真影編11_孤影
自分の始まりの瞬間は今でも覚えている。
何の装飾もない起点。祝福も支配もなく存在が始まったという事実。
産声をあげるわけでもなく地に足をついて、意志と呼べるかどうかもわからない自覚だけを持っている。
それが世界の全てだった。
「────」
その存在が立っていたのは色がなく、昼も夜もない無限の森だった。
天を仰いでも空は見えない。この森がどこまで続いているのか、そもそも果てがあるのかわからない。
音、匂い、温度。言葉が指す意味は知っているのにそれらを感じることもない。
しかしその存在は朧げに理解していた。
呼吸の仕方も、目の前の事象の名も、ここが普通じゃないということも、自分は知っている。
加え、この世界は女神と魔王の二手に分かれていて、遠い昔から争いを続けていたということ。森の外では今もそれらの支配下に置かれる者たちが戦いに身を投じているということ。
そして自分は、その争いの最前線に立つ『勇者』の記憶を引き継いで出来た存在だということすらも、知っていた。
そう自覚してしまえば後の理解は容易かった。
さしあたって真っ先に抱いた疑問──「自分が何者なのか」という問いに対する答えは呆気なく導かれた。
自分は、女神に選ばれ魔王を倒すという使命を課された『勇者』の、影である、と。
影は、そこまでを認識したところで何かを思うことはなかった。覚醒したばかりの意識がまだ覚束ないものだったということもある。
だが、それ以上に。自分という存在について深く考える必要がないと、誰かに教えられた記憶が脳裏の彼方にあった気がしたからだ。
自分が考えるべきは『勇者』の影としてただただ生き長らえること。それのみ。
だから、自分についての興味も感情も、願いもない。
この色のない森で生まれて、何もないまま終わっていく。
それだけが、世界の全てだった。
*
影は自己という認識と知覚を得た後、色のない森を行く当てもなく歩いていた。
何かをしたかった訳ではない。目的があった訳でもない。
生物としての本能で地を渡る動物たちと同じように、彼もまた、頭で理由を考えることなく歩き続けていたのだ。
自分がここで生まれた存在だからだろうか。歩いているうちに森と同化していくような感覚を得ながら、勇者ですら目にしていないこの反転世界の過去を知ることが出来た。
──“サイレン”と呼ばれるこの場所は、選ばれた者が肉体を捨て、精神のみの存在となり初めて足を踏み入れることが出来る、謂わば洗練のための場らしい。
今では使われることなく遺産と呼ばれる存在になったここも、昔は多くの者が挑み、挫け、精神が砕けた廃人となった。
肉体を持たず朽ちた精神は何になるか。
普通なら、混沌とした負の感情に呑まれ、ヒトという枠組みから外れ、魔物へと成り果てる。
が、ここで廃人と化した魂のほとんどは完全な命を持てず、魔物に成り損なった屑のようなカケラとなるのだ。
そのカケラは今でも森のそこかしこで見つけることが出来る。
深い紫色の石。触れると表面は冷たく、ぐにゃりと曲がった形をしている。中を覗き込めば引き摺り込まれてしまいそうな暗闇。──“ヤミの勾玉”、なんて呼び方をした者もかつてはいた。
影が初めてそれを見つけ、手にした時。それがもともとヒトの形をしていたなんて到底思えなかった。
「────、」
ぼんやりと思索に耽っていると、いつのまにか正面に立っていた大きな存在に影は顔を上げる。
そこにいたのは、感情の読めぬ双眸で自身を見下ろす、巨大な鎧騎士。──サイレンの守護者だった。
大槌を携え、挑戦者を追う役割を与えられたそいつは影の存在に気付いていないのか、何の反応も見せずゆっくりと影の傍らを通り過ぎて行く。
記憶の中で見たあれらは、敵意と殺意を露わにし、執拗なまでに挑む者を追い回していたが、同じ世界で生きているはずの影には全く関心を示さない。
