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- ナノ -

星冴ゆる胸


十二月ともなると空気も冷え切って、吹く風に体が震える。アイリーンはすっかり外の寒気に染まって冷たくなった手を擦り合わせた。摩擦でほんの一瞬だけ暖かくなった気になるが、すぐに元の温度に戻った。
自宅からマゼンタアベニューに出ると、街はすっかり赤や緑を中心とした色合いに変わっていた。電灯をツリーや店に飾り付け、朝だというのにきらきらした光を放って街を彩る。

(もうそんな時期なのね)

アイリーンは街の装飾を見ながら歩く。成人すると時が過ぎ去るのが早く、街の華やかさで何のイベントが近いのかを知る。お祭りは楽しいが、誘われたら参加する程度だ。
ここ数年のクリスマスもハロウィン同様で、友人や生徒からクリスマスカードやちょっとしたお菓子やプレゼントを貰ったりあげたりする程度だ。デートやパーティーにも縁がなかった。イベント特有の陽気さとときめきを感じたくて恋人を作る人もいるらしい。寂しさを埋めるため、ということだろうか。

「そろそろクリスマスだね〜」
「ねー。パーティーのプレゼントどうする? むずくない?」
「どうしよー。男子に渡るの考えるとマジでむずいわ」
「ほんとそれ」

アカデミーとは違う制服を着た少女たちがそんなことを言いながら通学している。難しいと口にしながらも、笑い合って相談する姿に笑みがこぼれた。
クリスマス、パーティー、プレゼント。今年も味わう機会がなくてもわくわくする単語に胸を温めていると、低くも穏やかな声が耳へ飛び込んできた。

「よっ、アイリーン先生。おはよう」
「あら、ガスト。おはよう」

後ろを振り返れば、ガストがどこか眠そうな顔で手を振った。HELIOSの制服とは異なり、ブラ
ウンのコートと青緑のワイシャツ、三色マフラーと、明らかに私服だ。

「今からアカデミーか?」
「そうよ。ガストは……パトロール、にしては早いし、私服だし。夜遊びの帰りだったりするのかしら」
「あー、そうそう。弟分たちとダーツバーで遊んで、その後家ではしゃいじまってそのままで」

言い終えた後、ガストが出てきた大きなあくびを手で噛み殺す。明るく社交的で友人が多そうなガストは集まって騒いで楽しむことも多いのだろう。

「遊ぶななんて言わないけど、遅くまで遊ぶのはほどほどにしておいた方がいいんじゃないかしら」
「はは、そうだよな。連絡はしといたけど、遊び惚けるなって怒られてトレーニングの量増やされちまう」
「クリスマスだから【LOM】も近いだろうし、本当やることがいっぱいで大変ね」
「あー、そうそう。だからマリオンも気合い入っててこえーんだよなぁ。ちょっと前までハロウィンだったのに。……あ、大変と言えば、最近までうちにサーバルキャットがいたりしたんだぜ。って、ドクターから聞いたか?」
「えぇ。サーバルキャットなんて珍しいわよね。ヴィクターさん、動物には好かれないから、いろいろ試してみたって言ってたわ。餌付けしようとしたり、おもちゃを買ってみたり」

飼うためではなくあくまで調査のためとはいえ、動物用の餌やおもちゃのホームページを見るヴィクターを想像し、何だか心が和やかになったことを覚えている。今もそのイメージが頭に浮かぶと唇がほころんでしまう。

アイリーンの言葉にガストは何故か乾いた笑いを浮かべている。変なことを言っただろうか。ガストをじっと見つめていると、わざとらしいくらい目を逸らして言った。

「そういや、もうすぐクリスマスだろ。先生はドクターに何かプレゼントしたりすんのか?」
「プレゼント? ヴィクターさんに?」

思いもよらぬ、というか、アイリーンの思考に全くなかったことを言われ、子供のように言葉を重ねてしまった。

「いや、てっきりすんのかなって思ってたんだけど。しねぇのか?」
「男性へプレゼントを贈ったことなんて同僚か恋人しかないから、プレゼントって考えがあんまりなくて……」

