×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
お伽噺の恋心
一目見て、絵画のように綺麗な方だと思いました。


「ねぇ、わたくしに何か面白い話をしてくださらない? 」


咄嗟に惹き止めるためにかけた一言。それが二人をつなぐ小さなきっかけでした。



私(わたくし)は絵画に描かれた存在。誰に何の目的で作られたのか知らず、いつからここに掛けられているのかすら曖昧で、おぼろげな記憶をたどっても、はっきりとした年代はわかりません。
人にとって気が遠くなるほどの月日が経っても、ふんわりとした豪奢なドレスを身に纏い、きらきらと輝く真珠を編みこんだ緩やかに波打つ金糸の髪を背に流す、永久に変わらぬ無邪気な少女のまま。


人は私を美しいと言うけれど、私にはそれがどういうことなのか、良く分からないのです。


けれど、彼を。トム・リドルという少年を目にしたとき、私ははじめてそれを、"美しい"という感覚を心で理解しました。絵画に心がある、だなんて可笑しなことだとお思いでしょうか?でも、私にも感情はあります。それがどういう仕組みかなんて、私にはわかりませんが、あなた方人も自分の感情がどうして存在して どういう仕組みかなんて、きっとよくはわからないのでしょう?ならばそれでもいいではありませんか。不思議なことなんて、この世には沢山あるのだから。ここ、ホグワーツでは猶のこと。


広い広いホグワーツ城の忘れ去られた塔の端、人気の無い廊下の最奥。そこが私の場所。ひっそりと静まり返った空間。近くに他の絵画はありません。

そこにある日突然、彼はやってきました。
大勢の生徒と同じ黒のローブを着て、なのに際立つその姿に私の視線は釘付けになったのです。

揺れる松明の灯りに艶めく漆黒の髪。真珠より白く美しい肌。スッと通った鼻筋 整った容貌は幼いながらも美しく、一目で特別な方だとわかりました。


「ごきげんよう、綺麗な殿方。お名前は何て仰いますの? 」


ぱちりと目が合った少年にそう声をかけると、彼は少しびっくりしたようにこちらを見つめてきました。


「……貴女は? 」


少し緊張した声音でそう問いかけてくる少年は思いの外幼く、纏う雰囲気とのギャップに私は少し驚きました。喋る絵画に慣れていないのか興味深そうにこちらを見上げて来て、何だか恥ずかしくなってしまいました。新入生でしょうか。とっさに名前を聞いてしまいましたが、確かにまずは自分から名乗るのが礼儀というもの。


「あら、ごめんなさい。申し遅れました。私はジル」
「僕はトム・リドルです。はじめまして、ジル」


礼儀正しくそう名乗った少年に微笑みかけると、彼も柔らかく微笑み返してくださいました。まだお若いのに、とても紳士的な方。ここに立ち入る生徒は滅多におりません。
挨拶できたのは嬉しいけれど、続ける言葉が見つからず私は困ってしまいました。
ああ、何と言ったらよいのでしょう。綺麗な顔をもっと良く見てみたい。けれど初対面の方にそんな不躾なことを言えるはずもありません。


「それでは、失礼します」


迷っている間に、彼は小さくそう告げてくるりと踵を返してしまいました。


――――待って


「あの、」


少しでもいいから引き留めたくて、立ち去ろうとするその背中に、私は咄嗟に冒頭の言葉を投げかけたのでした。



****



「ジルは本当に物知りだね」


松明の灯りに揺らめく人気の無い廊下。
そこに響くのは耳に心地良い低い男性の声。

抜け道や秘密の部屋、ホグワーツにはそういった謎が数え切れぬほど御座います。
私は絵の中でしか存在できない絵画ですが、絵のある場所ならば移動できます。そして絵は城中のいたるところにあります。ホグワーツに存在する他の絵画たちは思いの外おしゃべりで、好奇心旺盛で、大半の生徒たちより実は情報通なのです。

私はリドルに集めた情報を伝え、その対価としてリドルは私の話し相手になってくれる。
リドルに出逢った日から、代わり映えのしなかった私の毎日がとても楽しいものに変化いたしました。


「ジル! いるかい? 」


その日はいつも穏やかな態度を崩さないリドルにしては珍しく、興奮した様子で私の元を訪れました。


「ようやく……探していた部屋を見つけたんだよ」
「おめでとうリドル、さすがだわ。貴方って本当に凄いのね」


内心驚きつつも、努めて穏やかに微笑んでそう返しました。
そんなことはないよ、と謙遜するリドルはやはりいつ見ても美しく、もう立派な青年に成長しておりました。きっとこの城にいる多くの女子生徒たちが、この青年に恋をしているのでしょう。そしてこの人は、そんな彼女たちの熱の篭った視線に気が付かないふりをして、颯爽とその長い足で廊下を歩いているのでしょう。

記憶にあるまだ幼かった少年の面影が薄れつつあるのをほんの少し、寂しいと思ってしまうのでした。


「ありがとう、ジル。君の情報のおかげだよ」
「おだてるのが上手ね、リドル。あの程度の情報なら、きっと貴方一人でも得ることが出来たでしょうに。でも、少しでもお役に立てたのなら私もうれしいわ」


君も謙遜でかわすのが上手いね、と言ってクツクツと喉を鳴らして笑うリドルは本当に機嫌が良いようで そんな彼を見ていると不思議とこちらまでうれしくなってくるのでした。


