×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
黒猫と最後の恋を
「これで……ぜんぶ、終わったの? 」

両手を広げてのけぞり、ぽつんと倒れたままの抜け殻のようなその骸を、長い間瞬きも忘れて見つめていたミラが、ようやくぽつりとつぶやいた。

ハリー・ポッターがついにヴォルデモート卿を倒した。驚愕と喜びに溢れた城内で誰もが慌しく動き、その喜びを爆発させ、死者への哀悼を示す中、ミラだけが呆然と、一歩も動かずにその場に立ち尽くしていた。そこだけ時間が止まったようで、傍らには漆黒のローブを身に纏う青年が寄り添っている。

「ヴォルデモートは、死んだよ。奴の場合 消滅したと言った方が正しいかもしれないが」

凡庸な最期だ。淡々と、温度の無い声でリドルが答える。
その声に導かれるようにゆっくりと横を向けば、リドルがミラを労わるように微笑みかけてきた。

普段は黒猫の姿で正体を隠しているリドルも、今は人の姿を取っていた。艶やかな髪は乱れ、白い肌には少ないながらも裂傷が見え血が滲み、ローブはあちこち裂けてぼろぼろになっている。

何度この人に助けられただろう。窮地を救われ、本体であるヴォルデモートにその姿を見られるリスクを犯してまで、ずっと守ってくれていた。恐らくリドル無しでミラはこの戦いを生き延びることができなかっただろう。

「リドル……」

死喰い人と一対一で戦っている時、ミラは目の前の敵に対処することに必死で自分が背後から狙われていることに気付かなかった。
周囲の悲鳴で一拍遅れて気が付いた時にはもう遅く、既に回避出来ぬ程間近に緑色の閃光が迫っていて、ミラは死を覚悟した。

『プロテゴ!!』

響いたのは聴き慣れた声。
叫ぶように荒々しい呪文の詠唱。その場の誰もが驚き動きを止める中、リドルはただ一人無駄の無い動きで流れるように杖を振るい、的確に敵を仕留めていった。

『それに、手を出すな』

地を這う低い声。強力な魔力でビリビリと空気が揺れる。苛烈なまでの怒りに死喰い人が本能的に一歩退いた。逃げる隙も反論する暇さえ与えず、リドルは鮮やかに敵を倒すと、ローブを翻しこちらを振り返った。

『君に手を出す奴は 誰であろうと許さない』

乱れた黒髪の合間で、鋭く、怒りに満ちた紅い瞳が燃えていた。


────あんなに必死になるリドルは始めて見た。

思い出すだけで、じわりと溢れる涙で視界は歪み、胸が締め付けられるように苦しくなる。嬉しくて、でも心配で、全てが終わってほっとした。気を抜けばすぐに視界が滲み、ミラは慌ててローブの裾で目元を拭った。一度にいろいろな事が起こったせいで混乱しているのだろうか。いつに無く涙腺が緩んでいた。

「リドル、怪我は無い? ええと、血が出てるわ。手当てしなきゃ」
「僕は大丈夫だ。……見た限り大きな怪我は無いようだけれど、魔力を借りた分、君の方が重症だろう」
「本当に? よかった……! 」

そうつぶやいた途端、一気に音が押し寄せてきた。
歓声、ざわめき、人々の足音。緊張が緩んだせいか、今まで無意識にシャットアウトしていた雑多な音が世界に満ちる。

――――終わったんだ、これで。

ようやく、長かった戦いが終わった。
犠牲は計り知れず、喪失の痛みもまだ生々しいけれど、でも、これ以上大切な人たちを失う恐れは無い。もう、怯えて暮らさなくていいのだ。

ほっと息を吐くと、疲労がミラの全身を襲った。身体は泥のように重く、踏み出した足元は覚束無い。長い戦闘で魔力も体力もほとんど消費し尽くして、後半は気力で動いていたのだろう。ぐらりと傾いだミラの身体を後ろからリドルが肩を持って支えた。

「大丈夫かい」
「うん。ありがとう、リドル」

肩を支えたまま気遣わしげに顔を覗き込んでくるリドルに苦笑を返し、ミラは再びゆっくりと歩き出す。
慎重に足を踏み出せば、思いの外ちゃんと歩くことができた。これならば自力で移動できるだろう。リドルの傷の手当てをしなくてはならないし、二人とも休息が必要だ。とりあえず、皆が居るところに行こう。

「大広間に戻ろうか」

そう言って、ミラはゆっくりと歩き出す。しかし背後から付いてくるはずのリドルの足音が聞こえない。
どうしたのだろう? と、ミラは立ち止まったままのリドルを訝しげに振り返る。
リドルはミラを静かに見つめたま、そこに立っていた。

「リドル……? 」

様子が、おかしい。何故だろう。微かに声が震える。

「僕は、行けない」

ゆっくりと、噛み締めるようにリドルは言葉を紡ぐ。

「どうして? 変装するか、他の人には見えないように姿を消していれば……」
「駄目だよ」

緩やかな微笑を崩さないまま、リドルはゆっくりと首を横に振った。その表情はどこまでも静かで、穏やかで。

嫌な、予感がする。

「タイムリミットだ」
「どういう、こと? 」

声が掠れた。何を、言っているの。
ザァッと血の気が引く感覚にミラは怯えた。

「僕は、もうじき消える」

頭の中で反響した。言葉が、理解できない。
なんで、なんで、なんで、どうして。“消える”って、────誰が?

