きみが慾しい_02


理解できないわけじゃない。

僕だって、もし君と恋人同士でありながら、君が他の人に抱かれても……激しい嫉妬をして別れたとしても、最後には君を求める。

それほど愛しい人だから……君にとっても、彼はそれほど愛しい人。













きみが慾しい












2.





「厳密には、付き合っていながら、距離を置いていた時期ではあるんだけど……」

「……そう」


バイトが終わった後にゆっくり話すね、と言った佐久間と、僕は昨日の再現のように同じ場所で向き合っていた。

伏し目がちになった彼女と同じように、僕もだらん、と頭を下げる。

聞いていられないような話だけど、聞かずにはいられない話で。

だけど、なんだか聞いちゃいけないような気がして……。


「…………あの人、すごくモテるから……」

「……そうだろうね」


仁王雅治……男の僕だって認めざるを得ないくらい、色気があって、だけど男らしい男。

意地悪な顔付きに飄々とした物言い。

僕が女でも、口説かれたら堕ちてしまうだろうなと思う。

女性がああいう男に弱いのはお約束で、男が佐久間のような天然小悪魔に弱いのもお約束……なんて、ちょっと語弊があるかもしれないけど、でも佐久間は何より、可愛くて、明るくて、優しい。

そんな当たり前に居そうで居ない女性に惹かれるのは、仁王も同じだったってことになるのかな……少なくとも、僕が後を尾けた時に見た仁王の笑顔は、佐久間が好きでしょうがないって顔してた。