同僚は旅行の土産、恋人はクリスマスかバレンタイン、誕生日。ヴィクターとアイリーンは、友人寄りの知人、大学教授と生徒のような間柄である。だが、本当によく世話になっている。軽いプレゼントを贈るくらいはすべきだろう。

「そうよね、日頃のお礼に何か贈った方がいいわよね」
「ドクターもさすがに先生のプレゼントを無下にはしないだろ。プレゼントって、贈ってくれたっていう事実が嬉しいしな」
「確かに。ガストに言われなかったら何もしないところだったわ。ありがとう、ガスト」
「大したことじゃねぇけどな」
ガストは大人びた笑みを浮かべる。それから腕時計へ視線を落とし、ぎょっと目を見開いた。

「やべぇ、そろそろタワーに帰って着替えねぇとマジで鞭で打たれる! じゃあな、先生!」
「またね」

新米ヒーローがレッドサウスの街並みを駆けていく。慌ててエリオスタワーへ戻るガストの背を見送って、アイリーンもアカデミーへ歩き始めた。


ヴィクターへプレゼントするには、三つ満たさなければならない。 たくさん贈り物をもらうであろう彼の重荷にならないもの。 感謝を伝えられるもの。彼が好みそうなもの。
今まで元恋人へ贈ったものは、欲しがっていたワックス、ブランドの小銭入れ、ワインケースなどなど。毎回ホームページと睨み合い、季節もののプレゼント売り場をうろうろしていた。

(何にすればいいのかしら)

そもそもメジャーヒーローともなれば高給取りだ。欲しくなればどれも自分で買えるはず。国際物理オリンピックより難しすぎる問題である。
一日の勤務を終えて今晩のメニューを考えていたはずなのに、すぐにプレゼント選びで頭がいっぱいになってしまった。スーパーの閉店まで時間はあるし、先にブルーノースシティまで行ってプレゼントを選ぼうか。

決めたところで、ある親子が目に入った。子どもを真ん中にして、父親と母親が子どもの両手を繋いでいる。元気いっぱいな笑顔が眩しい。これからクリスマスプレゼントを買いに行くのだろうか。
両親に手を繋いで歩いてもらったことなど、アイリーンの記憶にはクリスマスどころか他のイベントにもない。代わりに年の離れた弟と手を握った父と義母の後ろ姿が脳裏に浮かぶ。それから、クリスマスの朝、父親という名のサンタクロースが華やかなラッピングに包まれた箱を置いていってくれたことはあった。

(何が入っていたんだっけ……)

十年分、累計で十個くらいはもらっていた箱の中身を思い出そうとして首を振る。今はヴィクターのプレゼントの方が大事だ。

そして、親子から目を離したとき。アイリーンの視界に不思議なものが見えた。

(……クマ型の、ロボット?)

小さなクマ型のロボットが、丸い足を揺すってベンチに座っている。周囲も目を奪われているが、「可愛い」とこぼしただけでみんな通り過ぎていく。しかもまるで生きているようににこにこ笑って応じている。
よく見かけるロボットなのか。レッドサウスに長年住んでいながらアイリーンは初めて遭遇したのだが。首を傾げながら、赤いリボンをつけた可愛らしいロボットに注目してしまう。

クマ型のロボット。何だか聞いたことのある形をしている。脳内で引き出しを探しているうちに、ばちり、可愛いロボットと目が合った。途端に可憐ににっこりされてはもう逃げられない。
アイリーンはクマ型ロボットと距離を縮め、目線が同じ高さになるよう屈んだ。

「えっと……貴方、迷子かしら?」
「ジャクリーンは迷子じゃないノ。マリオンちゃまのお迎え待ってるノ」
「マリオンさん? マリオンさんと貴方は家族……ってこと?」
「そうナノ! ジャクリーンは、マリオンちゃまのお姉ちゃまナノ〜」

