暑中見舞い
「あっっっつ……」
「暑いな……」
照りつける太陽、砂を含んだ熱風。
だくだくと止まらない汗と、結露でコンクリートを濡らすペットボトル。
けたたましく鳴き喚き散らすセミたちに怒鳴り散らかす元気もなく、私は非常階段を覆うひさしの下に寝転んだ。
「おい、そんなところに寝たら汚れるぞ。」
「もう汗と土でとっくにでろんでろんよ。」
そんな私の隣でため息をついたのは、黒いつんつん髪の幼馴染。
元の肌が白いからか火照った頬が妙に目立って可笑しいけど、それを笑う気力もない。
「うおおお、冷てぇぇ!!」
向こうの廊下前にある水道で髪を濡らして叫ぶ虎杖の声に、彼は小さく笑った。
「元気だねぇ。まさに風の子って感じ。」
「風の子というよりも、どちらかというとお日さまの子って感じじゃないか?」
「言えてる。」
"お日さまの子"、ねぇ。
身体を起こしてそっちを見やると、頭を振って乾かすそいつ。
「……犬だな。」
「私もそれ言おうと思ったわ。」
気付けば学校での生活もすっかり慣れた2年生の8月のある日。
頼れる先輩と心強い後輩に挟まれた私たちは、負けずに京都校との交流会で活躍すべく着々とコンディションを整えていた。
「ほら。」
「さんきゅ。」
彼が差し出したタオルを受け取って、顔を拭う。
ほい。と返すと、受け取った彼はそのままお淑やかに汗の滲む額を拭った。
お互い、昔からずっとこんな感じだ。
学校ではクラスが尽く被り、家も目と鼻の先。
私の家族も恵とお姉さんを気に入っていて、時にはご飯を作って持って行ったり。
「呪術高専に行く。」
そう私に言った彼は、二言目に「お前も来るだろ。」と言った。
文字通り、ずっと一緒。
いつしか彼は一人っ子の私にできた双子の兄弟のような存在になっていった。
津美紀さんが寝たきりになったあとは、尚更。
「あんたたち、本当仲良いわよね。」
「ああ、野薔薇ちゃん。」
自販機の影からひょっこり顔を出した野薔薇ちゃんが、アクエリをがぶ飲みしながら私の隣に腰掛けた。
「野薔薇ちゃんも休憩?」
「そりゃそうよ。そもそもこんな暑い中身体を動かそうってのが正気じゃないっつの。」
「いやほんっと暑いね。」
「まさに夏到来って感じね。」
軽く手で彼女を扇ぐと、野薔薇ちゃんは「ありがと。」と笑う。
美人はどうやらいつでも美人だ。
「伏黒ー!!手合わせ頼むー!!」
声に顔を上げると、灼熱の太陽の下ぶんぶんと手を振る虎杖の姿。
呼ばれた恵はため息をついてから、お茶を二口ほど流し込んで私に手渡す。
「……名前、これ持っててくれ。」
「あいよぅ。」
その指先がそのまま流れるように軽く私の髪を撫でた。
「勝手に飲んでいいからな。倒れるなよ。」
「はいはい。恵もね。」
手を振って彼を見送る私。
それを横目に、野薔薇ちゃんがまたアクエリを口にする。
「名前。あんた、伏黒に何か無いわけ?」
ふと思い立ったように、足を組んだ野薔薇ちゃんが首を傾げた。
「何かって?」
「んー……恋心?」
「ぶふっ、」
「うわ汚っ。」
斜め上から彼女の言葉が私の脳をぶん殴ってきて、私は思わず吹き出した。
いや、恵に私が?恋心??
「なにそれ。無い無い。」
可笑しくって、笑いながら首を振る。
しかし野薔薇ちゃんはいたって真剣だと言うように私を見つめた。
「少なくとも伏黒の方は、あんたを随分特別扱いしてるように見えるけど。」
「そりゃあまあ、幼馴染だから。」
私の言葉に、野薔薇ちゃんは「うーん。」と小さく唸る。
そして、顔を上げた彼女はにやりと不敵に笑った。
「果たしてあっちはそう思ってるかしらね。」
「えっ、待って何それ、」
「あっ!真希さん!
じゃあね名前、さっさと自覚しなさいよ。」
「ちょっ!野薔薇ちゃん!!??」
駆けていく茶色のストレートヘアを、唖然としたまま見つめる。
恋心って、いやいやいや……
「全く、何なんだ……」
なんだか動悸が止まらなくて、手元のペットボトルのキャップをひねる。
お茶でも飲んで落ち着こう。
きっと少しビックリしただけだ。
そうに違いない。
そうして蓋を開けて、ボトルを傾けて、その縁が口に触れる直前。
私の手は、ぴたりと動きを止めた。
これ、さっき恵が口付けたペットボトルだ。
……いやいやいや、だから何だ。
別にただのお茶だし。
恵が口付けたからって、一体何だって言うのよ。
それでも頭を過ぎるのは、こくりとお茶を嚥下して上下する喉仏と、白い首筋。
それからあのしなやかな指が私の髪を掬った感覚。
優しく笑った顔に、私を気遣う言葉たち。
咄嗟に、シャツの胸元を掴んだ。
ばくばくと心臓が音を立てて仕方が無い。
こんなの、まるで、
『んー……恋心?』
「……嘘でしょ。」
それでも、そう仮定すると辻褄が合いすぎた。
彼氏ができても長続きしなかった。
恵に彼女ができた時は何だか気分が沈んだ。
隣で笑う彼に安心して、私に触れる指先に心が躍った。
双子の兄弟みたい、なんて、本当はずっと、そんなのじゃなくて。
セミの鳴き声が、遠くに聞こえる。
照りつける太陽も、砂を含んだ熱風も。
だくだくと止まらない汗さえどこか他人事で。
結露でコンクリートを濡らすペットボトル。
私はついに、そのボトルに口をつけることはできなかった。