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迷子編_5話



 ──そして私は、記憶の旅路の終着点へとたどり着く。

 主人との思い出の地を巡り歩いた果て。広大な水源、フロリア湖を囲う深い森の中。
 ここにはあの日以来も主人や他の魔物たちと訪れていて、湿気った空気と荒れた獣道も今となっては慣れたものだった。訪れた回数自体はそう多くないが、鮮烈な記憶が刻まれているからだろう。

「────」

 私が行き着いたのは、鬱蒼とした森の中でも唯一開けて陽光が差し込む地だった。
 目の前にあるのは炎によって全体が黒く変色し、かつての威容が失われた大樹。
 その根元の地面には、鈍く光る銀色の槍が突き立っていた。

 取手はわずかに錆びついていて、長い時間風雨に曝されていたことが見て取れる。この槍の持ち主も、これが示す意味も私はわかっていた。

 ここはあの日、フロリア湖の戦いで死んだ亜人たちのお墓だった。

 彼らを殺した私がお墓を作って手を合わせるなんて、あまりにも冒涜的な行為だと思う。
 結局は独りよがりな行いに過ぎないのだろうと、ここに訪れるたび自己嫌悪に陥っている。

 それでも、奪う命への弔いの気持ちを忘れるのは最後の最後──主人に命じられる時だと決めていた。
 だからここには、これまでも何度か足を運んでいる。


 あの炎の中で、私はギラヒム様のために生き抜き、逃げずに戦うことを決めた。
 そう決めてから、私は武器として使われるために剣技の腕を磨き、大地を巡って各地の封印を壊し続けた。
 何度も何度も傷つき、時に精神を壊されかけて──終に、氷柱の封印を砕いて魔王様の石柱にまでたどり着いた時。
 私と彼は、願いを叶えるまでの期限付きの主従となった。

 数年の間に起きたことだ。それでもこうして振り返れば束の間の夢のような出来事で、私は今、その夢を終える戦いの直前に立っている。
 そして記憶の旅路を終えて再びそこに立った私は、自身の内側を掻き立てていたものの正体を自覚していた。
 後はその感情にどう決着をつけるか、なのだが──、

「……?」

 その時。地面に屈み込んでいた私を覆うように影が差していたことに気づいた。
 何か大きなものが背後に立っているようで、何の気なしに私は顔を上げる。そのまま後ろへ振り返ろうとした、瞬間。

「久しいのう、小娘」
「──!」

 低い声音と全身を凍り付かせる殺気が、私の背を突き刺した。
 同時に身を襲ったのは、かつて私の命を奪おうとした氷の魔力。総毛立つ体はゆっくりと視線を送り、ソイツの姿を目の当たりにする。

「フィロー、ネ……」

 そこには、かつての主従を死地へと追い遣った存在、水龍フィローネの姿があった。


 *


 ──水龍フィローネ。
 魔王様が眠る封印の地に巨大な氷柱を立てて監視をしていた張本人。
 私とギラヒム様は氷柱に覆われた封印の杭にたどり着くため命を懸けて戦い、結果水龍は主人の手によって退けられた。

 その時は双方ともに深い傷を負ったけれど、それも数年前の話だ。
 過去の傷は今や完全に癒えており、しかもここは水龍の本拠地なのだから、出会すこと自体に何らおかしなことはない。
 ……なら、水龍は考えナシにも一人出向いてきた私を自ら殺しにきたのだろうか。

 冷たい汗の存在を感じながら魔剣に手を伸ばすか否か決めかねていると、先に口を開いたのは水龍の方だった。

「案ずるな。手出しはせぬ」
「……!」
「魔族長がいたのならすぐにでも八つ裂きにした。じゃがここに奴の気配はない。そなた一人を殺したところで未来の争いの運命は変えられぬ」
「それは……どうも」

 言葉の通り、腕を組んだままのフィローネが私に武器を向ける気配は今のところ無さそうだった。
 ただし、注がれる眼光には鋭い敵意が宿っている。水龍がその気になれば、私の喉は即座に掻き切られてしまうのだろう。

