きみが慾しい_04


どうしていいのかわからない……そんな彼女の声が、聞こえる気がした。

ただただ混乱する君を、抱きしめているこの腕に。

君はこの一瞬ですら、僕に身を委ねていいのかわからない様子だから……だからこそ、その淋しさにつけ込むような真似をしている僕は、――卑怯なのかな?
















きみが慾しい














4.





「お願い……佐久間……」

「不二く……わたし……っ……」


まだ泣き止むことは出来なくても。

僕の告げた言葉の意味を理解して、佐久間は我に返ったようだった。

まさかされると思ってなかった?僕から告白なんて。

僕だって……感情を抑えることが出来なくなることくらい、あるよ。


「……君が、仁王を好きでも構わないから……」

「ッ……そん……そんなの、そんなのだめだよ不二くん……わたし……不二くんのこと……わたし……」


「友達だったんだよね?佐久間の中では……でもお願い……断らないで……」

「……ッ」


ぎゅっと、力を入れなおしたら。

佐久間は僕にされるがまま、素直に体を揺らして、僕に閉じ込められた。


「やだ、そんなこと、出来ないよ……不二くん……っ」

「僕は、佐久間が好きだから」


「不二く――」

「好きだから。誰よりも。だから、仁王の代わりだって構わないから。君が仁王を忘れるまで、いくらだって待つから。だから、その時は……お願い……」


「だめだよ……不二くん傷つけちゃう……わたし、そんなの……」

「その時は……僕の、傍に居て……」


こんなに誰かに、「お願い」と告げたことは今まで一度だってなかった。

それほど、僕はいろんな事に対して欲がないって思ってた。

今まで好きになった彼女達のことも、こんなに欲しがってたかな。

きっと、違う……僕がこんなに求めたのは、君だけ。

懇願するほど、君に溺れているんだね。


「……ッ……ッ」

「佐久間……」


「……ごめ……っ……わたし、知らなかった……甘えて……ごめ……」

「ねえ、僕は……佐久間になら、傷つけられてもいいよ」


「そっ……」

「君が嫌がることは、絶対にしないから……」


そっと触れた髪に指を通しても、君は否定しない。

そんなことだけで、僕は自惚れる……今なら君を、一瞬だけでも仁王から奪える?


「ねえ、不二くん」

「なあに?」


「雅治、嘘みたいに冷たかった」

「…………」


「雅治のあんな目、見たことないの……苦しくて、何もかも嫌になる」

「…………」


「ねえ、こうやってわたし、忘れるまで、雅治のことばっかり考えるよ、きっと。いつ忘れるかなんてわからない。もしかしたらこのままずっと、雅治のこと好きなのかも」

「……そうだね」


「……ッ……そんな返事、聞きたいんじゃない、不二くん……わたし、傷つけたくない……ッ」

「それでも僕は、佐久間がいい……」


そう言ったら佐久間は、僕の胸の中で微かに声をあげて泣き始めた。

それはまるで、僕への懺悔を代弁しているかのような……酷く、哀しい声だった。













*   *












「手……繋いでもいい?」


僕がそう言うと、佐久間はこくん、とひとつ頷いて。

申し訳なさそうな顔をする。

それでも僕が少し力を込めて握ると、同じように握り返してくれた。


「大丈夫。僕に委ねてくれてるだけだって、わかってるよ」

「……不二くん……」


「うん?」

「わたし、最低なこと、言ってもいいかな……」


まだ目を赤くしたままの佐久間を見て、僕は深呼吸をした。

何かを覚悟したような佐久間の表情が、なんとなく、その先を予測させて。


「わたし、寂しさ紛らわせてるだけだと思う」

「……うん」

「不二くんで、だよ?……わたし、不二くんが好きって言ってくれて、嬉しかった。でも、それを拒否しないわたしって、最低だと思う。卑怯だと思う。雅治に優しくして欲しくて、それを、不二くんにしてもらったから、わたし……」

「卑怯なのは佐久間じゃなくて、僕だから」

「え……」

「僕はそれをわかってて、君の弱ってるとこに、つけ込んでる」

「不二く……」

「使ってよ。仁王の代わりでいいって、言ったでしょう?僕でいいなら、寂しい時、呼んで?辛くなったら、何時だって電話してくれていいよ。抱きしめて欲しいって思ったら、君さえ嫌じゃないなら、僕はいくらでも抱きしめに行くから」

