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つかの間にきらきらと穏やかに私たちを包んだ光は、今行われようとしている抑え切れない胸懐を伴う行為にために、反射する支えを失いすっかり陰ってしまっていた。
──黒でも白でもない、一面の荒涼とした灰色の景色
この現実世界でのあらゆる結審が片側の正義であることを確信させるかのような灰色が一面に広がっていた。
私たち以外に色のない世界。邪魔者のいない解放の象徴のようで、ささやかな救いだった。
呼吸を整えるために、双眸を拭った。すると、皮膚にひんやりとした感触がして、自分の手がすでに赤いことを思い出した。切なく痩せこけた白い喉もとに手を触れ、辛うじて太かったはずの頸動脈を探し、今日のために精緻に整えられた刃先をそこに定めた。
「……っ」
決して計算が狂わぬように、止まる気配の見せない嗚咽に合わせ、刃を下ろした──イタチに関する全てを身体に刻み付けたかった。
この手で愛する人の皮膚を裂き広げ、埋もれて見えなくなる刃の行きずりも、筋骨を砕きながら通過し、無機質な地面に突き刺さるまでのすべてを刺激に変えて私の掌に送られる感覚も。
この陰惨な物理的状況を思い出させるように、噴き出して私の頬をなでた赤に見せられた景色は、まるで花が散るのを見届けるような気分だった。
ほどなくして急激な血圧の低下で弛緩したイタチの身体を目視すると、nameの膨張しすぎた悲しみは剥落してゆく。
私だけがこの世界で唯一、たった一瞬でも、せめてもイタチの肉体的苦しみを取り除けた人物になれたと思うと、浅ましくも恋人として忍として、矜持が満たされる思いがする。いつものこのたった一瞬の確認作業も、自分の愛する者が相手だと、こんなにも詩的に儀式めいたもののように受け取ることを避けようとしない自分の狡猾さに嘲笑の声が抑えられない。
私たちは一人の人間であると同時に火の国の、木の葉の里の兵器であるから、倫理だけでは片づけられないことがあることも理解している。だから、掃滅する相手がこの世の何よりも愛する人であっても、必要とあらば殺めることに罪悪感や恐怖はなかった。それなのに、今日は人を殺めた後のある種の興奮はわき立たない。ただ、雪崩のようにやる瀬無さが襲ってきた。座って上体を保っているだけでも眩暈がするようだった。
艱難の果てにようやく肉体から解放された、愛する人に想いを馳せる。この美しい人──
イタチは決して愛を手放さなかった。もう何度、他者の憎しみが、砦となる彼の心身を苛烈な緊張と恐怖や孤独や虚しさが打ちのめし、惑わせ、切り裂き、裂けた心には大義だけを心もとない補強にし、果てにはその身を病により縛り、動けぬうちに絶望だけの世界に引きずり込もうとしても。それでも、彼はもう流せる血も涙も尽きかけの体を引きずりながら、毅然として離さなかった。
ふと、死線を見たときの感傷に浸る時間の長さに、欠片ほどのつまらぬ自己愛が透けてゆく。みるみる黒く濁りきった羞恥に急き立てられるように、急いで刃を取り戻して自分の腹に突き立てた。
表皮を経ると、指先には筋肉や臓器を裂く摩擦を感じ、途端に痛みを感じた。私の痛みはこんな、こんな刀一振りの傷ごときではなかったはずだ。四肢をもがれ胴には穴が開いてもまだそのまま歩みを進めろ、そんなことを強いられたような感覚に陥る出来事ばかりだった。自分を襲った悲しみの数々を思い出し、怒りを覚えると背中の皮膚まで裂かれたことを感じた。
腹を裂くのには勿論私なりの理由がある。彼の願いを無碍にしても自分の選択を押し通すからには、決して自刃だと嫌疑をかけられることがないよう、急所を避けるためだ。暗部の殉職率は高い。任務としては完了しているし深入りされないはずだ。
イタチの横に横たわると、まだわずかに体温の残る彼の右手をとり、刀を握らせてようやく彼に触れられる。最後までイタチが重厚で絢爛な濡れ衣を纏えるようにするのが折衷案をとるための義務だと信じるように己に言い聞かせた。
耳鳴りがする──身体全体にいつもより重力がかかるような感覚。
脈が動くごとに響く腹の鈍痛はもはや再会へのカウントダウンを告げる秒針の音のような心地よさすらあった。
「また…会いたい、な──」
イタチを失った今、返事が惜しいわけではない。声に出したら、多少のまじないになるような気がした。呼吸するごとに次第に視界がホワイトアウトして浮遊感とともに瞼が重く閉じていく。自分の心に浮かんださようならは、思ったより晴れやかだった。
まわりに近しい気配もない。どうにか、無事にやり過ごせそうだった。