きみが慾しい_01


いつだって……僕の好きになる人は、僕とは違う誰かを好きになるんだ。

慣れてるなんて笑いたいけど……胸の苦しみは変わらないよ。













きみが慾しい












1.





それが通じ合っているものなら。

与えるも、求めるも大事だと言いながら、時には辛いこともありながら、それでも必ずどこかで幸せを噛み締めていられるだろうと僕は思う。

それってひょっとして、僕が失恋ばかりしているからそう思うことなのかもしれないけれど。


中学の頃、同じクラスになって大好きになった人がいた。

何もかもが愛しくて、名前を呼んだら振り向いてくれることすら嬉しくて。

舞い上がっていた僕に訪れたのは、半年後の別れだった。

実は最初から、他に好きな人がいたと言って僕から離れる時、彼女は泣きじゃくっていた。

どうして君が泣くのさ……って、しばらく、僕は考えてた。

そんな「どうして」に、答えが返ってくるはずもないのに。

今思えばあれは、僕を哀れんでいたのかもしれない。

お情けで付き合ってくれた彼女の与えた傷は、長いあいだ僕を苦しめた。


その半年間……僕はまだ中学二年生だったから。

たった一度キスしただけの、寂しい恋愛だった。

でも僕は暖かいと思っていたんだ。

彼女に、好きだと思われているだけで。

彼女が、僕の「彼女」であることだけで。

心の中で、いつも傍にいてくれる……それだけで。本当に幸せだった。


次の恋は、告白してすっぱり振られてしまった。

「他に好きな人がいるから、ごめんなさい」なんて、まるで前の彼女のように。

その後もしばらく彼女が好きだったけど。

いつの間にか、僕のその恋心はテニスの熱で消えていった。

テニスに熱中している時は、何もかも忘れられる。

だからとことんテニスをやって、やがて彼女のことも諦めるように忘れていった。


そして僕は今……三度目の恋をしている。


「おはよ不二くん!」

「おはよう佐久間。今日は早いね?」


「ね。すごくない?いつもギリギリのわたしがこんな時間にタイムカード押せるなんて!」

「そうだね。いつもそうだと、店長も機嫌がいいんだけどな」


「ウウウ……だって」

「眠たいんだもん?」


「うん。昨日も四時まで起きてた」

「また……お肌に悪いよ?」


今日は日曜日。

部活がない休日は僕はバイトに朝から出ることにしている。

平日は、部活が終わってからの二時間だけ。

それでも出れる日は限られるから、もちろん、毎日というわけにはいかないけれど。

でもなるべく、ここに来たい……だって、ここは唯一、僕が佐久間と会える場所だから。


「不二くんは、いつまでここで働く?」

「ああ……受験?」


「そうそう。ほらー、今人手不足だし。なるべくギリギリまで居てあげたいとは思うんだよね」

「うん……そうだね。僕はエスカレーター式だから、そんなに……」


「ワー、嫌味」

「ふふ。いいでしょう?」


「ワー!嫌な笑顔ー!」

「いらっしゃいませ。こちらにお名前とお電話番号をお願いします」


彼女が僕を非難した直後、お客さんがレジに来たことでそのまま無視したような形になってしまって、僕らは顔を見合わせてこっそり微笑んだ。

ここは、カメラ屋さん。

僕は写真が大好きだから、二年前にここでバイトをし始めた。

現像もするし、実際のカメラも売っている。

現像代に社割が利いたりして、僕にとっては嬉しい環境で……でも、本当に嬉しいのは……。


「あ、こちらにどうぞー!いらっしゃいませ。枚数は全て一枚ずつでよろしかったですか?」


隣のレジから聴こえてくる彼女の声にさえときめいている。

僕は高校一年の頃、ここで同学年の佐久間に出会った。

彼女はいつのまにか僕の心に触れてきて、僕は自分でも驚くくらいに彼女に堕ちていった。

この二年間でもう抜け出せないくらい、それは深い。


密かに、心の中では時々、「伊織」と呼びかけてしまうほど。

本当は、初めて会った時に言われたんだ。

「わたしのことは伊織って呼んでくれると嬉しい!」って。

皆からそう呼ばれるから、それが心地いいんだって。

会ったばかりの僕は、その提案に抵抗した。

いくらなんでも、なれなれし過ぎるような気がして。

でも彼女を好きになってからはありがたい提案だったのになんて後悔した。

こんなことなら素直にそう呼んで、僕も最初に名前で呼ばせれば良かった。

そしたら聴けたのにね……君の声で、「周助」って。


「不二くんてさあ」

「ん?」


「ずっと疑問だったんだけど、彼女とかいないの?」

「えっ……」


10分間の休憩の時、ふと、佐久間はそう聞いてきた。

好きになったら手に入れたいって、当然のように僕も男だから、もちろん思う。

だけど佐久間を好きになってから今日までの約二年間……その気持ちを抑えて、こうして彼女と距離を保って付き合ってきたのには訳があった。

彼女には、彼氏が居たから……僕なんて全然、入る隙間もないくらいに大好きな人が。


「それ……どうして?気になる?」

「うん。だって不二くんってスッゴくカッコいいのに」


「いや……そんなこと……」

「またまたまたあ、謙遜も嫌味だなあ!」


だけど佐久間は、半年前に彼氏と別れて。

その話を他のスタッフから聞いた時、そして後日、佐久間から直接聞いた時。

……僕は凄く複雑な気持ちだった。

慰めることすら出来ない。

だって僕は嬉しかったから。

どう自分を偽ったって、嬉しくて仕方なかった。

だから佐久間の気持ちが落ち着いて、新しい恋をするくらいに前向きになれた時には、僕は気持ちを伝えるつもりでいた。

佐久間が僕を好きなんて、そんな自惚れすら出来ないけど。

もうこの気持ちを、黙っていたくはなくて。

それなのに、「うん」だなんて……気になる?って質問に、そんなにあっさり頷かないでよ……。

期待させられちゃうでしょう?


