ダイヤモンド・エモーション_09


9.


「お前、めっちゃ脈アリやん。妬けるわ」

と、忍足は俺の耳元でつぶやいた。思わずニヤけてしまった俺に、伊織さんは怪訝な顔で言った。

「仁王さん?」
「ん?」
「なにを、笑っていらっしゃるんですか?」
「いや、ちと……合コンも悪くないと、思ってな」

ごまかしきれたか、自分でもわからん。
ただほんの少し残っていた不安が、忍足の助言で吹き飛んだのはたしかだ。あれだけ「会いたくない」と連呼されて、自信満々になれるほど俺も強くない。いつだったか「惚れた女には不器用だ」と伊織さんに言ったことが思いだされた。俺の不器用さは、惚れた女に乱される心の問題だ。とくに、これだけ惚れこんだ伊織さんの内面は、こないだまで見えていたとは思えないほど、見えなくなっていた。
それでもあの忍足が、「めっちゃ脈アリ」と言ったことに、あっさり前向きになった自分が笑えてくる。単純っちゅうか、なんちゅうか。
俺が到着するとすぐ、赤也の悪ノリでテキーラを飲まされるハメになった。伊織さんがどういうわけか俺を心配して2杯も飲んで、そのまま立てつづけに4杯まで飲んでしまいそうだったのを、俺は慌てて制止した。変なところで正義感をだす伊織さんはいつものことだが、俺を守ってくれたつもりなんだろう。それで、また懲りもせず好きになる。

「伊織さん、どうした?」
「お手洗いです」

しばらくして、伊織さんは手洗いのために席を立った。ふらついた足元を見て心配する俺すら邪険にして、消えていった。つれない態度ばかりとる伊織さんが、じれったい。
そこから1分もしないうちに、俺も席を立った。伊織さんの荷物が残されていたから戻ってくることはわかっていたが、それでもテキーラを2杯も飲んだ彼女の行方が心配だった。
そこから数分、手洗いの前で待ち伏せたが伊織さんには会えず、様子がおかしいと思って店の外に出たとき、遠くから伊織さんの声が聞こえて、あの場に駆けつけたっちゅうわけだ。
……怒りが収まらんかった。卑劣な男には当然だが、俺以外の男に触れられる寸前だった伊織さんのその無防備さにも、頭にきていた。

「け、警察呼べば、済む話ですし。仁王さんが来なくても、なんとか」

というのに、伊織さんはどこまでも、俺を避けようとした。
あんな危険な目に遭いそうになったくせに、助けてやったっちゅうのに、「その必要もなかった」と言わんばかりに強がった。
これには、いくら惚れている女でも、完全に腹が立った。

「……ほう。まだ俺を怒らせたいか」
「えっ、ひゃっ!」

悲鳴をあげた伊織さんにかまうことなく、目の前にあったラブホテルに伊織さんを連れ込んだ。このまま俺をずっと避けて、あげくほかの男のものになるくらいなら、伊織さんを無理やりにでも抱くつもりだった。
俺にもテキーラ2杯がそれなりに効いちょったんじゃろう。理性が飛んでいたのは、いまさら否めん。
だがそれも、伊織さんからの告白で目が醒めた。

「もう考えたくなかったのに! 仁王さんのこと、頭のなかから消し去りたかったのにっ」

伊織さん、と名前を呼んでも、彼女は泣きじゃくっていた。

「あなたのことばっかり考えるのもう、嫌なんです、つらいんです、もう会いたくない。仁王さんに会ったら、姉とのことばかり想像します。わたしが見たあのベッドの上で、仁王さんは姉にどんな言葉をかけて、どんなふうに抱きしめて、どんなキスをして、どんなふうに愛し合ったんだろうって……そんなことばっかり考えるの、もう、つらいんです……」

愛しさがこみあげた。自分の姉と関係していた友人の男を見ていられない、とずっと訴えてきた伊織さんの本音は、ここにあったんだと気づかされる。
無理もない。俺ももし、弟と伊織さんがと思ったら、たまらない。あげく伊織さんは、俺と弟の関係とは違って、千夏さんのことが苦手だ。その嫉妬が、ずいぶんと前から伊織さんを蝕んでいた。俺のことが好きなら、誰よりも千夏さんのことを知っているからこそ、ほかの誰より触れていてほしくなかった相手だろう。

「仁王さんが好きだから、苦しいんです……どうして、わかってくれないんですか」

その言葉は、胸に沁みわたった。
思いきり、抱きたい。誰よりも好きだと、愛してると、その体に叩き込みたい。絶対に手放したくない。その想いが、俺を饒舌にさせた。
全部、忘れさせると誓った。余計な嫉妬せんでいいようになるほど、俺が伊織さんを、愛すと、誓った。その誓いが、俺のなかでまたたく間に熱をもっていった。
あの人に会う前に、伊織さんに会えてさえいれば……伊織さんを泣かせることなく、もっと早くに、もっと深い愛を交わせていたかもしれないと思うと、後悔しかなかった。
こんなに切なくなるほど人を好きになったことは、一度もない。これまでの恋愛はなんだったのかと思うほど、俺は、伊織さんに愛されたかった。
その頬に触れたらもう、我慢は無駄な抵抗だと悟った。

「愛しとるよ、伊織さん……」
「仁王さ……」

突然に押し付けた唇を、伊織さんは受け入れてくれた。はじめて触れた唇だというのに、舌を絡めても、伊織さんは抵抗しなかった。体が熱くなっていく。キスだけで頭が溶けそうだった。

