唯一無二の王子様と天衣無縫なお姫様

強くなるためにはこれしかない

 ナトリーの国の子どもたちは早起きだ。学校の始業時間よりもうんと早く登校して授業を受けるためだ。それは王族のナトリーも例外ではない。学校と同じタイムスケジュールで家庭教師が授業を進める……もちろん始業前の授業も漏れなく。ナトリーはこの制度が大嫌いだった。これのおかげで国の学力がぐんと上がったとは言い難い上に、何よりも関係者への負担が著しい。教師は準備のために子どもたちよりも早起きしなければならない。ナトリーの家庭教師も「毎日の早起きが辛い」と思わず零したことがあるくらいに。こんな意味の無い制度なんて早くなくなってしまえと、午前中の授業を終えたナトリーは自室のベッドに突っ伏した。

「私が女王になったらまず早朝授業の制度をいち早くなくしたい……」

 亡き曽祖父が成立させた制度らしいが、そんなことは関係ない。その女王になるためには国で1番の手練になって国王に認めてもらうのが近道だ。先日の国王である父親とのポケモンバトルでそれは認めてもらえた。だが、ナトリーはそれだけではダメだとさらなる修行を求めてパシオへ行くことを望んでいたのだが、年齢がまだ幼いという理由で何度も断られていた。先日そのストレスが爆発してしまい、それから父親とは最低限の会話しか交わしていない。

(うぅ……眠い……)

 あれこれグルグルと考えていたら眠ってしまいそうだと、重い頭をあげてスマートフォンをポケットから取り出す。調べるのはもちろんパシオのことだ。

 パシオの歴史や創造主はよく知っているが、1つだけナトリーにはわからないことがある。それは「パシオに行くための手段」だ。

(お父様なら何か知っていると思ったのだけど……)

 仮に知っていたとしても教えてくれるわけがない。だから、自力でどうにかするしかない。そのために毎日情報を集めているのだが、ナトリーの調べる限りどこにも載っていないのだ。

 国からパシオへの定期便がないのはとっくに知っているが、ホウエン地方やカロス地方などからもその定期便は出ていないのだ。今パシオにいるバディーズたちはどうやってパシオに行ったのか、それがわからない。いくら調べても出てこない。噂のようなものも、ない。

(これじゃあ……私は……)

 眠気に負けてスマートフォンを持つ手が落ちそうになったとき、ネー!とエネコロロがナトリーの真隣にひょこっと現れた。突然のことに眠気が吹っ飛ぶ。

「え、エネコロロ。いつの間に部屋に来たの」
「ネッ」

 ナトリーが授業を受けているときは、エネコロロは別室でメイドたちに面倒を見てもらっている。お昼休みになるといつもナトリーの部屋に戻ってくるのだが、余りの眠さに意識が半分以上飛んでいて、エネコロロが部屋に入ってくる気配すら感じられなかったようだ。

「はぁ……パシオに行くためにはどうしたらいいんだろうね、エネコロロ……」
「ネッネッ」
「わかってるわ……でも、なんの手がかりもないんじゃ……」

 エネコロロの言う通り、諦めたら終わりなのはわかっている。だが、今は眠い。忌々しい制度のせいで抗えそうにない。寝る前にもう1度だけ調べて何も出てこなかったら寝てしまおうと心に決め、『パシオ どうやって行く』と入力して検索ボタンを押す。過去に何度も調べたキーワード、どうせ結果は変わらない……と眠さゆえに投げやりになってしまう。

 しかし、結果は違った。検索結果の1番上のタイトルを見た瞬間、重くのしかかっていた眠気が全て弾け飛んだ。『パシオに行ってきたレポート〜交通手段もろもろのまとめ』という記事がつい数分前にアップされていたのだ。

「え、うそ……」

 こんな奇跡があるものなのかと半信半疑になりながら、これは夢なのか? さっきまでの半端ない眠気が自分を蹴落とした夢の世界なのか? と半信半疑になりながらも、夢中で読み進める。それはとあるライターがパシオに行ってきたことをまとめているというタイトル通りのレポートだ。ナトリーが調べあげたパシオのことが、ライターが写っているパシオの風景写真と一緒につらつらと書き連ねてあった。

