XOXO_05


5.


なんであんなこと、しちゃったんだろう。

「キスした!?」
「しちゃった」
「相変わらず好きな子には全然ダメだなぁ、不二は」
「やめてよ英二……僕だって傷つくんだからね」

英二に恋愛相談をするのは、僕の専売特許だ。でも英二が僕に恋愛相談をしてくることはそうそうない。
そういう部分もあって、いかに僕が自分の恋愛にはうといか、いつも思い知らされる。
長々と僕と伊織さんの関係を聞いてくれた英二は、電話越しで逡巡したあと、優しい声で言った。

「なんでいつもそんなに力んじゃうんだよ、不二」
「うん……」
「好きなコの前でカッコつけたいのは、わかるけどさ」
「好きだって気付いたら即行動って教えてくれたの英二じゃない」
「オレが言ったのは、状況に応じて、だかんね」
「うん……」
「それに、好きになるまでの関係性が複雑すぎ。いい歳して、なにごっこ遊びしてんだよお」
「うん……」

英二にこうして説教されていると、伊織さんに偉そうに恋愛教示していた自分が恥ずかしくなる。
人のことはわかるのに、自分のことになると、まるでダメなんだ、僕は。

「でもまあ、好きになっちゃうかもね、それ」
「そう思う?」
「だってめっちゃいい子じゃん。頑張り屋さんって萌えるよねん」
「萌え……なのかな」
「そんなの別になんだっていいんだけどさ。とりあえず不二、謝るしかないんじゃないの?」
「そうだよねやっぱり」
「誠心誠意な! あと、こういうのは早いほうがいいよん」

英二のアドバイスを受けて、僕は翌日の早朝に家を出た。





シフォンケーキを手に、『ガラス工房りんご』に来ていた。
とにかく謝るしかないと思った僕ができることなんて、料理しかない。
工房前に到着すると、このあいだ来たときのような活気はなく、全体が静まり返っていた。

「……こんにちは」

知っている場所に行くのが手っ取り早いと思い事務所に訪れると、事務所の扉は開いていた。そっと顔を覗かせてみたものの、誰もいない。
まいったなと思いながらスマホを取り出そうとしたところで、ふいに後ろから声がかかった。

「不二さん?」
「あ……えっと、香椎、さん」
「そうです、香椎です。どうしたんですか? 佐久間ですか?」

煤のついた作業着でも相変わらず爽やかな彼は、とくに怪しむ様子もなく僕を迎えてくれた。
よく考えたら、僕の行動は完全に不審者だと思うのだけど。

「佐久間ならいま、でかけてますよ」
「そうみたいですね。すみません勝手に入って」
「いやいや全然。今日、静かでびっくりしたでしょ。月1の、まるごと休みの日なんですよ」
「へえ、そういうのがあるんですね」
「今日は俺と佐久間は別ですけどね」
「休日出勤ですか? 大変ですね」
「いやぁ、佐久間の仕事が残りすぎてて、せめて師匠に怒らせないためにと思ってね、今日はやるってあいつが言い張るんで、俺も手伝うってことで」

ひょっとして……と思う。仕事が残りすぎているのは、僕のせいじゃないか、と。
通常の仕事とは関係のない、僕の店に納品するワイングラスをつくったせいで、ほかの仕事が遅れてしまったんじゃないだろうか。

「すみません、きっと僕のせいだ」
「え……いや、そうつもりじゃないですよ不二さん! そうじゃなくて!」
「いえ、察しはつきます。本当に、すみません」
「なんかすいません俺も……あの、もうすぐ佐久間、帰ってくると思いますんで、どうぞくつろいでてください。俺、ちょっと昼飯を食べちゃいますけど」
「じゃあよかったらこれ、デザートに」

ケーキ箱を差し出すと、香椎さんは目の色を変えて喜んだ。

「やった……また食べれるんだ、不二さんのケーキ!」
「あ、前の美味しかったですか?」
「もう、めーっちゃくちゃ美味かったですよ! ほとんど俺が食べました」
「え」
「ははっ。もう非難轟々で。でも今日は佐久間と二人だから、9割は俺のモンですね!」

これほど嫌味のない人は、男性にも女性にもモテるだろうなと思う。
伊織さんがずっと彼に片思いしていたというのも、なんとなく頷ける。

「やー、でも佐久間にはもったいない彼氏だな。こういうとアレだけど」
「そんな、逆ですよ」

気軽な嘘は、あとで胸が痛くなる。

「あいつ、昔からちょっと男勝りなとこあって。いまも変わってないですよ、色気なくこんな世界にいるし。でもリーダーとってますからね、並大抵の努力じゃない。話を聞いてると、ずっと恋愛もせずにガラスに打ち込んできたんだと思うんです」
「……そうですか」

