唯一無二の王子様と天衣無縫なお姫様

私のいたい場所はここじゃない

 「カビゴン! 戦闘不能!」という審判の声が、とある王国のバトルコートに響いた。続いて「ウォーグルの勝ち!」と。その言葉通り、巨体のカビゴンが目を回して力尽き、涼しい顔のウォーグルがトレーナーである少女の側で大翼をはためかせている。

「よって勝者! ナトリー王女!」

 ウォーグルが側にいる少女、名前はナトリー。審判が名前の後に加えた敬称通り、ナトリーはこの王国の王女である。ホワイトブロンドに輝く髪はおさげでまとめられ、パートナーを労る眼差しはターコイズブルー。「よくがんばったね」とウォーグルを労ってひと撫でし、モンスターボールに戻す。

「はっはっはっ。私もついに、実の娘に10回も負けてしまうとは」

 と言いながらカビゴンをモンスターボールに戻したのはナトリーの父親、つまりこの王国の最高権力である国王だ。カビゴンが戻ったボールを優しく握り「お前は強い、よくがんばった」と健闘を称えた。

「さすがだナトリー。以前バトルしたときよりも成長している。技の指示のタイミングや引き時攻め時、そしてレベルアップしたポケモンの実力が見事に噛み合っての勝利だ」
「お褒めいただき光栄です、お父様」
「これは国の王である私よりも実力がある、つまり王国一の手練であると言っても過言ではない」
「……はい!」
「ここまで成長したのだ。そろそろ王位継承の話を本格的に進めねばならんな」

 ドキッ……とナトリーの心臓が嫌に跳ねた。反応したのは『王位継承』というキーワードだ。

「えぇ国王陛下。ナトリーは本当に成長しましたわ」

 先ほどの会話の最中に国王の側にやってきた女性、ナトリーの母親であり女王も実の娘の成長を噛み締めているように優しく笑っている。嫌だな、こんな雰囲気の中で自分のやりたいことを言い出すのは……とナトリーは俯いた。口の中が乾いていく、感覚がした。そんなナトリーの心情を知らない国王夫妻は並んでナトリーに近づいてくる。

「ナトリー、どうしたの?」

 母の優しい声色が、今は辛い。ナトリーの『やりたいこと』を告げてしまうと、何不自由なく育ててくれた両親や国の恩を仇で返すようにも思える。その『やりたいこと』は国の王位を継承する上で必要なものだと確信しているにも関わらず。

「……お父様、お母様。私は、確かにこの国の王の座を継いでいきたいと思っています。ですが、まだ、そのときではないとも……思っています」
「……またか、ナトリー」

 国王の『またか』の言葉にグサリと心を刺されて怖気付いてしまう。だが、父親とのバトルで勝ち続けて強さを証明した今こそ負けてはいけないと自分を奮い立たせ、キッと顔を上げる。眉間に皺を寄せる国王の顔が即座に目に入ったが、怯まず全身の勇気を掻き集めて思いをぶつける。

「お父様がおっしゃったように、私は今、国で1番強いトレーナーになったと自負しています。ですが、だからと言って易々と王位継承権を頂くのは違うと思います。私はこの国をもっともっと強くしていきたい、ポケモントレーナー教育が盛んな国だと、諸外国に認められたい。そのためには『国で1番強い』程度ではいけないと強く思っています」

 ナトリーの心の叫びを聞いても、国王の眉は一切動くことがなかった。女王はそんな国王の静かな苛立ちと娘の揺るぎない決意の狭間に立って、この一触即発の雰囲気を案じている。

「以前からもお願いしている通り、私はパシオに行き、トレーナーとしてどこまで通じるのか試し、パシオでもっと強くなりたいのです」

 ナトリーの言う『パシオ』とは、ある一国の王子が作ったポケモントレーナーの王国のことだ。世界各国からトレーナーが集まり、トレーナーの頂点を決めるポケモンワールドマスターズ、通称・WPMが開催されている。つまり、WPMで上位の成績を残せば、ポケモントレーナーの実力が全世界に認められるということだ。

「お願いです。この国をもっと強くするために、私をパシオに行かせてください。お願いします!」

 気持ちが乗るまま勢いよく頭を下げた。ナトリーの言葉通り彼女は国王にパシオ行きの許可を何度も何度も求めている。だが、未だにナトリーが王国に残っているのは、その度に許可をもらえず却下されているからだ。

 父親であり国王である国の最強のトレーナーに10回も勝利した。それを認められ、ナトリーが国の最強のトレーナーであると直々に宣言された。これならさすがに父親もパシオ行きを許可してくれるだろう、材料は完璧に揃っていると大きく期待を抱くナトリーだったが、

「やはりナトリー、それは認められん」

 と、何度めかわからない非情な回答が返ってきた。どうしてですか!? と、期待を壊された強い悲しみやら怒りやらの勢いで頭を上げた。父親は相変わらず眉間に皺が刻まれている。

「いくらお前が国で1番強いと言えど、お前の年齢では1人で国を出るにはまだ早い。成人もしていない実の娘を国の外に出すのは、時期尚早であると以前からお前に言っているだろう。王妃ともそう話している」
「ですが!」
「それにそのパシオという国。各地方のジムリーダー、四天王、チャンピオンと確かにこれ以上にない手練揃いで実力を試すには十分すぎる環境だ。だが、聞けば国にならず者たちが蔓延って手を焼いているそうではないか」
「それも知っています! 行きたい場所の情報くらい自分で収集しています! でも、私はそのならず者たちに屈しない自信があります!」

 そう、私は強い! その自信と気合がナトリーの心を激しく揺さぶる。絶対に父を説き伏せなければと、心のアクセルが全開になる。普段はここまで声を荒らげない王女の様子に、バトルコートの外にいる召使たちや審判の目が丸くなっていた。父親も初めて見るその勢いにいささか怯みはしたが、芯のある決意は変わらない。