「不二くん、モテるでしょ?」

「……そんなこと、ないよ」


「嘘だよー!こないだお客さんに逆ナンされてたくせに」

「ああいうのってモテるって部類に入るの?」


でも結局、全然脈がないと思っていた佐久間からのその質問は、僕を馬鹿みたいに期待させた。

彼女いないかなんて、今まで聞かれたこともなかったから。

佐久間は……僕のこと少し、気になってくれてるんじゃないかなんて。

笑いそうになるくらい、心臓がうるさい。


「あれが部類に入らなかったらどれが部類に入るの?」

「……好きになった人に、好きになってもらえることじゃないかな」


「それも不二くんなら」

「……ないよ」


僕がそう言って彼女を見据えると、彼女はそのまま口をOの字に開けた。


「ふふ。だって僕、佐久間に話したことないでしょう?彼女の話とか」

「それは秘密主義なのかなって……えー、嘘ー。絶対居ると思ってた」


「居たら言ってるんじゃないかな……もう長い付き合いなんだし」

「まあ……そうだけど……今まで一度もってことはないでしょ?」


「正式には、一度もないってことになるんじゃないのかなあ……」

「正式に?なーにそれ」


「ふふ。内緒。それより佐久間はどうなの?新しい恋とか」

「あー……それは……なかなかね」


誤魔化しついでの僕の問いかけに、佐久間は寂しい表情で俯いた。

聞くんじゃなかったかな。どうして聞いちゃったんだろう。

少しの期待がすぐに僕を落としていく。

……やっぱり、まだ想ってる。

そんな表情が可愛いなんて。

ずるいよ。


「……あのさあ、不二くん」

「ん……?」


「今日、バイト終わったら時間、あるかな?」

「え……」


「あの…………ちょっと、聞いて欲しいことがあって……」

「……うん、大丈夫だよ」


どこか苦しそうに俯いて。

そんな彼女を今すぐにでも抱きしめたくなる。

僕じゃダメなの?って、問い詰めたくなる。

そんな僕に気付かないまま、佐久間は現像作業に入った。

僕はバイトが終わるのが、怖いような……待ち遠しいような……。








* *








「ここでいい?」

「うん……ごめんね急に」


「ううん、大丈夫だよ」

「ありがとう」


あれから彼女はずっと、どこかソワソワした素振りだった。

バイトが終わってすぐに近くの喫茶店に入ると、佐久間はソワソワを隠すように水を飲み干して。


「僕、ペペロンチーノのセット。佐久間は?」

「わたしは……じゃあ、ハンバーグ!」


「じゃあ先に頼んじゃうね」

「うん!」


緊張を解すように明るく振る舞う佐久間は、それでも辛そうな表情を隠しきれてはいなくて。

僕に聞いて欲しいことが彼女をそうさせているんだとしたら……。

平気な顔してるけど、実は僕だって焦ってる。

指先まで痺れて、何度も息を呑み込むけど、うまく呼吸出来てない。

どんな話を聞かされるんだろうって、それが怖くて。

だってきっと、僕は傷ついてしまうから。そんな気がしてならないんだ。


「あの、実はね……」

「あ、うん……」


注文した直後に僕に顔を上げた彼女に、もう話すの?って思わず口走りそうになっちゃって。