僕は彼氏という建前なのに、彼女をことをなにも知らない。
彼のほうが知っているという事実は、少なからず、僕の恋心を刺激した。

「だから本当に、幸せになって欲しいなと思うんですよね、とくに恋愛では。不二さんみたいな超イケメンと付き合えて、俺、喜んでるんです、同級生として」
「香椎さんにも、素敵な彼女がいるって聞いてますよ。婚約前なんですよね?」
「あ、俺ね、別れちゃったんですよ」
「え」
「だからうらやましいです。幸せにしてやってくださいね、佐久間のこと」

爽やかな彼。伊織さんがずっと片思いしている彼。
その事実に嫉妬していた僕の情動が、どんどん底へ沈んでいくような気がした、そのときだった。

「不二さん!?」

振り返ると、そこに伊織さんがいた。
僕を見てすぐに目を逸らして、下唇を噛んでいる。

「おー、佐久間おかえり。不二さんがケーキ持ってきてくれたんだよ!」
「……そうなんだ。香椎くんよかったね、食べたいって言ってたもんね」
「伊織」
「はい?」

呼び捨て? という声が聞こえてきそうなほど、鬼の形相だった。
だって一応、僕たち、そういうことになってるし……。

「ちょっと話せる?」
「……わかりました」

女性は怒るとどうして、事務口調になるんだろう。





「昨日は本当に……」
「いったい、どういうつもりだったんですか?」

僕の謝罪を聞く前に、間髪入れずに、伊織さんはそう言った。

「どうって……」

好きだからに、決まってる。
でも紳士じゃなかったのは僕だから、この結果も自業自得なんだよね……わかってはいるんだけど。

「都合のいい女がほしいなら、不二さんならいくらでもいるんじゃないですか!」
「伊織さん、それは誤解だよ」
「どう誤解ですか」
「僕は別に、都合のいい人なんて求めてたわけじゃ……」
「だってセックスがしたかったんですよね?」
「え」

伊織さんの口から……というか、女性の口からあっさり『セックス』という単語が出てきたことに、僕は面食らってしまった。
したかったのかと言われたら、それは当然、男として、したいのだけど。それだけがしたかったのかと言われたら、そういうことではないし。

「なに言い出すの、そんなわけ」
「なんですか急に紳士ぶって! どうせそういうつもりだったんでしょ!」
「いや違……ち、違わないけど」
「やっぱり!」
「そうじゃなくて、その、男である以上、そういう欲求は否定できないっていうか」
「とにかく不二さんとは、交渉決裂です!」
「……うんまあ、そうだよね」
「わたしと不二さんは、もっとちゃんとわかりあえたと思ってました!」
「うん……」
「友人として、仲良くなれたと思ってたのに!」

その先にいきたがった、僕が悪いよね。
ちゃんと慎重に順序を踏めば、君は振り向いてくれたのかな。
変なところでせっかちになるから、僕はよく失敗するのかもしれない。

「ごめんね、本当に。諦めるよ、いろいろ」
「いろいろってなんですか」
「伊織さんとの、友情関係、とか? バイトとか? まあ、いろいろ」

恋心、とか。
でもそれはそう簡単に、諦められるものじゃないのは、僕自身、よく知ってる。
好きになると、しばらくその人しか見えなくなる。

「でも……」
「うん?」
「不二さんがどうしてもって言うなら、許してあげますけど」
「へ?」

突然、伊織さんが背中を向けてそんなことを言い出した。
どうしてもなんて、まったく言い出す雰囲気じゃない僕としては、この彼女の態度の変化は妙だった。

「伊織さん?」
「香椎くん、彼女と別れたらしいんです」

なるほど、そういうことか。と合点がいく。

「さっき、ちらっと聞いたよ」
「どう思います、不二さん」

なんだかんだ言って、僕の助言が欲しいわけだ。
ほころぶ顔が止められない伊織さんが僕に振り返る。
認めたくないけど、彼女、ものすごくテンションがあがってるみたいだ。
僕は素直に落ち込んだ。

「交渉決裂じゃなかったの?」
「だから不二さんがどうしてもっていうなら、ですよ」

呆れた……。
まるで僕の心の内を知っているかのような自信。きっと、天然だと思うけど。

「デート、誘ってみれば?」
「どんなふうに!」
「僕がぜひ、二人で来てって言ってる、でいいんじゃないかな。ワイングラスをつくらせて仕事を遅らせたお詫びに」
「さっすが不二さん!」