「好きだ」

何度言っても足らない言葉を重ねる唇から投げたとき、伊織さんは、膝から崩れ落ちた。

そういうところが、伊織さんらしいといえば、らしい、とも言える。
この火照った熱をどうしてくれる気じゃ……と恨めしく思ってみても、ほかの酒と一緒にテキーラを2杯も飲んだ伊織さんが酔いつぶれるのは、仕方がないんかもしれん。
そっと彼女を抱きかかえて、ベッドの上に乗せた。このまま襲いたくなるほどの無防備さにまた呆れたが、想いが通じ合った高揚が、なんとか理性を取り戻させていた。
俺は一旦、ホテルから出た。財布は持ってきていたが、ほかの荷物も伊織さんの荷物も置いたままだ。席を立ってからかれこれ20分近くは過ぎている。さすがに幹事ふたりがなにも言わんままいなくなるのはまずいかと、店に戻った。

「あー仁王先輩! どこ行ってたんスか!」
「おう、すまんの」

すっかり酔っ払っている赤也が怒っていた。俺を口説こうとしていた女が「仁王さんここ座ってー」と甘い声を出している。幹事だというのに気がひけたが、俺は、ここにいる誰よりも、伊織さんが大切だ。こればっかりは、どうにもならん。

「すまんがの、みんな。帰らせてくれるか」

え、なんで? と言う声がちらほらとあがって、忍足だけがわかったように俺を見た。目が半分しか開いていない、かなり呆れた表情で、忍足はため息をついた。

「しゃーないなあ。ほな俺が最後まで受け持つわ。幹事、交代やな」
「すまんの、忍足」
「いやいや、え!? なに言ってんスか忍足さんも仁王先輩も!」
「ええやろ切原ー。仁王は明日も仕事やねん」すかさず忍足がフォローする。こいつには感謝しかない。
「いやでも仁王先輩、幹事ッスよ!?」
「せやから交代やって」

非難する赤也の声を無視して、黙って自分の荷物と、伊織さんの荷物を取った。
また、俺を口説こうとしていた女が声をあげる。

「え、それ佐久間さんの荷物……なんで」

なかなか、目ざとい。ちゅうても、バレバレか。
これ以上、忍足にフォローさせるのも悪い上に、ちと面倒になってきた。俺は正直に、口を開いた。

「好きな人と、うまくいきそうじゃから。すまんの」

そう言って、店をあとにした。閉めた扉から、悲鳴のような声が聞こえてきた。





ホテルに戻ってシャワーを浴びた。コンビニで買った拭きとり用のメイク落としで伊織さんの顔をそっとなでて、化粧を落としてやった。気絶したように眠る伊織さんはされるがままで、ときおり激しい動きで寝返りをうっては、静かな寝息を立てつづけた。
しばらくテレビを見ながら伊織さんの頭をなでつづけたが、一向に起きる気配もない。午前が過ぎたところで伊織さんのとなりに入って腕枕をすると、彼女は寝ぼけながら、胸に抱きついてきた。「本当に襲うぞ」と耳元で言ってみたが、やっぱり、まったく起きる気配がない。愛しくて何度も唇をもてあそんだが、マグロどころか、まるで死んだ魚だった。さすがに、しらけた。
それでも、伊織さんを抱き枕にして寝れることに、幸せを感じていた。

もぞもぞと腕のなかで動く違和感に、目が覚めた。うっすらと目を開けると、伊織さんは自分の服を見たり、天井を見たりと忙しい。どうやら混乱しとるようだ。
ああ、ようやく起きたかと思うと笑いが込み上げそうになる。さて、どこまで覚えちょるんか。俺のいたずら心に火がついた。

「おはよう、伊織さん」

おとなしく腕におさまっている伊織さんを、たしかめるように抱きしめる。ふぁ、という困惑の小さな声が、耳に気持ちいい。

「に、仁王さん……あの、あ、起きてらっしゃったんですか」
「そんなに動かれたら、目も覚めるじゃろう」

すみません、と小さな声で謝りながら、息を整えている。目覚めてそんなすぐに動悸があがったら苦しいじゃろうに、伊織さんはまったく落ち着く様子がなかった。

「あの、あの仁王さん……あの、聞きたいことが」
「まあ、そうじゃろのう」
「あの、あの……この状況は、あの」あわわ、という吹きだしが目に見えるようだ。
「伊織さんひょっとして……覚えちょらんのか?」

ぐ、と言葉に詰まっている。
まさかキスのことまで忘れたとか言うつもりじゃないだろうな?

「えっと、それは……ですね」

赤面していた。あー、これは覚えちょるな、と思ったら、余計にいじめたくなった。堅物の伊織さんのこんな顔が見れるとは、思ってもみんかった。最高に楽しい。

「どこまで覚えちょるか、言うてみんしゃい」
「ですから、それはその……仁王さんと、その、キス、したような、気が、しないことも、ないような、気がする……します」おどけているつもりなのか、それとも本気で動揺しているのか。どっちにしても、愉快じゃ。「ですがあの、そこからあまりあの……覚えていないというか、なんというか」

伊織さんはオロオロと目を泳がせた。視線を合わせるのが、どこか気まずいらしい。
着てきた服はそのままじゃっちゅうのに、やっぱりそういう勘違いもするか。ますます、いじわるな気分になる。
俺は、伊織さんの耳元に唇をつけた。ビクッと、その肩が揺れた。

「あんなに、激しかったのに、のう?」
「え……えっ」
「伊織さん、あんなに乱れて……」

吐息のまざった声でそう言うと、きゅーっ、というヤカンの音が聞こえそうなくらい、伊織さんはみるみる赤くなった。
ああ、これは楽しい。しばらくこのまま遊んでおきたいと思ったが、その顔のせいで笑いをこらえきれず、吹き出した。

「な……う、嘘ですね!?」
「くくくっ……嘘はついちょらんって。乱れちょったよ。酒に酔いつぶれて。寝返りも激しゅうてのう」
「に、仁王さん! ひどいです、そういう、まぎわらしいことを、すぐに、あなたって人は!」
「これ俺の性分なんよ。まあ安心しんさい、伊織さんが想像しちょるようなヤラしいことは、昨日はなかった」
「ヤラ……そ、わかっています!」