ジャクリーン。名前を聞いて思い出した。
ノヴァが十歳のときに作ったAIロボット。名前をジャクリーンといって、AIなのに不可思議な思考回路で行動が読めないのだ、とヴィクターが語ってくれたのだった。ヴィクターは「お転婆ロボさん」なんて可愛らしい呼称で呼んでいて、二人(二人?)は仲が良いのね、と優しい気持ちになった。
ジャクリーンとは別のサポートロボットもいて、名前はジャック。こちらは「お掃除ロボさん」なんだとか。

「お姉ちゃま……。そうだったの。迷子なんて言ってごめんなさい」
「よく言われるからいいノ。ジャクリーンは大人なレディだから、気にしないノ」
「あら、本当にお姉さんね」
「んふふ、ありがとうございますナノ〜」

褒められて花を飛ばす様といい、独特の語尾に幼い言葉遣いといい本当に小さな女の子だ。
すでに創られて二十年は経っているのに大して精神年齢が高くないように思えるのは、AIロボットだから人間と時間の感覚が違う、ということだろうか。

「ねぇねぇ、何か困ってるノ? 良かったら、ジャクリーンが解決してあげるノ!」
「えっと……嬉しいけど、マリオンさんが迎えに来るのよね?」
「マリオンちゃまなら遅れるって言ってたから大丈夫ナノ! えーと・・・何ちゃまナノ? お名前教えてくださいナノ。ジャクリーンはジャクリーンナノ! HELIOSで、みんなのお手伝いをしてるノ〜」
「私、アイリーン・シェリーよ。よろしくね、ジャクリーン」

名前を名乗ると、ジャクリーンの丸い目がさらに丸くなった。

「アイリーン? アイリーンちゃまって、ヴィクターちゃまと仲良しのアイリーンちゃま?」

仲良し。そう形容していい関係なのか、未だに頭を縦に振ることができない。プレゼントを贈ることすら選択肢になかったほどなのだから。
無邪気な眼差しを送るジャクリーンに、アイリーンはかろうじて微笑みを唇に形作る。

「仲良し……かは分からないけど。多分そのアイリーンよ」
「本当? マリオンちゃまとパパ、ヴィクターちゃまからお話聞いて、会ってみたかったノ。会えて嬉しいノ〜!」
「そうなの? ふふ、ありがとう」

無邪気に飛び跳ねるジャクリーンは可愛らしい。朗らかな気持ちになったところで、こてんとジャクリーンがない首をひねった。

「アイリーンちゃまのお悩みってな〜に?」
「お世話になってるお礼に、ヴィクターさんへプレゼントを贈りたいんだけど……全然思いつかないの」
「ヴィクターちゃまにプレゼント!  とってもステキナノ〜!」

丸い瞳にダイヤの光がコミックのように灯った。同じくアニメじみた声がますます高くなり、少しアイリーンの耳が痛くなる。

「ヴィクターちゃまはネ、お仕事で大変なとき、甘いものがいいってよく言ってるノ。だから、チョコレートがいいと思うノ〜!」

チョコレート。食べ物なら気軽に渡せるし賞味期限も長いし、無難な落としどころだろう。アイリーンよりもずっとヴィクターと付き合いの長いジャクリーンの勧めなら間違いない。

「チョコレート、いいわね。ちょうど近くにセレクトショップがあるし」
「ジャクリーンも一緒に選びたいノ〜」

しゃがんだアイリーンの膝をぽんぽん叩く。屈託のない笑顔は愛嬌があって胸がきゅんと鳴る。今まで人形やマスコットの類を愛でずにいたので、女子生徒が何に対してもすぐに「可愛い」と感想を述べる心理について理解に苦しんでいたが、今なら分かる。

