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遅咲きコバルトブルー


「先生〜、ハッピーバレンタイン!」

陽気な声とともに、生徒から小さなチョコレートを無理矢理手渡された。 ラッピングの一部から透けて見えるチョコレートは少し歪で、手作りしたようだった。

「みんなで作ったんだー」
「見た目はあんまりだけど、ふつーに美味しかったよ」

にこにこ言う生徒たちは素直で明るく、つられてアイリーンの唇もほころぶ。

「ありがとう。……はい、私からも。既製品だけど」
「やった!」
「アイリーン先生ありがと!」

集まった生徒に個別包装されたチョコレートを贈れば、声を上げて盛り上がる。微笑ましく見つめていると、 生徒たちの一人が爆弾を投げた。

「アイリーン先生、デイビス先生やっと振った? めっちゃ落ち起こんでたけど」

ヴィクターを好きだと自覚してから、ようやく同僚に気持ちを受け取れないことを告げた。厳つい面持ちの同僚は見るからに動揺してショックを受けていた。半年以上断り続けただけではっきり口になかったアイリーンが悪いので、罪悪感でちくちく胸が痛む。
いつも通り曖昧に微笑を浮かべておく。答えがなくとも恋バナが好きな少女たちは好き勝手に喋り出す。

「てか、どう考えてもずっと前から脈なしなんだから諦めろっつー感じ」
「ね。アイリーン先生、眼鏡イケメンヒーローと知り合いだしさぁ。デイビス先生じゃ勝ち目ゼロだわ」
「それそれ。両想いチョコレート買って渡しても無理でしょ」
「両想いチョコレート?」

今年はそんな宣伝文句のチョコレートがあるのか。ずいぶんな誇大広告である。 詐欺だと疑われないのだろうか。

(【サブスタンス】 絡みだったら面白いけど)

すぐに 【サブスタンス】 に繋げてしまうあたり、ヴィクターに考えが染まってきているようだ。アイリーンが小首を傾げていると、 生徒が答えてくれる。

「うん、渡したら絶対その人と付き合えるってやつ。SNSでしか見たことないから信憑性ゼロだけどね」
「でもほしーい」
「わかるー」

絶対なんて単語がついただけで一気に嘘で塗られていく。生徒たちもよく分かっているらしくからから笑っていて、単なる雑談のひとつとして消化しているだけだった。たとえ噂が本当だとしても、もはや洗脳だ。相手の心を入れ替えるほど自分の欲望を優先したい強い気持ちがあるということになる。独占欲も支配欲もないアイリーンは使いたいと思わなかったし、むしろ恐ろしささえ感じる。

「ほら、次の授業始まるでしょう。早く行きなさい」
「はーい」

心に暗い影を落とすアイリーンとは反対に、十代の乙女たちはどこまでも楽しそうだった。


担当していた授業もすべて終わり、早めに帰路に着く。周りはやはりバレンタイン一色で、看板や店のショーウィンドウにチョコレートを筆頭に他のお菓子も大きく載っている。たくさんの広告の中にはエリオスのバレンタイン・リーグの文字があった。

(ノースのみんなも出るのかしら)

「先生」

頭にあった人物の声が耳に入って後ろを振り返る。ガスト一人だけかと思えば、レンも一緒にいる。顔をしかめずクールな表情で、共通の目的があって行動を共にしているようだった。

「あら、レン、ガスト。こんにちは。一緒に買い物?」
「違う」
「えーっと、今本屋の手伝いしててさ。弟分の本屋なんだけど、ちょっとピンチで」

ガストが簡単に経緯を説明してくれる。つい先日は本屋に客を呼び込もうと読み聞かせをしたのだとか。
馴染みの本屋だから、友人の本屋だから。理由は何であれ、人のためにできることをしようとする姿勢は『ヒーロー』の名に相応しい。HELIOSに入ったからというわけでもなく、二人の元々の気質だろう。
アイリーンが二人に感心して心の中で称賛していると、

