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導入編2_こわせ。



 静寂に包まれていた空間へ耳を劈く破壊音が響き渡る。同時に襲うような光が視界を覆い尽くし私は思わず顔を背けた。
 それに対しまばゆい光へ何の反応も示さなかったギラヒム様は、臆すことなく足を進める。

「マスター……?」
「ついてこい」

 ようやく顔を上げることが出来た私を、彼は振り返りもせず呼びつける。後に続くのは崩れ落ちた小さな破片を踏み締める音だけだ。
 揺るぎない足取りで奥に進む主人の背を私は早足で追いかけた。


 数秒前に彼が崩した壁の向こうの光は、何かを守るかのようにこの先の空間を満たしている。
 荒々しくそこへ侵入した私たちはその光の源を目の当たりにした。

「……懐かしい?」

 最奥で私たちを待ち構えていた存在を見つめながら、主人が問う。
 何故、何に対してか。具体的な言葉は何もない。それでも私は迷いなく首を横に振る。

「全然。……思い出したくもないです」

 神殿の最奥に佇んでいたのは、慈愛に満ちた微笑みをたたえる女神。
 正確に言うと、この神殿を建てた人々の信仰の対象を模して造られた石像だった。

 白い石の両手が大事そうに抱えている蒼色の宝玉からは、唯一の灯火のように淡い光が溢れていた。魔力を集約させたこの宝玉が、対抗勢力に聖域を汚されないよう何かを守ろうとしているのは何となくわかる。

 ──いつか、私も同じように味気ない石で出来た大いなる女神へ、わけもわからぬまま感謝と祈りを捧げていて。見返りとしての加護やら寵愛やらをこの身に授かっているのだと思っていた。
 それがこうなった理由は今でも知らないし……知ったとしても、おそらく何も変わらない。

 私の様子を主人が窺っていたか否かはわからない。が、彼が細い腕を持ち上げたのはその像に対する私の関心が完全に尽きた時だった。

「名残がないのなら、壊すよ」
「どうぞ」

 私がそれだけを返すと主人の手のひらから生まれた黒い光が女神を包み込み、石の体は腹の位置で分断され崩れ落ちる。
 呆気なく地に横たわった女神が持つ宝玉の光は一瞬驚いたように震えた後、急速に生気を失いただの石ころと成り果てた。

 女神の加護が途絶え、いずれこの地も魔物が巣食い荒れ果てていくのだろう。
 足元に転がる女神は倒れ伏してもなお慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

「帰るよ」
「はい」

 私は女神から目を背け、ギラヒム様と共に寂れた空間を後にする。
 最後まで何も思うことはなかった。


「いくつめでしたっけ、壊したの」
「さあ、数えてないね」

 薄暗く湿った神殿から外に出ると、柔らかな風が頬を撫でた。
 外はこんなに空気が澄んでいるのだから、女神側もわざわざ滝の裏や岩に囲まれた穴の奥みたいな不快指数が高い場所に神殿を建ててくれなくて良かったのにと文句を言いたくなる。……結局こうして見つかって、封印を壊されているわけだし。

 私たちは日々、このような女神の聖域に踏み入ってはその地を守護する封印を破壊して回っている。

 理由はただひとつ。
 それがマスターの唯一無二の願いに繋がるからだ。

「さ、次に行くよ」
「え……まだ行くんですか?」
「当然だろう。魔王様の復活を急がねばならないのだから。嫌なら置いていこうか?」
「嫌って言っても引きずってくくせに……」


 我が主人──ギラヒム様の目的は、彼の主である魔王様を復活させることだった。

 私は魔王様に直接出会ったことはない。
 しかしこの世界で生きる者ならば、ほとんどが魔王様の存在を耳にしたことがあるはずだ。平和に浸り切った種族……例えば空の住人は、未だに御伽話だと思っているかもしれないけれど。

 遠い昔。長い長い聖戦の果てに──魔王様は女神の手によりある場所に封印された。
 かつての主を失い、一人悠久の時間を生きてきたギラヒム様は……たった今でも、大切な人を助けようとしている。

 彼の願いは私の生存理由であり戦う理由。
 よって私の目的も、必然的に魔王様の復活となる。

「……このまま空の人たちが呑気にしてる間に魔王様が復活されたらいいんですけどね」
「別に、連中がこちらの目的に気づこうが気づかなかろうがやることは変わらない。女神の兵隊とその封印を潰すだけさ」

 それだけを返し先を行った主人の後ろ姿を私は見遣る。

 魔王様への忠誠心は彼の奥底に根付く行動原理だった。
 魔族長としての底知れぬ強さの源泉であり、たとえ彼自身が身を滅ぼす時が来たとしてもそれだけは折れることがない。高潔で研ぎ澄まされた……危惧すら覚えるほど曇りのない刃のような。

 ──対して、私は矛盾のかたまりなのだろう。

 私は……もともと空の人間だ。
 空への未練はない。空から落ちたあの日から、私はマスターの幸せだけを願い続けている。
 しかし天上に広がる雲を抜けた先、透き通った青色の空を見据えてしまうのは……あの空を飛んでみたいと、今でも思っているからかもしれない。
 叶うことのないささやかで無価値な夢だと、とうの昔に理解したはずなのに。

「……あ、」

 気づけばギラヒム様の後ろ姿が随分遠くへ離れてしまい私は慌てて駆け出す。鎖で強引に引っ張ったりするくせに、こっちが見失えば容赦なく置いていく。

「ま、マスター、速いです……」
「お前がぼんやりしているからだろう。それともまた首輪が欲しいならすぐにあげるけど?」
「今日は私なんにも悪いことしてないので、ノーセンキューですッ!」

 私たちは女神を力なきものにするために再び歩き出す。
 呪文のような虚飾と暗示を唱え、何もかも覆い隠しながら目先の安寧に浸って。

 マスターはワルモノ。
 私たちは悪モノ。
 私は悪者。

(200615改稿)