 身を強張らせて顎を引く私に、フィローネは一度鼻を鳴らす。

「随分、魔族長の匂いが濃くなったようじゃな。気が変われば頭から食ろうてしまうかもしれぬ」
「……魔族長様はともかく、私は食べても美味しくないですよ」
「フン、魔に染まった精霊の味も半端者の味も、等しく妾の口には毒よ。食らうならば、丸呑みじゃ」
「そですか……」

 ぎこちない軽口にも思いの外まともに返事を返され、内心で少しだけ面食らってしまう。
 そんな私の胸の内を察しているのかどうかはフィローネの表情から読み取れない。というより、恐くて目を合わせられないというのが正直なところだった。

「そなたに氷の封印を壊されてから──否、大地において魔族長が暗躍をし始めてから、天と地の運命は大きく動き始めた。よもや天地分離以来再びとなる女神と魔族の争いは避けられまい」
「……みたいですね」

 低く語り出した水龍の講釈の方向性は見えない。
 その口調は氷柱の封印を守っていた頃に比べある種の諦観が感じられる。が、私の短い相槌に対し、黒の双眸はギロリと歪められた。

「女神の一族が敷いた封印もことごとく破れ、数千の時を経て魔王の魂が復活へと近づいておる。……その決定打をそなたたちは打とうとしておるのじゃろう」
「…………、」

 確信を持った問いかけに、小さく肩が跳ねた。辛うじて声と表情には出さなかったが、冷たい緊張が全身を巡る。

「答えぬか。ならば当ててやろうぞ」

 そのまま何の言葉も告げずにいると、フィローネは自ら答えを導き出した。

「──貴様ら魔族は、空の世界から巫女を引き摺り下ろそうとしておる」
「────」

 やはり水龍は、魔族がやろうとしていることに気づいている。
 そこまで気づかれている以上言い逃れは無意味だった。私は無意識に噛み締めていた奥歯を離し、低く言い返す。

「……だとしたら、どうするんですか」

 乾いた舌でなんとかした返答は、水龍が私のもとへ出向いた真意を探ろうとするものだった。そこまで知っているのなら、わざわざ私に告げず直接邪魔をしに来ればいいはずだ。

 私の問いかけに、フィローネは目を伏せ数秒沈黙する。やがて重々しく首を振りながら、

「何もせぬ」
「え?」

 一言で告げられた答えに、私は思わず目を剥いた。
 フィローネは再び黒の眼に私の姿を映し、次いでその視線を天に広がる曇り空へと移した。

「魔王を縛る封印の大元──石柱の封印は、もはや修復不可能な段階にまで綻びておる。新しく封印を結び直すためには女神の血を引く巫女の力が必要じゃ」
「巫女……」
「そもそも封印とはあくまでも一時的なものに過ぎん。そして、巫女が空の世界で生を受けたということは、運命は魔王の完全なる消滅のために動き始めたということじゃろう」
「……!」

 “魔王の完全なる消滅”という言葉に、胸の内がざわりと反応する。
 同時に胸の奥底から迫り上がり、心臓を疼かせたのは、黒く淀んだ感情。それは悪寒や恐怖ではなく、はっきりとした敵愾心──もしくは憎悪だった。

「……あなたは何故、私にそんなことを伝えるんですか」

 水龍が私を殺すつもりでないというのは本当だろう。言われた通り、今私一人が死んだところで巫女を落とすための計画には何の影響も与えられないからだ。
 しかし、そうなればフィローネがここまでのことを私に話す理由が見出せない。たまたま見つけた魔族に急な宣戦布告をしに来たわけでもないだろう。

 フィローネは何かを吟味するかのように長い髭を揺らし、「フム」と一旦区切って言葉を継いだ。

「空の人間に対する慈悲と、そう嘯いても良かったが。そんな酔狂を妾は持たぬ。妾が関心を抱くのは、氷の封印を解き放つと同時に野放しにしてしまった半端者の妄執の行く末よ」
「──?」

 要領を得ない言い回しに私は小首を傾げる。どちらかと言うと、魔族でなく私自身に用があるような口振りだった。
 その声音に含まれる意図が読み取れないまま、私はフィローネの言葉に耳を傾ける。