「あ、そうそう、俺たちバレンタイン・リーグ出るからさ。先生もよかったら来てくれよ」

ちょうど二人へ聞きたかったことを言ってくれた。ルーキーが本屋の手伝いをしているなら厳しいと踏んだが、出場するようだ。

「バレンタイン・リーグも出るの? 大変ね」
「マリオンが出るって決めたんだ」
ヴィクターが最年長でメジャーヒーローだが、研究を優先している身である。ヴィクターの話を聞く限り、チームに関することは実質マリオンが先導していて、決定権もほぼマリオンに委ねられている。マリオンが決めたことはほとんどチームの中で決定事項なのだろう。

「ハロウィンは四人とも違った衣装だったわよね。今度は何がテーマとかあるの?」
「不思議の国のアリスだ。レンがアリス、俺がハートの女王……っていうか王で、ドクターがイカレ帽子屋、マリオンがトランプ兵」
「アリス? ずいぶん可愛いテーマね」

バレンタインには適したテーマだ。しかし、イカレ帽子屋やトランプ兵はともかく、アリスの可愛らしいイメージで男性でも自然に着られる衣装がアイリーンには予想できなかった。
アイリーンの疑問にレンの顔つきがだんだん苦いものになっていく。

「衣装がちょっと……ひらひらしてて、動きづらい」
「レンの衣装、アリスがモチーフだからか、ひらひらしてるよな。俺もちょっと派手なんだよなぁ」
「主人公と王様なんだから、派手なのは仕方ないんじゃないかしら」

だよなぁとこぼして、ガストはため息をついた。それからアイリーンへ目を移し、

「でも、ドクターはなんかウエストの方で【サブスタンス】絡みの問題があって、出れるか分かんねぇんだよ」
「そうなの。本当お忙しいわね」

【サブスタンス】が関わっているならノヴァかヴィクターが主に担当することになるだろうから仕方ない。
落胆が声色に乗ってしまったのか、ガストが続けて話し出す。

「あー、そうそう、本屋で読み聞かせするってなったとき、ドクターが指導してくれたんだぜ。意外にも演技力すごくて……なぁ、レン」
「あぁ。すごく上手かった」

レンが頷く。すごくなんて言うくらいだからよっぽどだったのだろう。
心理学と演技力は密接な関係にありそうだが、実際に演じられるかはまた別のはずだ。何か経験でもあったのか。

(マリオンさんとかにしてたのかしら)

ヴィクターがエリオス研究所に入所したときマリオンもいたようだし、辻褄が合いそうだ。どちらにせよ、読み聞かせするヴィクターの姿を考えると笑みがこぼれる。

「ヴィクターさんの読み聞かせ、いつか聞いてみたいわ」

叶うかどうかは別として。想像するくらいは許してほしい。
にこやかに微笑むアイリーンに、ガストは曖昧な表情をしている。おかしなことを言ったかと首を軽く傾げると、ガストが携帯機を確認した。

「っと、そろそろ行かねえと。じゃあまたな、アイリーン先生」
「またね、二人とも」

レンとガストはそのままレッドサウスの通りに向かっていった。
ノースの研修チームがバレンタイン・リーグに出場するとなれば話は早い。家に帰ったらサイトを確認しなくては。
アイリーンは緩み出した頬を叩き、家へ帰る足を速めた。



バレンタイン・リーグ当日。インターネットの回線が遅いと厳しいだのいい席は抽選だの転売だの、たくさんの情報があって混乱したが、チケットは無事に購入できた。
【LOM】 はハロウィン、クリスマスと何度か見たことがあるが、生で観戦は初めてだ。動画でもヒーローたちの戦闘は十分迫力があった。間近だと動画の比ではないだろう。

チケットに記載されている席に座る。周りは家族連れかカップル、もしくは友人で来ている観客がばかりだ。バレンタインという祭日にもってこいのイベントには思えないが、やはりニューミリオンにおいて『ヒーロー』の存在は大きいことを思わせる。一人のアイリーンは少し浮いている。
アイリーン以外にも一人の客はちらほら見かけるが、興味本位の視線は注がれる。いつものことなので気に留めず、携帯機器でエリオスの公式ホームページを検索する。そろそろ開催時間だ。