ドキドキしながらその次の言葉を待った。


「わたし……やっぱりまだ前に付き合ってた人のこと、忘れられないみたい……なんだよね」

「うん……」


知ってるよ……わざわざ言わないで。

どうしてそんなこと、僕に話すの?


「ごめんね?なんか急に、こんな話」

「ううん、いいよ。佐久間ずっと元気なかったもんね。気になってた」


「頑張って忘れようとしたんだよ、何度も。だけど、……無理、なのかな。どうしても、好きで」

「………………」


佐久間の前の彼氏が何者なのか、僕は知らないことになっている。

だからここは、素直に彼女の話に相槌を打っていたけれど。

藁にも縋る思いで、僕に話してるってわかるんだ。

だって佐久間が今日まで、僕をこんな風に誘ってきたことなんてなかった。


「実はね…………彼、テニス、やってる人で……」

「……っ……」


さっかから心臓を打ち砕きそうな波はこの瞬間、最高潮に達していた。

彼女は話すつもりなんだ。

わかってるのに、抵抗出来ない。


「前のバイト先の先輩に紹介して貰って知り合って……一年半、付き合って……」

「……そう」

「うん。あの、一年になったばかりの時に会って……。ちょっと怖そうな人だったんだけど、なんか、話した感じは結構気さくで、楽しくて……それから、しばらくして好きですって言ったらね、付き合ってくれて」

「……………………」

「それで……彼……テニス……やってて……もしかして不二くん、彼と知り合いかもって、思って……だから……ごめん……あの、なんていうか……」

「テニスやってる人はたくさん居るよ?」

「!…………そう……そうだよね」


言いにくそうに俯いて、僕の意地悪な返答に困惑してる。

こんな風になるのが怖くて、僕はずっと黙ってた。

だから、この話は聞かない方がいい。

だって僕は君に頼られてることが、どうしょうもなく嬉しいんだ。

だからわざと意地悪して一度は遠ざけてみる。

でもそれが無駄だってことも、僕は知ってる。


「ごめん、意地悪なこと言っちゃった」

「え……」


塞ぎ込んだような君を見てるのは辛いよ。

笑顔を見せて欲しい。

どうして、それが僕には出来ないんだろう。

彼なら、すぐに出来るのに。


「……彼のこと、僕、知ってるかも知れないね」

「不二く……」

「もう一度やり直せるか、知りたいんでしょう?彼が今、どんな状況か」

「あの、違うの、調べて欲しいとかじゃなくて、もしも、もし知ってたら……!」

「大丈夫だよ、わかってる。ねえ、名前、教えて?」


余計に嫌われてしまうんじゃないかって、恐ろしくなる。

それは僕には痛いほど分かるんだ。

初めて付き合った彼女に振られた後、僕は同じことをしようとして、結局出来なかったから。

拒絶されるのが怖くて……。

不思議だよね……そんなに好きなのに、別れなきゃならなかったなんて。

僕も不思議。

どうして、こんなに君が好きなのに、僕じゃダメなんだろうって。


「仁王……雅治……」


ねえどうして、僕と真逆の男に恋なんてするの……?


