いつも冷えた双眸をたたえたまま、挑む者が訪れるその日まで、森の中を彷徨い続けていた。
「……?」
そして巨大な後ろ姿を見送りながら、影は内心で首を傾げた。
影はあれらに追い回された経験などない。そのはずなのに、何故か自分の中に守護者の大槌に砕かれた記憶があった。
……これはおそらく、自身の元となった存在のモノだ。
影は認識していなかっただけで、既に持っていたのだ。勇者がここに投げ込まれた時──否、それ以前に、聖戦という逃れられない『運命』の奔流に呑まれた時からの記憶と、抱き続けていた感情の軌跡を、全て。
「────」
守護者の足音も聞こえなくなり、たった一人になった森の中。
影はしばし考えるように俯いてから、自分の中にある『勇者』の記憶を覗き込むことに決めた。
そこに興味はなかった。することが無くなり、身近にあったものを手繰り寄せるように無意識な動作にすぎなかった。
ただ一度それを目にしたのなら、きっと何かが変わってしまうという漠然とした予感はあった。
それでも影は、自分を成り立たせている『勇者』の感情を──試練で『勇者』が削ぎ落とされた仄暗い感情の正体を、知りたいと思った。
だから彼は、ゆっくりと瞼を閉じて、『勇者』の記憶の扉を開いた。
────……
──……
勇者が持っていたのはごく人らしい、ありがちな負の感情だった。
恐怖や哀しみ、憤怒、不安、時には傲慢。濃淡の違いはあれど、それは人間が普遍的に持つ感情であり特段強く目立つものはない。
少なくとも、自分のような影を具現化するほどではないと思えた。
『勇者』という肩書きに見合うような悪への憎しみだけだったなら良かったのに。
そうは思ったが、影が覗き込んだ感情の中に無いとするなら、それはあえて『勇者』の中に残してあるのかもしれない。
そこで、影は自分が微かな失望に似た感情を覚えたことに驚いていた。後々思えば、それは怖いもの見たさというものだったのかもしれない。
とにかく、覗いた『勇者』の感情はあまりにもありふれたものだったのだ。
──ならば何故、自分はこうして生まれることとなったのだろうか。
『勇者』の感情を垣間見て理解を得るはずが、さらに疑念は深まっていく。
過去の挑戦者たちと比べても特異な点は見られないはずなのに、廃人に成り果てることもなく、自分という影を生み出すまでに至った引き金は何だったのだろうか。
疑問に支配をされるまま、影は再び『勇者』の記憶と感情の深奥を覗き込む。
そして、
「──?」
その中に、目立ちはしないものの仄暗く濁った色をした感情があった。
それは、この『運命』に自分や周りの人々を引き込んだ理不尽な存在への不信感。
『勇者』が巫女と世界を救おうとする意志の裏側にあったものだった。
不信を抱いた対象は、勇者本人の意志の中では漠然としていたのだと思う。
そもそも自覚上にすら上がっていなかった感情なのだから、矛先を向ける存在は彼自身も曖昧だったのだろう。
そして影は、何故それに目を惹かれたのか理解する。
自分という、『勇者』から削ぎ落とされた感情の吐き溜め。
──その根底を成り立たせているのが、『運命』を定めた者に対する不信感だったのだ。
「────」
影はそこまでを知り、初めて自分の生まれについてささやかな興味を覚えた。
何故、この不信感を『勇者』が持つに至ったのか。
何故、この不信感が影の根底たらしめるものとなったのか。
答えは全てこの記憶の中にある。
影は深淵に身を落とすように、深く、深くまで『勇者』の記憶を覗き込む。
自身の姿形すら忘れてしまうくらい、奥深くまで。
────……
──……
『──ッぐぁ!』
最初に影が見たのは、この森で試練を受けていた時の『勇者』の姿だった。
対峙する守護者は鋭い眼光を灯し、不快な金属音を鳴らしながら、束の間の光を得るまで獲物を追いかけ続ける。