「でも、マリオンさんが来るんでしょう? ジャクリーンを見送ったら、私一人で行くから大丈夫よ」
「マリオンちゃまには言っておくから大丈夫ナノ!」

ジャクリーンの手には携帯機器がないが、通信機能が備え付けられているらしい。なら安心かと納得したところで口元を緩めた。

「じゃあ、迷子にならないようにしましょう。ジャクリーン、抱っこしてもいいかしら?」
「は〜い」

丸くて小さな体を持ち上げる。意外にも腕への負担は予想よりも下回った。大きめのぬいぐるみサイズとはいえ、ロボットであるからには多少の重さは覚悟していたのだが。

近くのセレクトショップに足を踏み入れると、多くの女性が密集していた。クリスマスプレゼント選びか、自分へのご褒美か。学生から主婦まで様々な年齢層の客が真剣にショーケースと財布と見比べている。
ショーケースの中は宝石型のチョコレートや、オレンジにたっぷりチョコが塗られたショコラ、濃厚なテリーヌなど、見るだけで満足しそうなチョコレートたちが並んでいる。チョコレートの包みも凝っていて、色彩鮮やかな箱や淑やかで落ち着いた箱もあれば、酒瓶やガラスの靴に見立てたものもある。

(今はこういうチョコもあるのね)

アイリーンもプレゼント選びのことを忘れ、身を乗り出してチョコレートが陳列された棚を覗き込んでしまう。

「チョコレートがいっぱいナノ。どれもとっても美味しそうナノ〜」

抱えられたジャクリーンもあれこれ目移りしては「美味しそう」と内蔵されたスピーカーからこぼす。

そろそろ店内を一周しそうなところで、あるものが目に入った。
銀河を連想させる濃紺のケースにはきらびやかな星の金箔がプリントされている。中身は宇宙の欠片のチョコレート。
星をコンセプトにしたであろうチョコレートに、無意識に足が店へ吸い寄せられる。
果実か着色料で色がついているようだったが、それでも澄んだ星光のような透明さや、夜から朝に変わりかける空のようなグラデーションが美しく、まさしく芸術作品だった。

(綺麗……)

唇から息がこぼれた。目を細めて恍惚と星に見入る。

「お星さまみたいで、とってもキレイナノ〜! アイリーンちゃま、これにするノ?」
「はい。こちらは宇宙にある鉱物をイメージしたショコラになっております。お客様、おひとついかがでしょうか? プレゼント用のラッピングも承りますよ」

ジャクリーンの明るい問いかけに便乗して、店員がここぞとばかりにセールストークをする。
媚びた声で我に返る。愛想笑いを向けてから、もう一度チョコレートへ目を落とす。星であると同時に、【サブスタンス】にも思える。自分の好きなものでもあり、ヴィクターの好きなものでもあるもの。アイリーンにしてはとてもいいプレゼントだ。
ジャクリーンを抱える手に力が入る。そして店員に言った。

「すみません。ひとつ、プレゼント用にいただけますか?」


チョコレートは綺麗に包装してもらい、会計を済ませた後、再びジャクリーンと出会ったベンチへ戻った。マリオンの姿はまだ見えない。落ち着こうと二人でベンチに腰かける。

「チョコレート選びまで付き合ってもらってごめんなさい。助かったわ」
「ううん、ジャクリーン、とっても楽しかったから大丈夫ナノ! きっとヴィクターちゃまもすっごく喜んでくれるノ〜」

ヴィクターはどんなときも微笑を忘れずにいる。とはいえ、目下夢中になっている【サブスタンス】や敬愛するオズワルドについては感情の揺れ動きが大きいが、チョコレート程度で「すっごく」喜んでくれるだろうか。少しでも気持ちが伝わったなら、アイリーンとしては満足だ。

それからしばらく、ジャクリーンの「パパのパンケーキは美味しい」、「マリオンちゃまはこの前お店で店員さんをしていた」、「ヴィクターちゃまが猫ちゃまと仲良くなろうとしてた」、などなど、ほっこりするエピソードに耳を傾けていた。

ジャクリーンと話していると弟があどけなく純真無垢だった頃を思い出す。あのときのアイリーンは、もっと暗くて子どもだったけれど。

「ジャクリーン!」

もう少しで来るって、とジャクリーンが言って数分。人が多い中でもはっきりとした声が冬空にしっかり響いた。マリオンがベンチに向かって走ってくる。冬に似合う涼しげな顔が少し崩れ、息が乱れていた。

