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導入編3_彼が為の



 この世界において大切な人のために何をしたら良いのか、複雑なようで意外なほどに単純だ。
 要は大切な誰かが何を望んでいるのか考えれば良い。大切な誰かの目的を考えれば良い。そしてその夢が成されるために私が為せることを成せばいい。
 夢、または欲望があって、目的があって、方法があって、今すべきことがある。空でも大地でもその道筋は変わらない。

 少なくとも概ね今のところ、私の道筋はシンプルでありわかりやすいはずだ。


「……今!」

 時は満ちた。なんて大袈裟な表現だ。でも物事における一つのタイミングをあくまでも主観的に捉えた。
 地面を蹴って己の両手で二本の真っ黒な剣を抜く。この時を待っていたのは彼がほんの少しでも私の動きを悟ってしまえば呆気なく受け止められてしまうからだ。

 速さと重さ。力のない私が相手を斬るために必要なもの。飛び出した勢いと自重を振り下ろす二つの刃にのせて、受け止められる前に目の前の相手を断ち斬る。

 ……かといって本当に斬れてしまったら困るのだけれど。今、私の目先にいる私の主人は、仮想であれ──敵だ。

「遅い」
「へ、」

 なんて思い込みも虚しく。
 一つ目の刃は彼の細い二本の指の間にストンと収まり、二つの目の刃は彼が持つ私と同じ黒い魔剣に軽々と受け止められる。
 そう認識したのも束の間。降りかかる刃の勢いを殺した指はそれを押し戻し、為す術がなくなった私の腕を捕まえる。背丈の差のせいで腕を捕まえられたまま宙ぶらりんになった私は反撃する余裕もなく、

「はい、オシマイ」
「ッたあ!!!」

 もはや自身の剣さえ引っ込めてしまったギラヒム様の空いた手から、脳天まで響く強烈なデコピンをいただいた。

 ──今日の模擬戦はこれで三連敗だった。


 * * *


「絶対頭蓋骨にヒビ入ってる気がするんですけど、マスター」
「斬られなかっただけマシだと思うけどねぇ」
「それはそうですけど……なんだか頭の中まで痛い気がするのですが……」
「お前が簡単に捕まるのが悪い」

 ひりひりだかずきずきだかわからないけれど疼痛に苛まれるおでこに水で濡らした布を押し当てる。今日は三回敗けて三回お仕置きのデコピンを食らったから、もしかしたら後々腫れてしまうかもしれない。

 ギラヒム様の従順な部下たるもの、彼のために日頃の鍛錬は欠かすことが出来ない。
 いずれ迎える女神の兵隊との戦いに向けて、なおかついつであってもマスターの力となるため、強くならなくてはならない。こうして剣技の訓練をするのはほぼ毎日のことだった。

 そして時々、本当に時々気が向いた時。彼が私との模擬戦に付き合ってくれることがある。
 主人に剣を向けるなんて……と最初こそ思っていたけれど、そもそも剣を向けたところでギラヒム様は一撃も与えさせてくれない。先ほどのように全力で向かってもだ。
 しかも私から一本取る度意識が飛びかける強烈なお仕置きをお与えになるのだから、身になるといっても……割と命懸けだ。

「……一回も勝てたことないしなぁ」
「当たり前だろう。このワタシに勝つなんて発想がまずおこがましい」

 全力の得意顔と拍手を送りたくなるほどの自意識を向けられたけれど、その言葉が大袈裟とも言えないほどに主人は強い。強くて、迷いがない。

 きっと遠くない未来、魔王様復活のための争いは必ず始まる。主人がその身を捧げ戦うのであれば、私も彼が生き続け戦い続けることが出来るよう強くならなければならない。

「……と、思うんですけど難しいですね、実際」
「そもそも両刀使っておいて一本の時よりお仕置きされる回数が増えている時点でどうしようもないね、お前は」
「う……」

 ギラヒム様の嘲笑と共に突き刺された事実に一瞬で心が萎びる。

 彼からお古で与えられた一本の魔剣を手に戦っていたのはつい最近までのことだった。そして二つの刃を私が持ち始めたのは……少し本気を出したギラヒム様を見てからだ。

 それは圧倒的で、劇的で、一方的だった。
 己が主を護る力。その強大さを見せつけ、誰であろうと寄せ付けない力。それを手に魔王様のために闘う主人に、私は惹かれそして、焦った。──私はまだまだ弱いと。

「実戦で使いたいなら惨めに這いつくばってないで早いところワタシが楽しめる戦い方をするんだね」
「言われなくても……もっかいやります!」

 呆れ顔ながらも置いて帰られないあたり、主人はまだ練習に付き合ってくれるらしい。
 今日は意外と機嫌が良いのかもしれない。お仕置きはいつも通り容赦ないけれど。
 私はおそらく赤くなっているであろう額を撫で付けて、再び立ち上がった。


 彼が喜んで使う武器にならなくてはいけない。戦争が始まる、その前に。
 握り直した両手の剣はいつか彼が己の主のために振るって一度は役目を終えたもの。再び誰かのためになるべく、その刃は研がれた。

 彼の敵と相対する瞬間を見据えて、私は自らの主人に立ち向かう。
 ──そうして再び弄ばれては、四度目のデコピンを食らったのだった。

「まだまだ遅いねぇ」
「ううう、絶対頭蓋骨欠けたッ!!」

 彼のための戦いに卑怯も何もない。
 彼のために一分一秒が惜しいから近道も使うし道無き道も使う。目の前の障壁を崩し敵を切り道を拓く。

 すべきことはシンプル。為すことは一つ。
 成されることは、女神にすら理解不可能なほど──複雑だ。