勇者は今しがた巨大な大槌に体を吹き飛ばされ、大木へしたたかに背を打ちつけた。
が、勇者を苦しめたのは守護者が振るう大きな武器そのものではない。
本来痛みを伴うはずの衝撃から与えられるのは、武器が触れると同時に全身を支配する精神への直接的な負荷だった。
第三者の手により自身の脳を観察され、自己が崩壊しかねない記憶の豪雨を見せつけられる。繰り返し受けるものなら、自我が戻らなくなるほどの重圧。
『ッ……諦めて、たまるか……!』
守護者に追われ、時に大槌で体を吹き飛ばされ、精神を擦り切らせて何度も何度も挑みながら。
それでも彼が挫けることがなかったのは──遠く遠くで待つ、助けたい人がいたからだ。
「────、」
影は記憶の中のその姿を見ながら、ふとあるものに目を奪われる。
気づけば、試練に挑む『勇者』の足元──地にある黒い像が、暗く染まっていたのだ。
『勇者』の精神が研ぎ澄まされる一方で、存在感を増していく彼の影。それはつまり、自分。
『勇者』から削り落とされた仄暗い感情の存在は、傍目に見ても“異常”な姿をしていた。
サイレンの記憶をたどって見たどの挑戦者のものより濃くて、深い。強い光の反対に出来たのは、具現するほどの暗い感情を抱えた影だったのだ。
そしてついに、勇者が試練を乗り越えた時。
底の見えない真っ黒な感情たちは『勇者』から切り離され──“影”に託された。
「────」
記憶の海を漂いながら、影はふと思った。
これだけの濃い影をつくった『勇者』。その存在が異常だと理解したというのに。
やはり、彼が抱いた感情の名前はただのヒトと変わらないもののように思えた。
大地に降り、目の当たりにした巨悪への恐れ。命を賭けた戦いへの不安。自分と幼馴染みを引き離し、過酷な『運命』へと導いた存在への不信感。
全て全て、人間として当たり前のものだった。
そうして普通だった彼らに与えられた『運命』。それをたどり、果てに創られた存在。
初めて客観視した真っ黒な自身の姿は──あまりにも化け物じみていた。
日の光を受け、地に映されるカゲとは違う。黒く黒く、奈落の底の暗闇を具現化したような姿。血のような赤色をした目。
記憶から視線を外し、思わず目にした水面に映る自分は、“異形”そのものだった。
影は恐れと確信を抱いた。
──「自分は本来、存在すべきモノではないのだ」と。
これが影自身の意思なのか、影の中に混在している『勇者』の意識だったのかはわからない。
ただどちらにせよ勇者の中にもともとあり、影にも引き継がれていた正義感や人間性が、この瞬間、ぐにゃりと歪んでしまった。
なら、それなら。
──自分は、この世界からいなくなった方が、いいのではないか。
影が持ったのは衝動的で、それでいて強い意志だった。
水面に映ったおぞましい自身の鏡像。それを叩き割れば、誰もが幸せになれる。瞬間的な発想でありながら、根拠のない確信を持っていた。だから影は、
「────」
その身を水の中──深い深い黒の世界へと、投げ出した。
────……
──……
「…………、」
影の体は、気づけば元の色の無い世界へ戻ってきていた。
水の中へ身を投げた時、体温を奪う冷たさや底のない深淵へ落ちていく感覚があった。
そのはずなのに、今は時が戻ったかのように全身は湿っておらず、呼吸も正常だ。
影は半覚醒状態だった頭を無理矢理揺り起こし、水底の光景を思い返そうとする。
だがそれは、一つの声により唐突に引き留められた。
『──勇者を勇者たらしめる影』
「……!!」
辺りを見回すが声の主の姿はない。その声は影の様子を一方的に見るまま続ける。
『来たる聖戦、来たる輪廻、光に対す影』
『──その死は許されじ』
影は、ようやく理解をした。
この声の主は、そして自分を生かしたのは、世界の安寧を願う女神でも、支配を望む魔王でもない。
それすら見下ろす、『運命』を掌握する存在。──遺産を遺したとされる、神。
