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そこには深紅の雫石

 ダイゴとお揃いの指輪を左手の薬指にはめて、今日で1年になる。

 今、仕事から帰ってくるダイゴをキッチンに立って待っている。今日のディナーはいつもより気合を入れて、ちょっと高めの材料を揃えた。その食材たちを並べて、本当に今日が結婚記念日なんだなぁという特別感で心が躍っている。義理のお父さんからもらった赤ワイン、私が友だちからもらった赤ワイン、普段なら買うことに躊躇してしまうお肉、などなど。

 すると、エプロンのポケットに入った携帯電話が鳴った。画面を見なくても、音を聞くだけでダイゴからだとわかる。

「もしもし?」
『もしもしnameちゃん?今会社を出たところだよ。あと30分くらいかな?』
「うん、わかった。美味しい料理作って待ってるからね」
『嬉しいなぁ。もちろんボクがリクエストしたあの料理だよね?』
「もちろん!そのために特別な材料買ってあるんだ」
『うわぁ楽しみだなぁ!なるべく早めに帰るからね』
「うん、気をつけてね」

 通話を切って、さぁ料理開始。ダイゴがリクエストしたのは、パスタを赤ワインで茹で、その上にトッピングするローストビーフも赤ワインで焼いた、赤ワインローストビーフパスタだ。最初は変わったレシピだなぁと小さな好奇心で作ったものだったけど、ダイゴにとってどストライクな味だったらしい。だから、今日の結婚1年記念日でも作ってねと頼まれたのだ。

 そう言われてとっても嬉しいし、もっと「美味しい」って思ってほしい。いつも料理を作るときはそう言って笑ってくれるダイゴを想っている。今日は「いつもより美味しいね」と言ってくれるといいなぁと、牛肉に塩コショウをまぶしながら思った。




 メインディッシュ以外の前菜、サラダ、スープを作り終えて、あとはパスタを茹でるだけになったとき、玄関から「ただいまー」とダイゴの声がした。「おかえり」の声が自分でもわかるくらい明るくなる。小走りで玄関まで迎えに行くと、自然ともう1度「おかえり」と言う。仕事で疲れたダイゴのスーツが少しよれてる気がしたから…いつものことと言えば、いつものことなんだけど。それでも、ダイゴは「ただいま」と笑って答えてくれる。

「お疲れさま」

 と言ってバッグを受け取ろうとしたとき、ちゅっと軽いリップ音をたててキスされた。そして「はい、これ」と小さな白い箱を渡された。見覚えのある箱だ。

「デザートに食べようと思ってね」
「あ、ありがと…」

 美味しいと評判のケーキ屋さんの箱だ。数時間前に同じものを私は見ている。

 「じゃあ着替えてくるね」と、呆然とする私を横目に、ダイゴはクローゼットのある寝室へ向かった。もう1度箱を見て、まぁいっかと呟き、料理を仕上げるためにキッチンへ戻る。




 テーブルに並べられた料理、特に赤ワインパスタを見て、ダイゴは「うわぁおいしそう!」と声を弾ませた。前に作ったものよりも、パスタが鮮やかな赤ワイン色に染まっているからだ。もちろん、作った私は鼻が高い。

「じゃあ、結婚1年記念を祝って乾杯しよう」
「うん」

 結婚したときにお義父さんから頂いた赤ワインのボトルが開けられ、華奢なワイングラスが深い赤色に彩られる。そして、カチンとグラスを鳴らして一口飲んだ。

「うん、美味しいし飲みやすい!」
「チェリーのような香りにシルキーな口当たり。さすがは親父、いいワインをくれたね」

 まるで詩のように紡がれた言葉で、私とダイゴの教養の違いが顕著になる。私がもともとお酒を飲まないのもあるけど、すらっとそんな言葉が出てくるダイゴは、やっぱりスマートだ。

「パスタに使ったワインは?」
「ううん。私が友だちから誕生日にもらったものなの」
「そうなんだ。今度そっちも飲んでみようかな」

 と赤いパスタを咀嚼して飲み込んだダイゴの顔が一瞬の内に輝く。「前よりも美味しいよ!」と言葉で言わなくても、その顔だけでわかる。「さすがはnameちゃんだね」と褒められて心が一気に躍り出す。がんばって良かった!嬉しい!そんな前向きな言葉で心が満たされる。私も一口食べると、赤ワインの味とアクセントのレモンが良い味を出していた。




 テーブルにあった料理は完食された。私もダイゴも大満足だ。「ごちそうさまでした」と手を合わせたあと、「ケーキ食べようよ」とダイゴがうきうきと笑っていた。

「あぁ、そ、それがさダイゴ…」

 冷蔵庫を開けて2つの同じ箱を出してダイゴに見せると、笑顔が一瞬できょとんとなった。直後、ぷっと吹き出した。そう、買い物に出かけたときにダイゴと同じくデザートがいるよねと、いつもの美味しいケーキ屋さんに寄ったのだ。考えることは一緒なんだなぁと先に私が玄関で思い、ダイゴも今、同じ気持ちになった。思いがシンクロした。