だから、僕は大人しくしてたんだけど。


「学校も違うから、余計にそうだったんだけど……わたし、ホント、嫉妬深くて……」

「……あの彼氏じゃ、不安になるのも無理ないんじゃない?いい男だしね」


「そう……なんていうか……ただでさえ人を惹きつけるでしょ?」

「そうだね。仁王は昔っから、いろんな意味で曲者だよ」


僕がそう言うと、佐久間は小さく微笑んだ。

その微笑みが酷く嬉しそうで、僕は苦しくなる。

仁王の話をしただけで、僕が見たこともないような女の顔になる佐久間を。

僕はこれから、何度見ていくことになるんだろう。


「それで、嫉妬ばっかりしてて、わたしから言っちゃったんだ……もう、耐えられないって」

「……距離を置いて欲しいって?」


「……うん……でも本当は、嫌だって言ってくれるの期待してたのかも……ははっ、自分で言ってて、ホント、面倒臭いね」

「……そんなことないよ。女の子そういう気持ち、僕はわからないでもないけどな」


「本当?」

「うん、飛び出しておいて追いかけるのを待つってよく聞くじゃない?試してるんだよね、多分……相手が、どれだけ自分のこと好きなのか。そういうの、可愛い」


僕が紅茶を一口飲んでそう言うと、佐久間はぼうっと僕を見た。

突然見つめられて、僕はドキッとする。

あんまり、佐久間に見つめられることなんてないから……。

すると佐久間は、真ん丸にしていた目を少しだけ緩めて、うーん、と考え込むような仕草をした。


「不二くんて、なんで彼女いないんだろ?」

「え……またその話?」

「だって女の子のこともよくわかってるのに」


そう思うなら、僕のものになって欲しい。

なんて僕が言ったら、君はどんな顔するんだろうね。

この関係を壊すのが怖くて少し臆病になっている僕に、君はいつもそうして思わせぶりなことをするんだから。

……嫌んなっちゃうな。


「はいはい。僕のことはいいから」

「あ……うん、まあそれで……雅治、『そうか』って……全然、引き止めてもくれなくて」


「………………」

「でも結局、雅治と離れてるの辛くて、見えない雅治の状況に余計に嫉妬しちゃって……」


彼と一緒にいる時に、彼の女友達から掛かってくる電話に嫉妬したりしたのかな。

そんな佐久間を想像して嫉妬してしまう僕は醜いだろうか。

佐久間は頻りに、学校が違うから不安は余計に膨らんでしまったと、言い訳のように僕に繰り返す。

相手が仁王じゃ、無理もないよね……悪いけど、女には不自由してなさそうに見えてしまうから。

大丈夫だよ……僕は絶対、君を責めたり、否定したりはしないから。

そんなに申し訳なさそうに話さないで。


「だから結局、仁王のとこに戻ったんだね」


言った直後はっとした。

……無意識に、『結局』と少し棘があるような言葉遣い。

やっぱり、僕は醜いな……。


「うん……それがね……元に戻って……一ヶ月後、くらいかなあ……」


重たい話になるとわかったのはそんな僕に気付きもしない彼女が、また伏し目がちになったからだった。

目の前にある紅茶をただじっと見つめて。

今にも泣きそうな雰囲気で、はあ、と溜息をついてから決心したように言った。


「雅治のいない時に雅治の携帯が鳴って。メールね……見ちゃいけないってわかってたけど、女の人の名前だったんだ……」

「でも……女友達なら仁王にだって居るんでしょう?」


「うん、そうなんだけど、雅治って基本的に苗字で呼ぶの。あ、ほら、不二くんもそうでしょ?親しくない女の子のこと、いきなり名前で呼んだり出来ないタイプ」

「そうだね……ってことは、下の名前だったの?」


黙って頷いた佐久間の表情は、きっと、その時の再現をしているかのような表情だったと思う。

眉間に皺を寄せて、そのメールを開くことに罪悪感なんて消し飛んでしまったかのような……それくらい、強張った表情をしていた。


「下の名前だけで登録してるのなんて、わたしだけだと思ってたから……だから見るの凄く怖かったけど、見ずにはいられなかった。そしたらね、出てきた内容が、突然関係を切られて、すごく辛い。好きとか愛してるとか言わない。うるさくもしないし、自分の立場も弁えるから、だから、また私の部屋で私を抱いて欲しい。って……今はこうして不二くんに言葉で伝えているだけだけど、実際のメールの中身はもっと懇願してた。なんて言うのか、ああ、雅治は本当に、わたし以外の人を愛したんだなって思ったの」

「……それで、どうしたの?」

「うん、それで、勿論ぶちまけちゃったよ。どういうことって」


屈託なく笑った彼女の笑顔は泣いていた。


「そしたら雅治、距離を置いてた時に何度か関係を持ったけど、わたしとまた距離を戻してからすぐに切った相手だって言ってきてね。でもわたしには理解出来なかった。距離を置くって、別れようって言ったわけじゃないのに。どうしてその間、他の人と関係を持つなんてことが出来るのか。全然理解出来なかった」

「うん……」


「それに、雅治とそのやり取りをしている間に気付いちゃったの……最初は下の名前だけだから気が付かなかったんだけど」

「え?」


「相手、雅治を紹介してくれた先輩だったんだ」

「……ッ」


絶句した僕に、それでも佐久間は、あははっと笑って見せた。

佐久間に仁王を紹介した前のバイト先の先輩が、仁王と関係を持っていた。

ということは……もしかしたら、佐久間と付き合う前から、仁王はその先輩と関係していたかもしれない。


「わたし、なんかすごくバカにされたみたいな気がして……」

「……佐久間から話を聞いてるだけだけど、……ちょっと、許せないね」


「許せないよ……全然許せない……先輩がどういうつもりだったのかもわからないし、雅治と先輩の関係も、いつからだったのかわからない。もう信じられなくなっちゃって……」

「仁王はなんて?」


「ん……雅治はね、先輩はお姉ちゃんの友達で、ずっと前からよく知ってる人だったけど、わたしと付き合う前にそういう関係になったことはないって言ってた。だけどそんなの、本当はわからないことだから……もうダメなんだよね、一度疑っちゃうと」