「魔族どもが数百年をかけても氷の封印は解かれることがなかった。永遠の封印はない。じゃが、あの氷柱が砕かれなければ、さらに数百年は魔王の復活を先延ばしにすることも出来たはず」
「…………」
「しかしそれを魔族長と共に砕いたのがただの人間──それも世界の輪廻からこぼれた半端者ときた」

 含みを持って告げられた自分への呼称に、頬がぴくりと反応した。
 けれどそこに言及したい気持ちを抑え、私は唇を結び直す。

「……何が半端者をそこまで駆り立てたか。魔族長の支配に対する恐怖心や純粋な忠誠心だけが根底にあるとは考えづらい」

 話されながら、自分にも見えない内心まで探られているようで、嫌な汗が流れてくる。
 何故魔族につくのかと敵対する相手に聞かれたことは数知れないが、ここまで深入りをされたのは初めてだった。

 何かを喋れば何かを察される気がして無言を貫いていると、「一つ問おう」と前置きフィローネが続けた。

「そなたがあれに抱いている感情は、単なる思慕と忠誠の念だけか?」
「え……」

 質問の意味がわからず、私はフィローネの顔を見上げたまま瞬きを繰り返す。

 次いで向けられた問いは、私の予想の範疇を超えたもので、

「そなたはあれを雄──否、男として見ているのじゃろう」
「………………はい?」

 ──まさかの女神側から、しかもあのフィローネから向けられた質問に、私の頭は真っ白に塗り替わって静止した。

 フィローネは今。
 あれを……つまりギラヒム様を、男として私が見ているのかと、聞いて、きた?

「……え、えっと、その……そう見てるか否かと聞かれたらすんごく見てると思うんですけど……具体的にどのあたりがとかまで、言います……?」
「……そなたは平時も頭がおかしいようじゃの。ようく理解した」

 フィローネと出会ってから数分。この短時間の間にも何度か衝撃は与えられたが、それらを軽く凌駕する強烈なストレートを打ち込まれ、私の頭は完全な混乱状態に陥った。
 が、冷ややかに向けられる黒眼に私をおちょくっている気配は一切ない。たぶん真面目に聞かれてる。

「……水龍様もそういうお話、お好きなんですか?」
「たわけ。人間どもの下賤な話に、それも半端者の譫言などに妾の興が乗るわけがなかろう」
「さいですか……」

 素直に驚いただけなのにひどい言われようだった。けれどこれ以上下手なことを言ったら本当に八つ裂きにされそうなので、突っ込みは喉奥に留めておくことにする。
 フィローネも尊大な態度も全く崩さず、話を続けた。

「──人間が持つには狂気じみている、そなたの妄執の根底。剣の精霊と同質の忠誠を人間が持つには、それ相応の深い念がいる。あえて人間どもの言葉で言い換えるならば、深い感情と呼ぶべきものが」
「感、情……」

 それはあの氷柱を砕かれた当人であるからこそ気づいた客観的な事実なのだろう。
 生まれ持った使命として忠誠を果たす剣の精霊に対し、何の力もない普通の人間である私が、彼と同じ戦場に立つため抱いていたものの正体。

 私はそれを、主人に対する憧れで、尊敬で、ただ報われてほしいとだけ願う感情なのだと思っていた。
 実際、その気持ちだって強く強く持っている。でも、

「その多くは強い憎しみか。……もしくは、」

 憎しみなど抱くはずがない。
 あるいは、それは憎しみ以上に持ってはいけない感情だったのかもしれない。
 ずっと前から持っていたけれど、永遠に気づいてはいけない感情だったのかもしれない。
 だって、それは──、

