『グリフィンドール!!』
組み分け帽子の声が高らかに響き渡る大広間。予想外のその名にその場にいる殆んどの者が驚愕し、動揺している。
勢い良く帽子を脱ぎ捨てて、ほんの少し強張った表情で不適に笑う黒髪の少年。
ざわめきと喧騒にまみれた空間、人波を掻き分けるように迷い無く真っ直ぐ進む背中は眩しくて、なのに不思議と目が逸らせない。
ブラック家の跡取りが グリフィンドールに入った。
信じがたい結果にスリザリンのテーブルは水を打ったように静まりかえっていた。
ありえない、あってはならない。そんな結果は望まれていないのだから。
瞬きすら忘れたように凍り付いた一角で、私はずっと、彼を見ていた。
「レギュラス」
緩やかに吹く風がローブの裾をはためかせる。乾いた土と少し湿った草の匂いが微かに香る。
城の裏手、人も疎らな一角の、人目に付かない木陰で木にもたれて座る青年に呼び掛けた。
振り返り様に揺れた黒髪の下から覗く青み掛かった灰色の瞳に私が映る。
「ああ、貴女でしたか」
声を掛けたのが私だと認識した瞬間、何処かほっとしたように レギュラスの纏う空気が緩むのを感じて、私はそっと、その横に腰を下ろした。
――――あれから6年もの歳月が経った。
幼かった私は成長し、数年遅れで入学したレギュラスも今では青年と呼べるまでに成長した。
あの出来事を境にレギュラスは変わってしまった。いや、変わらざるを得なかったと言うべきか。
ブラック家という余りに古く巨大な家。脈々と受け継がれる血は希少でそれを維持する為には並々ならぬ努力が必要で。
目の前の人はそれを背負って立つ人だ。
降って涌いたような変化、兄の裏切り。
兄弟の立場は逆転し、変わりに得たのは次期当主という肩書き。
その立場に降り掛かる期待と重責に、いつか押しつぶされてしまうのではないかと不安になる。
「よく此処がわかりましたね」
「レギュラスのことならわかるよ」
「そうですか」
「うん」
そう言って、にっこりと微笑みかけるとほんの少し目を細めて微笑んだ。
決して口数が多い方ではない。
けれど幼い頃から一緒に過ごしてきた私にとって、レギュラスの考えていることを推し測るのはさして難しいことではなかった。
「あー……疲れた」
ごろん と寝転がり空を見上げる。
はしたないですよ、と嗜める声は都合良く無視して小さく伸びをする。
薄くて淡い空色。雲ひとつないのに灰色がかった空。曇りというには明るく、晴れというには暗い その曖昧な色に、何故だか私は安堵した。
ふぅ と諦めたようにため息を吐き、そっと目を閉じる。吹き抜ける風が前髪をそよがせ、滲んだ汗を冷やす感覚が気持ち良かった。
「あの人と 何を話していたんです?」
心地良い沈黙を先に破ったのはレギュラスだった。
切り出す言葉を慎重に選んだのか、態度は至極冷静で、問いかける声は僅かだが硬い。
「見ていたの?」
「見えたんです」
ぴしゃり と即座に否定する。
その頑なな物言いに思わず笑みが漏れた。相変わらず素直じゃない。
「遠目から見ても目立っていましたからね。……後から情報も随分回って来ましたし」
「……シリウスは目立つからね」
「貴女も十分目立ちますよ。……相変わらず自覚は無いみたいですが」
レギュラスは呆れたようにそう言って、これ見よがしに肩を竦めてため息を吐いた。
咎めるというより心配しているのだろう。
不器用で、遠まわしな優しさ。それが何だか彼らしくて、うれしくて。
気づかれない様にそっと笑った。
「シリウスには、試験の出来について聞かれただけだよ」
苦笑交じりに答える。
シリウス・ブラックは私の婚約者だった。
過去形なのは、今はもう違うからだ。
数年前、私とシリウスは一緒にホグワーツ特急に乗り込み、並んでホグワーツの門をくぐった。幼い頃から共に育ち、遊び、私たち3人は当たり前のようにいつも一緒だった。
きっと、これから先もずっと、一緒だと思っていた。
──けれどその予想は見事に打ち砕かれた。
『ブラック家の恥さらし』
跡取り息子のシリウスが寄りにもよってグリフィンドールに組み分けされたことでブラック家の当主は大層怒り、私との婚約を破棄して代わりに弟のレギュラスとの婚約を持ち掛けてきた。
突然の事態に私の両親は少し渋ったものの、私の嫁ぎ先が同じブラック家であるなら構わない、と言ってそれを承諾した。
突然訪れた変化。
幼い私の世界はひび割れ、埋まらない穴が出来た。
多分それは、レギュラスも同じ。
──いや、それ以上に、深く。
「あまり関わらない方がいいですよ。貴女まで要らぬことに巻き込まれかねない」
シリウスの話をする時、レギュラスは決まって身勝手だと眉をひそめる。口を開けばするすると、止め処なく不満や怒りが言葉になって連なるけれど、そうして気持ちを吐き出している時のレギュラスは何処か痛みを堪えた表情をしている。憎んでもいるし、怨んでもいるのだろう。けれどきっと、それだけではない。
相手を好きであればある程、相手にこうあって欲しいという理想は強まり、期待する分、思う通りにならなかった時の失望も大きくなる。
好きな気持ちが強ければ強いほど、嫌いになった時の気持ちも強く。
……きっと、そういうものなのだ。
容易く言葉で表せるほど、浅い感情ではないのだろう。
怨嗟のような言葉を紡ぐ度に、無自覚に自分の心も削っているのだと、私は思う。
「うん。そうだね」
シリウスはいつもキラキラしている。
周りを巻き込み世界に抗い欲しいものには躊躇い無く手を伸ばす人。
その生きざまは真っ直ぐで、少し傲慢で、与えられた選択肢の中で藻掻き影を生きる私たちには眩し過ぎる。
与えられた小さな箱庭。与えられた大き過ぎる重責。
私もレギュラスも、そこから逃れることなんて出来ない。
数は少ないけれど そこには大切なものもある。
全てを捨てなくては、その外には出られないのだ。
箱庭を捨てきれない私たちは、箱庭の中で生きて もがいて 恋をする。
唯一全てを捨てて箱庭から出ていったシリウスとは、選ぶ未来が違うけれど。
「ジル」
────この人が、好きだ。
優しく名前を呼ばれる度に、私の心はするりとほどけてゆく。
そっと手を引かれるままに起き上がり、真正面から見詰め合う。
柔らかな灰青色。
同じ色の瞳。
じくり と胸の奥底が鈍く痛む。
似ているけれど、似ていない。
私が好きなのは、この人。
不器用で本当は優しくて強さと弱さを併せ持つ、レギュラス・ブラックただ一人。
初恋は叶わない。
甘酸っぱい思い出は私だけが覚えていればいい。
――――愛しているのは この人だけだ。
「レギュラス」
「はい」
「これからも、よろしくね」
ずっとずっと、一緒にいよう。
闇に呑まれてしまっても、私は 私だけは貴方の手を離さない。向かう先がどこであってもいい。行き先なんてどこでも良くて、重要なのはただひたすらに 貴方と共にいることだから。
この暗く狭い世界を 共に生きて行こう。
「貴女が望まなくても、そうするつもりです」
笑みと共にするりと頬に手を滑らせ、引き寄せる。
握った手のひらはひやりと冷たいのに何処か温かくて、その曖昧さが私たちみたいだと 口付けの合間に小さく笑った。
(箱庭の中で、恋をする)