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鮮やかな夏色
空はくっきりと鮮やかな青い色をしていた。
ぬけるように高く、遠い空に浮かぶのは濃厚な白色の入道雲。遠くから見ても触れられそうなほど濃い色の白は英国のどんよりとした曇り空を見慣れたミラの目にとても新鮮に映った。

「日本の夏はどう? リドル」
「暑い」

機嫌の悪さを隠そうともせず、リドルは眉間に皺を寄せて短く答えた。その様子が何だか可笑しくて、ミラは小さく笑った。

英国の夏と日本の夏は随分違う。暑さもそうだが何より日本は湿度が高い。日差しも強く 痛いくらいに照りつけるから、慣れないリドルにはつらいのだろう。ミラもこの暑さに決して慣れているわけでは無いのだが、幼い頃からこの日本の親戚の家は訪れていたため幾らか耐性があった。

横で縁側に腰掛けるリドルは珍しくローブではなく浴衣を着ている。実体化しているとはいえ、リドルは生身ではないので暑さや寒さに弱いわけではないのだが、多少は感じるし不快感もあるらしい。何よりこの暑い真夏に黒尽くめのローブを着込んだ姿は見ていて気持ちのいいものではない。むしろ暑苦しい。見ている方まで暑くなってくる。そういうわけで、リドルはミラが箪笥の奥から引っ張り出してきた男物の浴衣に半ば無理やり着替えさせられたというわけだ。

「湿度が高くてじめじめする。不快だよ」

俯いた頬にはらりと掛かる黒髪。伝う汗がしっとりと髪をぬらし、小さく音を立てて地面へと落ちる。その様子を見て、ミラは「ああ、夏だなぁ」と実感した。

「そういえば、どうしてわざわざこんな蒸し暑い時期に日本なんかに来たんだい? 君の実家で過ごす方が遙かに快適だろうに」
「是非遊びに来てくれって手紙が来たの。夏休みは長いし、日本は遠くて滅多に来られないでしょう? だから思い切って来てみたの」
「何も夏にしなくてもいいじゃないか」
「クリスマス休暇は日本に行くには短いもの。ホグワーツに入学してから一度も顔を見せに来ていなかったのよ? 叔母様たちも喜んでくれたし、たまにはいいじゃない」
「付き合わされる方の身にもなって欲しいね」
「あら、留守番していても良かったのよ? 」
「その腕輪から遠く離れることは出来ないのを知っているくせに」

ミラの細い手首に凛と光る銀色の腕輪。肌身離さず身に付けているそれがリドルの媒体。これが無くてはリドルは魔力を得られない。城の中ならば腕輪から離れていても平気だが、それ以上遠くへは離れられないから、結局リドルはミラが行くところに付いて行くしか無いのだ。
恨みがましい目を向けるリドルの訴えを軽く流して、ミラは下駄を履いてゆっくりと立ち上がった。くるりと振り返ると、気を取り直すように明るい声でリドルに提案をする。

「ねぇ、リドル。川に行かない? 」
「川に? 」
「ええ。ここの裏手の森の中に、小さな川があるの。流れもそんなに速くないし、涼むにはもってこいだと思うわ」

川で涼む、と言う言葉があまりピンと来ない様子で首を傾げるリドルの手を引っ張ってミラは立ち上がる。尚も渋るリドルを半ば無理やり日向に引っ張り出すと、リドルは大きく溜め息を吐いて ようやく観念したように下駄を鳴らして歩き出した。


****


さあさあと水の流れる音がする。

下駄を脱いで浴衣の裾を絡げ 冷たい水に足を浸すと、川の水はキンと冷えて冷たく ミラは反射的に息を詰めた。我慢して浸していると徐々にその冷たさにも慣れてきて、詰めていた息をそっと吐いた。火照った身体から見る間に熱を奪い洗い流してゆく感覚が心地良くて、その急激な温度変化に鳥肌が立つ。
川は冷たく、水に触れている部分から徐々に凍り付いてゆくようだったけれど不思議と嫌では無い。かがみ込んで手のひらを水にとぷん と浸すと、手首の辺りで水が跳ね、ちらちらと水晶のように光が瞬いた。

「綺麗」

なめらかな水が肌を撫でていく感覚が心地良くて、このまま水の中に沈んで行きたいとすら思う。

「ミラ、あまり奥へ行くと危ないよ」
「はーい」

ミラを見守るために着いてきたリドルは河原へ着いて早々に日陰を見つけ、大き目の岩に腰を落ち着けている。その忠告を受け入れて、ミラは素直に引き返した。リドルの座る岩のすぐ下の川べりに腰掛けて、大きな岩に背を持たせて天を仰ぐ。木々の合間から除く空は目の覚めるような青い色をしていて、目に眩しく焼きついた。

