それが今はどうだ。チョコレートなんか渡し、見舞いに行き、女獄卒の言葉を気にかけ、木舌の「一番いるのは賀髪」などという言葉に喜びを感じてしまっていた。
いったい自分はどうなってしまっているのか。何が何だか分からない。ただ、以前ほど彼を嫌っていない気がした。むしろ、――――。
仕事しながらこんなことを考えるのではなかった。手が止まってしまっている。賀髪はゆっくり息を吐いて思考を切り換えた。
「賀髪は結局谷裂のことどう思ってるの?」
食堂で一人紅茶を飲んでいると、木舌が突然現れた。あまりにも突然すぎて顔をしかめる。木舌は相も変わらず食えない笑みを浮かべている。賀髪が嫌いなときの木舌だ。
全く賀髪と谷裂のことなど、面白いわけないだろうに。暇な人だと思う。
「何ですか急に」
「なんか谷裂と賀髪、最近よくいるような気がするから」
そういえばそうかもしれない。もちろん仕事で、なのだが。それにしても周りをよく見ている。木舌が下世話なだけかもしれない、と賀髪は思った。
「何だかんだ一緒にいるじゃない。前よりずっと」
「そうですか?」
「いるよ。お互い心配してるし」
「心配?してません。それにあの人が私を心配なんてあるわけないでしょう」
谷裂だって全く情がないわけではない。かなり愛想が悪いが、共に働く同僚である。それなり、彼なりの気を遣っている、ようではある。賀髪にされたことはないので分からないが。斬島などと話しているのを聞けば分かる。
そう、谷裂は自分を嫌っているのだから。
「ふうん。言うほど嫌ってないと思うけど」
「ありえないです」
「賀髪は?」
以前なら。以前なら、すぐに嫌いですと返せた。だが今は、どう答えようか迷っている。
木舌は意地悪く笑っていない。逆に何故か優しく微笑んでいる。苛立ちはなかった。不思議でたまらない。
「谷裂のこと、好き?」
好き。その重みは、決して紅茶が好きと言うのと同じものではなかった。それはありえないと賀髪は否定ができなかった。木舌の目があまりにも穏やかでいるものだから。そう、だから、ずっと気付かぬふりをして、胸を秘めたままでいこうとしていたものが出てしまった。
「…………ええ、好きですよ。言うつもりはありませんけれど」
がた。
物音がした。慌ててそちらを向いた。息を呑む。見たことのないくらい驚いた谷裂がそこにいた。
恐怖と、羞恥と、不快さと、もう感情がごちゃごちゃになって食堂を飛び出てしまった。
「賀髪!」
引き留める声がする。止まりたくなどなかった。自分がどんな顔をしているか分からなかったから。
「賀髪、」
手首を掴まれる。すぐに振り払う。触らないでほしい。話しかけないでほしい。胸から感情が溢れだして止まらない。
「貴方には知られたくなかったのに」
こぼれた声は震えていた。賀髪は息ができなくなりそうだった。
「さぞがっかりしたでしょう。私も恋愛なんかする軟弱者なんだと。違います。貴方が私を弱くしてしまっただけです。私は、私は、こんな風に他人に弱さなんか見せなかったのに。全部、全部、貴方のせいです」
ぼろぼろ情けないくらいに弱音が出る。子供のように喚き散らして、これでは馬鹿にされるか呆れられてしまう。
賀髪は他人にここまで思考を支配されるなんてなかったし、いつも冷静でいられたはずだった。それが悔しくて、恐ろしくて、恥ずかしかった。
言うだけ言えば落ち着いてきた。
「……すみません。取り乱してしまいました。部屋に戻ります」
「賀髪」
「今日は疲れました。おやすみなさい」
「聞け、馬鹿者!!」
今度は手どころか肩を掴まれた。賀髪の気分も今までにないくらい最悪で、何を言うか分からないのに。
「本当、デリカシーがないですね。こんなに傷ついているのに、追い打ちをかけるんですか、貴方は?そんなに私が嫌いですか?」
拒絶が、罵倒が恐ろしくて、部屋にこもりたかった。自分で言っていて悲しくなってくる。
いっそはっきり言ってくれた方がましだった。諦めて永遠に封じ込めてしまえるから。
「だから!聞け、賀髪!」
「ええ。聞きましょうか」
「……俺も、お前が好きだ、賀髪」
彼が何を口にしたのか。賀髪には理解ができなかった。とち狂ったのかとさえ思った。自分の都合のいいように変えてしまったのかと。
ようやく振り向けば、谷裂は強面を真っ赤にさせていた。
「一度しか言わんぞ、こんなこと」
確かに谷裂は冗談などうまくつけるような性格ではない。しかもこんな、こんなことなんか、嘘でもつけるわけがないだろう。
「嘘でしょう」
「こんな嘘なんぞ誰がつくか!」
それでも賀髪は嘘だと思った。さもなくば、夢だと。
「だって貴方、私のこと嫌いじゃないですか」
嫌い。ずっと感じていたこととはいえ、いざ自分で口にすると重苦しくなった。
谷裂はさらに言いにくそうに口をつぐむ。しばらくして観念したように言った。
「嫌い……でもあるが。それ以上に、お前が好きだ」
好き。そんな言葉を、彼から聞ける日が来るなんて、思わなかった。本当に夢なのではないかと疑うほどだった。それか罰ゲームか何かなのかと。
だがこの態度からして、嘘ではないのだろう。賀髪はようやく信じることができた。
「そんなこと、よく言えますね。貴方が言うとは思えません」
「く……そうでもしないとお前は信じないだろう」
「ええ、そうですね」
自然と頬が緩んだ。谷裂が目を丸くする。
「そんな貴方が好きですよ、谷裂さん」
素直なんて賀髪には似合わない。心許した人がいるわけでもない。けれど今ようやく、初めて正直に、他人へ自分の胸の内を明かせた気がした。
「谷裂さん、また何やってるんですか、これ溜まってるんですよ」
「うるさい、すぐに終わらせるから待っていろ!」
「貴方が効率を考えないから終わらないんです、早くしてください」
「何だと!」
「事実でしょう」
翌日。
普段と変わらぬ谷裂と賀髪がいた。喧嘩して険悪になって戦闘になる。
「おー、またやってるなあ」
「本当に付き合ったの、あれ?」
「のはずだけどなあ。流石に見てはいないんだけど。タイミング最悪だったなって賀髪に悪く思ってたけど、さっきまで空気いつもと違って柔らかかったし」
木舌は首を傾げながら睨み合う谷裂と賀髪を見た。かなり分かりにくいが、何だか笑っているような気がした。
あれだけ引っ張った割にはすとんと終わりにしてしまいました。少し長めですね。やりたかったところなので。
木舌はあの後あちゃーってなってました。ただヒロインに自覚させたかっただけなので。なのに谷裂まで聞いちゃってうわー、と。本当に申し訳なく思っていましたが、まあ結果オーライかなと。
木舌がいないと多分彼ら成立してない気がしてきました。
最後だけ平腹と佐疫がいます。
ヒロインに癖がありすぎて受け入れられるかどうかかなり不安ではありましたが、結構な方が読んでくださっていて嬉しかったです。まだネタはあるので付き合ってからも書きますよ。
後半でまとめ、つけたタイトルではありましたが、「愛ならば噛み砕け」、でした。愛なんて知らないし絶対に起こり得ない、獄卒たるもの恋愛なんていらない、という二人からぴったりのものだと思い、リラン様からお借りしました。
タイトル配布元:英雄様
――――貴方のこと、嫌いで、好きです。
――――お前のことは嫌いだが、好きだ。