「マリオンちゃま〜!」
「ジャクリーン、待たせてごめん」
「ううん、アイリーンちゃまのお手伝いして、おしゃべりいっぱいしてたから、楽しかったノ」

顔を上げたマリオンとようやく目が合った。反射的に笑いかける。

「マリオンさん、こんばんは」
「こ、こんばんは」

固い表情でマリオンが返す。それから目をそらし、ジャクリーンへ尋ねた。

「そういえば、お手伝いするから大丈夫って言ってたけど……何を手伝ったんだ?」

ジャクリーンは胸にあたるであろう部分をそらし、得意げに言った。

「それは乙女の秘密ナノ! ね、アイリーンちゃま」

乙女の秘密、というほどでもないのだけれど。ただ、「ヴィクターさんへのプレゼントを選んでいたんです」と口にするのは少し躊躇われた。プレゼントに込めたのは、感謝と憧れなのに。
顔に乗せる感情に迷った結果、苦笑して肯定しておく。

「えっと……そうね、秘密ね」
「……そ、そうか」

アイリーンの同意に、薔薇のように華やかな顔立ちが困惑でいっぱいになっている。すぐにこほんと軽く咳をひとつした後、白い頬を赤く染めた。そして、美しいバイオレットの瞳にアイリーンを映す。

「アイリーンさん。その、ジャクリーンと一緒にいてくれて助かった。ありがとう」

言い終えたマリオンは口を閉ざし、そっぽを向く。
マリオンのぎこちなくも純朴な言葉に、目元が緩んだ。

「いえ、これくらい。私こそジャクリーンに手伝ってもらって助かりましたから。ありがとう、ジャクリーン」
「どういたしましてナノ〜! アイリーンちゃま、またお話したいノ〜」
「私もよ。またね、ジャクリーン。マリオンさんも、さようなら」

ジャクリーンを抱き上げたマリオンはアイリーンを一瞥した後、迷いなくエリオスタワー方面へと歩いていった。ノースセクターの研修チームの中では低めの身長だが、やはり背中はヒーローらしく頼もしい。

そろそろスーパーに行かなくては。ベンチから立ち上がる。レッドサウスの中通りへ行こうと右へ回ったところで、

「アイリーン。こんばんは」

ヴィクターと視線がぶつかった。

プレゼントの贈り相手に出会うのは、幸か不幸か。全く心の準備ができていなかったアイリーンの心臓が飛び跳ねそうになった。息を大きく吸い込み、チョコレートの包みをバッグに押し込んだ。

「こ、こんばんは。パトロールの帰りですか?」
「いえ、今日は個人でサブスタンスの回収に勤しんでました。しかし、マリオンからそろそろクリスマスの【LOM】があるから早くタワーに帰れと急かされてまして」

やれやれと薄い苦笑を顔に浮かべる。

「マリオンさんなら、さっきお会いしました。ジャクリーンと一緒にエリオスタワーへ帰りましたよ。あまり変わらない時間に帰れると思います」
「なるほど。大して変わらないならまぁ大丈夫でしょう。マリオンは時間にかなりうるさいですからね。ノヴァのようにルーズすぎるのも困りものですが。……そういえば、アイリーンはお転婆ロボさんと会ったことがあったのですか?」
「いえ、今日が初めてです。突然街中にクマ型のロボットがいたのは不思議だったんですけど、ヴィクターさんからジャクリーンのお話は聞いてましたから、声をかけてみたんです」
「そういうことですか。ニューミリオンは【サブスタンス】や【イクリプス】が現れるとはいえ、多くのロボットが街を歩き回っているわけではありませんからね」

仕方ないでしょう、と淡々と言った。

アイリーンは唇をきゅっと結ぶ。直接渡すなら今だ。たくさん贈られるであろうファンのプレゼントのひとつになることを考えたら、どうしてだか、夕日が沈んでいくときと似た気持ちになる。
意を決し、閉じた唇を開いた。