怒っているが、いつもの威勢はどこにいったんか。相変わらず真っ赤な顔だ。あまりにもかわいくて、そのまま伊織さんに覆いかぶさった。

「えっ、ちょ、仁王さっ……ンッ!」
「昨日はって、言うたじゃろ?」

濃厚なキスで口を塞いだ。軽いキスを知らんのかっちゅうくらい、伊織さんにはがっついてしまう。俺の舌が伊織さんの顔を恍惚とさせているのかと思うと、ますます興奮した。

「ま、ン……仁王さ……まって」
「なんじゃ」胸を手で押してくる伊織さんに、一旦、唇を離した。「ここがどこか、わかっちょるんじゃろ?」
「わ、わかって、ますけど」目が潤んでいた。狙っとるんか、こいつ。
「なら、することはひとつだ」

胸に当てられている手首をつかんでベッドに押しつけた。「いきなりすぎますっ」と言っているが、あまり抵抗する様子もない。
すっかり欲望にかられて、キスをもう一度、舌を突き出すように送った。
が、その直後だった。プロロ……と、間抜けな音が、甘い時間を引き裂いた。

「……はあ?」思わずそれを睨みつけて、声が漏れでていく。
伊織さんが目を上にあげて、音のする方向を見た。「仁王さん、電話が、鳴ってます……」
「……わかっちょる」

ヘッドボードにある電話を、仕方なく取った。ぶっきらぼうな男の声で、「お時間すぎてますよ」と言われる。横にあったデジタル時計が、10:05と点灯していた。
「……あと10分ででます」と、これも仕方なく答えた。まったく、つくづくついてない。

「伊織さんのせいじゃからの」年甲斐もなく、不機嫌を丸出しにした。
「えっ!? なんですか急に! なにがわたしのせいですか!?」
「酔っぱらって。朝、起きるのも遅い。金まで払ってこんなとこに泊まったっちゅうのに」なんにもさせてもらえんかった。頭にくる。
「そ……仁王さん、お言葉を返すようですが」
「返さんでいい」
「仁王さんが勝手に入ったんですよ!? それをわたしのせいと言われましても!」
「返さんでいいって言うたじゃろ。ええから、責任とってくれ」
「はい!?」
「早う支度して。それで、俺を店まで送りんしゃい」

店のオープンは11時だ。休みならこのままでもよかったっちゅうのに。
こんなに仕事に行きたくないのは、新人のとき以来だ。





タクシーを降りてそっと左手を差しだすと、伊織さんはためらいがちに手を重ねてきた。指を絡ませると黙って俺を見あげて、困惑の表情を向ける。いつからこんなに女の顔をするようになったのか。かわいくてたまらん。

「あの、あの仁王さん」
「ん?」

店までもう少し、ということで、伊織さんが立ち止まる。引っ張っても、頑固な犬のように動こうとしない。遅刻するほどでもないが、俺は伊織さんを覗き込んだ。

「どうした?」
「ここから、あとわずかだと思うんですけど、お店」もじもじと、キョロキョロしている。
「じゃから?」
「手をあの、離したほうが、いいと思うんです」
「なんでじゃ?」

言われちょることの意味がわからん。

「だだだって、見られてしまいます、スタッフの人たちに! ほら、もう、すぐそこじゃないですか! ここからだって見られてるかも! あっ、人が見えました!」ほら、誰かいます! と、伊織さんは急に慌てはじめて、俺から手を離そうとしたが、俺は手に力を入れた。「ちょ、仁王さんっ!?」
「別にかまわん」
「か、かまいますって! あ、ちょっ!」

言うことをきかない犬の首輪を引っ張るように、俺は足を進めた。若干、足をもつらせながら、引きずられながらついてくる。
店の前まで2メートルほどのところで、俺はようやく足を止めた。

「み、見られてます、ほら、すごい顔してますスタッフの方が!」

たしかに、いち早く気づいたろっ子が俺たちを見ていた。いつも7時にはいる俺がギリギリになったことが関係あるのか、スタッフのほとんどがこっちの様子を見はじめた。女連れだと気づいて、目をひん剥きはじめた。俺の服も昨日とまったく一緒じゃから、余計かもしれん。
お前らも好きじゃのう……。

「俺の店じゃき。ほっちょきんさい」
「しかしですね、こういうのはあの、職場環境としていかがかと」
「伊織さん」と、俺は伊織さんに向き直った。急に顔を向けたからか、ぎょっとしている。「今夜、会えるか?」
「え……」
「仕事が終わったら伊織さんのマンションに行きたいんじゃけど」
「そ……かまいま、せんけど」
「そうか。なら、ウィークリーマンションの契約、入居者2名にしちょってくれんか?」
「は、はい?」
「契約したとき、2名でも値段変わらんはずじゃったけど、1名で契約したじゃろ。あれ、変更っちゅうって、連絡しちょってくれ。不動産屋に」
「そ……あの、仁王さん……それはどういう」
「じゃ、そろそろ行く」

つないでいた手を引き寄せて、俺は伊織さんにキスをした。硬直した伊織さんが、我に返ったように俺の胸をドンドンと叩きはじめる。その手が身動きを取れんように、俺は伊織さんを抱きよせた。さすがに舌を入れたりはせんかったが、それでもたっぷりと愛を送った。

「な、なんてこと、するんですかっ」唇を離すと、ほとんど声になってない声で、伊織さんは俺の胸に顔を埋めるようにして、そう言った。
「かわいいな、伊織さん」

額にキスして、「いってくる」と声をかけて店に向かった。ガラス越しのスタッフ全員の唖然とした顔に目を合わせる気にもならんで、俺は伊織さんに振り返った。
伊織さんは両手で顔を覆ったまま、逃げるように背中を向けて走っていた。苦笑しながら堂々と店に入ると、案の定、ろっ子が声をあげた。