週明けの今日、珍しく僕が朝練をサボったから、手塚が彼女を寄越した。

僕に何かあったって気付いていて、でも自分には相談に乗れないってこともわかってて。

だから手塚は、その役目を彼女に負ってもらう気なんだ。


「沈没してる……ように見えるね、不二」

「手塚に言われたんでしょう?」


「あ、ばれてる。だって朝に来なかったってうるさいんだよう」

「だろうね」


彼女は手塚の幼馴染みで、僕とも小学生の頃からの付き合いがある。

手塚は僕に聞きにくいことがあると決まって彼女を仲介役にする。

ということは、手塚が見てわかるほど、僕は恋愛で落胆してるって宣伝しながら歩いてるってことなのかな。


「嫌なことでもあった?」

「詮索されるのは好きじゃないんだけどな……」


「まあそう言わず」

「彼女のことだよ」


「案の定だ」

「だろうね」


「彼氏でも出来たって?」

「ううん。前の彼氏が忘れられないんだって……」


ふっとらしくもない溜息を付くと、吉井は「似たようなもんだ」とカラカラ笑った。

笑い事じゃないんだけどな……。


「でも確か、前はもう忘れた!とか言ってさー?」

「強がったに決まってるでしょう?」


「そうかー……それでもまだ好きな不二がすごいなー!」

「他の人を好きだからって諦めれるような簡単な想いじゃないからね」


昨日のは結構ショックだったから、僕は痩せ我慢の笑顔を見せるしかなかった。

吉井はそんな僕を見て淋しそうに微笑む。

気遣ってくれる友人がいるだけでも、幸せかな……。


「彼女ね……」

「うん?」


「仁王だって言ってきたんだ」

「あら…………今更?」


「今だから」

「……不二に何かして欲しいって?」


佐久間は人に言う割に、自分だって秘密主義者で。

付き合ってる時から彼氏って単語は出しても、名前は決して出さなかった。

それは僕だけじゃなく、彼女の本当に仲の良い友達でさえ知らないことだった。

でも僕には尚のこと、隠していたように思う。

僕がテニスをしているから。

佐久間は元々、あまりそうゆうプライベートを知られたくない人みたいだった。

だから僕は余計に見えざる彼氏の存在に嫉妬して、その嫉妬が僕に彼女の背中を尾行させた。

そしてそのとき僕は知った。

相手が仁王だってこと。


「やり直したいんだってさ」

「うわ……それ、不二に探ってくれってこと?」

「そんなこと言う人じゃないよ。でももしかして、何か知ってるならって」

「何か知ってるの?不二」

「知らない」

「じゃ話は終わりだね」

「そうなんだけど……でも、終わりにしたくなかったから……」


吉井は、ぎょっとしたような顔で僕を見て、次第に呆れるように項垂れた。

今日もまた、言われるんだろうな……バカだねって。


「まさかさあ、不二……」

「……仁王に聞いてみるって言っちゃった……」


「バカだねー……」

「……案の定でしょう?ふふ」


僕は心の中で思った。

僕だって……なんであんなこと言っちゃったんだろうって思ってる。

辛いのは自分なのに。

仁王がもしも佐久間のことをまだ好きだったら、僕はまた悔しい思いをするだけなのに。


「でもね吉井」

「なに!」


ああ、イライラする!と言わんばかりに、吉井は僕を睨むように見て。

どうして吉井が怒るんだろうって、僕は苦笑いして、続けた。


「僕、彼女のこと本当に好きなんだ」

「……っ……」


言うと、吉井は言葉に詰まって僕を見つめた。

驚いたような、困惑したような顔で。


「だから……役に立ちたいの?」

「ん……それで少しでも、会う機会が増えて、傍に居られるなら、それもいいかなって」


僕が窓から射す日差しに顔を背けながらそう言ったきり……吉井は何も言わなかった。





























「不二くんおはよ!」

「おはよう佐久間」