司会進行役の男性が一通りの説明をした後、様々なチームの模擬戦が行われる。
数時間後、ノースセクターの研修チームの出番がやってきた。先程まで別のチームのコンセプトに沿っていた会場が、突然ハートの女王ならぬハートの王の庭に様変わりする。その中を、出場口から悠然とハートの王に扮したガストが歩いてくる。普段のガストは気さくで親しみがあるが、今は傲慢な笑みを浮かべており、冷徹かつ尊大ながらも威厳があった。中央に置かれた豪奢な椅子に大きく腰を落とす。
次にレンが不満そうな表情で登場する。レンの服装は袖にフリル、首元にもフリル、フリルタイに細いリボン、頭には薔薇のコサージュがつけられている。アリスらしく白と水色を基調とした服装はオシャレで可愛らしいが、シンプルなものが好きそうなレンが嫌そうな顔をしていたのも納得できた。

椅子から動かぬまま、ハートの王がアリスへ告げる。

「アリス、俺のベーグルサンドを盗んだ罪は重いぞ。覚悟はいいか?」
「違う。俺はついさっきここに来たばかりだと言っているだろう。くだらない裁判に付き合わせるな」
「ふん、嘘を言って逃れようとはな」

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に出てくるハートの女王は癇癪持ちだが、ハートの王はふてぶてしくもあくまで冷静だ。とはいえアリスが否定しているにもかかわらず思い込みで行動していて、やはり自分本意であることは共通しているようだ。

「裁判の結果を待つまでもない。……トランプ兵! アリスを捕らえろ!」
「お任せください」

凛として苛烈な声とともにマリオンが顔を見せる。マリオンが持つ厳格で毅然とした態度が、今はハートの王への忠誠心を強く見せている。
マリオンと共に現れたドローンはトランプの兵を模していて、一等兵らしいマリオンが的確に指示を下していく。レンも銃で応戦するが数が多く苦戦している。

しかし、ここまで来てイカレ帽子屋は一向に姿を見せない。

(ヴィクターさん、結局ダメだったのね)

残念だ。今回どんな風にエクスペリメントを駆使して戦うのかも、ヴィクターの演技力も見てみたかったのに。心が沈みそうになるのを抑え、目の前のデモンストレーションに集中する。
マリオンのしなやかな身のこなしやレンの氷とともに舞う銃撃も、常日頃の努力が目に見えて感嘆する。数秒目を離した隙に遠くへ移動していて、レンはトランプ兵を撃ち落とし、マリオンはレンが撃った隙を狙って鞭を振るう。凍てついた氷と薔薇が飛び交う戦いは素人目で観ても面白い。

やっぱりガストは最後に戦うのかしら、と手に汗握って観戦していたとき。

「おや。今日のハートの王はいちだんとご機嫌斜めですね」

イカレ帽子屋が、音もなく現れた。理知的な顔から出ているにこやかなはずの微笑はどこか歪んでいて妖しい。

ヴィクターがバレンタイン・リーグに出場できたことも【サブスタンス】の問題が解決したことにも喜ばしく、アイリーンは胸を撫で下ろす。今まで十分楽しかったが、ヴィクターが顔を登場したことで一気に高揚感が増した。

「そりゃそうだ。俺のベーグルサンドを盗まれたんだからな」
「大変。それはさておき、貴方も一杯如何です? 素晴らしい味の紅茶ですよ」
「遠慮しておくよ。それはイカレたヤツが飲む物だろ?」
『アリスがトランプ兵に囲まれてしまいました! アリス、大ピーンチ!! どうする、アリスー!!』

ハートの王とイカレ帽子屋の会話に耳を傾けているうちに、アリスが劣勢になって追い込まれていた。台本のうちだろうが、レンの苦々しい表情は演技のようには思えない。唇を引き結び、どうやって戦況を打破しようか考え込んでいる。

「お茶にしましょう、アリス。クッキーは如何ですか?」

いつの間にかイカレ帽子屋がトランプ兵をかいくぐってアリスの隣へ移動していた。
イカレ帽子屋の緊迫感のない言葉に、アリスがぽかんと口を開いた。

「隠し味は火薬です。アリスが召し上がらないのでしたら、どうぞ皆さんで召し上がれ」

隠し味が火薬のクッキーなんて言葉はイカレ帽子屋らしい。危険な単語に似つかわしくない穏やかな笑みをたたえたまま、イカレ帽子屋は手にしていたクッキーをトランプ兵へ放り投げる。同時に爆発音が会場に響き渡った。どよめきと歓声が沸き上がる中、