「なん、で?だって、確かにヴォルデモートは消えたけど……でも、貴方はここにいるじゃない……消えてなんか無いじゃない……! 」
「今までずっと、君に貰った魔力を腕輪に蓄えていたからね。本当ならばもう少し、持つと思っていたのだけれど……どうやら戦闘で力を使い過ぎたらしい」
「わたしの、せいで……」
「それは違う。ミラのせいじゃない。そもそも僕が今もこうして存在しているのは君を守るためで、僕自身が君のためにこうして全ての力を使うことを選んだのだから」

呆然と弱弱しくつぶやくミラの言葉を即座に否定して、リドルは続けた。

「少し、長い話になる」

動くことを忘れたようにその場に立ち尽くすミラを半ば無理矢理座らせて、リドルはゆっくりと口を開いた。

「僕は、ヴォルデモート卿が卒業に伴いホグワーツを去る際にこの城に残された腕輪に宿っていた存在。腕輪はスリザリンの遺品のひとつで、腕輪を見つけた当初奴はこれを分霊箱にしようとしていた。けれど腕輪自体が有する魔力があまりに強く、まだ学生で力も知識も不完全な奴には扱いが難しかった。……そして結局、断念した」

声は淡々としていた。話を止めることもできず、ミラは硬い表情でリドルを見つめる。

「奴は腕輪の扱いについて相当悩んでいた。まだ学生の奴の手には余るほどの力。持って行くべきか、隠しておくべきか、と」
「……そして、隠すことにしたのね」
「そう。再びこの城に来るという確信があったから。けれど実際には、城に来ることは出来ても談話室の中までは入ることが出来無かった。ダンブルドアに面会に来た際、奴の狙いは殆んど校長にバレていたらしいからね。そんな中でスリザリンの談話室に侵入するのはリスクが高かった」
「それで、あんなところに? 」
「……ああ。腕輪はそのまま長い間忘れ去られていたけれど、あの日君が僕を見つけた」

静かに凪いでいたリドルの表情が 過去を懐かしむように、ほんの少し和らいだ。それが何だか、覚悟を決めた人のようで恐ろしくて、ミラは疑念を振り払うように口を挟んだ。

「腕輪を分霊箱にするのは、失敗したんじゃなかったの? 今の貴方は分霊箱ではないの? 」
「そこが重要だ。学生時代の奴は分霊箱を作り出すのに失敗したと考えていたが、それは誤りだった。腕輪の魔力と相俟って、少し特殊な形ではあるが、奴の魂はちゃんと宿っていたんだ」

ミラの手首に嵌った、銀色の腕輪。それをじっと見つめて、リドルは続ける。

「談話室に隠されていた数十年、僕は腕輪の魔力を利用し幾度と無く抜け出し 奴に成り代わる策を考えた。腕輪は巧妙に隠され自力で取り出すことも、そのまま実体化することも難しかったが、幸いにもここには多くの魔法使いや魔女がいた。上手く立ち回り、そいつらの魔力を貰えば実体化することも夢ではなかったからね。慎重に、教師たちには存在を気付かれない様少しずつ魔力を集め機会を窺っていた。……けれど、日記の僕の失敗を知って、それは得策ではないと考えた。」

日記のリドルと腕輪のリドル。創られた時期こそ違っても、もとは同じ人間の魂だ。能力差は殆ど無い。その日記が失敗した方策を取るなんて、馬鹿げている。

「僕自身のことは僕が誰より知っている。だから身を潜めて、チャンスを窺うことにした。あいつが僕の存在に気づけば、いい顔をしないことはわかっていたからね。元々奴が作り出した分霊箱は7つ。しかし、実際には9つあった。ハリー・ポッターと、この僕だ」

リドルの告白に、ミラは目を見開いた。ヴォルデモートと分霊箱とハリー・ポッターの関係を知っているのはごく一部の人間だけだ。素直なその反応に、リドルは笑った。

「僕が出来たのは、本当に奇跡なんだよ。間違いでもあった。そして……これを自分で認めるのは、物凄く不本意なんだけど、僕は不完全な分霊箱だった。だからこそ、本体には気づかれることなく存在し続けることが出来たのだけれど」

伏せた目元に、影が差す。青白い肌に落ちたその影はリドルの美貌を引き立て、いつも以上に儚げに見せた。

「君が僕を見つけた時、コレは大きなチャンスだと思った。ジニー・ウィーズリーが奴の日記を手にした時のように、僕にも漸く外に出る機会がやってきたのだ、と。日記のトム・リドルは失敗したが、僕は奴の敗因を知っている。ならばそれを踏まえて上手く立ち回れば、僕も生き残る道があると、そう思ったんだ」

