×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
優しさはいつだって僕を裏切る
リドルの優しさは上っ面だけだ。

けれどその仮面があまりに精巧で、貼り付けた顔と仮面との継ぎ目が見えないほどなめらかに張り付いているものだから、誰もがそれを素顔だと思い込む。
偽りだなんて露ほども思わない。そんなこと考え付きもしない。優しさに裏がないと、それが無条件に与えられるものだと、愚かにも思い込んでいるのだ。


孤児院にいる頃からそうだった。
幼い頃は、ただ闇雲に力を奮い、他者を虐げ従わせるばかりだったというのに、いつからかリドルはそこに優しさを織り交ぜるようになった。
例えばケリーが橋から大事なうさぎのぬいぐるみを落としてしまった時。橋げたに引っかかったそれをあきらめきれずにその場に座り込んで泣きじゃくりながら見つめるケリーの横で、リドルは急に動いた。突然橋から身を踊らせたリドルに周囲が唖然としている内に、リドルはひとり重力など知らないとでもいうようなゆっくりとした速度で宙を舞い、狭い空間に降り立つと、いとも容易くぬいぐるみを手に取り戻ってきた。リドルは何も言わず、けれど普段の彼からは考えられぬ程やわらかな表情を浮かべて 少し汚れたぬいぐるみをケリーに差し出した。涙でぐしゃぐしゃになったケリーの顔が喜びに輝いた瞬間、リドルの手からぬいぐるみが滑り落ちた。


「ああ、手が滑ってしまった」


それはとても自然な動作で、間近で見ていた私の目にもただの不運な事故にしか見えなかった。重力に引かれて落ちてゆくぬいぐるみ。今度はどこにも引っかかること無くゆったりと流れる川へと落ちる。上がる水飛沫。浮いたぬいぐるみ。流れてゆくそれをすくい上げる手立ては子どもには無い。
けれど私は、リドルがわざとそうしたのだとわかった。


だって、そうでなければ説明がつかない。


あれ程美しい笑顔を、私は他で目にした事が無い。その時初めて私はリドルの顔がとても整って美しい造形をしているという事に気が付いた。今まで幾度も目にしてきてはいたけれど、孤児院でのリドルはいつも不機嫌そうに顔を歪めているか見ている相手を凍り付かせる程の冷めきった表情をしていたから、その造形にまでは注意を払えなかったのだ。

一体、神様はどうしてリドルに優しさを装う術を教えたのだろう。
どうせ教えるのならば、偽りではなく真実の優しさを教えて欲しかった。そうしたらきっと、こんな歪な生き物は生まれなかっただろうに。

リドルは何処までも残酷だ。
ただ突き落とすのでは無く、持ち上げてから突き落とす。相手の心が無防備になった瞬間を狙って、指先ひとつで突き落とす。それはとても簡単で、力を込める必要も無い。幸福のてっぺんにいる時、人は足元を見ない。そこが如何に高く、一歩でもずれたら落ちてしまう場所かなんて考えもしないのだ。だって今が幸福なのだから。
リドルはただ、撫でるようなゆるい力で最後のひと押しをするだけ。


「残念だったね。……不運な事故だ」


そうして相手が絶望する様を見て、とても綺麗に笑うのだ。


だからリドルと同じホグワーツに一年遅れで入学が決まった時、私は恐れた。リドルはひどく残酷で残虐で取り繕う事に長けていて、同じ孤児院で育った私にはその恐ろしさが身に染み付いていたから。けれど実際、ホグワーツでのリドルは孤児院のリドルとは別人だった。物腰はやわらかく、態度は至って紳士的で親切。その整った容貌と相俟ってさながら幼い王子様のようだった。