「如何です? こちらのクッキー、なかなか刺激的な味でしょう?」

イカレ帽子屋は涼しい顔のまま悠々と言った。

ヴィクター・ヴァレンタインか、イカレ帽子屋か。どちらとも取れそうな混ざり具合で、上手く役を自分のものにしている。ヴィクターの新たな一面を見て、アイリーンはますます会場から、ヴィクターから目が離せない。

「ヴィ……イカレ帽子屋、次の攻撃が来るぞ」
「すみません、アリス。八秒前に『何でもない』日を祝うお茶会を始めてしまい、今手が離せません」

本にも出てきた洒落た言い回しだ。断られたアリスは再び前を見据えて銃を構える。

「なら、俺ひとりで撃ち落とすまでだ……!」

トランプ兵をすべて倒したアリスが、最後にハートの王と向き合う。今まで泰然と玉座に座り込んでいたハートの王も険しい表情でマスケット銃へ手をかけている。先に動いた方が勝つ。肌が粟立つようなひりついた空気が会場全体を覆い、アイリーンを含めた観客全員が音ひとつ出さず固唾を飲み見守っている。

『両者、すさまじい気迫です! お互い睨み合ったまま、微動だにしません!!』
「ふたりの実力が拮抗しているからでしょう」
『なるほど……。って、なんで貴方がここにいるんですか!!』

実況の男性が大きな声を上げてアイリーンも気付いた。知らぬ間にイカレ帽子屋が実況席でアリスとハートの王を見つめている。ハウリングを起こしたマイクの音量に動じず、イカレ帽子屋が美しい顔に楽しげな笑みを広げた。

「折角ですから、お茶会のついでに解説でもしようかと」
『解説をついでにしないでください……!!』

(ヴィクターさん、楽しそう)

コントを見ているようなテンポの良さだ。茶目っ気たっぷりなヴィクターに、アイリーンの口からくすくす笑い声が漏れる。
好きな人が開放的で晴れやかな顔をしている。たったそれだけのことであたたかな気持ちが体に心に満ちている。少女小説か詩集にありがちな陳腐な表現が、まさしく今のアイリーンにぴったり当てはまっていた。

小さな弟を見守って生まれた母性とも異なる感情。叶わないから苦しいけど、同時に多幸感が胸と脳に広がっていく感覚は麻薬のよう。なるほど、人類が夢中になるのも納得だ。
周りの人間がアリスとハートの王の銃撃戦に熱く盛り上がっている中、アイリーンだけは澄んだ眼差しをヴィクターに注いでいた。


バレンタイン・リーグが終わり、アイリーンは家に戻った。今日のイベントを噛みしめながら夕食を食べる。
食器を洗ってふと外へ目を向ければ、すでに藍色で覆われている。そろそろ撤収してひと段落した頃だろう。
今日の感想でも送ろうか。アイリーンは携帯機器をタップする。

『今日はバレンタイン・リーグ、お疲れ様でした。初めて生で観たんですけど、やっぱり配信とは違いますね。マリオンさんはもちろん、ルーキーなのにレンとガストにも迫力がありました。レンとガストからヴィクターさんは演技が上手いと聞いて楽しみにしていたんですが、とても素敵なイカレ帽子屋でした。お忙しいと思いますので、返信はいりません。それと、ハッピーバレンタイン』

送信の文字を押して数分後、通知で携帯機が震える。画面を見ればヴィクターだった。

『ありがとうございます。観に来てくださったんですね。貴方にそう言っていただけると演じた甲斐がありました。私もなかなか楽しかったですよ。アイリーンも、ハッピーバレンタイン』

ヴィクターのメールはすでに何度かもらっている。しかし、今は返信が来るだけで心が春になる。よく話す知人から友人に変化したような気がして。
もう三十になったのに好きな相手からメールをもらったくらいで満ち足りるなんて、本当に思春期の少女だ。こんな気分を周りに振りまいているなら、なるほど能天気と揶揄されて当然だろう。

「ハッピーバレンタイン」

けれど、アイリーンは浮かれて最後の言葉を口にするのだった。