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水に沈んだ星屑ひとつ
ぜぇぜぇと荒い息遣いが耳に付く。走った所為か肺と脇腹が引きつれるように痛み、喉は焼けるようだ。レンガの壁にぴたりと身を寄せて、レギュラス・ブラックは額に滲む汗をぬぐった。


月の明るい夜だった。


任務の帰り道。破壊、尋問、情報収集。命じられたことは全て果たした。
後は無事に邸に帰り着き報告を済ませればいい。足音を消し滑るように石畳を進む仮面の集団の最後尾で逸る気持ちを抑えながらレギュラスは月を見上げた。


「う、ガッ……!」


静寂を破ったのは一筋の閃光だった。

小さい悲鳴と共に先頭を進んでいた男が倒れる。反射的に足を止めた死喰い人達を取り囲むように次々と姿を現す闇払いの姿に仲間の間に動揺が走る。


「闇払いか……!」


不意打ちを喰らって動揺したものの、戦闘自体は決して珍しいことでは無い。気圧されつつも皆それぞれに杖を取り応戦した。

そのまま雪崩れ込むように戦闘が始まり、気づけばレギュラスは真っ黒なローブを纏った小柄な闇払いと対峙していた。


仲間とは散りじりになったが、時折聞こえる破壊音から推測するに、そう遠くには行っていないはずだ。


「っく……!」


死角を付いて放たれる閃光に盾の呪文で応じながら、後ろへ飛び退って距離を取る。
間髪入れずに放たれる呪文はひとつひとつが鈍く重く、強力だった。

相当な手練れだ。
フードを目深に被っている為性別も年齢もわからないが、細身のシルエットや素早い動きから判断するに、恐らく若いのだろう。


「ステューピファイ!!」


高い声が鋭く叫ぶ。ハッとして身を引くも一拍遅かった。真っ直ぐ伸びた閃光は顔を掠め、カラリ と乾いた音を立てて地面に銀色の仮面が落ちる。

仮面が 外れた。
顔を、見られた。


頬にピリリと痛みが走る。
――――失態だ。それも、致命的な。


死喰い人として表立っては活動できない。ブラック家の跡取りである以上、世間でどんなに闇の魔法使いだと噂されていても、事実としてそれを認識されてはならないのだ。

だから、顔を見られてはならない。バレてはならない。情報が広まる前に正体を見たものは、始末しなくては。


――――止めを、刺さなくては。


「ディフィンド!!」


素早い動きで放った一撃に ぱっ と赤が散る。
当たった。確かな手ごたえを感じて気分が高揚する。相手が痛みに動きを止めた隙を狙って地面を蹴り一気に間合いを詰める。


「っく、」
「レダクト!」
「プロテゴ!」
「ぐっ」


破壊音が断続的に響き渡る。間近で放つ閃光は互いのローブを引き裂き容赦無く皮膚を抉った。


激しい戦闘の果てに追い詰めて、体勢を崩して倒れた相手に馬乗りになる。
胸の奥で どくりと重く血液が流れる音がした。

(やった!)

勝利を確信して自然と唇が弧を描く。凶暴なまでに強く、苛烈に首を擡げた破壊衝動が思考を支配する。


気分が高揚するままに組み敷いた相手に手を伸ばし、深く被ったローブを剥ぎ取った。

そこ、に。


「――――どうして」


なぜ、どうして、君が、いる。


「どうしたの」


息が詰まった。その声を知っている。耳慣れた芯のある強い声。
間違いない。間違えるはずがない。
呼吸が止まって、頭の中が真っ白になる。


「私が闇払いになるとは思わなかった?」


鮮やかに笑う、女。
その顔。見覚えがあるなんてものではない。

だって、この人は――――僕の、


「き、み……が、……そんな……僕はっ」


遠くで破壊音が聞こえる。
怒声と複数の足音が重なり合うように響く。戦闘中の死喰い人と闇払い達が近づいてくる気配。

ハッとして、戸惑う。これを、この状況を見られたら、何と言われる。けれど、


「甘いね、どこまでも」


迷いを見透かすように精一杯の虚勢で微笑むジルの言葉に、レギュラスの顔が泣きそうに歪む。


「終わりにしよう、レギュラス」
「っ、ジル……」


「君が選んだのは、そういう道だよ」


突き放す声は一方的なのに優しくて、覚悟を決めた瞳は頑なで揺るがない。


震える指で、杖を握り直す。


かつて二人で過ごした日だまりのようにあたたかだった日々を思って ほんの一瞬目を閉じた。


「アバダ・ケダブラ」


閉じた目蓋の裏を緑の閃光が焼く。

強く、強く。


最後の口付けは、血の味がした。



****



緑の閃光が身体を貫き糸が切れた操り人形のように倒れてゆく。いつもその一瞬だけ 心が凍る。


僕は一体、何度彼女を殺すのだろう。


杖を向けた先でマグルが怯え泣き叫ぶ表情はどれも あの凛とした彼女の最期に似ても似つかないというのに、あの真っ直ぐな瞳が焼き付いて離れない。


ああ 僕はどうして此処にいる。何のためにこうして命を奪っているのだろう。
わからない。何を守っているのだろう。彼女はもういないのに。

わかっていたと思っていたのに、何時の間にかわからなくなってしまった。


考えることすら放棄したら楽なのだろう。命を奪い他者の人生を蹂躙する行為そのものに快楽を見出だせたなら こうして思い悩むことも無く、あの御方に信頼される優秀な死喰い人になれるのだろう。