それは生きろと、影に嘯いた。
希望を示すための慈悲ではない。
むしろ影にとってそれは、呪いでしかない。
影が存在することは、『勇者』が光だけを抱えて戦うために必要なのだと。
ひいてその生は、世界のためになるのだと。
皮肉なことに、この瞬間、影は自身の生きる理由と役割を知る。
それはついに自我を生み、『勇者』と完全なる分離を果たす。
そして、影は──“俺”となった。
ただ、もはやそんなものが生まれたところで示された『運命』は何も変わることはない。
生きることだけを強いられ、再び森に投げ出された俺は、色のない天を仰いで震える喉を締めるのみ。与えられた役割だけを演じて、生かされるのみ。
「────」
自己についての失望も絶望も、呪いもあった。
だがこの色のない森で生まれて、何もないまま終わっていく。
あまりにも無味乾燥で、つまらない。
それだけが、俺の世界の全てだった。
*
そうして始まった虚無と絶望の日々はどれだけ長かったのかわからない。
もはや牢獄となった森の中で、オリジナルの命が尽きる日をひたすら待つだけの時間。
そこで許されるのは変わらず『勇者』の記憶の海を漂うことのみ。
何の感慨もなく眺めるそれは、もはやどこか知らない他人の映像を永遠に見せられている気分だった。
もし、自分の肉体が『勇者』のものではなく、心が折れて廃人と化した人々と同じものだったのなら、もっと早く楽になれたのだろうか。諦めさせてくれたのだろうか。
霞みがかった『勇者』の記憶を何時間も何日も巡りながら、それでも自我が失われなかったのは『勇者』の性質なのだろうか。
……もしくは、“俺”が未練がましく自由を諦められなかっただけなのだろうか。
そんな自問自答を抱えながら再び視線を上げた。
羨望にも嫉妬にも身を焦がされず、楽になれる時間に浸りたいと思いながら、再び無心で記憶を眺めようとした。
その時だった。
『──ねえ、リンク君』
「…………?」
何周目なのかわからない。その光景を初めて目にしたのか、それとも何度も目にしていたのかすら曖昧だった。
しかし何故かこの瞬間──自身の視界へある姿が明瞭に映り、記憶の中のオリジナルに向けられたはずの声が耳から離れなかった。
興味も希望も尽きたはずの世界に、紡がれた声は鮮明に響いて残る。
そして俺は、記憶の海に埋もれていたその姿と、出逢った。
『君は正義って、何だと思う』
一人の少女だった。
過去、勇者が育った騎士学校にてある期間を共にし、時に剣技でも渡り合った。
勇者にとっては同級生のうちの一人で、それ以上でも以下でもない存在だった。──空の島を竜巻が襲った、あの日までは。
彼女の体には、魔の血が入っていた。今から数年前、彼女は空から大地へその身を引きずり下ろされ、魔族の手中に落ちた。
勇者は空にいる間、彼女が持つ魔族としての片鱗に気づくことはなかったらしい。
意図的に隠されていたからなのか、彼女が落ちる以前に勇者が目覚めていなかったからなのかは記憶をなぞるだけでは読み取れない。
勇者が『勇者』として大地に降り、時を超えて再会した彼女は、既に魔族の長へ命を捧げる存在と成っていた。
『──まさか、ワタシがこいつのことを洗脳しているとでも思っているのかな?』
そして彼女を手中に収めた魔族長は、『勇者』へこう吐き捨てた。
『そう思いたいのなら思えばいい。どうせ、『勇者』にとってこいつは何ら関係のない『半端者』にすぎないのだから』
少女は──俺と同じだったのだ。
生まれながらにして女神側にも魔王側にも属しきれない『半端者』の烙印。
定められた『運命』を与えられ、利用されるだけの存在理由。
まるで、鏡写しの自分を見ているような感覚。
──すなわち、死にたくなるほどの自己嫌悪。
最初は単純な興味として彼女を眺めていた俺は、ついに気づいたのだ。