「仁王さん! なにしてるんですか!?」あんな、あんな、と、顔を真っ赤にしている。
「俺がなにしようと、お前に言われる筋合いないんだが」なんでお前が真っ赤になっちょる?
「だって、だってこれまでそういうの気にされてたじゃないですかっ。もうすぐオープンなんですよ!? お客さんに見られたら!」

ろっ子の言いぶんは、まあ、正しい。
俺はこれまで恋人には店に立ち入らないようにしてもらっていた。ちゅうても独立して5年程度じゃから、千夏さんともうひとりくらいの話だが。
俺に恋人がおるとわかると騒ぎだす客が何人かおる。そういう混乱を避けるための手段だったが、もうそんなこと、この上なくどうでもいい。

「別にかまわん」伊織さんにも言ったが、ろっ子にまで言うハメになるとはの。「ああそれと、あの人、今度から頻繁に来る。名前は佐久間伊織さん。VIPじゃき、全員覚えとってくれ」
え、彼女さん来るんですか? と若いスタイリストが聞いてきた。「仁王さんってそういうキャラでしたっけ」
「知らんよ、自分がどんなキャラとか」まったくもってこういうキャラじゃないことは、百も承知だが。
「いいんですか? いまの感じだと、お客さんにあっという間にバレますよ?」もうひとりのスタイリストも、控えめに聞いてきた。ああ、うるさいのう。そんなことで客が減るような美容師じゃないつもりなんだが。
「俺の店じゃ。好きにさせてもらう」
「殿がご乱心ですねえ……」

笑いながら言ったアシスタントの頭を殴って、わかったら準備、と声をかけると、全員が口を閉ざして、仕事をしはじめた。





あんな気分で仕事をしたのも、久々だ。
いつになく、はかどった。日曜の夜は閉めも早いことが幸いして、俺は19時半には店を出た。
近くにある自宅マンションで準備をして、杉並のウィークリーマンションまで電車で移動した。タクシーでもよかったが、渋滞にでもつかまったら伊織さんに会うのが遅くなる。自分がそんなにせっかちなほうだとは思ってなかったが、早く会いたくて仕方なかった。
夜8時過ぎ、俺はようやく、伊織さんの部屋に到着していた。

「どうぞ。簡単なものしか用意してないですが……」
「いや、十分。うまいのう……伊織さんは料理が本当に上手だな。ありがとの」

伊織さんは、夕飯をつくって待ってくれていた。
ウィークリーマンションらしく、最低限のものがそろっているシンプルでモダンなインテリアの中央にある、食卓テーブルに座った。
まさかそこまでしてくれちょるとは思ってなかったせいで、平気で胸がときめいていた。まいったのう。これじゃ本格的にご乱心じゃ。

「いえ、そんな、全然……仁王さんは、その」
「ん?」
「か、彼氏、ですもんね。わたしの。ですから、つくりました」

伊織さんはちらちらと、俺の反応を伺うように目をせわしなく合わせてきた。箸で運ぶ米が異常なくらいに少量で、茶碗のなかが減りそうにないほど小さな口で食べている。この女……どうしたいんじゃろうか、俺を。
こっちも十分キャラ替えしてスタッフ連中を唖然とさせたが、伊織さんに至っては別人だ。

「そうだ。俺、伊織さんの彼氏。伊織さんは、俺の彼女じゃろ」微笑むと、伊織さんも微笑んで、こくりと頷いた。
「きちんと……言えてなかったものですから。あの、とても、嬉しいです」
「ん。俺も嬉しい」

甘い夕食の時間を過ごして、俺は食器を洗う準備をした。伊織さんが慌てて「いいですよ!」と背中に触れてきたが、「じゃあ、そこにおって」と俺は言った。
ぽつんと、伊織さんがどうしていいかわからない顔で突っ立っている。傍にいてくれるだけで、俺は満足だった。

「伊織さん」
「はい、ゆすぎましょうか?」
「いや、そうじゃのうて。これ終わったら、風呂、もらっていいか?」

そう言うと、伊織さんは固まった。
おいおい、まさかここまできて帰らせるわけじゃないよのう?

「あの……仁王さん、泊まるん、ですか」
「泊まる。嫌か?」どこまで焦らすつもりじゃ。こっちはさっきから我慢の限界じゃっちゅうのに。
「仁王さん、あのですね」

と、伊織さんが背筋を伸ばした。さあ、はじまるのう、と俺は心のなかで呆れた。なに言われても、帰るつもりなんかないんやが。

「仁王さんとわたしは、出会ってからおよそ2ヶ月くらいでして、交際しているといっても昨日、交際を開始しはじめたわけです。日本の成人している男女が交際しはじめてからは、だいたい3回目のデートくらいでそうなると、あ、そういうことには、わたしはかなり無知だったので、調べたんです。どういうエビデンスかわかりませんが、ネットにそう書いてありました。正確なデータではないかもしれません。でもそう書いてあったんです。ですからその、まだなんというか、早いような気がするのですが、仁王さんはなぜ、そんなに、急がれているんでしょうか」

ようやく、本調子を取り戻してきたっちゅうことかもしれん。
じゃけどのう伊織さん……俺はその調子をどこまでも崩したいんよ。

「終わったか? こっちの食器洗いも、ちょうど終わった」
「仁王さん! わたし、真面目に聞いているんですっ」
「俺も真面目だ。その、エビデンスがどうのこうのは、どうでもいい。伊織さん、俺のこと体目当てとでも思っちょる? そんなに信用ないか。優しいと言うてくれた割には、えらく疑っとるのう?」
「い……いえあの、そういうわけではありません、疑っているのではなく……」なにかに怯えとる、そんな気もする。「……仁王さんとそういうことをしたら、わたしはまた、よからぬことを考えてしまう気もして……それに、ちょっと、自信もなくて」

しゅんと、目を伏せた。ああそうか、と納得する。
俺が伊織さんを抱けば、同じように自分の姉が抱かれた姿を想像するというわけだ。ちゅうたって、いつまでも抱かんのは無理じゃし、俺はそこまでお人好しでもない。