「やあ、Miss.ウィンスレット。ホグワーツへようこそ」


面倒見の良い先輩の仮面を被ったリドルは常に優しく微笑んでいた。その笑みは文句の付けようが無いほど完璧で、けれどかえってそれが私の目には歪んで醜く映った。


引き上げてから、突き落とす。希望が絶望へと変じる瞬間を、リドルは幾度も作り出す。リドルはその優しさを、残酷な方法でしか使わない。


「もっと人に優しくできないの? 」


廊下を歩くその背に投げかけると、リドルは足を止めた。松明の灯りがゆらめく薄暗い背景とローブの黒とが滲んで、境界線は曖昧だった。言葉の後には不自然な間が空いた。逃げ出したくなる足をぐっと踏みしめて、私はリドルの反応を待つ。勿体ぶった動作でゆっくりと振り返ったリドルの顔には、常と変わらぬ笑みが浮かんでいた。


「何の事かな? Miss.ウィンスレット」
「その薄ら寒い呼び方はやめて」


身長は伸び、肌はきめ細やかで青白い。ほっそりとした顎を縁取る髪は艶めいて黒く、切れ長の瞳は陰って深い。17歳のトム・リドルは何処から見ても美しい、スラリとした体躯に整った容貌の青年へと成長していた。


「それは失礼。君は何故、先程の質問を? 」
「談話室でミランダが泣いていたわ。手に負えないくらい酷く。どうせ、貴方が原因でしょう」
「心外だな。何事も直ぐに断定するのは危険だよ」
「……貴方以外に考えられないもの」


鋭い視線を向けたままに言い切ると、リドルは仕方ないな、という表情を浮かべて肩を竦めた。その動作は何処か演技じみていて、とてもリドルらしかった。


「仲間思いだね。さすがはハッフルパフだ」


その声のどこにも皮肉だとか嫌味だとか、そういった馬鹿にする感情は込められていなかった。リドルはそれを押し隠すのが上手い。その心は誰にも測れない。平凡と言われるハッフルパフ。けれど私はそんな自分の寮が大好きだった。確かにグリフィンドールのような派手さも、レイブンクローのような聡明さも、スリザリンのような狡猾さも無い寮だけれど、みんな優しくていい人ばかりだ。何よりハッフルパフにはリドルがいない。それが私には何より大事な事だった。


「どうして他人に優しくできないの? 」


再び同じ問いを投げかけると、リドルはほんの少しだけその目を細めた。けれど口元には緩い微笑が浮かんだまま。優しげな表情。優しげな声音。それは全て作りものだ。リドルの姿は相手の理想を反映した姿だ。だからとても美しく、相手を惹き付けてやまない。鏡に映った理想を、ただ忠実に演じただけの姿。それに中身なんて無い。からっぽだ。


「僕は十分優しいと思うけれど? 」
「優しい? どこが。貴方のそれは自分より遥かに脆弱な生き物を嬲って遊んでいるだけだわ。希望をちらつかせて手を伸ばした所を突き崩す。タチが悪いわ。自覚が無いなら余計にね」
「今日はまた随分と饒舌だね。孤児院の頃は僕を避けていたのに」
「いつまでも子どもじゃあいられないわ。それに、今日は貴方と話すために来たんだもの」
「おや、それはそれは……」


リドルは喉を鳴らして笑った。


「君も、大人になったという事かな」


肩を竦めて苦笑する。その年長者らしい態度が酷く癇に障る。いつまで演じるつもりなのかと睨んでも、リドルは余裕を崩さない。ホグワーツでリドルが私に対して昔のような態度を取る事は一度も無かった。例え二人きりでも完璧に張り付いた仮面は剥がれない。トム・リドルはいつだって余裕ぶった表情を崩さない。


「答えてよ」


口調には苛立ちが滲んだ。ぎゅうと寄った眉間の皺。握り締めた手のひら。伸びた爪が食い込み染みる。私はリドルの仮面を見破ったわけじゃない。ただ昔の、親切な優等生の仮面を被る前のリドルを知ってただけだ。それすらも、もしかしたら仮面だったのかもしれない。どれが素顔かなんて、最早本人すらわからないのかもしれない。