「──深く深く、呪いにも似た、恋慕か」

「────」

 その言葉は、私の心臓を見えない手で握りつぶした。
 第三者から言葉として表されてしまったその感情は、私の胸を真正面から穿った。

 それは意識したくなかった感情であって、私の胸をずっと締め付けていた気持ちであって。
 ──彼の口から明白な否定をされた、叶うことのない想いだったからだ。

 揺さぶられた心の芯を懸命に保たせながら、血が滲むまで唇を噛む。
 俯き、視線を地に落として、やがて小さく喉を震わせた。

「僭越ながら。……二つ、訂正です」

 そうして絞り出した声に、フィローネが目を細めた。
 自分でも行き場のわからない、無機質な声音だった。

「一つ目。私の忠誠はマスターと……剣の精霊と同質なんかじゃないです。……あんなに、綺麗なものじゃない」

 それは最初に正しておかなければならない認識だった。たしかに忠誠とは私が憧れを抱き、彼に尽くすことを決めたきっかけとなった生き方だ。
 だが、憧れを抱く側と抱かれる側は似ているようで全く非なるものだ。その差は隔絶されていると言ってもいい。

 そう言い切る私にフィローネが何か言いたげな視線を向けたが、構わず私は続ける。

「二つ目。……あなたの言う、それ相応の念ってやつ」

 そこで区切って、私は顔を上げた。
 自覚し、他人からも告げられた、私の本心を見据えて。

 深呼吸をし、柔らかな微笑みをたたえ──それに対する答えを、私は紡ぐ。

「──ちょうど今、捨てようとしていたところです」

 大切な人へ、抱いてしまった気持ちの決別を。
 迷子の旅路の終着点を、ここで決める。


「捨てる、のう」

 含みを持った吐息をこぼし、フィローネは何かを見極めるように私へ視線を注ぐ。そこには薄い憐れみの気配が見え隠れしていた。

「身を拘束する者に憎悪を抱くわけでもなければ、人間が普遍的に持つ感情すらも捨てるか。半端者」
「捨てますよ。……願いのために」

 私の身に抱く願いも、描く未来も、一つだけでいい。
 たとえ胸が痛んでも、彼の側にいられる時間が有限だったとしても、彼のための自分でありたいと願ったのは私なのだから。

「──私の願いはギラヒム様に幸せになってもらうこと。それだけです」
「────」
「そのためなら、私個人の……身勝手な感情なんて、捨てます。捨てられます」

 繰り返された言葉は目の前のフィローネでなく、未練がましく軋み続ける自分の胸へ言い聞かせるものだった。
 その姿に嫌悪感を抱いたのか、もしくは憐れみを濃くしたのか、フィローネは顔をしかめて嘆息を落とす。

「……やはりそなたの妄執は“魔”そのものじゃ。人間の身で抱けば、いずれは身を滅ぼす」
「……でしょうね」
「半端者が聖戦に関わろうとすること自体が破滅への道でしかない。その意志すらも完全に魔に委ねたなら、そなたの未来に光が差すことは二度となかろう」
「覚悟の上です」

 そう言い切った頃には、両足の震えはいつの間にか消えていて、押し殺した感情は胸の奥でようやく静かになってくれていた。

 そうしてしばし互いに睨み合った後、私はふと頭に過ぎった疑問をそのまま口にする。

「ちなみに、それに気づいたのって……あなたが女性だからですか?」

 前置きなしに投げかけられた問いに、フィローネは初めて驚きの表情を見せた。
 とは言えわずかに目を見開き、瞬きをしてみせたくらいだが、呆気にとられた空気は充分に伝わってきた。

「……精霊の身に性の別など無きに等しいが、人間が言及しおったのは実に二千年ぶりじゃな」
「まあ、妾って言ってましたし……」

 氷柱の中で対峙した時はそれどころじゃなかったため、龍の性別なんて考えたこともなかった。が、女性なのだとすると私の気持ちを察した経緯も何となく納得できる……気がする。
 しかしそうなると、今のこのやり取りは初めて同性に話す意中の相手ありきのコイバナというやつになるのだろうか。あんまり嬉しくないけれど。

 そんなことを悶々と考える私を無視し、フィローネは長い尾をくねらせ森の出口を目で指し示した。

「……さて、魔の匂いが濃くなった人間を妾がうっかり食ろうてしまう前に、この地を去るが良い。……それと、我が配下の一族をこれ以上卑しめるな。魔族の弔いなど天地が覆っても望まぬ」