「伊織さん、俺が昨日言ったこと、覚えてないか?」
「えっと……それは、どのことでしょうか」
「俺、伊織さんが余計な嫉妬せんでいいように、愛すって言うたはずじゃけど? 覚えちょらん?」
思いだしたのか、伊織さんはゆっくりと俺を見た。「覚えて、ます」
「それには、必要不可欠なんじゃけど。キスもそうだが、セックスは愛を確かめあう行為じゃろ? 俺は、1日でも早く伊織さんの心を楽にしたい。逆効果になるようなら、伊織さんがいいと言うまで、二度と触れん。約束する」

一度抱いてしまったら、そんな約束が可能かどうかは俺自身、不安もある。だがその約束を守れるくらい伊織さんが大切な気持ちは、本音だった。
あの泣きじゃくっていた顔が忘れられない。俺があんなふうに彼女を傷つけているのかと思うと、やっぱり苦しい。
伊織さんの伸びていた背筋が、少しだけ力をなくした。黙ってどこかに行ったかと思うと、ふわふわとしたバスタオルを持って、俺に差しだしてきた。

「お風呂は、そこの廊下の右にあります。湯船も準備できています。わたしが入ったあとなので、それだけ我慢していただければ……」

どうやら、覚悟を決めてくれたようだとわかる。うつむき加減でまだ怯えているようだったが、俺は安心させたくて、伊織さんの頭をなでた。

「なに言うちょる。そのほうがええよ」
「え、それはどういう……」
「わかってないのう、伊織さんは」

手をひらひらさせながら、俺は風呂に向かった。優しい香りがする湯船で、俺は1日の疲れを癒やした。





風呂からあがると、強張った顔の伊織さんが、らしくもなくソファに座ってビールを飲んでいた。昨日あれだけ飲んだっちゅうのに、実は酒好きなんじゃろうか。

「俺も、もらっていいか?」冷蔵庫に手をかけると、どうぞ、と控えめな声を出す。「伊織さん、毎日飲むんか?」
「いえ、今日はその、ちょっと……緊張しますから」

そういうことか、と思う。そういや俺の部屋にきたときも、勢いよくビールを飲み干していた。男の部屋がはじめてだったように感じたが、ひょっとしたら自分の部屋に男をあげるのも、はじめてなんかもしれん。
かといって、伊織さんを俺の部屋で抱く気にはなれん。あそこは、千夏さんとの4年を過ごした部屋だ。また、伊織さんを苦しめることになる。それだけは避けたかった。

「昨日の酒、朝は平気じゃったんか?」
「あ、はい。それは大丈夫でした。とてもスッキリでしたよ。よく寝たせいでしょうか」
「だろうな。あれだけ寝れば、そりゃスッキリもするじゃろう」

言いながらとなりに座ると、伊織さんはピタリと黙った。
伊織さんが俺の悪態に文句ひとつ返さんとは……相当、キとるなと感じる。
顔どころか、体まで強張って、俺がいつ手を出してくるか考えただけで緊張するのか、いまにも爆発しそうなオーラが、こっちにまで伝わってきた。

「伊織さん?」
「は、はい」
「なにをそんなに緊張しちょる? 久々なんか?」
「……久々ですし、相手は仁王さんですし、もう、泣きそうです、わたし」

距離を詰めた俺に、本当に泣きそうな顔をした。
頬に触れると、また覚悟を決めたように目を閉じる。まるではじめて男に抱かれる女のような恥じらいの表情に、もうこれ以上は待てなくなった。
ビールをまだひとくちしか飲んでないっちゅうのに……思春期でもあるまいし。

「はあ……ずるすぎるじゃろ。いつもあれだけ堅物なくせに、なんでそんな顔するんよ」
「どんな顔ですか……」
「好きな男を見る女の顔……伊織さん、俺を殺す気か」
「仁王さ……」

口づけた。あまりにも愛しい。結ばれていた髪の毛をほどくと、さらさらと俺の腕がなでられた。そのまま伊織さんを抱きかかえて、となりの部屋にあるベッドに移動した。照明を暗くして、何度もキスをしながら、ベッドに座らせた。

「仁王さん、あの……わたし、言ってないことがあります」
「なんじゃ? 処女なんか?」
「処女ではありません!」怒ったように否定した。俺は処女でもよかったんやが、なにをそんなに怒っちょる。「そうではなくて、わたし、不感症なんです」
「は?」

今度は俺が固まる番だった。あまり女の口から聞くことのない言葉に、俺は思わずポカンと口を開けた。

「これまで……何度も言われました」

昔の男に、っちゅうことか?

「何度もあるんか。腹が立つのう」自分のことは棚に上げた。
「真面目に聞いてください!」
「真面目に悔しいんよ、俺は」
「本当なんです……最中はその、あまりよくなくて……」

そんな女が、なんで俺がほかの女を抱くことを想像して嫉妬する? どう考えても男が下手なヤツばかりだったに決まっとる。
矛盾した言いぶんに、俺は直球で聞いた。

「伊織さん、ひとりでしたことは?」
「は、は!?」さっきまでの恥じらいが嘘のように、伊織さんは声をあげた。
「ええから。答えて」
「なん、なん、なんでそんなこと、答えなくてはいけないのですかっ」それは肯定しとるも同然だ。
「あるみたいだな。そのときはイケるんか」
「そ……な、もう、仁王さん、お願いですからやめてくださいっ」

反応を見る限り、どうやら、イケるようだ。
この質問だけで、もうすっかり、目の前の女を抱いている気分になる。
伊織さんでもそういう夜があるんかと思うと、その羞恥に満ちた顔に、体がゾクゾクしてきた。