「すごい、すごい……!」

 憧れていたパシオの全てが書いてある中、1番欲しい情報は最後に簡潔にまとめてあった。

「『パシオに行く手段は2つ。1.パシオ関係者から招待されて迎えの交通手段に乗る。2.不思議な輪っかに吸い込まれる』……?」

 1つめの理屈はわかるが、2つめが非現実的で理解できそうにないからひとまず置いておく。

「関係者に招待されるってどうしたら……?」

 記事を書いたライターはパシオの創造者・ライヤーに取材をお願いされて、迎えの船に乗ってパシオに行ったらしい。ナトリーが考えるその条件とは『このライターのような報道関係者』『チャンピオンや四天王などの地方を代表する実力者』『創造主・ライヤーの関係者』だ。自分は国で1番の実力者ではあるが、それがこのライヤーの耳に届いているのか……小国の事情など、ライヤーのような大国の王子が知りうるものなのかは非常に怪しい。可能性は低い。

「じ、じゃあ、この2つめって……?」

 『不思議な輪っか』という言葉がなんともファンタジーで……いや胡散臭い。しかも、記事を書いたライターも『信じられない話だが』や『これは伝聞だが』という枕詞を添えているから一層信用ならない。だが、その他の情報は全て確かなものだから、『不思議な輪っか』も信憑性は少しはあるのだろうか。

「……でも……これしか、ないよね……」
「……ネェ?」

 長考するナトリー、見守るエネコロロ。しばらくすると、考えがまとまったナトリーが意を決したようにすくっと立ち上がった。驚いたエネコロロはクローゼットに向かうナトリーを目で追いかけたあと、ぴょんっとその後を着いていく。

「ネー? ネー?」
「よく聞いてエネコロロ。今から港に行くわよ」
「ネェッ!?」

 クローゼットを開けると、そこはナトリーの私服がひしめいている。スカートやドレスではなく、どちらかというと男の子が好みそうなズボンやシャツばかりだ。このナトリーの動きを見て、エネコロロは彼女が何をしたいかをざっくりと把握した。

「パシオに行くためには船で行くか『不思議な輪っか』に飲み込まれるか。『不思議な輪っか』なんておとぎ話は信じられないから、船で行くしかない。この国に創造主から招待される人がいるかわからないけど……今は『いる』と信じて港に行くしか方法はないの。だから変装して港に行くわ」
「ネェーッ!?」

 ナトリーが変装をして城を抜け出したことは度々あるが、こんな大脱走はかつてない。着替えるナトリーの周りをあたふたと慌てふためくのはエネコロロだ。

「もし、もし、もし、幸運なことに港にパシオ行きの船がいたら……それに乗り込むの。ノンシュガーティーに入ってるお砂糖よりも可能性はないけど、それしか私にはないの」

 1ミクロンよりも小さい希望にすがりつくしかパシオに行く方法がないのだ。帽子を目深に被り、結った髪を入れ込む。伊達眼鏡をかけ、慣れた手つきで変装をあっという間に終わらせた。これで王女・ナトリーは少年の姿に隠される。

「まずいつものように窓から外に出るの。見張りの目を掻い潜って城から離れて、ウォーグルに乗って港まで行くわよ」
「ネッネッ、ネーッ!」
「えっ、どっ、どうしたの?」
「ネーッ!」

 エネコロロが言いたいことはわかる──「本当に脱走するの?」と目が語る。それはナトリーの罪悪感を刺激して良心をえぐる。ナトリーは王女だ。国を代表し、象徴する王族だ。国を抜け出す脱走を犯してしまえば、国中を巻き込んだ大騒動になるのは火を見るよりも明らかだ。そうなれば、国王……父親はどう思うだろう。王位継承の話は白紙になる上に、厳罰を与えられる。それだけではない、父親の悲しむ顔まで容易に思い浮かべることができる。その心が、どれだけ悲しみに痛めつけられるかも。