オリジナルからのお下がりではない。初めて俺が、“俺”だけの強い感情を、欲望を、抱いたということに。
それは、怒りだった。
許せなかった。『半端者』としての生を受け、生まれた理由を他人から与えられ、受け入れるだけの彼女が。
彼女を通して見た自身が、途方もなく憐れで愚かで、許せなかった。
何より──最も露わになったのは、鏡に映った自己とその『運命』を強いた存在への憎悪だった。
憎悪は自身の中に欲望を生み、それは自身が成すべき目的となった。
こんな自分に役割を与えたヤツを、
こんな自分を吐き出したヤツを、
こんな自分を必要とするヤツを、
こんな自分を、
「──ぶっ壊したい」
……と。
感情と欲望を持ち、『勇者』にない俺自身の意志を持った時。“俺”はやがて完全なる命を持った。
『勇者』と違う自己を持つ、一人の存在に。
俺は剣を持つ。『勇者』の持つ聖剣を真っ黒に塗りつぶしたような刃だった。
水面に映る自身の赤い目は真っ暗な感情に包まれていると同時に、これまでにない生気を帯びていた。
「──?」
そうして決意の楔を打ち、前を見据えて映した森の景色に、一つの色が灯る。
それは一匹の青い蝶だった。記憶の中で見た、勇者がいた空と同じ青色をした小さな蝶。
どこへ向かおうとしているのか、ふらふらと彷徨う青色。それに誘われるように俺は森の奥へと向かう。
もはや歩き慣れた庭のような森を、初めて自分の意志を持って進んでいく。
果ては、思いの外すぐにやってきた。たどり着いたその場所は森が終わり、景色が一望できる高台だった。
無いと思っていた森の終わり。本来ならば見晴らしがいいはずのそこは、霧に包まれたような何もない空間だけが広がっていた。まるで、ここでこの世界が途切れているかのように。
俺を導いた青い蝶は、その先に行けない理由を知っているのか、同じ場所をくるくると舞っている。
俺は少し考え、片手に携えた黒い剣をそこへ向ける。そして、
「──ッ!」
何も無いはずの空間を一閃する。
響くのは虚空を裂く乾いた音だけだと思っていた。
しかし俺の耳を劈いたのは、ガラスを叩き割るような甲高い破壊音。
無色の空間に音を立てて亀裂が走り、その向こうから温かく柔らかな風が吹き込んでくる。
青い蝶は割れた隙間を潜って、やがてその向こうに飛び去っていった。
あまりにも呆気なく現れた外の世界への道。
何故出られたのか、あれだけ彷徨い続けた森に何故出口が現れたのかわからない。もしかしたらこれすらも、誰かの意志で用意された道かもしれない。
それでも俺は初めて、色のない森から抜け出したのだ。
「────」
木々の香りを嗅ぎ、虫や動物たちの鳴き声を耳にし、風が頬を撫でる感触を覚える。
初めて足をついた地は一見何もない、けれど目が焼けそうなほどに鮮やかな色彩に包まれた森の果て。
見上げた空は分厚い雲に覆われていてもなお、とてもとても広くて。
その下の世界には、自由に生きる命が星の数ほど存在していて。
だからこそ『運命』という名の枷を負わされた自分が、『半端者』が惨めで、許せなくて。
俺は少女を──リシャナを探すと決めた。
わからせてやるために。認めさせてやるために。
この世界で一番狂った存在の手のひらで躍らされる虚しさを。愚かさを。
力を手に入れて、壊してやるために。
抗うために。生きるために。
『──君は、すごい人になりそうな気がする』
刹那、歩き出した俺の脳裏に数秒の記憶の切れ端が再生する。
『勇者』へ唇を震わせた彼女の言葉が、何故か自身の耳の奥で残響となり、胸を締め付けた。
全てを終わらせたその果てに、記憶としての空でなくて、自分の目で空を見たい。
そんなちっぽけな、原初の願いを抱いて。
それが、俺の世界の全てとなった。
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