「伊織さんは、よっぽどろくでもない男とばかり付き合ってきたっちゅうことやの」
「え……そ、否定はしませんが、それは、どういうことですか」

それで、自信がないと言ったのか。いいスタイルなのに、なにに怯えているかと思いきや、前の男との情事を思い出して落ち込んどったとは……俺のプライドは、密かに傷ついた。
自分でしてイケるなら、不感症なわけがない。
過去の伊織さんを責めるつもりはないが、そんな男どもに伊織さんが体を許してきたんかと思うと、わずかな憤りもあった。

「大丈夫じゃ。心配せんでいい。俺に委ねてくれたらええから」
「でもですね、わたし、仁王さんをガッカリさせたくはな……ン、仁王さ、聞いて」
「聞かん。もう待てん」

いつだってベラベラとしゃべる口に、優しく舌を入れた。昨日も今朝も感情が高ぶっていたせいでかなり激しくキスしたが、伊織さんの不安そうな顔を見ていると、今夜は優しくしてやりたくなった。
ころ、と舌を揺らすと、伊織さんの吐息が唇から溢れだした。

「ん……ン、仁王さん……」
「好きだ、伊織さん……名前で呼んで、雅治って」

ちゅく、と、唇を求めるたびに音がする。

「ン、あ……そ、急に?」
「伊織さん、俺の彼女なんじゃろ? 雅治って、呼んでくれんのか?」
「……雅治、さん」
「ん、素直な伊織さんもかわいいのう」

下唇を甘噛みした。味わうようにキスをして、とろけそうになっていく。
キスをしたままそっと服を脱がせると、伊織さんの呼吸が荒くなった。

「ん、あ……雅治さん、はずかしい」
「綺麗だ、伊織さん……もっと見せて」

揺れる乳房は本当に綺麗で、俺はそこに手を重ねた。ゆっくりと押し倒して、こっちも服を脱ぐ。
俺を見あげる伊織さんの瞳が、熱をもっていた。たまらず、その唇に吸いついた。優しいキスと激しいキスを、潮の満ち引きのようにくり返しながら、俺はその長いあいだ、伊織さんの胸の先を、親指で焦らすように揺らした。

「雅治さん……ン、はあ……あっ」
「声もかわいいな、伊織さん……ここ、硬くなってきちょる」
「んっ、そん……言わないで、ください」伊織さんが、切なく俺を見つめた。
「好きだ、その目……何度も殺されそうになる、俺は」
「わたしも好きです……は、ああっ」

キスから流れるように、胸の先を口に含ませた。伊織さんの声が大きくなって、体も弓なりに反れていく。手を握りしめると、伊織さんの力も込められた。それだけで、まだはじまったばかりだというのに、俺は耐えそうにないほど昂ぶった。愛されている、そう、強く感じる。
唇がちゅっと音を立てるたびに、伊織さんの声は漏れていった。
もっとよくなってほしくて、俺は伊織さんを後ろから包み込んで体を起こさせた。

「は、はあ……ン」

背中から胸に手を回す。頬を包んで、無理やり自分に向けさせて、舌をからめとった。
そのまま下着に手をかけると、伊織さんが少しだけ腰を浮かせて、とろんとした目で俺を見つめた。

「伊織さん、もっと、足、開いて」
「はず、かし……」
「ええから、俺の言うこときいて」

ほんの少しだけ開いた足に、俺は膝を立てて絡ませてから、さらに足を開かせた。
後ろから回した左手を伊織さんの花弁にそわせると、それだけで音が漏れるほどに、伊織さんは濡れていた。ほらな? 言うたじゃろ、と密かに優越感にひたる。
俺がこれから伊織さんをイカせる唯一の男になれるのかと思うと、わきあがる興奮もさることながら、伊織さんをいじめたくなった。

「のう、伊織さん……これの、どこが不感症なんじゃ?」

花弁から、わざとらしく指先を離した。伊織さんと俺の中指をつなぐ透明な液体が、ツーッと蜘蛛の糸のように垂れていく。
伊織さんはそれを見て、「う、わ……」と羞恥の声を漏らした。

「は、はずかしいです……いじめないでください」泣きそうな声が、また、興奮させる。
「まだまだこれからじゃき。ほれ、言うてみ?」
「え……な、なにを、ですか……あ、ンッ」

胸の先端を右手で弾く。熱くなってきた伊織さんの体は、敏感さも増しているようだった。
俺はまた左手を花弁に戻した。ぬるぬると表面をこすると、ビクビクと伊織さんの体が揺れる。

「どうしてほしい? 言わんとしちゃらん」
「そ……雅治さん……っ、ン、ああ」ひどい……、と艶のある声で嘆く。
「ええから、言うてみんさい。ほら、その声もっと、聴かせて」

音を立てながら舌を絡めた。花弁からも聞こえる音と、荒い吐息。
中心にある2本の指で、俺は焦らすようにそこをなでつづけた。ピチャ、という水音と伊織さんの喘ぐ声だけが、部屋に響いていく。
伊織さんはすっかり恍惚として、とうとう甘受するように懇願した。

「は、ああっ、も……指……いれて、ほしい」
「ん……誰の?」
「も……いじわるっ」

花弁の上にある小さな突起を、2本の指でなでるように挟むと、自分の声を抑えるように、伊織さんは片手で口もとを覆った。

「は、あっ……やだ、変な声、出ちゃう」
「出してええよ。ただ、ちゃんと言うてくれんと、わからんから、俺」

嘘つき……と、つぶやく。
伊織さんをじっと見つめて、指を揺らしつづけると、伊織さんの潤いが、じわじわと増していった。

「ま、雅治さんの、指、いれてっ」
「ん……どこに?」
「もう、雅治さんっ!」
「あと少しじゃろ? 言うて」
「……ン、あ、あ……わたしの、……ナカに、雅治さんの、指……いれて」
「はあ……かわいすぎるじゃろ、伊織さん」