部活が終わってバイトに入ると、先に来ていた佐久間は僕を見て明るい声を出した。

昨日の泣きそうな表情が嘘みたいなんて思いながら、挨拶して着替えのロッカーへと進む。

すると、そんな僕に佐久間はどういうわけかひょこひょこと付いてきて。


「……覗きならやめてね」

「違うもん!」


小さな声で僕を咎めて、キョロキョロと周りを見ている。

そして誰も居ないことを確認した後、ぐるんと僕に向き返って、佐久間は大きな音を立てて手を合わせた。


「あの……昨日ごめんね!」

「え……?」


「なんかやっぱり……やっぱりいいや、なんか、不二くんに聞いてもらうの、違うと思うし」

「え……」


やり場の失った両手を握り合ったり、指を絡ませたりして、佐久間は僕の目を見ないでそう言ってきて。

僕はちょっと焦る。

どうしてせっかく手に入れた君とのこれからの時間を、削るようなこと言うの?


「昨日、改めて話して弱っちゃったからなんか、平気で不二くんの好意に頷いちゃったけど……でもわたし、不二くんが知ってるかもって、期待してただけだったの。あの、聞いて欲しかったわけじゃないの……それに、不二くんに迷惑かけれないし、だから……」

「佐久間がそのつもりなかったのはわかってるよ。僕が提案したんだから。だって知りたいんでしょう?今、仁王がどうしてるか」

「あいや……そうだけど……でも」

「佐久間、僕、頼りない?」

「えっ!いや、そういうわけじゃないよ!!」


筋違いを気にしてる佐久間に、僕は詰め寄ってそう言った。

佐久間は僕が勘違いをしていると思ったのか、必死になって否定する。


「不二くん凄い頼りがいあるよ!だけど今回のは、ほら、なんていうか、わたしの問――」

「――じゃあ、頼って」

「え……いや……だって……」

「たまには甘えてよ。いい結果が待ってるなんて保証はないけど……力にはなれるから」

「不二く……」

「だから……笑って?」

「!」


僕がそう言うと、佐久間ははっとしたような顔をして僕を見上げた。

その彼女の視線が、僕を狂わせる。

好きだって、嫌になるほど思い知らされる。

叶わない想いに、苦しくなる。


「……最近ずっとそんな顔してる。僕は佐久間には、笑ってて欲しいよ」

「…………ありがとう……不二くん、ほんと、優しいよね……」

「あ、嬉しいな。そう言ってもらえると」


僕の必死な言葉も、佐久間には友達からの何気ない一言として伝わる。

仕方ないかな……今までずっと、いい子に友達してたから。

でもやっと佐久間が少し笑顔を見せてくれて、僕は安心した。

やっぱり笑った顔が、一番可愛いや。


「……ねえ、でもさ……」

「ん?」


そう思った直後だった。

この笑顔を奪ったのは、一体なんだったんだろうって思うのと同時に、そのままその思いは口を飛び出して。


「ごめん、変なこと聞くけど……」

「……雅治のこと……?」


僕の口ぶりからわかったのか、佐久間の口から仁王の名前を聞いて、僕は胸を掻き毟りたくなった。

雅治……そう呼んでいることは当然なのに、わかっていたことなのに、酷く辛い。


「うん……いや、興味本位だから、嫌ならいいから」

「もしかして……別れたきっかけ、とか……?」


きっと僕が言い難そうにしていたから、佐久間は僕を促すようにそう言った。

どうして僕はそんなこと知りたいんだろう。

わからないけど、知らないまま仁王に会うのは、なんだか嫌だった。


「……どうしてもね、許せないことがあって……」

「許せないこと……?」

「うん……雅治ね……」


どんどんと表情が歪んでいく彼女を見つめたまま、僕は少し後悔した。

聞くべきじゃなかったかもしれない。


「一時期……わたしじゃない人を抱いてたんだ……」


それなのに君は、それでも仁王が好きなんだね――――。





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