「nameちゃんも買ってたんだね」
「うん。ここのケーキおいしいから今日は絶対いるよねって思ってたの」

 と、ダイゴが買ってきた箱を開けると、またまた見覚えのあるケーキが2つ並んでいた。私が好きなショートケーキと、ダイゴが好きなチョコレートケーキ。中を見た瞬間の私の顔で悟ったのか、ダイゴは私が買ってきた箱を開けた。そしてまた笑った。なぜなら、お互いが買ったケーキが一緒だったからだ。

「ここまで考えることが一緒とはね」
「私もびっくり」

 だけど、考えることが一緒なだけで、こんなに幸せで満ち足りた気持ちになれる。心が温かくて、ぎゅうっと優しく大切に抱きしめられているような気持ち。ふふふっと思わず零れてしまう。




 ケーキは1種類ずつ2個食べることになった。思わぬサプライズの甘い幸せに浸っていると、ダイゴの携帯電話が鳴った。これは電話が来たときの音だ。画面を見て「会社からだ」と呟いたダイゴは、ごめんと早口に言って、通話しながらキッチンから去っていった。いつも会社から電話がくると、なかなか通話が終わらない。パタンと扉が閉められると、急に寂しさの波が押し寄せてくる。さっきまでこの上ない幸せに包まれていたのに、心の隅で懸念していたことが現実になると、「そのときは仕方ないよね」と張っていた予防線がプツンと切れる。

 会社の重役で次期社長と言われているダイゴが忙しいのは知っている。それを承知でダイゴからのプロポーズを受けて、彼の希望を受け入れて専業主婦になった。だけど、こんな日まで干渉しなくてもいいのにと思う。心の余裕がないダイゴに、仕事から遠く離れたところで休む時間を少しでもあげてほしい。そして、なるべく2人で過ごす時間が増えたらなぁと思う。だけど、甘いんだなぁと思い知らされた。幸せで膨らんだ心がシュー…と少しずつ萎み始める。心と心が離れて、少しずつ冷たくなる。

 カタン、とお皿に乗せたフォークが音をたてた。

「nameちゃんごめんごめん」

 と声がしたかと思うと、ダイゴがキッチンに戻ってきた。いつもならまだ時間かかるのに…と不思議に思っていると、突然目の前に花束が差し出された。この匂いは…バラの花だ。

「はい。結婚1年めの記念として」
「え、で、でも…」

 まだ頭が追いつかない。ダイゴは仕事の要件での電話で出ていったのに、帰ってきたらバラの花束を持ってきて。

「ごめんね。会社からの電話はウソ。タイマーで予めセットしていたんだ」
「じゃあ、この花束は…?」
「それは秘密にさせてよ。ボクからのお願い」

 唇と唇が重なった。何百回と重ねてきたキスだけど、いつもキスのあとは明るい気持ちになれる。にっこりと笑うダイゴを見たあと花束に目をやると、赤、白、ピンクのバラと白い小さなかすみ草が目に飛びこんできた。予想してもなかったサプライズに、自然と笑顔が零れた。バラもかすみ草も、何もかもきれいだ。

 花束に添えられているメッセージカードには、英語で『心からの愛』と書かれている。数えてみると、バラは21輪あった。沈みかけた心が一気に軽くなって感激していると、花束の奥に何か小さな箱のようなものを見つけた。

「あ、見つけたかな?それがボクからの、本当の1年記念のプレゼントだよ」

 上品なスカイブルーのケースを開けると、真っ白に映えるワインレッドの宝石が露わになった。

「それはガーネットなんだ」

 ダイゴが石好きなおかげで、私は石の話を何度も聞いている。洞窟にあるような鉱石から、このような煌びやかな宝石まで。ガーネットの宝石言葉は『秘めた情熱』、そして『信頼と愛情の宝石』だと何度も教えてもらった。

 バラの花言葉、本数、ガーネットの宝石言葉…。全てをつなげると、この上ない幸せの波が押し寄せて目から溢れだした。

「わっ、泣かないでnameちゃん」

 この湧きあがる気持ちを上手く表現できる言葉が見つからない。私はこの人からこんなにも愛されているんだなぁと言う嬉しさと、幸せと、感謝の気持ち――こんなありふれた言葉しか思いつかない。だけど、いろいろと飾るよりもシンプルな言葉の方が、ストレートに気持ちを表してくれる。

「だって、嬉しくて…」
「そっか。そんなに喜んでもらえると、ボクも幸せだよ」

 これはネックレスなんだ、とダイゴはケースからガーネットを取り出した。ゴールドの繊細なチェーンが私の首につけられると、ダイゴは満足げに「やっぱり、似合う」と呟いた。

 あなたが笑うと私も嬉しいし、幸せ。たくさん愛を注いでくれるあなたに私ができるのは、この溢れる愛に愛で応えること。帰りを待つ、美味しいごはんを作る、掃除をする、洗濯する。そして、1番は…彼に感謝すること。

「ありがとう、ダイゴ」

 いつもの『ありがとう』よりも優しくて明るい気持ちに満ちている。いつもより笑って言えたかな?

「こちらこそ、いつもありがとう。これからもよろしくね」

 ダイゴも幸せそうに笑っている。

 このガーネットの深い赤色のように、深く一途にダイゴを愛しよう。1年先も10年先もずっと先も、2人が同じ気持ちでありますように。

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