「愉しそうね」
「ああ。本当に素晴らしい部屋なんだよ。……君も一緒に来るかい? 」
「無理よ。だって、私は絵画から出られないもの」


そう、私はここから出られない。
出られないと 考えたことすらなかった。だって私は絵画だ。元から彼とは存在する次元が違う。出るも何も、私は絵の中でしか存在できないのに。


「そこに絵画は無いのでしょう? ならば私は行けないわ。」
「そう……残念だね」
「ふふ……嘘でもそう言ってもらえるなんて、嬉しいわ」


この青年には裏がある。周囲が噂するような誰にでも優しい立派な優等生ではない。
時折見せる残酷な一面と瞳の奥でチカチカと光る赤い光がきっと彼の本性。

わかっているけれど、私はしらんぷりをする。だってそんなの些細なことではありませんか。絵画である私には。
どの道引き止めても、やめるような方ではないでしょう。ならば知らぬままでいい。


「貴方はここから出て行くのね」
「卒業したらね。できれば教師として残りたいけれど」
「まぁ!そうしたら、また私とこうして会ってくださる? 」
「……ああ、いいよ」
「よかった」


花が綻ぶように笑った。うれしい、うれしい。それがたとえ偽りの約束でも。
リドルと話す上で、私は必要以上に踏み込みません。永遠に埋まらぬ距離も彼にはきっと必要なのでしょう。
永遠に近い時間を過ごす私にとって、彼が生きる時間なんて一瞬だけれど。それでもこうして話す時間は愛おしく、大切だったのです。


「ねぇ、リドル? 私 貴方が好きよ。貴方は何とも思っていないのでしょうけれど、それでもいいわ。私は絵画だもの。特別なことは何も望まない。ただ貴方と過ごす、この時間が大好きよ」


ありがとう、と緩やかに笑うリドルはやはり どこまでも美しいのでした。



****



時は経ち、その他大勢の生徒と同じように彼はこの城を去りました。
時折口にしていた、教師としてこの城に留まりたいという彼の願いは受け入れられなかったのだといいます。


そしてそれから何年たっても、聞こえてくるはずだった彼の名声は予想に反して一切聞こえてきませんでした。

ホグワーツ始まって以来の秀才。誰からも好かれ、教師からも一目置かれ、将来の活躍を熱望されていた、あのトム・リドルが。
聞くところによると、彼は闇の横丁にある「ボージン・アンド・バークス」という店で働いているそうです。ゆくゆくは魔法大臣になるとすら言われていた彼が、一店員になるなんて。彼の経歴にふさわしくない就職先に、周囲は驚き、反対し、大層惜しんだと言います。
けれど私は、ようやく彼は彼らしく 自分の望む道を進むために動き出したのだと思いました。


そして数年後、リドルは唐突に姿を消したのです。
何年も前に卒業したとはいえ、彼ほど優秀で有名な方もおりませんでしたから、ホグワーツでは再びちょっとした騒ぎになりました。しかし誰も真相は知らず、様々に憶測や噂が飛び交ったけれど、それも時が押し流すように引いて行きました。


そして数十年の時が経ち、私は再び彼の噂を耳にしました。


囁き声。城内にさざめく笑い声と押し隠した緊張の滲む噂話の中に、懐かしいその名前を聞いて、私は思わず息を呑みました。


――――トム・リドル
そう名乗る男が、校長に面会に来た、と。


その名、は。
知っている。ああ、その名を聞き間違えるはずが無い、私にとって特別な、ただ一人の人。


駆ける。絵から絵へ。ドレスの裾を絡げて細いヒールで飛ぶように走る。
人にぶつかり、テーブルを倒し、悲鳴と怒鳴り声を振り切って。
一目でいい、どうか、どうか、祈るような気持ちでひたすらに。

綺麗に波打つ金糸の髪を振り乱し、人形のように白い頬は紅潮し、幾重にも重ねられたドレスがふわふわと舞い視界を遮る。

最後に飛び込んだ絵画から見えた、玄関ホールの扉。
そこから今まさに外へ出ようとする男が一人。外には彼を待つ複数の黒い人影が見える。ようやく追いついたその人に、精一杯の声で呼びかける。


「リドル」


扉へ向かう足が、止まる。
静寂の中に私の荒い息だけが響き、男はゆっくりとこちらへ振り返りました。


――――変わり果てた姿。

高く形の良かった鼻は削げて細く切れ込み、漆黒の長いマントを纏うその肌は不気味なほどに青白い。顔立ちのはっきりとしない変形した蝋細工のような顔。絵画のように美しかったあの頃の面影も無い。


リドルはこちらを一瞥しただけで、応えることなく背を向けました。


「……変わって行くことも、あるのね」


絵画である私に、変化は無縁だと思っていたのに。

――――いいえ、私は今でも変わらない。変わったのは、彼との関係。生きている人との距離。
虚しいとは、この気持ちのことを言うのでしょうか。


ああでも 知りたくはなかった。
こんなこと。こんな気持ち。だってもう、どうにもならないのですから。


「さようなら、トム・リドル」


去ってゆく背中に、ただ一言。

彼は決して振り返らないでしょう。二度と私のことなど思い出すことも無い。
私は元の、ただの絵画に戻るのです。悲しくはありません。彼が変わっても、変わらなくても、私は変わらぬ絵画なのですから。彼がどんなことを成して、どんな人になっても、人であればいつかいなくなる。私は何も変わらない。絵画がここにある限り。


どちらにしても、結末は何も変わらないのです。

prev next