学生の頃から、気づいてはいたんだけど。

「……本当にご馳走するよ。お詫びしなきゃと思ってたから」
「本当ですか!」
「うん。予約、待ってるね」

恋が報われないとき、いつも僕は、こういう役目だ。





足音が、重い。

「バイトを休んでほかの男の人と食事に来てるってどういうことなんですか!」

足音がうるさい、という意味だ。
千夏ちゃんはさっきから、伊織さんに憤慨している。

「僕が招待したんだから、いいんだよ」
「なんで招待するんですか! それになんか、すごくいい雰囲気ですよあの二人! いいんですか!? シェフはなに考えてるんですかっ」
「おい、いい加減にしないか。お前さんには関係ないことだろう」

厳さんが呆れたように千夏ちゃんに物申した。
彼は常に厳しい人だけど、千夏ちゃんのことは娘くらいに思ってるのか、少し甘い。

「厳さんだっておかしいと思うでしょ!」

だから千夏ちゃんも、このとおりだ。

「だからお前さんには関係ないことだって言ってるだろ。シェフにはシェフのお考えがあるんだ」
「どんな考えですかっ! 今日みたいな忙しい日にバイトまで休ませてっ」
「はいはい、僕が全部悪いね。ほら忙しいんだからこっちのデザートもお願いね千夏ちゃん」
「そうですよ! 彼女だからって甘やかさないでください! バイトだってスタッフなんですから!」

本当はバイトじゃないからなんて、とても言えなくなってしまう。

「はい、千夏ちゃん3番さんメインね。これは僕が運ぶから」
「あっ! そうやってごまかして!」

僕は厳さんと目を合わせて微笑みあった。
なんだかんだ言いながら、千夏ちゃんは忙しいときのほうが効率よく動くことを、僕も厳さんも知っている。
ヒステリックにわめいてるときほど彼女はいい仕事をするものだから、僕らがこの状況を実は楽しんでいることは、彼女だけが知らない。

「お待たせしました、甘鯛のポワレ、ジャガイモのクリスティアン、ウロコ仕立てです」
「は、はあ」

伊織さんと香椎さんの席まで料理を運んでそう説明すると、二人は口をポカンと開けてこちらを見てきた。
その表情に思わず苦笑する。

「なに言ってんだって感じ?」
「そんなことないですよ! ね? 香椎くん」
「俺はな! 佐久間は意味不明だろ」
「失礼な!」

千夏ちゃんの言うとおり、二人はとてもお似合いだ。
見せつけられているつもりはなくても、いまのままで僕が伊織さんをどうこうしようなんて、そんな場所にも立ってないことを思い知らされる。
本当に彼と張り合うなら、僕もまっさらじゃなくちゃいけない。

「薄くスライスしたジャガイモを鱗に見立てて甘鯛の上に並べました。フュメ・ド・ポワソン、白ワインなどをベースにしたホワイトソースをかけ、赤ワインのソースで装飾しています」
「……不二さん、すごい。ペラペラですね」
「お前なに言ってんだよ、あたりまえだろ」
「だけど本当にすごいなって。この料理もすごく芸術的だし!」

伊織さんがぽわん、とした顔で僕を見上げてくる。その表情が、本当にかわいくて。

「ふふ、いまの、日本語だしね。これは僕の得意料理なんだ」

ああ、僕はどこまでも、諦めの悪い男なんだなと思う。
レストランも諦められなければ、こないだ恋した女性のことだって、諦めがつかない。
どちらも僕の失態が招いた、大ピンチだってのに。

「あの不二さん、本当にご馳走になっちゃってもいいんですか? 佐久間は彼女だから、いいだろうけど、せめて俺の分は……」
「香椎さん」
「はい、なんですか」
「実は伊織さん、もう僕の彼女じゃないんだ」
「へ」

ガシャン、と伊織さんのフォークが落ちた。
僕の突然のカミングアウトに、動揺したんだろうと思った。
でも、それは違った。
伊織さんの視線の先は、レストランの外へ向けられていた。

「伊織さん?」
「不二さん、やつらが来ました」
「え?」

伊織さん視線をたどると、派手な色のスーツを身にまとった複数の男たちが、こちらに向かってきていた。
見覚えのある姿に、僕は息をのんだ。

「いらっしゃいま……」

レストランの入口が開けられてまもなく、千夏ちゃんの元気の良い声が、途中で食い止められた。
今日は土曜日だ。最近のなかじゃ、いちばんお客さんの入りが多い。

「まいど。今日も流行ってるやんかお店ー」

前にうちで暴れた、暴力団員達が店のなかに入ってきた。





to be continued...

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