少し前に押しただけで、俺の指は、ちゅ、ぷ、と音を立てて伊織さんのナカにのみこまれた。
あたたかくて柔らかいぬかるみに、俺の指が包まれる。

「こう?」
「ああっ……あ、あっ、ン、ん、うっ」
「ここが好きか? それとも、こっちがええかの?」

もうベッドを汚すほど濡れている愛液が、ゆっくりと指を動かしたぶんだけ、溢れていく。
奥に触れる蕾をなでたり、抜き差しをくり返すたびに、伊織さんの腰が揺れる。
そのまま右手を胸から離して、俺は花弁の上の突起を揺らした。

「ああっ! ちょ、待って……雅治さっ、も……」
「まずは指だけでイッてみるか?」
「や、はあっ……ああっ!」

音が激しくなった。伊織さんからのキスを俺は当然のように受け入れて、舌で伊織さんの口のなかを貪った。
伊織さんの腰が揺れるたびに、くぷ、くぷ、と愛液の音が流れていく。少しだけ激しくかきまわすと、伊織さんは泣くように声をあげた。

「あっ、ああんっ、雅治さ、あっ、イッ……イッちゃ」
「ええよ。伊織さんのイクとこ、ちゃんと見せて」
「ンッ……はっ、ああっ、もうっ!」

俺の指がぎゅっ、ぎゅっとしめつけられた。ぐったりとした伊織さんの背中が、俺の胸板によりかかってくる。

「よかったか? 伊織さん」
「……ん、うん」こくっと、かわいらしく頷いた。
「上手にイケたのう。ちと、横になるか?」
「ん……」

伊織さんを寝かせて、俺は彼女の股のあいだに体を移した。
こんなかわいい姿を見せつけられて、休む暇なんか与えるつもりもない。唇から首筋をわたって、肩から指先まで流れるようにキスをして、俺は伊織さんの手のひらを舐めた。

「ひゃあっ!」
「もう全身、気持ちええじゃろ?」
「そ、そんなとこ舐めたら、汚いですよっ」
「なんも汚くないが?」と、足先にも舌をすべらせる。伊織さんは、また「ひゃあっ!」と大げさな声をだした。
「そ、本当に汚いですってば!」

感じちょるくせに、強情な言いぶんに余裕が見え隠れした。

「嫌じゃった?」
「嫌とかじゃなくて、だって、汗もかいちゃったし……」
「全部、愛しちょるんよ。伊織さんじゃから、どんなところも好きだ。汗も」
「雅治さん……ずるいですっ、そういうの」
「伊織さんは? 言うてくれんのか?」

じっと見つめると、また目がとろんとした。いつまでも見つめていたい。
かわいくて、手のなかに閉じ込めていたくなる。

「……好き、です、もちろん」
「それなら、暴れんで委ねてくれるの?」

花弁に頭を埋めるように、俺は内股を舐めながら中心に向かっていった。

「あっ、待って、そ、やだっ、はずかしいっ」
「綺麗じゃって言うちょるじゃろ」指で広げると、本当に綺麗なピンク色がうずいている。
「そ、ああ……いちばん、汚いのにっ」
「強情やのう。こんなにキスしてほしそうにしちょってから」

そっと、花弁に舌を這わせた。優しく唇で吸えば、じゅっ、と音をさせながら、また潤っていく。

「ああっ……あ、あ、雅治さっ」
「かわいいよ、伊織さん」

両手を重ねて、お互いが強く握りしめた。
舌を少しだけ離すと、そこでもツーッと糸がひかれていく。すくいあげるようにまたキスをして、ゆらゆらと動かした。
俺の唇の端からも、蜜が漏れていく。伊織さんの敏感になった肌はすでに時間をかけずとも、限界にむかっているようだった。さっきよりもよほど大きく揺れる腰が、俺の欲望をまたかりたてる。

「雅治さっ、あっ、もう、また……っ、イッ」
「声、我慢せんでええから」ナカに押し当てるように、思い切り吸いあげた。
「や、ああっ、イクッ……!」

ピクピクとした振動が、舌に伝わってきた。
腰も同じように揺れて、また伊織さんは、ぐったりとベッドに倒れた。

「あ、あ、ああ……も、わたし……こんな、信じられない……」はずかしい、と目を伏せている。
「かわいいって言うちょるのに。はずかしがらんでいい」

でも、こんな、何度も……と、伊織さんは両手で顔を覆った。
ひとりでしかイッたことがないっちゅうことは、こんな姿を誰かに見られるのもはじめてということになる。その恥じらいが、もう俺の我慢の限界だった。

「まだこれからやぞ、伊織さん」
「も、壊れちゃいます……っ」その言いぶんは却下といわんばかりに、つぷ、と、俺はまた指をいれた。「あっ、も、イッたばかりなのにっ、ああっ」
「安心しんさい、女は何度でもイケる。いまのでわかったじゃろ?」

口のなかにある蜜を飲み込んで、伊織さんのナカで指をくゆらせながら、俺は口に咥えたゴムの封を切った。
伊織さんがはっと息をのむ。とっくの昔に膨れ上がっていた俺の欲望を見て、きゅっと口をつぐんだ。

「雅治さん……ちょっと、怖い、かも」
「久々じゃからか? 大丈夫だ。こんだけ濡れちょったら痛くない。ゆっくりするき、もし痛かったら言うて」
「はい……」

こくりと頷く順応な伊織さんが、どこまでも愛しい。

「ん……愛しちょるよ、伊織さん」
「わたしも、愛してます……雅治さん。だから、ひとつになりたいです」
「……ああ、やっぱり俺を殺す気なんやの、伊織さんは」

愛しさが完全に許容値を超えた。その言葉だけで、頭がおかしくなりそうになる。
俺は伊織さんの表面に当てていた自身を、ぐっと前に突き出した。

「えっ……あっ! あ……んっ、あ、はあっ……!」

伊織さんの心配をよそに、俺の屹立はじゅっぷ、と奥までしっかり入って、伊織さんの柔らかい熱が吸いついてきた。それだけで、イキそうなほど気持ちがいい。
これほど好きな相手だと、こんなに息が詰まりそうなほどいいのかと、ぼんやりとしそうになる。
俺はゆっくりと、揺れはじめた。