「……わかってるわ。わかってる。でも、そもそもこれはお父様が……!」
「ネ、ネェ……」
「……と、ともかく行くわよ。もう少しでお昼ごはんが運ばれてきちゃう」

 エネコロロが脱走に完全に前向きでないのはわかっている。その気持ちに引き摺られそうで、掻き消してしまうようにエネコロロをモンスターボールに戻した。脱走することへの罪悪感は否定できないが、体と心が港へ行きたがっている、パシオに行きたがっている。この気持ちにだけは嘘をつけない。このまま引き下がってしまえば一生後悔する、そう確信していた。

 いつもの脱走通りに窓からロープを垂らして降りていく。音を立てないようゆっくりと着地し、植木に身を潜めるよう姿勢を低めて前進する。あとはナトリーしか知らない秘密の抜け穴から城外に出るだけだ。城から脱出できれば計画は成功したようなもの。もう少しで憧れのパシオに行けるかもしれないと思うと、動悸と興奮が止まらない。落ち着け落ち着けと心で唱えながら、いつものルートを通り、抜け穴を隠す茂みまで辿りついた。ついに、ここまで来た。目の前の茂みをどかせば城の外の世界から光が差し込む。ナトリーにとってパシオという希望の光かま差し込むように……その光に触れたいと一目散に茂みをどかしたが、光が届くことはなかった。

「うそ……!?」

 抜け穴が、綺麗に岩で埋められていたのだ。

「そんな、いつの間に! こんなの、誰が……!」
「見つけたぞ!」

 兵隊の勇ましい声がナトリーの小さな体を刺す。ここまで完璧な作戦だったのにどうしてと茂みから抜け出すと、そこには兵隊数人と……国王が立っていた。

「お父様!」

 えぐられた良心から罪悪感が一気に溢れ出す。父親の顔は、ナトリーが想像した悲しみに心を痛めるように悲痛なものだったからだ。

「ナトリー、お前は……」

 そのとき、抜け穴を埋めたのはこの父親だと予感した。最近のナトリーの態度を疑って城中を探させ、埋めたのだろう。淀んだ罪悪感に怒りが混じる。どうしてこうも頑なに拒否されるのか。なぜ自分の気持ちをわかってくれないのか。父親に見つかった瞬間、脱走なんてしなければよかったと後悔がフッと過ぎったが、パシオに行きたい確かな情熱が怒りの感情に呼び起こされ、ナトリーの全身に駆け巡る。

 父親の呼びかけに答えることなく、ナトリーは鉄砲玉のようにその場から逃げ出す。兵隊たちのスキを見て隙間を器用に通り抜けた。

「待て! ナトリー!」

 父親の必死な叫びが聞こえる。また罪悪感と後悔が呼び覚まされようとしたが、ぎゅっと目を閉じて顔を大きく振って振り落とす。

 ここからどうやって逃げようか、逃げられたとしてこの先どうするか、捕まったらどうしようかと走りながら思考をフルスピードで回転させる。だが、どうやら走りながら考えることは両立できないらしい。ただ必死で逃げることに夢中になるのだった。

「ナトリー! 危ない!」
「えっ!?」

 先ほどから一転した、父親の切羽詰まる声。ふっと前を見ると、そこには得体の知れない大きな輪っかが立ち塞がっていた。

「な、なに……っ!?」

 輪っかの向こう側に城の景色はない。黒いモヤの中に星々が点在しているまるで宇宙のような空間が見える。咄嗟に「入ってはダメ」と本能が拒絶したが、急ブレーキはかけられない。ナトリーは勢いそのままに、謎の輪っかに丸ごと飲み込まれに行ってしまった。何かを考えるチャンスなど、誰からもどこからも与えられなかった。

 謎の輪っかはナトリーを飲み込んだあと、跡形もなく消滅した。父親の娘の名を呼ぶ悲嘆な叫びは、ナトリーの耳には届かなかった。

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