」
「ああ、術式の名前の話?そうだよ。
前通ってた高校の相撲部がめっちゃ強くてね。
私もちょっとだけ詳しくなったから、ネコダマシも鉈も名前はぜんぶお相撲から。」
走り出した車の中。
後ろで繰り広げられる虎杖と苗字の相撲談義を聞き流しながら、達成感なんてひとつも感じないまま俺は目を閉じた。