「…………でも……それでも佐久間は、仁王とやり直したいの?」


誰かに前の彼氏の愚痴を聞かせるのがまるで初めてみたいに、佐久間は饒舌になっていて。

僕が仁王を少しだけ批判すると、佐久間は少し便乗するように仁王を悪く言った。

だけど僕は、それを制するように、それならどうして?という疑問をぶつける。

すると彼女は、途端に勢いを無くして、言い難そうに乾いた唇を舐めた。


「……やっぱり、好きだから……それに尽きる。事実はわからないよ。今でも先輩とそういう関係を保ってるかもしれない。わたしと別れた時、きっと先輩のとこに行くんだろうなってなんとなく思った……勝手な憶測だけど。でも距離を置いてた時の雅治のした事は……きっとやっと、許せるようになったんだ、今。だから、もう一度最初からやり直したくなった。我侭だってわかってるけど、やっぱりどうしても、雅治が好きで、忘れられない」

「…………そう」


忘れられない……そう言った直後、佐久間は初めて、僕の前で涙を流した。

一筋、彼女の頬に流れる雫は綺麗で、儚くて。

その涙に吸い込まれて、僕も同じように、心で泣いていた。










だから、僕に頼んだんだ……そう合点がいく。

前のバイト先の先輩に紹介してもらった人だとこないだ佐久間が言った時、少し変だなと思ってた。

先輩は女性であれ男性であれ、仁王を紹介した人なんだから、所謂ちょっと古臭い言い方になるけれど、つまり仲人だ。

秘密主義の佐久間の秘密を、唯一知ってる人でもある。

だったら僕にその秘密を話すよりも、その先輩に話をつけてもらった方が早い。

それなのに僕に頼むなんて、何か理由があるのかな……と、少し思っていた。


「……出ないな……」


そして新学期が始まった始業式の帰り道。

僕はとりあえず仁王に電話を掛けてみた。

さっきから時間を置いて二、三回掛けているけど出てくれない。

まさか雨なのに部活ってこともないだろうし……。


「不二ーーーー!!」

「英二、どうしたの?そんなに大きな声出さなくても、ちゃんと聞こえてるよ」


傘を差しながらぼんやりと歩いていると、後ろから大きな声で英二が駆け寄ってきた。

いつも思うことなんだけど、こういう時の英二は本当に猫みたいで、可愛い。

僕がくすくす笑うと、英二は「にゃははっ」と陽気に笑って、僕と肩を並べて歩いた。


「桃が、もうすぐこの雨は止むって言ってんだけど、不二、どっかで打ち合わない?」

「こんなに土砂降りなのに?でも桃が言うなら……本当に止んじゃうかもしれないな」


「ん〜?なんだよ!その、止んだら英二と打ち合わなきゃいけなくなるみたいな言い方〜!」

「あははっ。まさかそんな意味じゃないよ。僕は雨がそんなに嫌いじゃないからね。今の気分にも合ってるし、雨もいいかなって思っただけだよ」


「ふ〜ん?」と、まだ僕を疑ったような目で見ている英二に苦笑して、僕はまたぼんやりと考えた。

そうか、もうすぐ雨が止むなら……行ってみるのも悪くないな……。

ただでさえ、もうあれから二週間近く経ってる。


佐久間は、僕が部活やバイトで忙しいのを知っているから……もしもそれを知らなくたって、急かすようなことは一切口にしない人だ。

でも、いつも気にしてるのはわかる……バイト先で会った時の表情が、僕に聞いてきてるから。

―雅治、どうしてるのかな?―って。


「ごめん英二、僕、今日はもう予定入れちゃったんだ」

「え!!……そ……そっかあ、しょんぼりだにゃ……」


「大石は?」

「なんか用事あんだってさ!ああ、しょうがないから俺もなんか用事作っちゃおうかな!」


「ふふ。そうしなよ。ごめんね英二」

「気にしない気にしなーい!んじゃ、俺は先に帰っちゃうねん!バイバイ不二!!」


「うん、また――」

「――あ、それとさあ不二!」


大きく手を振りながら走った英二はもう数メートル離れた場所に居たけれど、最後に、僕に振り返って。