「不二くんそれでいいの!?」

「いいよ」

「じゃあわたしが、寂しいから抱いてって言ったら抱くの!? その最中、わたしがずっと不二くんのこと、『雅治』って呼ばせてって言っても、わたしのこと――ッ!」

「――――抱くよ」

「ッ…………」


構わない。

君を愛せるなら。


それは伝えなくても、きっと伝わっていた。

驚きと非難が混ざったような目をして僕を見て、佐久間は黙り込んだ。

きっとまだ混乱してるから……何度も自分の中で葛藤してるから。

自宅まで送り届けるその間中、彼女は思い出したように僕に突っかかっては、言葉を失くしていた。

何を言っても、無駄な僕に……佐久間は、僕の愛がどのくらいのものなのか、無意識に試している。

そんなつもりはなくても、佐久間はどこかで、僕を警戒しているように思えた。


「ねえ、佐久間」

「なに……」


「伊織って、呼んでもいい?」

「……それは、勿論構わないけど……」


「仁王のこと、考えてる?」

「……不二くんのことと、半々……」


「うん、ありがとう……これからもそのまま、素直でいて」

「……」


「辛くなったら僕からリタイヤするから、安心して?」

「…………」


するつもりなんか、さらさらないけど。

そう言えば君の罪の意識も、軽くなるかな……なんて、甘い考えかもしれない。


佐久間の……伊織の、自宅前で。

離さなきゃいけない手のやり場に困って、名残惜しくて。

僕は伊織を見つめながら、笑ってそう言った。

伊織はちっとも笑ってくれなくて、頷きもしてくれなかったけど。

繋がった手を離さないまま、ぎゅっと、握ってきてくれた。

今頃、仁王と彼女が手を繋いでた場面を、思い出してるのかもしれない。

その寂しい心に僕はまた、つけ込みたくなった。


少しだけ引っ張ると、力なく一歩前に出た伊織の額に。

僕はそっと、そっと唇を近づけて。

「ありがとう」と呟いた後、やっと、「またね」と別れの言葉を口に出来た。











「伊織、今から休憩?」

「あ、不二くんも?」


翌日からの二週間は、淡々とした時間が過ぎた。

それでも、僕は伊織と付き合っているんだという事実をこの二週間で感じることが出来た。

今まではほとんどしなかった頻繁なメール。

バイトが終わった後に、ふたりで一緒に帰ったりもした。

彼女から手を繋いでくれたこともあった。笑顔も増えた。

そしてあれから、伊織が仁王の名前を口に出すことは無かった。

僕を気遣ってくれているのかもしれない。

だけど、懸命に忘れようとしてくれている表れのような気もして、僕は素直に嬉しかった。


「ねえ伊織」

「うん?」


「そろそろ僕のことも、不二くん、じゃなくて……」

「えっ」


遂にきたか、みたいな顔して大袈裟に驚いた伊織に、僕はそっと近付いて。

バイト先の事務所の中、きっと誰も入ってこないのをいいことに、そっと頭を撫でる。


「だめ?」

「い、いや、だめじゃないけど、なんか、ほら、今まで不二くんで通してきたから、なんか、アレじゃん!」


時間が経って、僕のことを段々意識してくれるようになったのがわかる。

本当はまだまだ、仁王のことが好きなのかもしれないけれど。

どうしたって、こんな赤い顔を見せ付けられちゃったら、僕は期待してしまう。

いつも可愛い、って思ってたけど、僕の為だけに恥ずかしそうに俯く彼女を見ていると、余計に気持ちが高ぶるから。


「――――していい?」

「え?」


思い切った僕の言葉は、少し薄れて伊織に伝わってしまった。

きょとんとした顔で見つめられて、もう我慢出来そうになかったけれど。

嫌がることはしたくないから……だから僕はもう一度、勇気を出した。


「キス……しても、いい?」


僕をまともに見ていた伊織の、瞳が僅かに揺れる。

ゆっくりと息を整えているその鼓動が、僕にまで伝わってきて。

伊織はぎこちなく頷いて、そっと瞳を閉じた。


「好き……」


そう呟いて伊織の唇に触れた僕は、無意識に息を止めていた。

まるで初めてのキスみたいに緊張して、このまま時間が止まればいいなんて、青臭い言葉を浮かべた。

だけど、やがて唇を離した時、僕は何故だか、情けない想いに捉われた。

切なさとか、悲しみじゃなくて――自慰の後のような、酷い虚しさ。


「……ごめん」

「え……」


僕自身の我を通してしまったような気がしたのかもしれない。

僕に流されるとわかっている伊織を、利用した気さえして。

そんなのは、告白したあの日からわかっていたことなのに、突然苦しくなって。


「不二く……」

「ごめん……僕……」


伊織の顔を見れずに、目の前にある小さな肩に、僕は顔を埋めた。

戸惑っているだろう伊織は、しばらく黙っていたけれど。

やがて、僕の頭をそっと……壊れ物を触るような優しい手つきで、撫でてくれた。


「……周、助……」