リドルは笑う。けれどその笑みにいつものような不敵さは無く、ただ見る者の心を締め付けるような、切ない微笑だった。

「リドルは、私を利用するつもりだったのね」
「ああ。生き延びる為に、ね。当時の僕にはほとんど力が残っていなかった。このままではいずれ消えてしまうか、分霊箱を探すダンブルドアに見つかって消されるか、どちらかだった。……結局、君に拾われた後 ダンブルドアには見つかってしまったけれどね」
「ダンブルドアに……? 」
「誤算だったよ。猫の姿で動き回れることに慣れて、油断していたのかもしれない」

けれど、何よりの誤算は。

「こんな風に、君に執着するなんて────本当に、未来なんてわからないものだね」

微笑を浮かべるリドルは、どこか泣きそうに見えた。

「これは、初めからわかっていたんだよ、ミラ」

ミラの輪郭を撫でる。その手つきは優しくて、ミラは思わずその手を取った。そんなミラの行動にリドルは僅かに目を見張ったものの、「仕方がないな」と言うように表情を緩めただけだった。

「ダンブルドアに見つかった時、僕は死を覚悟した。記憶の僕が"死"だなんて、馬鹿げていると思うかい? ……でも、奴に見つかるということはそういうことだ。曲がりなりにも分霊箱である僕を、見逃すはずが無いのだから。けれど、あの男は僕にひとつの話を持ちかけた」
「何、を? 」
「君を守り、他の全てのものを捨てるならば、破壊はしないと」
「……でも、それじゃあヴォルデモートは……倒せない」
「そう。この契約には期限があった。僕の命の刻限は、ヴォルデモートが、倒れる時まで」

リドルの声のトーンが変わる。話の終わりを悟って、ミラは震えた。

「だからね、ミラ」
「い……いや、だ。嫌だよ、リドル。消えるなんて、嫌! 」
「これは避けられない事だ。どちらにしろ、本体が消滅した後まで残れるほど、僕の力は強くなかったんだよ。だから、仕方がないんだ」
「そ、んな……」

ローブに縋るミラの腰を引き寄せて、リドルは強く抱きしめる。甘い香りのする肩口に顔を寄せて囁くように言葉を紡ぐ。

「あの老人も、わかっていたんだろう。その上で、僕を試しただけに過ぎない。
……やっぱり、いけ好かないな……」

憎しみの無い表情。自嘲とも諦めとも違う、全てを受け入れる目だ。

────この人は、もう決めている。

「僕からの、最期のプレゼントだ」

しなやかな長い指でミラの顎を持ち上げて、リドルは間近で囁く。
潤んだ瞳に写る自分の姿に小さく笑う。こんな表情を自分がするようになるなんて────本当に、人生はわからない。

「君は僕を忘れられない。予言しよう。この先どれだけ長く生きて、いろんな人と出会って、想いを通わせる相手が出来たとしても、決して僕を超える男は現れない。
────酷い男だろう? けれど、忘れさせてなんてあげないよ。君は僕のもので、僕は君のものだから。君の心は、最期まで僕だけのものだ」

他の誰にも渡さない。譲ってなどやるものか。これは僕のもの。僕だけのものだ。それは例えこの世界からトム・リドルという存在が消えても変わらない。未来永劫、譲らない。

「いびつで、歪んでいても、これもひとつの“愛”だろう? 綺麗な感情だけが愛情だとは限らない。執着すら、ひとつの情であるように……。ダンブルドアですら、それは否定出来無いし、させないよ」

甘やかに微笑むリドルはいつも以上に美しく、どこまでも優しくて。

「君に、僕をあげる」

泣き声は口付けに奪われた。
深く、深く。何もかも奪い去り、己の存在を刻み付けるかのように激しく口付ける。
涙は止まらなかった。想いは声にならず、言葉に出来ず、ミラはただ縋るように口付けに応えた。

徐々にリドルが透き通ってゆく。泣きながら嫌だと首を振っても、リドルはそんなミラの取り乱す姿を何処か嬉しそうに微笑するだけで。ああ、何て酷い男だろう。
薄れてゆく存在を 引き止める術が無い。離さぬようにと抱き締める手に力を込めても意味が無い。何も出来ない。心だけ奪われて、存在を強烈に刻み付けられて、こんな唐突に消えるなんてずるい。
こんな時でもリドルは美しくて、何一つとして勝てなくて、悲しくて、悔しい。

「ミラ・ルーシェ────君はこの世でただ一人、僕が愛した人間だ」

最期の言葉と共に、腕輪は砕けた。
黒猫だったトム・リドルは幻のように掻き消え、その場にはただ一人泣き叫ぶ少女だけが残された。


世界は酷く穏やかで、取り残された少女の泣き声は平和を喜ぶ歓声の中に呑まれて消えた。


(黒猫と 最期の恋を)


prev next