「……国で1番では物足りない、それは認めようナトリー。だが、『強さ』とはそう単純なものではない。ただポケモンバトルが強い、強い意志、それだけではいかんのだ。これもずっと何度も言っているだろう」

 ぷつんっ、と、ナトリーの中で何かが切れた。何度も何度もお願いしても、ポケモンたちと特訓して父親を追い越しても、願いを叶えるために辛い特訓を乗り越えた忍耐を身につけても……結局は無駄なのだと、何かにつけて言いくるめられるのだろうと、ずっとそう言われ続けるのだと悟る。強い悲しみと激しい憤りでごちゃ混ぜの感情が再びナトリーを激しく揺さぶった。

「何よ! お父様は何もわかってない!」

 突然語気が荒くなった娘の迫力に、父親も母親も周りの人間もわかりやすく狼狽えた。特に父親の狼狽えようは生まれて初めて見た気がすると一瞬だけ頭に過ぎったが、構わず溢れる感情を激しくぶつける。

「私のこの国を強くしたい気持ちは間違ってるの!? どうして私のこの気持ちをわかってくれないの!? お父様はこの国を強くしたいとは思ってないの!?」
「ナトリーそれは違う。私もこの国を」
「『国を出るにはまだ幼い』なんてパシオでは私よりも幼いトレーナーもいる! お父様の話はきっと私をこの国から出したくない体のいい言い訳に決まってる!」

 あまりの迫力に国王は思わず「ナトリー実はな」と真の理由を漏らしそうになった。これを話してしまえばきっと深く傷ついてしまうとここまで残しておいた切り札だが、それを告げる以外にナトリーの怒りを収める方法がわからない。だが、その理由を聞くことなくナトリーはバトルコートから走って逃げたのであった。

「ナトリー!」

 両親が呼び止める声もナトリーの耳には届かなかった。溢れる涙を拭う手があっという間に、まるで涙が染み通るように濡れていく。




 バトルコートから逃げ出したナトリーの行き先は自分の部屋だ。バァン! と勢いよく扉が開いて驚いたのはエネコロロだ。窓辺で日光浴をしていたエネコロロは飛び起きて、ベッドにうつ伏せで倒れ込んだナトリーの側に近寄る。

「エネコロロ、やっぱり、ダメだった……」

 やっぱりなのね、と言うようにエネコロロはか細く鳴いた。そしてベッドにトンッと飛び上がってナトリーの右手を舐めた。

「……ありがとう」

 ナトリーが幼いころからの付き合いであるエネコロロは、相棒であり友だちであり姉妹のような存在でもある。彼女は何度も何度も父親にお願いしては突き返されるナトリーを見てきたので、今のナトリーの気持ちは痛いほどわかる。舐められる右手を見るためにナトリーは顔をもぞもぞと向けると、いつもと変わらない優しさをくれるエネコロロがいる。今はそれがナトリーにとって唯一の大きな慰めだった。

「どうしてお父様は頑なに私をパシオに行かせてくれないのかしら……」

 親心、というのはよくわかっている。パシオにはナトリーよりも幼いトレーナー、ホウエン地方のジムリーダーやアローラ地方の四天王がいるのは本当であるし、悪事を働く連中がいることも本当だ。そんな環境の中で苦労することなく無事に生活していけるのか心配するのは親として当然であるのは、痛いほど。だが、今のナトリーにとってその親心はギチギチに拘束する何重もの鎖である。そんな窮屈な環境から抜け出したい、自分の実力を試してみたい、もっともっと強くなりたい。この切実な願いこそ本物なのだ。

「ネー?」

 クールダウンして怒りが大方収まったと纏う空気から読んだエネコロロは、うつ伏せから仰向けになったナトリーの顔の近くに伏せった。ゴロゴロと喉を鳴らしてナトリーに頬擦りする。

「エネコロロ、優しいね……」
「ネッ」

 その優しさに触れると、先ほどまでの怒りが完全に鎮火された。国王である父親にあんなに語気を荒げて心ない言葉を使ってしまった後悔が顔を覗かせるが、ナトリーのパシオに行きたい願いがそれを抑える。

 気を取り直してスマートフォンを取り出し、ブックマークしているパシオ関連のサイトにアクセスして、画面越しに華やかなトレーナーの王国に思い焦がれる。

「……パシオには、本当にたくさんのトレーナーがいる。きっと私が知らないトレーナーも。そんな環境で私は強くなりたい。この国を世界に認めてもらうためにも……!」

 高層ビルのようにそびえ立つバトルヴィラ、WPMの決勝会場にもなる大きなスタジアム、巨大な星のモニュメントを冠にしたスタジアム、パシオには実にたくさんのバトル施設が存在しており、バトルコート数面しかないこの国に比べれば、ナトリーが羨望し興味を唆らせるには十分だ。

「エネコロロも、国以外のポケモンと戦ってみたいよね」
「ンネー!」

 これはナトリーから強制されていない、エネコロロ自身の願いである。このエネコロロも今の環境に満足していない。それは先ほどの父親とのバトルを観戦すらしていないことからわかるのだ。

「……どうにかして、行きたい」
 
 いろいろと眺めていると、ふと、ナトリーの指が止まる。その画面にはある人物の写真が表示されている。大きな赤いサングラスをかけ、輝く銀色の髪が天を向いているいささか小柄な男性だ。

「……この、パシオを作った人って、どんな人なんだろう……」

 パシオの創造主、つまりパシオの頂点に立つトレーナー。ナトリーが今1番戦いたいと切望する人が、画面越しにナトリーと対峙しているのだった。

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