呼び慣れないから、恥ずかしいな……と呟いて、伊織はもう一度。


「周助」


そう呼んで欲しかったくせに、僕はその体勢のまま、目を見開いて。

全神経を、伊織の声に集中させていた。

胸が詰まって、体が熱くて、どうにかなっちゃいそうだ……。


「わたしも……好き……周助のこと」

「え……」


「うまく……この気持ち、どう伝えていいかわかんないけど……これが、一番近い感情だと思う」

「伊織……」


「周助が、居てくれたから……あの日からの立ち直りも、出来てきてると思う……。嘘はつきたくないから、言うけど……彼のこと、忘れたかって言われたら、違う……」

「うん……」


雅治、と言わなくなった……それが、伊織の気持ちだ。

僕に対するその思いやりが、君の気持ちの変化だから……微力だって、僕は君の中に存在してる。

それが、ほら、こんなに嬉しいよ。


「周助……?」

「ごめん……嬉しくて」


哀しいことを言われているのに、つい微笑んでしまった僕を見て、伊織は困った顔をする。

その表情も、僕が作り出してるものだって思うと、嬉しさに拍車が掛かってしまった。


「大丈夫」

「……変なの、周助」

「うん」


笑いながら、僕は額を伊織のそれにコツン、と合わせた。

伊織が誤魔化すように言う。


「あ、確かに熱あるかも!」

「僕が?」


「うんうん、なんかニヤニヤしてるし!」

「だって嬉しいんだもん」


「モノ好き……」

「ふふ。なんとでも言って」


本当は、君に言われたくないって思ったけど。

仁王の話をぶり返すのは嫌だったから、僕はそのまま、もう一度キスをした。











「ねえねえ周助、この受付日、変じゃない?」

「うん?あ、ホントだ。一年前になってるね」


「店長だよ〜。こないだも言ってたもん、今、何年だっけ〜?って」

「あははっ。こないだ僕も聞かれたような気がする」


休憩の間、僕らは柔らかい時間を過ごした。

今、僕はようやく「伊織の彼氏」なんだって、心から実感できてる。

一度キスしたら止まらなくなって、何度も繰り返して。

伊織はその度に恥ずかしそうに俯いて、でも、笑ってた。

今だってこうして、いつも通りの会話だけど、躊躇いなく僕を「周助」って呼んでくれる。

もともと名前で呼び合いたいって彼女だったから、そんなに苦労はないのかもしれないけど。

だけど、どうしたって、嬉しいから。


「あれー?二人とも、なんかアッツアツだね」

「え!あ、お、おはようございます!」


背中から突然声を掛けられて、時計を見上げると午後三時。

遅番のバイトで入ってきた先輩が、僕らの様子を見てひやかすようにそう言ってきた。

周りから見てもわかるほどなんだって、この時わかった。

舞い上がりそうになる気持ちを抑えて、


「おはようございます」と僕は何食わぬ顔で答える。

先輩はだけど、ニヤニヤして、

「おはよ不二!ちょっと見ない間に、もしかしてそういうことになったのか〜?羨ましいね〜色男!」なんて、僕を小突いてきた。

「あ、いや、その、えっと……!」


僕が先輩に小突かれながら笑っていると、今度は伊織が赤くなって慌てだした。

あーあ、そんな顔しちゃったら、先輩の思うツボなのに。


「伊織ちゃん、俺、狙ってたのに〜!」

「ええ!」

「はいはい、彼女に言いつけますよ?」

「げ!不二、お前ね、そういうこと言ってると……ッ――あ、いらっしゃいませ!」


そんなくすぐったい時間はあっという間に終わりを迎えた。

先輩が僕に何やら物騒なことを言おうとした時だった。

お客さんが入ってきたことに気付いた彼は大きな声でそう言って。

着替えを済ませるために、急いで事務所に入って行った。

タイムカードを気にしてか、焦ったようなその背中に顔を見合わせて笑った僕らは、幸せな風景の余韻を残したまま、「いらっしゃいませ」と入口へ振り返った。


――――――時間が止まった。


「…………こんにちは」

「…………」


カウンター越し、僕らの目の前にまで来て、ぎこちなく頭を下げる。

その目は僕じゃなく……伊織を一直線に見つめていた。

表情が強張っていて、あの頃よりも少しだけ疲れたような、痩せたような印象。

でも、どこかしっかりとした意思が感じ取れる……覚悟を、決めたような。


「あの……一度、お話がしたくて……」

「…………」

「バイト中に、迷惑なのはわかってます。終わるまで待ってるんで、何時になるか、教えてもらえたらって……」


どうして、今。

だけどこれは、僕が招いてしまった結果に違いなかった。


ゆっくりと視線を逸らした先に見た伊織からは、何も読み取れない。

ただ、仁王の彼女のその姿を見て……伊織の瞳は、色を失くしていた――――。





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