それすら出来ない僕は一体何なのか。


一つだけ、確かなことは。
このままではいつか 僕はきっと壊れてしまう。


忘れることも出来たのだろう。けれどそれを手放したくはなかった。
ほんの数回、握った手のひらのぬくもりが やさしくて。どうしても忘れられなくて、卒業して自然と会わなくなってからも誰にも言わずに大切にしまっていた。


僕と彼女の関係に名前を付けることなど出来ない。


恋では足りず 愛には足りず。恋愛と呼ぶには不十分。


けれど確かに 大切だった。



****



「ぐっ……っぁ、ぁぁあぁ……!! 」


口にした液体が一口ごとに喉を焼く。目尻には涙が滲み、ひとりでに頬を伝って流れ落ちてゆく。
灼熱の炎のように熱く、胃に落ちたそれは凍てつく氷のように冷たく身の内から熱を奪っていった。


明滅する視界の中で 鮮やかによみがえるのは彼女の姿。
名前を呼ぶ声も背中を預けた時のぬくもりも全てが鮮烈で、胸を突く程愛おしかった。


ジルはいない。何処にもいない。


あんなにそばにいたのに。

毎日顔をあわせて、とりとめも無い会話を重ねて些細なことで笑いあって、沈黙すらも心地よかった。

生まれて初めて安らぎをくれた人。

なのに僕は たった一人のその人を失った。自らの手で、彼女と知って、知った上で、刈り取った。


大切にしなければならなかったのに。

心のままに生きるなら、何よりも優先すべきは彼女だった。
けれど僕は一番大事なはずの彼女を犠牲に、家族や、立場や、名誉や――――そういった、別のものを取った。
どちらも捨てられなかったけれど、本当はもっと早くに気付いていれば、どちらも守れた未来があったかもしれないのに。


無くしてから気付くだなんて 本当に僕は愚かだ。


ああでも全てが遅い。
所詮は結果論。


失ったから惜しいのだろうか。失わずとも愛せたのだろうか。
それすらも もうわからない。


これは 罰だ。


「……これで、いい」


渇きが身体中を駆け巡る。水を求めて杖を振っても、もどかしい程に水は出て来なかった。


誘われるように水辺へと足を進めると、呼び止めるように後ろでクリーチャーの声がした。
振り返らずに擦れる声で 戻れ と叫ぶ。


あれを壊して。二度と直すことが出来ぬ程徹底的に。あの人を、死に近付ける為に。
僕にはもう、出来そうも無いから。見届けられないのはとても 残念だけれど。
君が知っていてくれるなら、それでいい。父も母も兄も、誰も真実を知らぬまま。
母は泣くだろうか。僕に惜しまれる程の価値があるとは思えないけれど。兄は軽蔑するだろう。あの人に組して何も為せず、呆気なく死んでいく僕を。


それでいい、それがいい。


ただ 生きて欲しいだけ。


冷たく暗い水は恐ろしく澄みきって、深い底は果てが見えない。
ぶくぶくと口から漏れ出た空気は泡となって吸い寄せられるようにこの身を離れてゆく。
仰ぎ見た地上は既に遠く、射し込む僅かな光が届かなかった希望のようで、自嘲の笑みが口元に浮かぶ。水は冷たく 何処までも甘かった。




『どうしてマグルを殺すの』


かつて一度だけ向けられたその問いに 彼女を納得させられる程の答えを見付けることは出来なかった。


弱いから、愚かだから、穢れた存在だから、


本当にそれが正しいかどうかなんてわからない。けれど、ずっと、そう思っていた。思い込むことで、正当化していた。


ならばそうでない彼女はどうして死なねばならなかったのか。


どんなに言葉を並べても生じた違和感は拭い去り難く、一度不信を感じたら、もう止められなかった。

それでも臆病な僕はずるずると 流されるままに命を奪ってきた。
けれど最期まで自分の心に嘘を吐き続けることは出来なかった。


最期は自分の心に正直に。
そして今まで自分がしてきた事の責任は取らなくては。



罪も恨みも何もかも、全てを抱えて。この水の底で、僕は眠ろう。



(水に沈んだ星屑ひとつ)

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