「はあ……伊織さん、好きだ」
「あっ、んっ、ああっ……痛くない、ですっ」
「ん、気持ちいいか? ……ンッ」
「気持ち、いっ……あっ、雅治さんっ……」
「愛しとる、伊織……」
「ン、ん……んんっ!」

キスをするたびに脳がしびれる。舌も激しく絡めば、重なった揺れる体も、境目がわからないほど、とろけていく。こんなに気持ちいいのは、はじめてだ。
お互いの肌が弾けあう音も、伊織さんの嬌声も、すべてが愛おしかった。

「わたしも、好き、もっときてっ、雅治さっ……あっ、あっ、なんか、おっきくっ」
「大きくなるじゃろ、いまのは……っ」
「あっ、や、奥……きもちっ、いっ」
「は、あ……伊織……ちと、我慢できん」

まったく制御がきかんかった。揺れれば揺れるほど、伊織さんが俺を締めていく。

「んっ、あっ、あ!」
「好きだ、愛しとるよ、伊織っ……」
「わたしも……あ、んっ、ああっ! イッちゃう、またイッちゃ、ああっ!」
「ああっ……俺も、出る……っ」

長い時間をかけて揺れていた欲望がついに飛び出して、俺も伊織さんも、果てていた。
息を切らして、汗だくになった体でつながったままキスを送ると、俺の体が、予想外にピクッと反応した。
動揺した。伊織さんとの、飽きないキスのせいか。俺はそっと、確認するために伊織さんから体を引き抜いた。
見ると、思ったとおりだった。自分でも、信じられん……こんなことは、はじめてだ。
伊織さんもいろんなことがはじめてだったろうが、俺もはじめてづくしじゃ。

「……伊織さん、大丈夫か?」
「はっ……はあ……はあ……はい、大丈夫……え? 雅治さん? なにしてるんですか?」

またゴムに手を伸ばした俺に、伊織さんがとろけた目を正気に戻して、見開いていた。

「伊織さん、俺、今日、はじめて知った。ファンタジーかと思っちょったんやが」もう一度、ゴムの封を口で開けた。
「へ? ファンタジ……ちょ、雅治さん、さっき射精……」完全に困惑した目が、俺の股間を遠慮なく見ていた。
「男も、何度でもイケるらしい」

優しさなのか、それとも伊織さんも最高によかったのか。
戸惑いの声をあげつつも、伊織さんは結局、俺を何度も受け入れてくれた。もう、どれだけイカせたかもわからんほどに、伊織さんは果てた。
それでも、何度抱いても、俺は抱き足りなかった。いつまででも、抱ける気すらした。

「雅治さん、も、無理です……っ」
「これで最後にするから、お願い」
「も、あっ……雅治さっ、本当に壊れちゃうっ」
「すまん……けど、愛しとる、伊織さん……好きだ」

俺はその夜、休むことなく伊織さんを5回も抱いた。





床に封が切られたゴムの袋が5つ、散らばっている。我ながらあっぱれだ。
ふたりでシャワーを浴びて、なんとかそこでは我慢して、ようやく眠りにつこうとするときには、すでに1時を過ぎていた。
裸のまま抱きあって、見つめあった。眠る前、伊織さんはさすがに疲れ果てた顔で、俺に言った。

「雅治さん……これは嫉妬とかではなく、素朴な疑問なんですが」
「ん、どうした?」
「雅治さんは、いつもあんなにすごいんでしょうか」いつもだったら、わたし、死んじゃいます、と付け加えた。正直な人じゃ。まあたぶん、俺も死ぬ。
「聞いちょらんかったんか? 俺もはじめて知ったって、言うたじゃろ」

髪の毛をなでた。伊織さんに嘘なんかつかんのに、どこか俺を疑っている。
その根本が結局は嫉妬だとわかるから、また、かわいさが増すだけなんだが。

「しかしですね、はじめてで、あんなに何度もできるものですか?」
「現に、できてしもうたしのう。嫌じゃったか?」
「いえ……でも、すごく、疲れました。明日、きっと筋肉痛だと思います」

乱れて恥じらいを見せていた伊織さんは、どこにいったのか。
会話の内容はセックスのことじゃっちゅうのに、いつものようにテキパキと話している。
だが、どこまでもバカ丁寧に答える伊織さんも、結局はかわいい。
体を重ねてお互いをさらけだしたせいか、いろんなことが大胆になっていた。

「伊織さんがかわいかったんよ。我慢できんかった、すまんの」
「ですから、そういうのは、ずるいです……」
「本当のことじゃし?」

チュ、とキスをすると、うっとりした目で俺を見る。
一瞬で女の顔に変わるスイッチは、俺が持っているんだと確信した。その瞳も、どれだけ見ていても飽きない。
俺もおそらく、伊織さんにしか見せれんような顔をしているんだろう。そのスイッチは、伊織さんが持っている。

「わたし……すごく、幸せです」
「ん、俺もだ」
「夢みたいです。雅治さんとこうなるとは、思ってませんでしたから」
「俺も、ちと意外じゃ」

くすくすと、微笑みあった。

「雅治さん……」
「ん?」
「わたし、こんなに人に愛されたのも、こんなに幸せを感じるのも、はじめてです」
「ん……俺もこんなに誰かを愛したのも、こんなに幸せなのも、はじめてだ」
「……キス、してもいいですか?」
「確認せんでもいいだろ、いまさら」

ん、と目を閉じると、伊織さんの柔らかい唇がそっと触れてきた。
こんなに愛しい人と、ようやく結ばれた夜を終わりにするのはもったいない。
お返しのように、そのまま少しだけ深く、唇を寄せた。

優しく求めあいながら、そのまま、俺たちは眠りについていた。





to be continued...

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