「なんか浮かない顔してるけど、俺、不二の味方!!必要な時は呼んでねん!バイバイ!」

「……ッ……すごいな……英二は……」


僕はドキッとしたのと同時に、胸に暖かいものが広がるのを感じた。

英二はいつも元気付けてくれる。

僕も英二に大きく手を振って、目的の場所へと急いだ。









*   *








立海の前で傘を差して仁王が出てくるのを待っている間、僕はなんて切り出そうか悩んでいた。

仁王に会ったところで、「久しぶり」から始まって、「ところで仁王、今、彼女いる?」ってのもおかしい。

だけど佐久間が気になっているのは絶対にその一点だけだから、どうしてもそれは聞かなきゃダメだ。

探りを入れて仁王の口からそれを読み取るしかないけど、仁王に勘付かれたくない。

だけど相手が悪すぎるな……彼は弱ってる僕を見抜きそうだし、それに、簡単に自分を読ませるような人じゃない……きっと、誤魔化される。


「おい走るなよ!また車に轢かれたらどうすんだよ!!」

「!」


そんなことを考えていたら、僕の背中にある校門の更に後ろから、聞きなれた声がした。


「轢かれたことにされちょるのう」

「ボク轢かれてないよ!お姉ちゃん助けてくれたじゃん!」

「あのままだったら轢かれてたろぃ!」

「アンタが偉そうに言う?」


そっと会釈するような格好でそちらを覗くと、赤い頭と、もうひとつ、聞きなれた声に銀色の頭。

僕はどうしてか反射的に身を隠すように校門から離れた。

丸井に、小さい男の子と、立海の女子生徒が二人、そして……仁王。

会話の内容から仲の良いグループみたいに思えたけど、離れてからは雨の音が邪魔して聞こえなかった。


五人は僕に気付かず、僕がいる場所とは反対方向に歩いて行く。

なんだか声が掛け辛かったのは、わざわざ仁王から聞き出そうとしなくても、このまま五人の様子を見てれば求めてる答えが手に入るような気がしたから。


そうして十分くらい経った後、ふと、雨が止んだ。

パラパラと町並みも傘を閉じていく。

このまま傘を差してたら逆に怪しまれちゃうから、僕は一定の距離を保ったまま傘を閉じた。

そして閉じた後に見たのは……仁王と愛しそうに指を絡ませる、さっき見たグループの中の女子生徒。


「また明日ね!丸井くんも!」


そう言った仁王の彼女は、まるでさっきの英二みたいに大きく手を振って。

彼女を眺めていた仁王は、おかげで一度離れてしまった温もりを探すように彼女に手を差し伸べた。

そしてもう一度手が重なった瞬間に、彼女の頬に小さく口付ける。

突然のキスに真っ赤になっている彼女を見て、彼は優しく微笑んでいた。


…………あの時の仁王の顔と、同じだった。

彼女が好きでしょうがない……そんな表情。

……彼は、また本気で愛せる人を見つたのか。

それとも、彼女にしても、佐久間にしても……実は本気なんかじゃないのか。


意外だけど、僕は少しショックだった。

いつの間にか佐久間に感情移入していたのかもしれない。

それとも、佐久間を傷つけたくなかったのかもしれない。

どういうことなのか僕には理解出来ないけど、仁王に一人で居て欲しかったんだと、このとき気付いた。

仁王に、佐久間との失恋を引きずっていて欲しかった。

たった半年で、佐久間みたいに素敵な人の次の相手を、簡単に見つけてなんて欲しくなかった。

僕の手に入らない佐久間を抱いていた君は、僕以上に佐久間を愛してなくちゃダメなんだ……!


僕はまるで佐久間になったみたいに、変な焦燥感に襲われて……。

次、佐久間に会えるのはいつだろうと複雑な気持ちの中、やっぱり恐れていた。

だって僕はこの事実を……佐久間に伝えなくちゃいけない――――。





to be continue...

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