大小さまざまな石や岩が乱雑に転がる河原には森の木々が色濃く影を落とし、じっとりと耳に馴染む蝉の声がやけに印象的だった。

「リドルも入ればいいのに。冷たくて気持ちいいわよ? 」
「……ああ」

日本の川は細く 流れが速い。悠々と流れる大河ばかり見てきたミラには、浅く澄んだ川は目新しく映った。
流れる水は澄み渡り 日の光を反射して艶やかに光る。何処までも透明な水はつるんとしていて寒天みたいだとミラは思う。そんな事を口にしたら、きっとリドルは呆れるだろうけど。

リドルは下駄を脱いでゆっくりと岩場を降りてくると、ミラの横に屈み込んでそっと川に手を伸ばした。とぷん と音を立てて水に浸されるリドルの手。不健康にすら見えるほど白い指。この眩しいほどに強い日差しの下で、その白さは何だか非現実的なものに見えて、ミラは無意識に息を止めて見入った。

ミラは藍色の浴衣を着ている。柄は朝顔。白く染め抜かれた柄は涼しげで、鮮やかな朱色の帯は可愛らしい形に結ばれ、長い髪は器用に編み込んで纏められている。おくれ毛が少し残る襟足は白く、僅かに汗が滲み、普段の洋装では隠れて見えない場所だけに蠱惑的でもあった。

「こういうのもいいでしょう? 」
「そうだね……悪く無い」
「あとは縁側で冷やしたスイカを食べて、夜になったら庭で花火をすれば完璧ね!これぞ日本の夏だわ」
「君はイギリス人だろう? 」

笑いながらそう言うリドルに「いいのよ、別に」と返して、ミラは目を閉じる。
ミンミンと煩い程に力強く鳴く蝉の声を聞きながら、ミラは大きく息を吸い込んだ。森に広がる緑の匂いに混じる土っぽさ。甘く澄んだ水の香りに独特の湿度。

しあわせだなぁ、と吐息混じりにつぶやけば、リドルは声をあげて笑った。


****


ぱちぱち と音を立てて火花を散らす線香花火。風にそよぐと容易く散ってしまうほど儚いそれがミラは好きだった。

「随分と地味だね」
「それがいいのよ」
「ふぅん」
「……いい風」

ちりん。風鈴が鳴る。
割れそうに薄い硝子には涼しげな赤い金魚が描かれていて、風に揺れながら縁側に吊るされている。
縁側に腰掛けたまま花火に興じるリドルとその足元に下駄を履いてしゃがみ込むミラの近くにはたっぷり水が入った金属製のバケツが置かれている。日が暮れだした頃から始めた花火は既に佳境で、残りはこの線香花火だけだ。端の方には既に遊んだ後の 花火の燃えかすが乱雑に纏められていた。

「面白かったでしょう? へび花火」
「……あれを蛇だと認めたくは無いね」
「そう? 結構似ていると思うけどなぁ……」
「蛇に失礼だ」
「そんな風に考えるのはリドルくらいだよ」
「そんなはずは無いさ」
「そんなはずありますー」
「……口の減らない子だね」

じろりと見下ろしてくるリドルに負けじと軽く睨み返して、ミラは縁側に腰掛けた。僅かに熱を孕んだ風が裾を揺らす。日が暮れて気温は大分下がったが、昼の名残のように時折ぬるい風が吹く。

「しあわせだなぁ……」
「こんな事で? 」
「こんな事でよ」
「随分と安いしあわせだね」
「些細なしあわせって大切なのよ? 」
「ふぅん」
「当たり前のことなんてひとつも無いんだもの。こうして穏やかな毎日を過ごせることも、私にとっては大事なの」

そう言って微笑むミラをじっと見つめて、複雑そうに顔を歪めた後、ややあってリドルは小さく息を吐いた。

「君のような考えで生きられたら、それはそれで きっとしあわせなんだろうね」

ぽつりと零れ落ちた言葉は静かで、呆れ混じりだがどこか優しいものだった。
こうして穏やかに過ごす事をリドルが“悪くない”と思ってくれる日が来たらいいのにな と考えながら、ミラは静かに目を閉じた。


不意に吹き抜けた風は生ぬるく けれどどこか涼しくて、ほんの僅かに秋の匂いがした。


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