 付け加えられた言葉は与えられてしかるべきだったため、私は素直に顎を引いた。ここに来るのもこれで最後にした方が良いだろう。 
 立ち上がり、何も言わずに背を向けると、フィローネが最後に一度だけ喉を鳴らした。

「次は殺すぞ。魔族」
「……肝に銘じておきます」

 私が抱くものに気づいた水龍は、完全な敵対の意志を私に告げた。
 それを受けたことにより、胸の奥底に仕舞い込んだ私の気持ちを外に引き出す者は、誰一人としていなくなる。
 だから、この気持ちを思い出すのもこれが最後だ。

 ここを離れる頃には、隠して、仕舞い込んで、抱いたことすら忘れてしまいたい。

 そのまま色褪せて、消えて、なかったことに、して。

 そして、

 ──そして、


 *

 *

 *


『リシャナ』

 名前を、呼ばれた。
 耳にすれば熱を感じて、穏やかな安寧と共に少しだけ胸が締め付けられる、その声で。

『リシャナ』

 名前を、呼ばれた。
 何度でも聞いていたい。紡がれれば愛おしい。でも、すごくすごく苦しい、甘やかな口調で。

『リシャナ』

 名前を、呼ばれた。
 それはかつて、“私”の始まりを告げた声音で。

 考えれば考えるほどに、自身の中にある感情が必死に存在を訴えかけてくる。
 彼のために願う気持ちと相反する、私自身が抱いた彼への気持ち。
 消してほしくないと、諦めたくないと、叫ぶように。

「──マスター」

 口に馴染んだ敬称がこぼれ落ちる。
 何度でも口にして、いつまでも呼んでいたい、誓いの響きを。
 いつかそう呼ぶことが出来なくなる、泡沫の響きを。

「──ギラヒム様」

 世界で一番、大切な人の名を、紡ぐ。


「────」

 鋼のように高潔で、濁りのない忠誠心が綺麗だと思った。
 端正な笑みで馬鹿にしながら教えられる、この世界の美しさが忘れられなかった。
 頭を撫でる温かな手が、触れられると胸が締め付けられる唇が、どこにいても私を見つけ出してくれる目が──切なかった。

 それはかつて失ったかもしれない曖昧な感情で、初めて抱いたかもしれない鮮烈な衝動で、償いが必要となる罪深い欲望で。

 初めて気づいて、自覚して、認めた時。
 数秒前に戻ってそれらの事実を全て掻き消してしまいたいという後悔に襲われた。
 気づいてしまったなら必ず別れを告げなければならない想いだったからだ。
 でもそれでいて、愛おしくて抱きしめたい、ずっとずっと離したくない感情でもあった。

 だから、だからこそ、別れを告げる。
 回想も、追憶も、終わりにする。

「マスター」

 死が主従を分かつその時か、彼の願いが叶うその時まで。
 私はたった一人の主人の幸せ“だけ”を願う、部下なのだから。


「──大好きです」


 想いは誰の耳にも届かず、仕舞い込まれて──やがて、消える。


 *

 *

 *


 時は、フロリア湖を離れた数時間後。
 帰路をたどる足は一直線に拠点に向かおうとして──何かに導かれるように、封印の地へ赴いていた。

 予定では今日、ラネールに出向いていた主人が帰ってくるはずだ。だから早く拠点に帰ってお迎えの準備をしなくちゃいけない。
 そのはずなのに、彼と会っていつも通りの顔が出来る自信がまだなかった。

 地表をくり抜く螺旋から少し離れて座り込み、高い空を見つめて目を伏せる。
 いつまでも胸の迷いは消えてくれなくて、日が落ちるまでここから動けないんじゃないかと思い始めて、辺りに視線を巡らせた──その時だった。

「…………あ、」

 視界の端。封印の地から拠点へと続く道の先。
 一つの後ろ姿を見つけた瞬間、咄嗟に私は立ち上がり、その背に向けて駆け出していた。

 切なくて、苦しくて。
 でも一秒でも長く傍らにいたい──私にとっての、ただ一つの道しるべ。

 涙を堪えて、私はその背中に両手を伸ばした。