しかし、そんな賀髪を気にしているような気がする。バレンタインなんて行事で苦いチョコレートを貰い、木舌に賀髪のことでからかわれて苛立ち、自分が怪我をしたら見舞いに来たり、木舌と賀髪が話をして苛立ったり。
あまり鍛練に集中できない。どういう風の吹き回しだと勘繰るばかりだ。あの毒女が仕事以外で谷裂に関わろうとするなんて。天地が割れる前触れか。
そんなことを考えるようになった、ある日のことだった。
「賀髪って美人だよねえ」
夜中、飲みの会で木舌がそう言った。隣にいた谷裂と佐疫だけがそれを拾う。
「どうしたの突然。木舌って賀髪のこと好きだっけ?」
「いやー?流石に酒瓶割られてドスきかして脅されて睨まれてるのに好きになるほどマゾじゃないよ。ただ何となく思っただけ」
「それがいいってのも聞いたことあるけど。確かに美人だよね」
「谷裂もそう思わない?」
無視して酒を飲んでいると案の定話題を振られてきた。眉間のしわを深くして一蹴する。
「くだらん」
外見の醜美など谷裂にはどうでもよかった。獄卒たる者、勤勉に働き情け容赦なく罪人を裁くべきなのだ。そういう意味では賀髪は美しいと言えたし、谷裂が認めている部分でもあった。
「でも男でも女でもよく聞くよね」
「あー。女ならともかく、男だと冷たく突っ返されるのもあって話しかけづらいって」
「厳しいから賀髪」
そこでその話は終わったが、何故か頭の片隅に残っていた。
翌日、賀髪を見かけた。一人黙々と書類を片付けている。
遠くからでも豊かで艶やかな髪が輝いているのが分かった。谷裂は明らかに業務の妨げになるから切れと言っているが、切ったら切ったで似合わない、とは思っていた。仕事には不必要だが、なるほど確かに美しい。
声をかけることはせず、中に入る。もともと用はある部屋だ。彼女が座る席とは離れた場所を選ぶ。それでも先ほどよりよく見えた。
睫毛は長い。陰ができるほどだった。鋭い目は涼やかでもあり、青緑が深く宝石のようでもあった。きゅっと結ばれた唇は桃色で、少し濡れている。長い手足、膨らんだ胸と尻は女らしい。
ここまでじっくり賀髪を見たことはなかった。
谷裂は外見の醜美を気にしない。気にしない、が。このときばかりは、彼女を美しいと思った。
あまり見ていると気付かれる。目をそらして自分も仕事することにした。
――――賀髪って美人だよねえ。
そう言った木舌を思い出す。何故か心の中で鍋が煮込まれているような苛立ちが湧いて出た。
言われずとも、知っていたはずなのに。