「ミランダが、僕の名前を出したかい? 」


ゆるりとリドルの口元が弧を描く。瞳は猫のように細まる。予想外の答えと、その瞳に浮かぶ愉しげな色に、私はたじろいだ。


「それ、は……」
「出していないのなら、それは君の勘違いさ」
「けど、そんな事は! 」
「無い、って――――どうして言えるんだい? 」


証拠も無いのに、と続く言葉に口をつぐむ。ミランダはずっとリドルが好きだった。ずっとリドルの話ばかりしていた。最近話せるようになったのと、嬉しそうに話していた。リドルが原因だと、思い当たる節は幾つもある。けれど明確な証拠は無い。この男はどうしたって尻尾を掴ませない。


「悪い事を、何でもかんでも僕に結び付けるのはやめてくれ」


それは君の悪い癖だと宥める言葉に、何も言えなくなる。納得いかない、という思いが顔に出ていたのだろう。リドルは喉を鳴らして笑うと、諭すように語り始めた。


「――――ひとつ、教えてあげようか」


何がリドルの気を引いたのか、リドルは声のトーンを変えた。その顔に浮かぶ笑顔はいつもの人当たりの良いそれでは無く、瞳にちらつく残酷さがどこか過去の孤児院時代のものに似ていた。


「優しさなんてまやかしだ。実体の無いものを無条件に信じる方が愚かなんだよ」


すらすらとまるで演説みたいに喋りだす。こちらの反応を愉しむように、時折横目で見ながら。僅かに首を傾けた拍子に長い前髪が目元に掛かる。影が落ちる。暗い色をした瞳の奥に赤い色が見え隠れして、その冷たさに背筋が冷えた。リドルは息をするように嘘を吐く。それはリドルにとって自然なことで、そこに罪悪感なんて微塵も無い。


「優しさはいつだって僕を裏切る」


その一言は鉛のように重く、氷のように冷たく響いた。


「君も、いつかわかる。他人に期待する事が如何に愚かか」


鼻で笑うリドルの目は冷ややかで、昏い。


「――――わかった時には、既に手遅れだけれどね」


その目の鋭さに、声に潜む感情に、私は打ちのめされた。どす黒くぐちゃぐちゃで底無し沼のように深い闇。粘度の高いそれはこびり付いて離れない。そんなものを抱えてどうして生きていける。どうしてそこまで深みに落ちてしまったの。疑問と困惑。怒りはとうに消えていたけれど、反対に生まれた哀しみとやるせ無さに、私は茫然としたまま立ち尽くし、リドルがその場を立ち去ったことにもしばらく気が付かなかった。


リドルはある意味誰より純粋だった。
子ども特有の純粋な残酷さをいつまでも持ち続けている人だった。

優しさはいつだって彼を裏切る。
けれど裏切られたと感じるのは、それに期待していたからではないのか。
微塵も期待していないなら、裏切られたとは感じない。傷付く事も無い。露程も傷付ける事は出来ないはずなのだ。

傷付いたなら、期待していたのだ。
期待していたから、傷付いたのだ。

優しさは残酷だ。それを使い潰すリドルもまた残酷だ。
優しさは孤独を抱えた子どもには強過ぎる。優しさは傷口にしみるのだ。優しさは傷口の無い、優しさを与えられる事に慣れた人間にしか、優しくない。

優しさとは何なのだろう。優しさと甘さは違うと人は言うけれど、私にはその違いがわからなかった。どちらも私にはしみるから、それから距離を置く以外にどうしたら良いかがわからなかった。

優しさが人を傷付けるなら、優しさは誰のためにあるのだろう。


「優しい言葉、優しい態度、優しい笑顔、上っ面ばかり」


欲しかったのはそれじゃあない。優しさなんていらなかった。そこに愛が無いのなら、そんなものは虚構に過ぎない。優しさは装える。優しさは作り出せる。優しさはまやかしだ。ならば何の価値も無い。


「優しさはいつだって人を裏切る」


それは誰の救いにもならなかった。
私も周りの人々も、リドル自身すら、救ってはくれなかった。

prev next