「あの、ヴィクターさん」

左胸がやたらうるさく、口からどころかそのまま体を突き抜けてしまいそうだった。美術館で見かけて、名前を口にするときと同じだ。初めての授業でもデートでも体が強張って声が震えることはなかったのに。砂糖菓子のように甘くざらついた何かがの胸を支配する。単なるプレゼント、のはずなのだけれど。

アイリーンはバッグからプレゼント用にラッピングされたチョコレートを取り出す。チョコレートを差し出した手に力が入る。

「これ、少し早いですけど……クリスマスプレゼントです。いつもお世話になってますから」
「クリスマスプレゼント、ですか」

ヴィクターのまぶたが少し見開かれた。興味があるのかないのか、はっきりと分からなかった。

「あ、さっき買ったばかりですから、賞味期限は大丈夫ですよ。中身もチョコレートで、高価なものじゃありませんし……」

様々な懸念事項を打ち消すように付け加えておく。
少し行き過ぎただろうか。食べ物くらいならば気軽に贈れる関係にはなったと思っていたのだけれど。

ヴィクターはチョコレートよりもアイリーンを見つめている。眼鏡越しの眼差しは子どものようだった。冬の空気は乾いて冷え切っているはずなのに、アイリーンの顔が燃え上がっていく。
しまった方がいいかしら。チョコレートの箱を動かした途端、

「ありがとうございます、アイリーン。嬉しいです」

ヴィクターが浮いたチョコレートを流れるように受け取った。
知的で美しい顔からこぼれた笑みも目つきも、いつもより柔らかく朗らかだった。声色は明るく、演技っぽさも嘘っぽさもない。

無事に渡せたことも、礼を言われたこともひどく嬉しくて――――ただチョコレートを渡しただけのことが、命を救われたような感謝をされたように思えた。胸の中の星がまたぴかぴかときらめく。

仕事の合間にでも食べてみてください、と言おうとしたところで、ヴィクターが穏やかな表情のまま続ける。

「お返しをしたいので、連絡先を教えていただけませんか」

連絡先。簡単な単語がすぐに頭に入らなかった。単語の処理に十秒ほどかかった。意味を理解したアイリーンは、首を大きく横に振った。

「お返しなんて、そんな……大したものでもありませんし、気にしないでください」
「気持ちがありがたいので。それに、何かと不便でしょう。もちろん貴方がよろしければ、ですが」

不便、ということは、これからもアイリーンと交流する気があるということだ。
憧れの人が自分の連絡先を知ろうとしている。一目会えただけで、お茶ができるだけで、話せるだけで、良かったのに。胸の中の星がまたいちだんと輝きを増していくのが分かった。
アイリーンは顔いっぱいに笑みを広げ、目をほころばせる。

「是非」

お互いの携帯機を取り出して連絡先を交換する。

「【LOM】もありますから、お礼はかなり先になりそうですが。またいずれ連絡します。では」
「はい、さようなら」

別れたヴィクターはまっすぐエリオスタワーへ向かっていく。アイリーンもスーパーへ行こうと移動する。

偶然、ではなく、今度はちゃんと約束してヴィクターと話せる。幼い頃、クリスマスの朝に置いてあったプレゼントを開けるときのような純粋で透明な気持ちがアイリーンの胸で膨らんでいく。
歩きながら、もう一度携帯機の中の連絡先一覧を見る。ちゃんとヴィクター・ヴァレンタインの文字があった。学術誌でも紀要でもない、アイリーン個人の連絡先に。

――――今度はいつ会えるかしら。

寒い冬の街並みには電飾の光がきらめいている。アイリーンの胸にも、クリスマスツリーの色づいた光がそまっていく。
クリスマスソングがどこからともなく聞こえてきた。耳に慣れ親しんだポピュラーなクリスマスソングだ。小声で口ずさんでみる。

「We wish a merry christmas, we wish a merry charismas……」

一度も行ったことがないくせに、今ならばイエローウエストのクラブで踊れそうだ。
 
レッドサウスストリート大通りを横目に見ると、ひときわ大きいクリスマスツリーがそびえ立っている。てっぺんにあるベツレヘムの星は、夜空の星よりもずっと美しい光を放っていた。